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「代わりはいくらでもいる」と言われた侍女は、その夜のうちに屋敷を出ました  作者: 九葉(くずは)


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3/10

第3話 代わりはいくらでもいる

三年前の今日、この屋敷の門をくぐった。日付を覚えているのは、契約書に自分で日付を書き込んだからである。給金の額も、支払われる日も、その時に取り決めたまま、一度も見直されたことがない。当時の自分は、行儀見習いから侍女に転じたばかりで、示された条件に異を唱える立場になかった。住む場所と、食べるものと、身元を詮索されない静けさがあれば、それで十分だと思っていた。


昨夜、ミーナに引き継ぎのための一覧を作っていて、気づいたことがあった。三年前に交わした契約書には、代筆と来客対応としか書かれていない。今、実際に担っている仕事は、その三倍はある。誰かに強いられたわけではなく、必要に迫られるまま、一つずつ引き受けてきた結果だった。数え直してみて初めて、自分でもその量に驚いた。項目を書き出した紙は、二枚に及んだ。ミーナに渡すには多すぎる分量だったが、削れる仕事は一つも見当たらなかった。ペン先を止め、しばらく紙を見つめた後、これを添えて話をしようと決めた。


朝の家事を一通り終えた後、アンネリーゼは書斎の扉を叩いた。取引先との面会や領地の帳簿仕事で、ヴァルターが一人でいる時間は限られている。この時間を選んだのは、偶然ではなかった。


「お忙しいところ恐れ入ります。少し、お話ししたいことがございます」


ヴァルターは書類から顔を上げ、億劫そうに椅子の背にもたれた。


「なんだ。手短に頼む」


「三年、こちらでお世話になりました。当初の給金から、一度も見直しがなかったことについて、ご相談したく存じます」


淡々と、事実だけを並べた。家政の采配、取引先との折衝、新人の教育。三年前に取り決めた仕事の範囲を、今の自分がどれだけ超えているか。数字で示せば、誰にでも分かることだった。持参した紙には、増えた業務の一覧と、他家の侍女長がどれほどの給金を得ているかの相場が、簡潔にまとめてある。


「先だってのヴァーグナー男爵との商談でも、旦那様のお役に立てたかと存じます。ああした場での対応も、当初の契約にはございませんでした」


ヴァルターは紙をちらりと見て、すぐに机へ置いた。中身を読んだ様子はなかった。


「そういうことは、妻に言ってくれ。家政の細かい話は、私にはよく分からん」


「奥様には、以前にも一度お伝えしております。ただ、お給金に関わることですので、旦那様のご判断が必要かと存じます」


「ふむ。しかし、今は屋敷の他の出費も嵩んでいる時期でな。すぐにどうこうという話は難しい」


「では、いつ頃であれば、改めてご検討いただけますでしょうか」


「それは、まあ、そのうちに」


はっきりとした答えを避ける言い方だった。半年前も、同じような返事を聞いた覚えがある。ヴァルターは小さくため息をつき、ペン先で机を軽く叩いた。面倒事を早く終わらせたい時の癖だった。


「まあ、お前が優秀なのは分かっている。しかしな、この程度の仕事なら、他の侍女でも似たようにこなせるだろう。代わりはいくらでもいるだろう。そう深刻に考えることではない」


その言葉は、聞き覚えのある響きをしていた。半年前、割れた茶器を前にヒルデガルトが口にした一言と、驚くほど似た形をしている。あの時は、割れた器と、それを割った誰かのことだった。今は、自分自身のことだった。


三年間、不満らしい不満を口にしたことは一度もない。従順だったからではない。文句を言わない、手のかからない人材でいることだけが、後ろ盾のない自分に許された唯一の生き方だったからだ。実家の名を出せば同情されるか、あるいは軽んじられるかのどちらかしかない。ならば、名前を伏せたまま、誰よりも役に立つ人間であり続ける方がいい。そう決めて、三年を過ごしてきた。給金の交渉を切り出すのに三年もかかったのも、同じ理由からだった。誠実に働き続ければ、いつか正当に扱われる日が来る。そう信じて、信じるための根拠を自分の働きだけで作り続けてきた。今の一言は、その根拠を静かに、しかし完全に踏みにじった。


反論の言葉は、いくつも浮かんだ。この三年で得意先の何を把握しているか。ヒルデガルトが人前で失敗しないよう、何をどれだけ肩代わりしてきたか。数え上げれば、紙一枚では足りないほどだった。しかし、それを口にしたところで、目の前の男には届かないことも、同じくらいはっきりと分かっている。何を積み上げても、この人にとって自分は、初めから交換の利く道具の一つでしかなかった。積み上げてきたつもりのものが、最初から誰の目にも留まっていなかったのだと分かった瞬間、迷いは消えた。


「かしこまりました。では、明日からその代わりの方にお願いいたします」


声は震えなかった。表情も変えない。ヴァルターは一瞬、怪訝そうな顔をしたが、それ以上は聞き返さなかった。話が終わったと判断したのか、すでに手元の書類へ視線を戻している。


「ああ、頼んだぞ」


その返事が、自分の言葉をどう受け取ったのかを、アンネリーゼは尋ねなかった。一礼して、書斎を出る。


その日一日、いつも通りに仕事をこなした。午後の来客対応、夕方の献立の確認、ミーナへの引き継ぎの続き。台所の食材の在庫まで、普段より丁寧に数え直した。


「今日は、いつもよりたくさん教えていただけますね」


ミーナが無邪気にそう言った。何がどう変わったのかも知らぬまま、彼女は明日も同じ場所に立ち、同じ仕事を続けるのだろう。アンネリーゼは短く頷き、御用聞きへの発注書の書き方を、いつもより一つ多く実例を挙げて教えた。手を抜いた仕事は一つもない。むしろ、いつもより丁寧なくらいだった。誰かに気づかれるためではない。自分がどこまでできる人間だったか、最後に自分自身で確かめておきたかっただけである。


夜、自室に戻ると、行李を一つだけ用意した。三年暮らした部屋を見回す。家具も寝具も、屋敷から与えられたものばかりで、自分のものと呼べる品はほとんどない。着替えを二着、身の回りの品を少し、机の引き出しの奥にしまってあった羽根ペンの替え穂先と、銀の文鎮。それだけで、行李の中身は事足りた。


手紙は残していない。挨拶回りもしなかった。時間をかければ、誰かに引き止められるか、あるいは自分の決意が鈍るか、どちらにしても意味のないことだった。継ぎ当てをした前掛けは、丁寧に畳んで、机の上に置いていく。これを着けて働いた日々を、後悔してはいなかった。ただ、それを続ける理由が、今夜でなくなっただけだった。


屋敷はすでに寝静まっていた。裏口の鍵は、いつも自分が最後に閉める場所を知っている。音を立てないよう、慎重に開けた。夜気は思いのほか冷たく、行李の重さが肩に食い込む。庭木の影が、月明かりに長く伸びていた。三年前、初めてこの門をくぐった時も、同じように月が出ていたことを思い出す。あの夜はまだ、この家で何が待っているのか、何も知らなかった。


門の外に出てから、彼女は一度も振り返らなかった。

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