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空きのボトル

約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。



 冷蔵庫を開けると、見覚えのないペットボトルが一本入っていた。


 透明なボトル。

 ラベルは剥がされていて、中身は空。


「こんなの買ったっけ?」


 妻に聞くと、妻は首を傾げた。


「知らない。捨てれば?」


 そう言われて、ゴミ箱へ入れた。


 翌朝。


 冷蔵庫を開けると、また同じボトルが入っていた。


 昨日と同じ位置。

 同じ形。

 ラベルもない。


 気味が悪かったが、もう一度捨てた。


 その日の夜、妻が言った。


「ねえ。冷蔵庫のペットボトル、捨てた?」


「ああ」


「じゃあ、なんでまた入ってるの?」


 振り返ると、冷蔵庫の扉が少し開いていた。


 中には、あのボトルがあった。


 ただし、今度は空ではなかった。


 水が半分ほど入っている。


「……俺、入れてないぞ」


 妻も知らないと言う。


 不思議だった。


 けれど、喉が渇いていた俺は、何となくその水を口にした。


 冷たい。


 普通の水だった。


「おいしい」


 そう呟いた瞬間、妻が青ざめた。


「今……何て言った?」


「え?」


「『おいしい』って言った?」


 妻は震えながら、ボトルを指差した。


「それ……昨日、あなたが捨てたやつじゃない」


「だから、そうだろ」


「違う」


 妻の声が小さくなる。


「昨日のは、空だった」


 俺は黙った。


「今のは……中身が入ってる」


「だから?」


「中身、何だったの?」


 俺は答えられなかった。


 その瞬間、ボトルの中で何かが動いた。


 水面が、小さく揺れる。


 そして、底から黒いものが浮かんできた。


 髪の毛だった。


 一本。


 二本。


 やがて、何十本もの黒い髪が水の中に広がった。


 妻が悲鳴を上げる。


 俺はボトルを床へ叩きつけた。


 透明な容器が転がる。


 蓋は閉じたまま。


 なのに、中から水が漏れ出してきた。


 床に広がった水は、妙な形をしていた。


 人の足跡だった。


 冷蔵庫から、こちらへ向かって。


 そして、その足跡は俺の背後で止まった。


 振り返る。


 誰もいない。


 代わりに、テーブルの上に新しいペットボトルが置かれていた。


 今度はラベルが付いている。


 震える手で確認すると、そこには商品名ではなく、手書きでこう書かれていた。


 ――飲んだ分だけ、返して。


 その瞬間。


 俺の喉の奥から、水の音がした。


 ごぼっ。


 ごぼっ。


 肺の中で、何かが満たされていく。


 妻が泣き叫ぶ。


「吐いて! 吐いてよ!」


 俺は口を開いた。


 けれど、出てきたのは水ではなかった。


 黒く長い髪が一本、舌の上に乗っていた。


「……これ、誰の髪だ?」


 妻は答えなかった。


 ただ、冷蔵庫を見つめている。


 俺もそちらを見る。


 冷蔵庫の中には、ペットボトルが何本も並んでいた。


 十本。

 二十本。

 三十本。


 さっきまで、こんな数はなかった。


 しかも、すべてのボトルに名前が書かれている。


 知らない名前ばかりだった。


「……これ、何?」


 妻が震える指で、一番手前のボトルを指差した。


 そこには、こう書かれていた。


 ――佐藤美奈子。


「誰?」


「……私のお母さん」


 妻の母親は、三年前に亡くなっている。


 俺は息を呑んだ。


 次のボトルには別の名前。


 その隣にも。


 そして、一番奥。


 暗くてよく見えなかったボトルを取り出した。


 そこには――


 **俺の名前が書いてあった。**


「なんで……」


 ボトルを握った瞬間。


 妻が悲鳴を上げた。


「違う! それ、見ちゃ駄目!」


 遅かった。


 ボトルの中身が、突然黒く濁った。


 そしてラベルの文字が、ゆっくり変わっていく。


 俺の名前の下に、新しい文字が浮かんだ。


 ――**採取済み**


 その瞬間、背後から声がした。


「まだ一人分、足りないよ」


 振り返る。


 誰もいない。


 妻を見る。


 妻は、俺ではなく冷蔵庫の奥を見ていた。


「……お父さん」


「え?」


「お父さんが、帰ってきた」


 冷蔵庫の奥から、誰かがこちらを覗いていた。


 顔は見えない。


 ただ、手だけが伸びてきた。


 その手には、新しいペットボトルが握られている。


 ラベルには、俺の名前。


 そして、その下に――


 **「次回採取予定 明日」**


 と書かれていた。


 俺は恐ろしくなってボトルを床に落とした。


 割れない。


 ペットボトルだから当然だ。


 なのに、中身だけが床へ流れ出した。


 透明な水。


 その中に、俺の歯が一本混じっていた。


 俺は口元を押さえた。


 一本、足りない。


 そして妻が、泣きながら呟いた。


「……だから言ったでしょ」


「何を?」


「その水……」


 妻は俺の後ろを指差した。


「あなたが昨日、飲んだ水じゃない」


「じゃあ、何なんだよ……」


 妻は答えなかった。


 代わりに、冷蔵庫の奥から声がした。


「違うよ」


 低い女の声。


「**あなたが昨日飲んだんじゃない。昨日のあなたが、今飲んでるの。**」


 意味が分からなかった。


 次の瞬間、俺のスマートフォンが鳴った。


 画面には、妻からの着信。


 目の前に妻がいるのに。


 震える手で通話ボタンを押す。


『もしもし……』


 電話の向こうから、妻の声。


『お願い。帰ってきて』


 俺は妻を見る。


 妻も俺を見ている。


 そして電話の向こうの妻が泣きながら言った。


『今、あなたの家の冷蔵庫を開けたら……』


 そこで声が途切れた。


 数秒後。


『……ペットボトルの中に、あなたが入ってる』


 俺の手元のボトルが、ぐらりと揺れた。


 中から、小さな拳がガラスを叩く音がした。


 コン。


 コン。


 コン。


 俺は反射的にボトルを見た。


 水の中に――


 **俺がいた。**


 目を見開いて、こちらを見ていた。


 そして、水の中の俺が口を動かした。


 声は聞こえない。


 けれど、読めた。


 ――**そいつ、俺じゃない。**

読んでいただき、ありがとうございました。

楽しんでいただけたら、感想や評価をいただけると今後の励みになります。

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