6.フリージアの花束
「とても良い景色ですね、侯爵様」
侯爵と旅に出てから、道中の観光地にも寄りつつ、あっという間にネヴェルヴァルト侯爵領へ近づいてきた。
今は、休憩と称してあたりを散歩させてもらっている。
「この辺りはのどかな田舎ですから、こんな風景ばかりですよ。でも、貴女が気に入ってくださって良かった」
遠くには一面広がった菜の花畑が彩っている。
爽やかな春風がアマーリエのスカートを揺らすが、足首を撫でるそれも心地よかった。
周辺にはオルティシアの伝統的な造りをした建物が並び、畑を耕す農民の姿も見える。
軒先のあちこちの飾るのは藤の花で、薄紫のカーテンが咲き誇り、花の香りを運んでくる。
少し向こうには市場があるようで、活気溢れる店主の呼び声や、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。
(ここは、小さいけれど豊かなところなのね)
大都市のように栄えてはいないが、人々の落ち着いた暮らしがある。
公爵家に降嫁することが決まってからは減ったが、アマーリエも皇族として視察に同行したことは何度もあった。
人々のこうした穏やかなものを大切に紡いでいくことこそが、為政者として何よりも大切で、難しい。
リーヴェスはきっと、良き領主なのだろう。
「アマーリエ嬢。よろしければ、これを」
「まあ、侯爵様」
ボーッと風景を眺めていたら、いつのまにかリーヴェスがどこかへ行っていたようだ。
戻ってきた彼の手には、小さな花束がある。
白と薄紅色のフリージアだ。
「花売りの子がいたので、つい買ってしまいました。貴女に似合いそうだと思って」
リーヴェスは一本抜き取ると、おもむろにアマーリエの髪に飾るように挿す。
素敵な髪飾りの完成だ。
「ほら、良く似合う」
「もう、侯爵様ったらお上手なんですから」
鏡があれば良かったのに、なんて思いながら友人の優しい気遣いに感謝する。
思えば、婚約者は家族からこのように花を贈って貰ったことは一度もなかった。
アマーリエが時々花束を持参しても、彼は興味無さげに一瞥して使用人にさっさと渡してしまったぐらい。
(本当に、もうあの人たちに会わなくて良いのね……)
きっと、エリックは新しいアマーリエに花束やプレゼントを贈ることだろう。
でも、アマーリエは羨ましいとは思わなかった。
だって、今のアマーリエのはリーヴェスという新たな友人がいるからだ。
「今度、私も侯爵様にお返ししますわ」
「おや、それはありがたいです。ですが、お返しなら……花よりも名前で呼んで欲しいと言ったら?」
「名前、ですか?」
アマーリエが聞き返せば、リーヴェスは頷く。
「侯爵様なんて堅苦しい呼び方をせずとも、どうかリーヴェスと呼んでください」
異性を名前で呼ぶなど、良いのだろうか。社交界では、よほど親しい男性でなければそれはマナー違反となる。
アマーリエは少し躊躇ってから、今はそういった堅苦しいものは関係のない立場になったのだと思い出した。
「分かりました、リーヴェス。では、私のこともアマーリエと呼んでくださいね。私たちはもう友人なのですから、気楽に呼び合いましょう」
仲の良い友人なのだから、名前で呼び合うのが自然だ。
だが、アマーリエの言葉にリーヴェスは少し視線を逸らす。
「友人、ですか」
思わぬ反応に、アマーリエは不安になる。
だが、リーヴェスはすぐに表情を元の優しい笑顔に戻した。
「……お嫌でしたか?」
「いいえ。とても光栄なことですよ、アマーリエ」
今のはなんだったのだろうかと思うが、それより先にリーヴェスに促される。
「そろそろ行きましょう。夕方までには屋敷に着くかと」
「楽しみです。ようやくあなたの弟にもお会いできますね」
「楽しみ、だけで済めば良いのですが」
なんて言って、リーヴェスは肩を竦めた。
リーヴェスの言葉通り、昼過ぎにはネヴェルヴァルト侯爵家へ到着した。
鉄の門扉をくぐれば、小高い丘の上に建てられた三階建ての大きな屋敷が現れる。
少し古い建築様式からして、歴史ある立派な建物だと分かった。
「お帰りなさいませ、侯爵様」
出迎えのためにずらりと並んだ使用人がリーヴェスに頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました、お客様」
アマーリエのことも事前に伝えてあるそうで客として迎えられたが、エレストーレ皇女だったとどれだけの人が知っているのだろうか。
「お荷物お預かりします」
「あっ、ありがとうございます」
「こちらはお部屋の花瓶にご用意させていただきます」
呆気にとられていると素早くメイドたちがアマーリエの鞄を持ってくれる。
もう片方の手に持っていた花束は、花瓶に生けてくれるようだ。
「大丈夫。君のことは上手く誤魔化していますから。そのままアマーリエと名乗ってください」
アマーリエが不安がっているのに気づいたのか、リーヴェスが小さく囁いた。
「そうでしたか。助かります」
どのくらいここに滞在するかは分からないが、あまり迷惑はかけたくなかったので素直に感謝する。
「私は家令のドミニクと申します。遠路はるばるようこそお越しくださいました」
「私は家政婦長のヘルマですわ。どうぞ、お困りのことがあれば何でもお申し付けください」
「本日よりお世話になります、アマーリエです。よろしくお願いします」
さすがネヴェルヴァルト侯爵ともなれば、使用人の質も違うようだ。
皆ぴっしりと背筋を伸ばし、礼儀正しく品が良い。
「屋敷を一通り案内します。古い建物なので無駄に広いですから、しっかり着いてきてくださいね」
「ふふ。迷子にならないよう気を付けます」
確かに、リーヴェスの言う通り外観からしてかなり広い敷地だ。
リーヴェスは順に、アマーリエのための客室や食堂、大広間などゆっくりと案内してくれる。
談話室や遊戯室などもあれば、絵画や骨董品のコレクションを飾る展示室なども少し変わった部屋もあった。
どの部屋にもセンスの良い調度品が設えられ、手入れが行き届いているのを感じる。
「次は図書室ですね。ここも自由に使っていただいて構いませんので……おや」
「リーヴェス? どうかしました?」
扉を開けようとして、リーヴェスがなぜか動きを止めた。
何かあったのかと肩越しに覗き込もうとしたその時。
「出ていけ!」
アマーリエに投げつけられたのは、甲高い少年の怒鳴り声だった。




