ムーツ領に還元を
なんちゃらバニアが運び出され、すっかりと元の静けさを取り戻したルキウスの執務室。
その一角には、ルキウスとロベルト、そして少し改まった表情をしたイチカの姿があった。
「ふむ、どうしたんだイチカ。改まってそんな顔をして」
執務机から顔を上げたルキウスが優しく問いかけると、イチカは小さく息を整え、父親であるルキウスと、長年領地を支えてきたロベルトの顔をまっすぐに見据えた。
「うん……。前からずっとやりたいと考えていたことがあるの……」
そう切り出したイチカの言葉に、二人は静かに耳を傾ける。
「ルナ・ソレイユの売上金や、今回のノースシーロード王国との会談の会場費なんかもあって、今のムーツ領は以前とは比べ物にならないくらいすごく潤ってきたよね。でも……」
イチカは少し言葉を選びながら、この領地に対する思いを語り始めた。
「このムーツは、他所のように人が大勢集まるような大きな街への発展を目指しているわけじゃない。
それに、このムーツには領を支えてくれているシルバー部隊をはじめとして、お年寄りもたくさん暮らしている。
だからこそ、潤ったお金は街を大きくすることだけに使うんじゃなくて、いま頑張ってくれている領民のみんなに何か還元したいの」
その言葉を聞いたロベルトは、深く頷きながら感心したように目を細めた。
「……なるほど。領主として、そしてこのムーツを支える者たちへの恩返しというわけですな」
「うん。それでね、二人というか、お父様に相談なんだけど……。まず一つは、今温泉迎賓館から北方警備隊の駐屯地まで伸びている温泉の配管を、もっと先まで伸ばしたいの。街の中に、領民の誰もが入ることができる大きなお風呂――『大浴場』を作りたいんだ!」
さらにイチカは、もう一つのアイデアを続ける。
「それと、歩いて移動するのが大変なお年寄りや子供たちのために、街の中を巡る『周回馬車』も走らせたいの。みんながもっと気軽に、快適に暮らせるようになったらいいなって思うんだ」
温泉の大浴場に、街を巡る周回馬車――。
それは、商業的な利益を優先するのではなく、まさにこのムーツ領に暮らす人々の生活に寄り添った、温かな福祉の提案だった。
我が子の優しくも頼もしい提案を聞き終えたルキウスは、しばし目を丸くしたあと、やがて誇らしそうな、そして愛おしそうな笑みを浮かべて頷いた。
「ははっ……相変わらず、君の発想には驚かされるよ。温泉の大浴場に周回馬車か……。どれも領民たちにとっては夢のような話だ」
ルキウスは椅子から立ち上がると、イチカの頭を優しくなでながら、力強く言った。
「それに、これまでの領の収入のほとんどは、イチカがその才覚で稼ぎ出してくれたものだ。我が子のその温かい心遣いを、我が領のために使いたいと言ってくれるなら……父親として反対する理由なんてどこにもないさ。好きなように、思う存分やりなさい」
「うんっ、ありがとう、お父様!」
父親であるルキウスの温かい許可とロベルトの全面的なバックアップを受け、ムーツ領の新しい街づくり、そして領民たちのための大サービス計画がこうして動き出すことになったのだった。




