度の合わない眼鏡
約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
その眼鏡を拾ったのは、雨の降る夜だった。
仕事帰り、駅前の歩道に黒い眼鏡が落ちていた。フレームは古かったが、レンズには傷ひとつない。
交番に届けようと思った。
けれど、何気なくかけてみた。
「……あれ?」
世界が、少しだけ違って見えた。
街灯の光が滲まず、遠くの看板まで驚くほど鮮明に見える。
そして――人が増えた。
誰もいなかった歩道に、十人ほどの人影が立っている。
全員、こちらを見ていた。
振り返る。
誰もいない。
もう一度、眼鏡をかける。
いる。
黒い服を着た男女が、雨にも濡れず、無表情で立っている。
怖くなって眼鏡を外した。
すると、また誰もいない。
その日は眼鏡を持ち帰らず、駅のゴミ箱に捨てた。
翌朝。
眼鏡は、玄関の靴箱の上に置かれていた。
昨日と同じ場所に。
気味が悪かったが、触らずに家を出た。
その夜、帰宅すると、部屋の電気がついていた。
消したはずだった。
恐る恐る玄関を開ける。
部屋には誰もいない。
ただ、机の上に眼鏡が置いてあった。
そして、その横には一枚の写真。
写真には、俺の部屋が写っていた。
撮影した場所は――部屋の中。
写真の中央には、俺が立っている。
今と同じ服装で。
そして俺の背後には、昨日見た人影が十人。
全員が俺を見ている。
震える手で写真を裏返した。
そこには、文字が書かれていた。
『この眼鏡は、見えるものを増やす眼鏡です』
その下に、もう一行。
『ただし、見えてはいけないものまで見えるようになります』
背後で、床が軋んだ。
振り返れない。
でも、机の上の眼鏡が、ゆっくりとこちらを向いた。
まるで誰かが、レンズ越しに俺を覗いているように。
その瞬間、スマートフォンが鳴った。
母からだった。
『今、家にいる?』
震えながら返信する。
『いるよ』
すぐに返事が来た。
『よかった。さっき電話したら、知らない男の人が出て……』
俺は画面を見つめた。
そして、ふと気づいた。
電話は――まだ鳴っている。
画面には、母の名前。
けれど、その着信音は。
俺の背後から聞こえていた。
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