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台風の夜

約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。



 台風が近づく夜は、家の中が妙に静かになる。


 窓の外では風が唸り、雨が屋根を叩いているのに、テレビの音だけがやけに遠く感じられた。


「明日の朝には通り過ぎるかな」


 妻がそう言いながら、スマートフォンで台風の進路を確認している。


 俺は窓の鍵をもう一度確かめた。


 そのときだった。


 ――コン、コン。


 玄関から音がした。


「こんな時間に?」


 時計を見る。


 午前一時十七分。


 俺は玄関へ向かった。


「誰ですか?」


 返事はない。


 もう一度、


 ――コン、コン。


 今度はさっきより強い。


 妻が後ろから小声で言った。


「出ないで」


「でも……」


「外、見て」


 妻が指差した。


 玄関脇の小窓から外を見る。


 激しい雨で何も見えない。


 ただ、風に煽られた木の枝が、何度も道路を横切っていた。


 人が立っている気配はない。


「誰もいないよ」


 そう言った瞬間。


 ――コン、コン。


 今度は玄関ではなかった。


 俺たちの真上。


 二階の窓からだった。


 妻の顔から血の気が引いた。


「……二階、誰かいる?」


「子どもは?」


「実家に泊まってる」


 俺たちは顔を見合わせた。


 恐る恐る階段を上がる。


 二階には誰もいない。


 だが、窓ガラスに水滴が流れている。


 その向こうに、人影が見えた。


 窓の外。


 誰かが立っている。


「……嘘だろ」


 そこは二階だ。


 人が立てる場所なんてない。


 人影は窓のすぐ前に立ち、こちらを見ているようだった。


 そして、


 ――コン、コン。


 窓を内側から叩いた。


 妻が悲鳴を上げた。


 俺は後ずさった。


 すると突然、停電した。


 真っ暗になった部屋で、雨と風の音だけが響く。


 数秒後、スマートフォンの画面が点いた。


 緊急速報だった。


『台風による河川氾濫に注意してください』


 その下に、もう一つ通知が表示されていた。


『避難所情報』


 何気なく開く。


 現在地付近の避難所一覧。


 その中に、見覚えのない名前があった。


 ――「旧・第二避難所」


 妻が画面を覗き込む。


「……ここ、何?」


「知らない」


 その瞬間、窓を叩く音が止まった。


 静寂。


 そして今度は、階段の下から聞こえた。


 ――コン、コン。


 俺はスマートフォンのライトを向けた。


 階段の一番下に、誰かが立っている。


 ずぶ濡れの女だった。


 長い髪から水を滴らせながら、じっとこちらを見ている。


 女が口を開いた。


「避難しなきゃ」


 妻が震えながら言った。


「……誰?」


 女は笑った。


「ここ、もう避難所だから」


 その瞬間、外から猛烈な風が吹いた。


 窓ガラスが震える。


 スマートフォンの画面が一瞬だけ明るくなった。


 そこには、台風情報が表示されていた。


『現在、この地域に台風は接近していません』


 俺は息を呑んだ。


 窓の外を見る。


 雨が止んでいる。


 風もない。


 ただ、真っ暗な道路の向こうに、


 古い看板が一つだけ立っていた。


 ――「第二避難所」


 そしてその看板の下には、


 俺たちと同じように、ずぶ濡れになった人たちが何十人も立っていた。


 全員がこちらを見ている。


 その中に、


 俺たちの子どもがいた。


 笑顔で手を振っている。


「お父さん、お母さん」


 窓の外から、声が聞こえた。


「早く来て」


 その声と同時に、


 家の玄関が、


 ゆっくり開いた。

読んでいただき、ありがとうございました。

楽しんでいただけたら、感想や評価をいただけると今後の励みになります。

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