新米と譲れない流儀
タキア伯爵領からの大いなる収穫――馬車2台を満たした大量の食材と、何よりも貴重な「米」を乗せた一団が、無事にムーツ領へと帰還した。
領内に戻るやいなや、イチカはさっそく調理場へと向かい、手に入れたばかりの米を炊き上げることにした。
普通であれば、ここで初めての米と対面した感動のあまり、歓喜の涙を流しながら炊き立てをかき込む――というのが王道の展開かもしれない。
しかし、イチカはすでにタキアの宿や食堂でその感動をフライング気味に済ませてしまっていたため、意外なほど冷静だった。
では、ムーツに戻って最初の記念すべき「ごはんのお供」に選ばれた栄えある一品は何だったのか。
異世界転生もののテンプレだとほぼ一択だが、その選択肢を華麗に無視し、イチカが真っ先に箸で掴み取ったのは、タキアで買い求めてきた「いぶりがっこ」だった。
「ふふっ……いぶりがっこって、毎日食べるものじゃないし必須でもないけれど、たまに食べるとどうしようもなく美味しいのよね」
パリッとした心地よい歯ごたえとともに、鼻腔を抜ける燻製の香ばしい薫りと、大根本来の甘み、そして乳酸発酵の絶妙な酸味が口いっぱいに広がる。
炊き立ての白米の湯気と一緒に頬張れば、それだけで十分すぎるほどの至福が成立していた。
ここで、ひとつの疑問が浮かぶ。
「米、異世界もののテンプレといえば……なぜ『卵かけご飯(TKG)』にしなかったのか?」と。
そこには、イチカなりの曲げられない強い流儀があった。
理由――それは、「まだパーツが足りないから」である。
究極のTKGを名乗るためには、ただ卵を割り入れるだけでは不十分だ。
最後のピース、すなわち「醤油」の存在が不可欠なのである。
もちろん使う量はほんの数滴、隠し味程度かもしれない。
だが、それがないまま醤油の代わりでごまかすのは、イチカのなかのプライドが「それは亜流のTKGだ」と激しく拒絶したのだ。
「……ふっ、異議は認めます」
脳内で誰に向けたともわからないシュールな発言をしながら、イチカは泣く泣くTKGを封印したのだった。
とはいえ、希望が絶たれたわけではない。ムーツ領には現在、独自の魚醤こそあるものの、いわゆる日本の一般的な醤油は見当たらない。
しかし、今回のタキアでの「米」の発見によって、イチカの確信はより強固なものになっていた。
――ムーツにないだけで、この世界のどこかの地域には、きっと『醤油』もあるはずだ。
米が存在するなら、醤油文化だってどこかに眠っているに違いない。
そう思えば、いつの日か最高のTKGに出会えるという未来の楽しみが広がり、モチベーションはさらに高まるというものだった。
こうしてムーツでの米生活の幕が上がったわけだが、毎回の調理を領主令嬢であるイチカがすべて担当するわけにもいかない。
そこで彼女は、料理長のレイブンを厨房に呼び出すと、まずは簡単に作れて大鍋でも一気に調理できる「チャーハン」の作り方を伝授した。
強火で炒めた米に卵や刻んだ具材がパラパラと絡む絶品のまかない飯に、レイブンは「これは保存食の米の概念が変わる……!」と目を丸くして大絶賛したのだった。
これを皮切りに、今後はイチカが食べたくなった米のレシピを、レイブンたち料理人チームに都度教えていく体制が整えられた。
北の寒村ムーツの食卓は、大量の米と新たな食材の到来によって、かつてないほどの黄金時代へと突入しようとしていた。




