脱水の音
約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
一人暮らしを始めて半年。会社員の健人は、築三十年のアパートで平凡な毎日を送っていた。
ただ一つ、不思議なことがあった。
洗濯機が、毎晩午前三時きっかりに動き出すのだ。
もちろんタイマーは設定していない。コンセントを抜いても、一度だけ「ウィーン……」という低い駆動音が聞こえる。
最初は気味が悪かったが、数秒で止まるので放っておいた。
ある夜、音がいつまでも止まらなかった。
脱水の激しい振動が部屋中に響く。
恐る恐る洗面所へ向かうと、洗濯機の蓋がわずかに開いていた。
中には洗濯物がない。
なのに、水音だけが聞こえる。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
まるで誰かが中でゆっくり息をしているようだった。
健人は蓋を閉めようと手を伸ばした。
その瞬間、中から濡れた手が飛び出してきた。
反射的に後ずさると、手は何事もなかったかのように引っ込み、洗濯機も止まった。
翌朝、中を確認しても何もない。
夢だったのかと思った。
だが、その日から洗濯物が一枚ずつ消え始めた。
靴下が片方。
Tシャツが一枚。
下着も。
代わりに、見覚えのない古い子ども服が混じるようになった。
泥で汚れ、小さな名前が薄く書かれている。
『ユウ』
誰だ。
気味が悪くなった健人は管理会社へ連絡した。
すると年配の担当者は少し黙り、
「……前の住人も同じことを言ってました」
とだけ答えた。
詳しく聞こうとすると電話は切れ、それ以降つながらなくなった。
その夜。
また午前三時。
脱水の音が鳴る。
今度は「ドン、ドン」と内側から叩く音が混じっていた。
健人は逃げようと玄関へ向かった。
しかしドアが開かない。
振り返ると、洗濯機の蓋がゆっくり開いていた。
中には真っ黒な水。
その水面に、自分の顔が映る。
いや、自分ではない。
髪の長い女がこちらを見ていた。
女は笑いながら言う。
「あと一枚。」
その瞬間、健人の着ていたシャツが勝手に脱げ、水の中へ吸い込まれた。
次は皮膚だった。
腕の表面が布のようにめくれ、洗濯物みたいに丸まって中へ落ちていく。
痛みはない。
ただ、自分が少しずつ「衣類」になっていく感覚だけがあった。
翌朝、部屋はもぬけの殻だった。
洗濯機の中には、洗いたての白いワイシャツが一枚。
胸元には赤い糸で、小さく名前が縫われている。
――ケント。
数日後、その部屋に新しい住人が入居した。
古い洗濯機はそのまま残されていた。
夜中の三時。
静かな部屋に、小さな電子音が響く。
「洗濯を開始します。」
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