ハギムーン侯爵家の夜会令嬢たち
ハインリヒ侯爵との面会を終え、レイモンドの緊張が解けたところで、いよいよハギムーン侯爵邸の夜会が幕を開けた。
ハギムーン侯爵邸には、北方一帯を治める有力貴族たちが一堂に会している。
その中心でイチカを出迎えたのは、当主ハインリヒと、可憐な笑みを浮かべる妻のシュクレ夫人だ。
「まあ、イチカ様。本日はようこそお越しくださいましたわ。またこうしてお会いできて嬉しいですわ」
シュクレ夫人は愛らしい容姿と柔らかい物腰で、真っ先にイチカを迎え入れてくれた。
「お招きいただき光栄です、シュクレ様」
イチカが礼儀正しく挨拶を交わしていると、足音も静かに一人の少女が歩み寄ってきた。
ハギムーン侯爵家の令嬢、エレノアである。父親譲りの賢明そうな目元と、凛とした気品を備えたしっかり者タイプの令嬢だ。
「ごきげんよう、イチカ様。ハギムーン家へようこそおいでくださいました」
「ごきげn……」
お互いに微笑みを交わそうとした瞬間、そのすぐ後ろから美しい金髪縦ロールを揺らした少女が強引に割り込んできた。
「ふん、イチカ様! わたくしに挨拶もなしに、シュクレ様やエレノア様とお話しされるなんて、相変わらず配慮が足りませんわね!」
胸を張り、開いた扇子で口元を隠しながらツンとすましてみせるのは、タキア伯爵令嬢のロザリアだ。
「あら、ロザリア。イチカ様はお母様にご挨拶をされていたところですのよ。そんな風に横から差し出口を挟むものではありませんわ」
エレノアがくすりと優しく微笑みながら、ロザリアの悪役令嬢風の威嚇をサクッと軽くあしらう。
「なっ……! お、エレノア様! わ、わたくしはただ、貴族としてのマナーをイチカ様に教えて差し上げようとしただけで……!」
「あら。イチカ様の後ろ楯にはアルスター公爵家と我がハギムーン侯爵家がついておりますのよ? 序列で言えば、あなたの方が教わる立場かもしれませんわね」
「むぐっ……!!」
正論で退路をサクッと断たれ、顔を真っ赤にして言葉を詰まらせるロザリア。その完璧すぎる敗北ツンデレぶりに、苺香は
(可愛い……! ロザリア様、相変わらず期待を裏切らないわ……!)
と心の中で大歓声を上げていた。ロザリアはどれだけ強がってみせても、イチカの提案するかわいいものが大好物なのだ。
そんなロザリアの視線が、ふとイチカの手に握られた一枚のハンカチに釘付けになった。
上質なシルク生地の端に、繊細な銀糸で刺繍されているのは――愛らしい子グマのマークと、月と太陽をあしらった『ルナ・ソレイユ』のロゴマーク。
「っ……く、愛らし……!? イ、イチカ様! そのハンカチに刺繍されている小さなクマの意匠はなんですの!? わ、わたくし、そんな可愛らしい品は見たことがありませんわ!」
子グマの刺繍のあまりの愛らしさに心を撃ち抜かれたロザリアは、扇子を握る手をわなわなと震わせ、青い瞳を爛々と輝かせた。
「ああ、これですか? これは『ルナ・ソレイユ』のデザイナーさんとロゴのデザインを考えていた時に、実際の仕上がりを確認するために作ったものなんです。
商品化はまったく考えていない完全な非売品なのですが……」
「なっ……! デザイン確認用の、非売品……!? しかもその子グマの愛らしさといったら……!」
『非売品』という希少性と『子グマの圧倒的可愛さ』のダブルパンチを受け、ロザリアのかわいいものセンサーが限界突破を起こした。
必死に口元を扇子で隠しながらも、チラチラと子グマの刺繍を見つめてパタパタと激しく扇子を動かす。
「ふ、ふん! たかが商品化もされない非売品……しかも子グマの刺繍くらいで、わたくしが羨ましがるとでもお思い? ……で、ですが、タキア伯爵家としては、そのデザイン性や子グマの刺繍技術を正当に評価して差し上げる用意はありますわ! ええ、決してわたくしが欲しいわけではありませんけれど!」
「あらロザリア、誰もそんなこと言っていませんわよ?」
エレノアが間髪入れずにツッコむと、ロザリアは「うぐっ」と喉を詰まらせた。
(うわぁぁ可愛い……! 必死に言い訳しながら目線がハンカチに行ったり来たりしてる……! なにこの生き物、尊すぎるでしょ……!!)
目の前で分かりやすくジタバタするロザリアの愛らしさに、苺香は心の中でジタバタと悶絶していた。
破顔しそうになる表情を必死で澄まし顔に取り繕いながら、イチカは優しく語りかけた。
「ロザリア様。実は本日、ロザリア様とエレノア様への贈り物として、色違いの品をご用意してきておりますの。後ほどお渡ししますね」
「まあ……! ほ、ほんとうですの……!? こ、好意を無駄にするのは貴族の礼儀に反しますから、受け取って差し上げますわ!」
パッと顔を輝かせつつも、どこまでもツンとすましてみせるロザリア。エレノアも「ふふ、イチカ様、お心遣いありがとうございます」と嬉しそうに微笑んだ。
一方、会場の少し離れた位置では、レイモンドとセレナが周囲の貴族たちの動きに目を配っていた。
「……レイモンド様、随分と表情が柔らかくなりましたね」
「ああ、ハインリヒ閣下の真意が分かったからな。だが、ガードとしての役目はしっかり果たすつもりだ」
「頼もしいですね。エオノーラ様もお喜びになります」
「……母上の話はよせ」
照れくさそうに顔を背けるレイモンドだったが、視線はしっかりとイチカの安全を見守っていた。
その頃、大広間に集まった貴族たちの間には、静かな衝撃が走っていた。
(あのハギムーン侯爵閣下とアルスター公爵家の次男君が、一男爵令嬢であるイチカ様を挟むようにして控えている……)
(タキア伯爵家やブルーフォレスト伯爵家だけでなく、ハギムーン家全体が彼女を全面的に支持しているというのか……!)
ハインリヒ侯爵が狙った通りの「盤石な見せつけ」は一瞬で効果を発揮し、イチカに良からぬ野心を持って近づこうとしていた有象無象の貴族たちは、顔を青ざめさせて引き下がるしかなかった。
「イチカ様、ハンカチも素敵ですが、後ほど『ルナ・ソレイユ』の新しい美容品についてもお話しさせていただけますかしら?」
エレノアが静かに、しかし目を輝かせて耳打ちする。
「まあ! エレノア様ズルいですわ! わ、わたくしもそのお話に交ぜてくださいな!」
やっぱり食いついてきたロザリアも含め、華やかな夜会はイチカを中心に、和やかで賑やかな時間を刻んでいくのだった。




