予想外の一攫千金?
リバーシといい、なんちゃらバニアといい、二度までも商売の夢を打ち砕かれた苺香は、男爵邸の談話室ですっかり脱力していた。
(もういいわよ……どうせ私の考えた商売なんて、この世界じゃ通用しないんだから……)
やけくそになったわけではないが、先日『なんちゃらバニア』の人形や家具を作ってもらった際、ついでに職人へ無理を言って「自分用のリラックスグッズ」として作ってもらっていた代物があった。
それが、絶妙なカーブを描く木の棒――「孫の手」である。
背中を掻く側の反対側には、コリをほぐすための丸い球体までしっかり加工してある優れものだ。
自分専用として、談話室のソファの脇に何気なくぽんと立てかけておいたものだった。
そんな時、ガチャリと談話室の扉が開いた。
現れたのは、ムーツ領の温泉とラーメン堪能し終え、帰りがけにふらりと男爵邸に立ち寄ったブルーフォレスト伯爵その人だった。
「やあ、イチカ嬢。今、ルキウス殿に挨拶してきたところだ。その後の調子は――ん?」
伯爵はイチカに挨拶をかけようとして、談話室の隅、イチカのそばに無造作に置かれていた奇妙な木の棒に目を留めた。
先端が妙なカーブを描き、反対側には丸い球体がくっついている。
「おい、イチカ嬢。なんだそれは?」
「あ、これですか? この間、人形を作ってもらった職人さんに、ついでに自分用として作ってもらった『孫の手』です。背中が痒いときにこうして……ほら、手が届かないところを掻くための道具ですね」
イチカが適当にあしらいながら実演してみせると、伯爵の目がスッと鋭く細まった。
「ふむ……。ちょっと、それを貸してみたまえ」
言われるがまま伯爵に棒を渡すと、彼は自分の背中にその先端を当ててそっと力を込めてみた。
ゴリゴリとした絶妙な当たり具合と、手の届かない絶妙なポイントを的確に捉えるしなり具合。
さらに反対側の球体を肩や腰に当ててグリグリと押し当てると、心地よい刺激が全身を駆け抜けた。
「――っ! なんだこれは……!」
伯爵の顔に、これまでに見たこともないほどの衝撃と感動の色が浮かび上がった。
『リバーシ』の時のような「まあまあ面白いな」でも、『なんちゃらバニア』の時のような「コストの壁」でもない。
純粋な身体的快感の前に、伯爵は絶句していた。
「手を伸ばしても届かない背中の痒みが、嘘のようにスッキリと掻ける……! しかもその反対側の丸みによる絶妙なツボ押し効果は何だ! これほどシンプルにして、人間の欲求を完璧に満たす道具が存在したとは……!」
興奮気味に絶叫する伯爵に、イチカは拍子抜けしたようにまばたきをした。
「え、あ、はい。自分用に談話室に転がしておいたただの私物ですけど」
その言葉を聞いた瞬間、ブルーフォレスト伯爵はビシッと指を突きつけ、信じられないような形相でイチカを叱り飛ばした。
「バカ者っ!! なぜ最初からこれを持って来なかったのだ!!」
「えっ、だってこれ、自分用の快適グッズというか……」
「リバーシだのなんちゃらバニアだの言っている場合か! これだ! これこそが我が領の木工業を潤す至高の便利道具ではないか!」
伯爵は興奮のあまり、テーブルをバンと叩いた。
「しかし伯爵様、これ、庶民的すぎてうちのルナ・ソレイユではとても……」
「何を言う! 庶民から貴族まで、背中が痒くない人間などこの世に一人もいないわ! むしろこの手軽さと圧倒的な実用性こそが、老若男女問わず爆発的なヒットを生む!」
伯爵は一息でまくし立てると、イチカの肩をがっしと掴んで真剣な眼差しを向けた。
「いいか、イチカ嬢。この『孫の手』の製造権、そして販売は我が商会ですべて引き受けよう。もちろん、君にはきちんと適正なロイヤリティを支払う。……頼む、これを我が商会に預けて、あとは俺に任せてくれ!」
さっきまで「一攫千金なんて夢のまた夢」と絶望していたイチカは、まさかの「自分用に作らせた孫の手」という斜め上すぎるアイテムで大成功の切符を掴みかけ、ポカンと口を開けたまま固まってしまった。
(……え? リバーシでもなんちゃらバニアでもなく、なんで談話室に適当に置いてあった孫の手なの……?)
時代のニーズとは、時として全く予想もしないところにあるらしい。
こうして、一連の一攫千金チャレンジは、最も泥臭く最も庶民的な自用アイテムによって、予期せぬ大成功を迎えることになったのだった。




