訪れし使者
厳しい冬の訪れを間近に控えたある日、ムーツ領に一通の報せが届いた。
アルスター公爵夫人のエオノーラが、この地を訪れるというのだ。
指定された日、ムーツに向かう馬車を迎え撃つべく、イチカは父であるシモキタール男爵ルキウス、経理でありアルスター公爵家三男であるロベルトと共に、男爵邸ではなく『温泉迎賓館』の前で待機していた。
やがて、ゴトゴトと重い車輪の音を立てて一台の馬車が到着する。
扉が開き、まず姿を現したのはエオノーラ夫人、そして娘のアリスだった。
しかし、それに続いて降りてきたもう一人の人物を見た瞬間、イチカは思わず目をパチクリとさせた。
そこにいたのは、引き締まった体躯を持つ、いわゆる「細マッチョ」系の端正なイケメンだった。
見慣れない顔だと思いながらも、イチカはその場ではあえて口をつぐみ、出迎えの挨拶に徹した。
だが、隣に立っていたロベルトだけは、その人物を一目見るなり「……っ」と小さく息を呑み、彼が誰であるかに気づいている様子だった。
挨拶もそこそこに、イチカが謎の人物について尋ねようとすると、エオノーラ夫人は涼やかな顔でそれを遮った。
「挨拶はあとですわ。まずは冷えないうちにサロンに案内なさいな」
促されるまま、一行は温泉迎賓館のサロンへと移動した。
温かいアップルティーが用意され、ようやく一息ついたところで、エオノーラ夫人は例のイケメンをチラリと一瞥し、優雅に口を開いた。
「あらためて紹介しますわ。こちらはアルスター公爵家の次男、レイモンドよ」
――レイモンド。アルスター公爵家の次男という思わぬ大物の登場に、イチカは「えっ、次男様がわざわざこんな辺境の地に……? 温泉でも楽しみにいらしたのかしら」と心の中で首をかしげた。
しかし、その場に漂うピリッとした空気は、どう見てものんびり湯治に来た者のそれではない。
エオノーラ夫人は優雅にカップをソーサーに戻すと、まっすぐイチカを見据えて、まるで決定事項であるかのようにこう言い放った。
「これからこの子を、イチカの『護衛』として使いなさい」
「は、護衛ですか……?」
とイチカが呆気に取られていると、夫人の表情がスッと引き締まった。
そして、話題は先日王国中枢を揺るがしたあの件へと移る。
「……ノースシーロード王国のノボリベッツ侯爵から、あなたに招待状が届いているわ」
その言葉に、室内の空気が一段と張り詰めた。
エオノーラ夫人は冷徹な、しかしどこか親愛の色を滲ませた瞳でイチカを見据える。
「イチカ、あなたは今回の一連の件、本当によくやってくれたわ……。でもね、やりすぎたのよ」
そして、視線を隣に座るルキウスへと移し、意味深に問いかけた。
「シモキタール男爵。なぜ今、レイモンドをここに連れてきたのか……その理由、あなたなら分かるわね?」
ルキウスは冷や汗を拭うことも忘れ、緊張した面持ちできっぱりと頷いた。
「……はい」
ノースシーロード王国、そしてノボリベッツ領という巨大な磁場に再び引き寄せられようとしているイチカ。
その裏で動き出した、王国上層部の重く、そして周到な企みの影が、静かに姿を現し始めていた。




