新興宗教誕生
ハギムーン侯爵邸での商談を鮮やかにまとめあげ、無事にムーツへと帰還したイチカ。
長旅の疲れを癒やす間もなく領主館で溜まった書類仕事に追われていた彼女のもとに、一通の豪華な招待状が届いた。
差出人は、以前「捨てられていた大トロの炙り」を伝授した隣村――オーマ村である。
「イチカ様! オーマ村から『今年も巨大なマグロが豊漁につき、ぜひ至高の女神様をお招きしてマグロ祭りを執り行いたい』と手配が届いております!」
「ちょっと待って、今何か変な肩書が聞こえたような……?」
首をかしげるイチカだったが、実は前回の訪問以降、オーマ村ではイチカの評価が明後日の方向へと突き抜けていた。
捨てていた部位を極上の美味へ変えた彼女は、村人たちの間でいつしか「食の女神様」として神格化されていたのだ。
断る間もなく、イチカはルーカスとセレナと共に再びオーマ村へと向かった。
潮風の香るオーマ村へ足を踏み入れかけたその瞬間――
「「「あっ! 女神様がおいでになられたぞーーーーっ!!!」」」
「神々しい……! 感謝の祈りを捧げよ!」
村に入った途端、波のような大歓声と平伏する村人たちに出迎えられ、イチカは「ひえっ!?」と肩を跳ねさせた。
村の中央広場には巨大なかまどがズラリと設置され、完全に「女神様を迎えるマグロ祭り」の準備が万全に整っていた。
(ど、どうしよう……! でも、ここまで歓迎されたら腹を括るしかないわね!)
イチカは内心の戸惑いを抑え込み、自前で持参していた「ある秘密兵器」を握りしめた。
広場の中央では、巨大な本マグロが威勢よく解体されていく。
漁師たちが手際よく切り分けていく傍らで、イチカはムーツから運んできた「米」を取り出し、かまどの羽釜でじっくりと炊き始めた。
ふっくらと炊き上がった米に、持参した特製の合わせ酢を回しかけ、団扇で煽りながら切るように混ぜ合わせていく。
ツヤツヤと光る極上の「酢飯」の完成だ。
イチカは手早く酢飯を小さく握り、解体されたばかりの極上マグロを乗せていく。
きめ細やかな赤身、程よく脂の乗った中トロ、そして炙らずともとろける大トロ――
「さあ、まずは『握り寿司』です!」
続いて、イチカは包丁の背で骨の周りに残った身(中落ち)や筋の多い部分を丁寧にそぎ落とし、細かく叩いて刻みネギと和えた。
苺香が前世の日本で大好きだった「ネギトロ」の完成である。
これを温かい酢飯の上にたっぷり乗せ、「ネギトロ丼」として盛り付けた。
「召し上がってみてください!」
差し出された料理に、村長をはじめとする漁師たちが恐る恐る手を伸ばす。
ムーツ同様オーマ村でもこれまで「米」を主食として食べる文化は広まっていなかった。
職人技のような美しい寿司と丼を一口口にした瞬間――広場に衝撃が走った。
「な、なんだこれは……っ! この甘酸っぱくて温かい穀物が、マグロの脂と旨みを完璧に引き立てている……! 口の中で解けて一つになるぞ!?」
「う、うまあああああいっ!! 赤身も中トロも、この白い穀物と一緒に食べると悪魔的な旨さだ!!」
さらに、ネギトロ丼を口にした老漁師が涙を流して叫んだ。
「お命頂戴したマグロの骨の髄まで……捨てていた削ぎ落としの身まで、こんな極上の料理に変えてしまうなんて……!」
「またしても捨て部位を宝に変えてくださった……! 間違いない、やはりこのお方は食の女神様だ!!」
感涙した村人たちが、次々とイチカに向かってひざまずき、拝み始めようとする。
(ちょっと待って! これ以上スケールが大きくなったら困るわーっ!)
イチカは半ば諦めつつも、必死で両手を振ってお願いした。
「みなさん、拝むのはやめてください! 私は女神なんてたいそうな存在じゃなくて、ただの美味しいものが好きな人間です! 本当に、お願いですから普通に接してくださいっ!」
イチカの切実な訴えに、村人たちは「女神様はどこまでも謙虚であられる……」と感銘を受けつつも、表面上は静まり返り、通常の宴へと戻っていった。
こうしてマグロ祭りは大盛況のうちに幕を閉じた。
しかし、イチカの知らぬところで、オーマ村の伝統として「裏で密かにイチカを食の女神として崇める風習」が固く語り継がれていくこととなったが――イチカがその事実を知る由は、永遠にないのであった。




