7.ネヴェルヴァルトの兄弟
「出ていけとは無礼な。この家の所有者は僕ですよ」
「うるさい! ずっと帰ってこなかったくせにいまさらなんなんだよ!」
「ずっとなんて大袈裟な。ちょっと旅行に行っただけじゃないですか」
リーヴェスは深々とため息をついてから、扉を開けてアマーリエを招き入れる。
「どうぞ。こちらが我が弟、ジークハルトです」
「あら可愛い」
図書室内の階段を見上げる。
踊り場の手すりからこちらを睨みつけているのは、小さな男の子だった。
リーヴェスとは違う金髪で、ぷっくりした頬にぱっちりした目のかわいい子だ。
だがその表情は子どもにしてはずいぶん険しい。
「誰だお前。また家庭教師とかいうのなんだろ? おれはお前らの言うことなんて聞かないからな! お前も早く出ていけ!」
「あらまあ」
アマーリエは全く歓迎されていないようだ。
貴族の子どもには似つかわしくない言葉遣いで、アマーリエに向かって必死に威嚇している。
「すみません。躾がなっていなくて」
「いえ、大丈夫です」
確かに驚きはしたが、子どもの癇癪なんて他人のアマーリエからしたらかわいいものだ。
ひとまず警戒心を解いてもらおうと、ニコニコ笑って近づいていく。
「はじめまして、私はアマーリエよ。どうしてそんなにお怒りになっているの?」
アマーリエが構わず階段を登ろうとすると、ジークハルトは予想していなかったのか
「来るな!」
「お名前を聞いても?」
「だから、来るなって言ってるだろ!」
せめて挨拶ぐらい、と思ったのだがジークハルトは本棚の後ろに隠れてしまった。
呼びかけても全く反応が返ってこない。
別に、アマーリエはジークハルトを叱りに来たわけではないのだが、これ以上接近すると余計に警戒を強めるだけだろう。
「放っておきましょう。ああなるとしばらく出てきませんから」
「うーん……仕方ありませんね。出直しましょうか」
どことなくリーヴェスの表情に疲れが見える。
手を焼いていると言っていたがなかなかの様子だ。
(家庭教師の言うことは聞きたくない……と。新しい家庭教師と自己紹介しなくて良かった)
後ろ髪を引かれながら、図書室を後にする。
リーヴェスはアマーリエがジークハルトを嫌ってはいないか心配しているようだが、そんなことはない。
まるで懐かない猫のようだとは思っているが。
(感情を表に出せるのは、悪いことじゃないわ。宮廷では、泣くことも怒ることもは許されないもの……)
自分も、ジークハルトのように家族に対して怒鳴ってみればよかったかもしれない。
なんてことを考えてみたが、あまりに似合わないので笑ってしまいそうだった。
これからしばらく滞在するのだから、時間をかけて親しくなっていけばいいだけだ。
夕食を終えた後、リーヴェスと今後について話し合う。
ジークハルトは食堂には現れず、メイドが部屋へ料理を運んでいった。
「ジークハルトさんは、いつ頃からあのように?」
「我が家へ来た時からもうずっとあんな状態です。何が気に食わないのかいつも怒って暴れてばかりで。話をしようにもそもそもまともな対話が出来ません」
ジークハルトが屋敷に来たのは一年前のことらしい。
当時の彼は7歳だが、これまでまともな教育は受けていなかったのだと。
「僕も貴族らしい堅苦しさは嫌いなのであまり厳しいことは言えませんが、最低限のマナーがなっていないと困るのはあの子ですからね。なんとか教育を受けさせようと僕やドミニクも苦心してきましたが、結果は惨敗です。むしろ、ますます手がつけられなくなるばかりで」
「なるほど……。ちなみに、ジークハルトさんはこれまでどちらにいらしたのか聞いても?」
アマーリエの言葉に、リーヴェスは苦笑いをする。
「おおよそ察していると思いますが、遠方の孤児院です。見ての通り、あの子は僕との血縁はありません。ただ、事情があって侯爵家で引き取ることになった子なんです」
「やはりそうでしたか」
「まあ、無理があるぐらい似てませんからね。うちの家系に金髪は滅多にいませんし」
顔も似ていない上、貴族の令息という立場にありながら八歳まで何の教育も受けなかったというのはありえないし、リーヴェスがそれを放置するような人でもないと分かっていた。
その事情が何なのかリーヴェスは触れていないが、リーヴェスの若さからして後継者のためという可能性は考えづらい。
(となると……親戚か、親しい方の遺児という可能性が高そうね)
それは追々分かることだとして、問題は現状この先どうするかだ。
「とにかく、今のままでは彼も窮屈でしょうからなんとかしてやりたいんです。僕はなかなか彼に嫌われてしまっていますが、貴女ならきっと可能性はあると信じています。貴女に重荷を背負わせるわけにはいきませんが、どうか……」
「もちろんです。お世話になったぶんの働きは必ずしてみせますわ。働かざる者食うべからず、という言葉もあるぐらいですし!」
自信満々に笑ってみせるアマーリエに、深刻な顔だったリーヴェスもつられて表情を緩める。
「頼もしい限りです。まあ、今日はあの子ももう寝ているでしょうからゆっくりお休みになってください」
リーヴェスは一息つくようにお茶を飲んだ。
テーブルに並べられたのは、疲れを癒すハーブティーと、料理長特製のドライフルーツ入りのパウンドケーキだ。
夕食後ではあるものの、バターの芳醇な香りを前にすると甘いものは別腹という言葉は本当なのだと思い知る。
「ええ。侯爵家のお料理はとても美味でしたが、このパウンドケーキも格別ですね」
また一口、アマーリエが頬張っていると、じっとリーヴェスが見つめていることに気づいた。
「それ、美味しいですか?」
「はい、とっても! ふわふわの食感に甘いバターとたっぷりのドライフルーツが最高です! ラム酒の香りが良いアクセントになって、ずっと飽きないお味です!」
「はは、そうでしたか」
笑われて、勢いよく語ってしまったことに恥ずかしくなる。淑女らしくない行為だったと反省した。
「す、すみません。はしたない真似を……」
「いえ、そういうことではありませんよ。美味しそうに召し上がってくださるので、見ているだけで僕も幸せな気分になれるんです。あとで、料理長に伝えておきますよ」
リーヴェスは愛おしそうにアマーリエを見ている。
なんだか、そんなに熱心に見つめられるとそれはそれで恥ずかしい。
「城にいた頃は、自由に食事は摂れませんでしたから、嬉しくて。特に、甘いものなんて城を出るまで長いこと食べていませんでしたから!」
誤魔化すようにアマーリエは笑う。
毎日ウエストを測られて、少しでも太れば厳しく叱られるのだから食事は一日で最も気が進まない行為だった。
その上コルセットできつく締め上げられるのだから、お菓子を食べたいとすら思えなくなった。
その我慢さえも、なんの意味もない行為だったわけだが。
「そんなに喜んでくれるのなら、道中もっと買って差し上げるべきでしたね。明日からは、色々と用意しておきますよ」
「いえ、そんな。あっ、でも……それでしたら私に少し考えがありまして……」
アマーリエは思いついたあることを、リーヴェスに伝える。
予想外の申し出だったのか、少し驚かれはしたもののリーヴェスは承諾してくれた。




