金木犀の匂い
約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
金木犀の匂いがすると、母は必ず窓を閉めた。
子どもの頃から、それだけは変わらなかった。
「どうして?」
そう聞くと、母は決まって、
「昔のことを思い出すから」
とだけ答えた。
意味が分からなかった。
けれど二十歳になった今年、実家に帰ったとき、庭の金木犀が満開になっていた。
玄関を開けた瞬間、甘い香りが家の中まで流れ込んでくる。
私は懐かしくなって、窓を開けた。
すると母が血相を変えて飛んできた。
「閉めて!」
「なんで?」
「早く!」
母は震える手で窓を閉めた。
その夜。
私は自分の部屋で眠っていた。
午前一時を過ぎた頃、ふと目が覚めた。
部屋の中が、金木犀の匂いで満たされている。
窓は閉まっている。
なのに、匂いはどんどん濃くなっていく。
そして廊下から、足音が聞こえた。
ペタ……。
ペタ……。
裸足で歩くような音。
足音は私の部屋の前で止まった。
コン、コン。
ドアが二度叩かれる。
「……お母さん?」
返事はない。
代わりに、ドアの向こうから女の声がした。
「開けて」
母の声だった。
私はドアノブに手を伸ばした。
その瞬間、スマホが震えた。
母からのメッセージだった。
『部屋から出ないで』
続けて、もう一通。
『絶対に声を聞かないで』
私は凍りついた。
ドアの向こうで、母がまた言った。
「お願い。開けて」
その声は、泣いていた。
「お母さん、大丈夫?」
思わず声をかけてしまった。
すると、返事がない。
数秒後。
「……今、返事した?」
母の声がした。
私は黙った。
「今、あなたの部屋の前にいるんだけど」
スマホを握る手が震えた。
じゃあ、今ドアの向こうにいるのは誰だ。
そのとき。
ドアの下の隙間から、黄色い小さな花が一輪、ゆっくり入ってきた。
金木犀。
そして、女の声。
「やっぱり、いるんだね」
翌朝。
母は私の部屋の前で座り込んでいた。
ドアを開けると、廊下には金木犀の花が大量に落ちていた。
「……お母さん、これ何?」
母は答えなかった。
ただ、庭を見つめている。
私も窓から外を見た。
金木犀の木の下に、古い墓石があった。
今まで、あんなものはなかった。
「お母さん。あれ……誰のお墓?」
母はしばらく黙っていた。
やがて、小さな声で言った。
「あなたのお姉ちゃん」
「……私に姉なんていないよ」
母がこちらを振り返った。
顔が真っ青だった。
「だから、毎年この時期になると窓を閉めてたの」
「どういうこと?」
「金木犀の匂いがすると……あの子が帰ってくるから」
その瞬間。
背後から、甘い匂いがした。
耳元で女の子が囁く。
「お姉ちゃんって呼んで」
私は振り返れなかった。
そして庭の金木犀の下から、もう一つの声が聞こえた。
「今年は二人分、迎えに来たよ」
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