極上の甘味と新たな勝負
雪解けを迎えたムーツ領の村は、一足飛びに活気づいていた。
新しく建てられた総合加工場の骨組みが青空に映え、森からは香ばしい香りをまとったカエデの樹液が次々と運び込まれている。
「――素晴らしいわ、イチカ様。このメープルシロップ、想像以上の出来栄えよ」
村の工房の一角で、カトリーナは小さなガラス瓶を掲げ、うっとりとその黄金色の液体を見つめた。
王都から戻ったばかりの彼女は、村の特産品を改めて検分し、すぐに商売の青写真を描き上げていた。
「これほどのコクと上品な甘みがあれば、夏秋イチゴを使ったジャムの甘味料としてはもちろん、『メープルシロップ単体』の高級品としても王都のサロンで絶大な需要が生まれるわ。さっそく最高級の小瓶に詰めて、破格の値段で売り出しましょう」
カトリーナの鮮やかな手腕にマルクたち村の男衆も感心していたが、当のイチカは腕を組んで、少しだけ首を横に振った。
「ううん、カトリーナ様。それだけでは、王都の肥えた貴族たちを本当の意味で唸らせる『高級路線』としては、まだ少し材料が足りないわ」
「足りない、というと?」
カトリーナが怪訝な顔をしたところで、イチカは工房の奥からいくつかの木箱を抱えて戻ってきた。
中には、カトリーナが来る前に密かに開発を進めていた試作品が並んでいる。
蓋を開けると、ふわりと甘く芳醇な香りが漂った。
「カトリーナ様、これを見て。メープルシロップの保湿力を限界まで活かして作った……『ハンドクリーム』と『リップバーム』、そしてお肌を整える『ローション』よ」
カトリーナは驚きに目を見張り、差し出されたハンドクリームを指先ですくって手の甲に伸ばした。
ひんやりとした感触のあと、驚くほど滑らかに肌へと馴染み、乾燥しがちな北の気候で荒れていた肌が嘘のようにしっとりと潤っていく。ベタつかず、気品のある優しい甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「……っ! これ、は……!」
カトリーナは言葉を失い、自分の手の甲を何度も見つめた。
「すごい……! 驚異的な保湿力だわ。王都の貴族夫人たちは、年中乾燥や肌荒れに悩まされているの。こんな極上のコスメがあったら、彼女たちは値段すら見ずに飛びつくわ!」
商人の血を滾らせたカトリーナが息を弾ませる。
だが、すぐに現実的な壁にぶつかったように眉間を寄せた。
「でも、問題は売り方よ。これほどの最高級品をただ並べたところで、辺境の寒村で作られたものだと知れれば、ただの珍品として扱われてしまうかもしれないわ。王都のハイソサエティに認めさせるには、圧倒的な『プロモーション』が不可欠よ。どうしたものかしら……」
イチカは静かに微笑むと、カトリーナの悩みに答えるように一つの名前を口にした。
「以前、カトリーナ様が接触していたあの御方――アルスター公爵夫人のお力を借りるわけにはいかないかしら?」
その名前が出た瞬間、カトリーナの双眸が大きく見開かれた。
「……アルスター公爵夫人。王都の美意識と流行を牛耳る、あの御方の心を掴むことができたら……勝ったも同然よ!」
奇策ではない、確かな品質と最高峰の権威を掛け合わせた戦略。
カトリーナは力強くうなずくと、机の上に並んだメープルシロップの瓶と美容用品の試作品を丁寧にトランクへと納めた。
「完璧だわ、イチカ様。その最高の品と戦略を私に預けてちょうだい。今度こそ、王都のすべてをあの御方ごと、このムーツ領の足元にひれ伏させてみせるわ!」
試作品と新たな勝算を胸に、カトリーナは再び馬車に乗り込み、王都へ向けてムーツを旅立っていくのだった。




