後部座席
約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
仕事を終えたのは、午前一時を過ぎていた。
雨が降っていたが、拓也はいつものように車で山道を走っていた。
この時間になると、対向車はほとんどない。
ワイパーが一定のリズムでフロントガラスを拭っている。
――そのときだった。
「……コン、コン」
後部座席から音がした。
拓也はバックミラーを見た。
もちろん、誰もいない。
「気のせいか」
そう呟いて前を向く。
だが、しばらくすると、
――コン、コン。
今度ははっきり聞こえた。
後部座席の窓を、誰かが内側から叩いているような音だった。
拓也は怖くなり、車を路肩に停めた。
エンジンを切る。
雨音だけが車内を満たした。
恐る恐る振り返る。
やはり誰もいない。
「……誰もいないよな」
自分に言い聞かせるように呟き、再びエンジンをかけた。
その瞬間。
カーナビの画面が勝手に切り替わった。
表示されていたのは、現在地ではなかった。
赤い線で囲まれた山道。
そして、その先に小さく表示された文字。
『目的地:自宅』
「……なんだこれ?」
拓也はナビを操作しようとした。
しかし、画面は動かない。
そのとき、後ろから声がした。
「……まだ、帰らないの?」
拓也の全身が凍った。
女の声だった。
しかも、耳元で囁かれたように近い。
ゆっくりバックミラーを見る。
そこには――
長い髪の女が座っていた。
顔は俯いていて見えない。
「う、うわっ!」
拓也はアクセルを踏み込んだ。
車は猛スピードで山道を下っていく。
バックミラーを見ることができない。
見てはいけない。
そう思った。
だが、女が再び囁いた。
「ねえ……」
「……」
「どうして私を置いていったの?」
拓也の手が震えた。
そんな記憶はない。
そもそも、この車に誰かを乗せた覚えなど――
そこで、気づいた。
助手席に置いていたスマートフォン。
画面には、先ほど撮った写真が表示されていた。
何気なく撮った車内の写真。
そこには拓也しか写っていない。
……はずだった。
後部座席。
そこに女が座っている。
そして写真の中の女は、こちらを向いていた。
口元だけが、笑っている。
「……嘘だろ」
その瞬間。
車の後部座席から、再び音がした。
――コン、コン。
拓也はバックミラーを見た。
女はいなかった。
代わりに、後部座席の窓に白い手形がいくつも付いていた。
内側から。
「……やめろ」
拓也が呟く。
するとカーナビが、突然女性の声で案内を始めた。
『目的地に到着しました』
拓也は前を見た。
そこは、自宅の駐車場だった。
いつの間にか帰ってきていた。
車を停め、震える手でドアを開ける。
そして、外へ出ようとした瞬間――
「ねえ」
背後から声がした。
「私、まだ降りてないよ?」
拓也は振り返らなかった。
ただ、開いた後部座席のドアから、
濡れた裸足が二本、
ゆっくり地面へ降りてくる音だけを聞いていた。
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