終電の忘れ物
約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
金曜の夜、営業職の会社員・高橋亮介は終電に揺られていた。
残業続きで疲れ切り、座席に腰を下ろした瞬間、意識が途切れる。
「……終点です」
駅員に肩を叩かれて目を覚ますと、車内には誰もいなかった。
時計は午前一時四十分。
慌てて電車を降りると、ホームは静まり返り、蛍光灯だけが白く点滅している。
改札へ向かおうとした時、後ろで「コン……コン……」という音がした。
革靴の音だ。
振り返る。
誰もいない。
気のせいだと思い歩き出すと、また。
コン……コン……コン……。
今度は自分の歩幅にぴったり重なるように聞こえた。
足を止める。
音も止まる。
もう一度歩く。
コン……コン……。
背後に、誰かがいる。
恐ろしくなり、亮介は早足になった。
ホームを抜け、改札へ着いた瞬間だった。
駅員室の窓に人影が映る。
黒いスーツ姿の男。
だが、その男は窓にだけ映っていて、実際にはそこに立っていない。
亮介は息を呑んだ。
窓の男はゆっくりと顔を上げる。
目がない。
あるはずの場所は黒い穴になっていた。
次の瞬間、館内放送が流れる。
「お忘れ物のお知らせです」
女性の声だった。
「一番線ホームに、お客様がお一人、取り残されております」
亮介は周囲を見回した。
自分しかいない。
放送は続く。
「お迎えが参りますので、その場でお待ちください」
駅中の電気が、一斉に消えた。
真っ暗な中で、コン……コン……という靴音だけが近づいてくる。
亮介は夢中で改札を飛び越え、駅の外へ飛び出した。
冷たい夜風に当たり、ようやく息をつく。
助かった。
そう思った瞬間、スマートフォンが震えた。
画面には知らない番号。
恐る恐る出ると、雑音の向こうから女の声が聞こえた。
「忘れ物ですよ」
「……え?」
「あなた自身を、置いてきました」
通話は切れた。
意味が分からないまま、スマホの画面を見る。
黒くなった画面には、自分の姿が映っている。
……いや。
映っていない。
街灯も、車も、後ろの景色も映る。
だが、自分だけがいない。
心臓が凍りついた。
背後から、あの靴音が聞こえる。
コン……
コン……
ゆっくり振り返る。
そこには、自分が立っていた。
疲れ切った顔。
よれたスーツ。
手には、自分が会社へ持って行っていた黒いビジネスバッグ。
“もう一人の亮介”は無表情のまま口を開く。
「やっと迎えに来た」
その瞬間、世界が反転した。
亮介は気づく。
終電で眠っていたあの時、目を覚ましたのは自分ではなかった。
今まで歩いていたのは、「忘れられたもの」のほうだったのだ。
翌朝、始発電車の清掃員は、終点の車両で一つの黒いビジネスバッグを見つけた。
中には社員証が入っていた。
持ち主の名前は、高橋亮介。
しかし、その会社に問い合わせても返ってきたのは奇妙な答えだった。
「高橋亮介という社員は、昨日も今日も、普通に出社していますよ」
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