十三階行き
約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
会社を出たのは午後十一時を回っていた。
残業続きで頭はぼんやりし、ビルには警備員以外ほとんど残っていない。エントランスのエレベーター前へ行くと、一基だけが静かに待っていた。
「やっと帰れる……」
ボタンを押すと、扉が音もなく開く。
中には誰もいない。
一階へ向かうボタンを押した瞬間、閉まりかけた扉が「チン」と鳴って再び開いた。
しかし、誰も乗ってこない。
警備員か誰かが押し間違えたのだろう。
そう思って閉じるボタンを押す。
また閉まりかける。
そして、また開く。
今度は廊下の奥に、黒いコートを着た女が立っていた。
長い髪で顔は見えない。
こちらへ歩いてくる様子もない。
「乗らないなら……」
閉じるボタンを押した瞬間、女が一歩だけ前へ出た。
思わず息をのむ。
だが、それ以上動かない。
扉は閉まり、ようやくエレベーターが動き出した。
ほっとしたのも束の間だった。
表示が「11」「10」と降りていく途中で、急に止まった。
『13』
見たことのない数字が表示されていた。
このビルは十二階建てだ。
十三階なんて存在しない。
次の瞬間、扉が開いた。
真っ暗な廊下だった。
照明は一つもなく、奥がまるで底なしの穴のように黒い。
その闇の中から、
「……乗せて」
女の声が聞こえた。
さっきの女だ。
だが声は廊下の奥から聞こえる。
あの女は十一階にいたはずなのに。
慌てて閉じるボタンを連打する。
反応しない。
開くボタンも非常ベルも効かない。
「……乗せて」
声が近づく。
コツ、コツ、コツ。
足音だけが響く。
暗闇の中から白い足が現れ、黒いコート、長い髪が少しずつ姿を見せる。
顔だけが、髪で隠れたままだった。
あと数歩でエレベーターに入ってくる。
そのとき、ふと思い出した。
以前、警備員が酒の席で言っていた噂だ。
「十三階に着いたら、絶対に降りるな。でも乗せてもいけない。
乗せたら代わりに一人、降りることになる。」
意味が分からず笑い話にしていた。
女が扉の前まで来る。
髪の隙間から、口だけが見えた。
「一人じゃ帰れないの。」
その瞬間、エレベーターの外から誰かに背中を押された。
振り返る。
誰もいない。
だが、確かに手の感触があった。
体が少し前へ出る。
女が細い指を伸ばしてくる。
触れそうになった瞬間、
「閉」
ランプが光り、扉が勢いよく閉まった。
女の指が扉に挟まれた。
……はずなのに、悲鳴はない。
指はするりと扉の隙間へ溶けるように消えた。
エレベーターは急降下し、一階へ到着した。
扉が開く。
明るいロビーだった。
警備員が不思議そうな顔でこちらを見る。
「大丈夫ですか? 真っ青ですよ。」
「十三階に……」
そう言いかけると、警備員は顔色を変えた。
「その話はしないでください。」
「知ってるんですか?」
警備員は少し黙り、低い声で言った。
「毎年一人、“十三階に行った”と言う人がいるんです。でも皆さん、次の日から出社しなくなる。」
「失踪ですか?」
「いえ。」
警備員はエレベーターの監視モニターを指差した。
そこには、さっきの映像が映っていた。
私が一人で乗っている。
……いや、一人ではない。
私のすぐ後ろに、黒いコートの女がぴったり立っていた。
顔をこちらへ近づけ、髪の隙間から笑っている。
警備員が震える声でつぶやく。
「おかしいな……さっきまで、あなた一人しか映っていなかったのに。」
その瞬間、エレベーターが誰も乗っていないはずなのに動き始めた。
表示はゆっくりと上がっていく。
8、9、10、11、12――13。
モニター越しに扉が開く。
画面の向こうから、女の声だけが聞こえた。
「次は、あなたが降りる番。」
読んでいただき、ありがとうございました。
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