王都からの呼び出し
冬の足音が日ごとに大きくなるムーツ領に、王都からの急使が到着したのは、もちつきとべこもち作りの熱気が冷めやらぬ翌日のことであった。
「シモキタール男爵、至急王都へ出頭されたし」
王宮からの召喚状を差し出した使いの使者は、固く口を閉ざしたまま理由を一言も明かそうとしない。
何か不手際でもあったのだろうか。
それとも、イチカが次々と巻き起こす破天荒な事業が王都の重鎮たちの逆鱗に触れたのだろうか――
不穏な予感と拭えぬ不安を胸に抱き、ルキウスは北方警備隊長であるルーカスをはじめとする数名の護衛を従え、重々しい足取りで王都へと向かった。
王都に到着し、促されるまま王宮の重厚な応接室へと足を踏み入れたルキウスは、そこに揃った面々の顔ぶれを目にして息をのんだ。
室内の上座に腰掛けているのは、イースティア王国の実権を握る王弟、ジークフリート・フォン・イースティア殿下。
その脇には、通商政策の重鎮であり、実質的にイチカの後見人として目を光らせているルードヴィヒ・フォン・アルスター公爵。
さらに、北方の軍部を統括する重鎮、ハインリヒ・フォン・ハギムーン侯爵までが厳しい表情で待機していたのだ。
国の頂点に立つような雲上の傑物たちが勢揃いした光景に、ルキウスの背中を冷や汗が吹き抜ける。
(ついに……ついに我がシモキタール男爵家もお終いか……! 一体イチカが何をしでかしたというのだ……!)
生きた心地もしないまま拝礼するルキウスに対し、ジークフリート殿下が静かに口を開いた。
「よく参った、ルキウス男爵。急な呼び出しで驚かせたな。……実は、お前に伝えるべき重要な決定がある」
殿下の厳格な声に、ルキウスは身を硬くする。
しかし、次に殿下の口から飛び出した言葉は、彼の予想を遥かに越えるものであった。
「この冬が明けたら、イチカ嬢がノースシーロード王国へ招待され、貴殿達が現地を訪問する。我が国としても、彼女の身の安全と威信を守るために万全を期したいのだが……いかんせん、実家の爵位が『男爵』では、他国に対する外交上の権威としてあまりに格が足りんのだ」
「は、はあ……?」
「そこでだな。ルキウス、お前を『子爵』へと陞爵させることに決定した」
思いもよらぬ言葉に、ルキウスの思考がピタリと停止する。
困惑するルキウスを前に、軍部のハインリヒ侯爵が腕を組みながら引き継いだ。
「だが、何もないところから理由もなく陞爵させるわけにはいかん。そこで、名目と実効性を兼ねた大きな事業を起こす。――ムーツの地に『海軍の訓練所』を建設し、そこに我が国の海軍部隊を常駐させるのだ」
「ムーツに……海軍訓練所、ですか?」
「そうだ」と、今度はアルスター公爵が優やかに微笑みながら頷いた。
「ムーツのグランミナート湾は背後を険しい陸地に守られ、内海は波が静かで、新兵や艦艇の訓練にはこれ以上ない極上の環境だ。加えて、ノースシーロード王国との国際交易路の安全を保護する拠点としても極めて都合が良い。……そしてな、大規模な海軍基地と部隊が駐留する地を治める領主が『男爵』のままでは示しがつかん。だからこその『子爵』への陞爵だ。……受け入れてくれるな?」
怒られるどころか、国の中枢から至極もっともな理由で大抜擢の打診をされたのだと理解した瞬間――ルキウスの緊張の糸がぷつりと切れた。
「……ッ、よかった……!!」
膝の力が完全に抜け、ルキウスはその場にガクッと腰を抜かしてしまった。
あまりの安堵感に情けなく息を吐き出すルキウスを見て、ジークフリート殿下たちは苦笑いを浮かべる。
「ははは、何をそんなに怯えていたのだ。……なお、正式な陞爵の儀は貴殿達がノースシーロード王国へ発つ直前に行う。混乱を避けるため、それまではイチカ殿も含め、誰にも口外せぬよう固く禁ずる。よいな?」
「は、ははっ! 謹んで……お言いつけを守ります……!」
その後、どうやって王都を立ち去り、どうやって領地まで戻ってきたのか、ルキウスの記憶は定かではない。
文字通り放心状態で馬に揺られ、気がついた時には慣れ親しんだムーツの男爵邸の門をくぐっていた。
「お父様! おかえりなさい! 王都で何か恐ろしいことでもあったのですか? 顔色が真っ白ですよ!?」
玄関で出迎えたイチカが、魂の抜けたような顔をした父親を心配そうに覗き込み、矢継ぎ早に問いかけてくる。
目の前で自分を心底案じてくれる娘の姿に、ルキウスは(お前を守るため、そしてお前が凄すぎるせいで、我が家が子爵家になるんだよ……!)と心の中で叫ばずにはいられなかった。
だが、王命による口止めを破るわけにはいかない。
ルキウスはガクガクと震える手でイチカの肩を優しく叩き、引きつった笑顔で必死に答えるのだった。
「だ、大丈夫だともイチカ……! 何も心配することはない……本当に、何もな……!」
あまりにも必死すぎる父親の様子に「???」と首をかしげるイチカを余所に、ムーツ領は静かに、そして着実に「子爵領」へと生まれ変わる巨大な激動の渦へと巻き込まれていくのだった。




