空白の31日
約5分で読める短編ホラーです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
引っ越したアパートは古かったが、家賃は驚くほど安かった。
入居初日、壁には前の住人が残したらしいカレンダーが掛かっていた。今年のものではなく、五年前のものだ。
捨てようと手を伸ばした瞬間、なぜか違和感を覚えた。
三月三十一日だけが、真っ黒に塗り潰されている。
ほかの日には何も書かれていないのに、その日だけは何度も何度もペンで塗り重ねられていた。
「気味悪いな」
そう呟いてカレンダーを外そうとしたが、画鋲が抜けない。まるで壁と一体化しているようだった。
翌朝。
スマホを見ると今日の日付は八月七日。なのに壁のカレンダーは、昨日まで二月だったはずが三月一日に変わっていた。
「……誰かのいたずら?」
当然、部屋には私しかいない。
その日から毎朝、カレンダーは一日ずつ進んだ。
実際の日付とは無関係に。
気味が悪くなり、不動産屋へ連絡した。
「ああ、その部屋ですか……」
担当者は急に口ごもった。
「前の住人が一人、失踪してましてね」
「失踪?」
「三月三十一日に、です」
背中が冷えた。
私は慌ててカレンダーを破ろうとした。
紙は裂けない。
燃やそうとしても火がつかない。
ゴミに出しても翌朝には壁に戻っている。
そしてカレンダーは止まることなく進み続けた。
三月十日。
帰宅すると部屋の中に濡れた足跡があった。
三月十五日。
夜中、誰もいない部屋でカレンダーが一枚めくれる音がした。
三月二十日。
玄関の外から、低い声で私の名前を呼ぶ音が聞こえ始めた。
三月二十五日。
鏡を見ると、自分の後ろに知らない男が立っていた。
振り返っても誰もいない。
三月三十日。
眠れずに朝を迎えた。
壁を見ると、三十一日の黒い塗り潰しが、ゆっくりと滲み始めていた。
インクではない。
黒い液体が壁を伝って流れ落ちている。
その中から指が一本。
二本。
三本。
何本もの手が這い出てきた。
そして、黒の奥から男の顔が現れる。
目も口も塗り潰されているのに、はっきりと声だけが聞こえた。
「次は、お前の三十一日だ」
気づけば部屋は真っ暗だった。
朝になっても外は夜のまま。
スマホの日付は動かない。
三月三十一日。
時計の針も止まっている。
玄関は開かず、窓の外には誰もいない。
壁のカレンダーだけが、カサリ、と音を立てた。
三十二日目。
そんな日付は存在しない。
だが白紙のページには、赤い文字が浮かび上がっていた。
「新しい住人を待っています。」
翌朝、その部屋は空室になっていた。
管理会社の人間が室内を確認すると、家具はそのままなのに住人だけが消えていたという。
ただ一つ、不思議なものが残されていた。
壁に掛かった、古びたカレンダー。
今年の日付に変わっていて、今日の欄だけが黒く、何度も何度も塗り潰されていた。
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