3.侯爵との出会い
「どこでも良いの。一部屋あるかしら。一晩だけ泊めてちょうだい」
ガス灯の灯りを頼りに路地を歩き、アマーリエがたどり着いたのは小さなホテルだった。
城下からはあまり離れていないが、ここから少し向かった先には場所には港もある。
外観はまだ新しく綺麗だがこぢんまりとしており、旅行者がメインの客なのだろう。ロビーでは談笑している青年たちがいた。
「ええ。狭いですが一つ空いてますよ。ラッキーですね。明日は皇女のパレードがあるからどこも混んでたでしょう」
「……そうなの。助かったわ、ありがとう」
快活そうな受付の女性に料金を渡し、鍵を受け取る。
走ったせいか、靴擦れしたようで右足がずっと痛かった。
これでようやくひと息つけるだろう。
と、思ったその時だ。
「おおい、そこのお姉さん。俺たちと少しお喋りしていかないかい?」
「綺麗なドレスじゃないか。女性が一人なんて珍しい。ちょっと、顔を見せてごらんよ」
ロビーにいた青年たちだ。
「ちょっと、飲むのはいいけど他人に迷惑をかけるなっていったじゃないかい」
「いいじゃないか、そんな硬いこと言うなよ」
受付の女性が目を釣り上げて怒るが、青年たちはけらけらと笑うばかり。
「それに俺たちはその辺のならず者とは違うんだ。この国の政治について語り合ってるんだから、何も悪くないだろ」
「美味い酒もあるぞ。ほらほら、おいでよ。お姉さんの意見も聞いてみたいな」
ウィスキーの瓶を見せびらかすように掲げている。
それなりに仕立ての良いスーツや小綺麗な格好をしており、そして会話の内容から察するに中産階級の青年たち、いわゆるブルジョワジーだ。
(まずい……顔を見られると、騒ぎになるわ)
アマーリエはローブのフードを深く被り直す。
政治の動向に熱心な彼らからしたら、皇女が一人で外泊しているなんてスキャンダル、格好の餌にしかならない。
「お姉さん? おおい、聞こえてる?」
「ごめんなさい。疲れているの。遠慮させてもらうわ」
「いやいや、そう言わず……っ?」
一人の男性が、立ち上がり後ずさるアマーリエの手を掴む。
上からのぞき込まれ、目が合った。
その瞬間、彼は両目を見開いてこちらを凝視する。
「あんた、どこかで見たことあるような……」
「そのくらいにするべきだ。彼女は困っています」
別の男性が割り込んできて、彼の腕を掴みあげる。
「いてて、何するんだ!」
「女性には紳士的に振る舞わねばなりませんよ」
にこりと微笑むと、男性は気まずそうに席に戻っていく。
「すみません、もっと早く止めるべきでした」
「いえ……」
彼は先程まで男性たちと一緒になって談笑していたうちの一人だった。
長い黒髪をひとまとめにして、仕立ての良い紺のベストを着ている。
アマーリエを安心させるよう、穏和な笑みを向けてくれた。
「さあ、部屋までお送りします」
「あ、ありがとう」
彼はアマーリエの荷物を持つと、廊下を案内するように進んでいく。
早朝にここを出て、港の船に乗るしかない。
あまり気は休まらないが少しの辛抱だ。
「こちらですよ」
青年がドアを開けてくれる。
「どうも、親切にありがとうございます」
「しかし、このような宿は貴女には不向きだと思いますよ。アマーリエ皇女殿下」
「……っ!」
思わず悲鳴が出そうになった。
彼に荷物を預けていることも忘れ、アマーリエはドアを閉めようとするも、素早く足を挟まれ阻止された。
「か、勘違いです。私は皇女では」
「落ち着いて。私はオルティシアの貴族です。秘密は必ずお守りしますよ」
彼はそう言うと、ドアを開けて身を滑り込ませてくる。
オルティシアはエレストーレの隣国だ。隣国の貴族がこんな城下の宿にいるなんてどうして想像できようか。
アマーリエに逃げ場はない。城へ連れ戻されるのか、それとも脅迫されるのか。頭の中を一瞬で悪い想像が駆け回る。
もう終わりだと思ったが。
「荷物はここで良いですか?」
「え?……ええ」
彼はアマーリエの鞄を置くと、礼をして去っていこうとする。
「それでは、良い夢を」
あまりに自然に出ていこうとするものだから、アマーリエは慌てて引き止めた。
「ま、待ってください。どうして、何も聞かないのですか」
「聞く必要がありますか? 先程も言いましたが、僕はオルティシアの貴族です。用事があって滞在しているだけで、この国の王家の事情など興味はありません」
彼は美しい笑みを浮かべながら、平然とそう言う。
アマーリエは何を言われているのか全くりかいできそうになかった。
「ああ、失礼しました。名乗っていませんでしたね。僕はリーヴェス・ネヴェルヴァルト。オルティシア東部のしがない侯爵です」
しがない侯爵、なんて言っているがネヴェルヴァルト侯爵家はオルティシア王家に連なる由緒正しき家系だ。今は政界から退いているものの、先代は宰相も勤めあげているほど王家にとって重要な家系である。
髪型が変わっていて気づかなかったが、リーヴェスはエレストーレにオルティシア王族と共に賓客として訪れたことがあった。
「ネヴェルヴァルト侯爵が、どうしておひとりでエレストーレに」
「貴女がそれを聞きますか?」
リーヴェスの正論に、思わずアマーリエは顔を赤くしてしまう。その通りだ。
「も、申し訳ありません」
「僕のことはどうだっていいんです。それより、お御足に触れても? 先程から右足を庇っている様子ですが、靴擦れしてはいませんか」
「……なんでもお見通しなんですね」
リーヴェスに促され、ベッドに腰掛ける。
すると、リーヴェスは膝まづいてアマーリエの靴を脱がせた。
「血が出ていますね」
「すみません、お見苦しいものを」
「いえ、淑女の足に触れるのは社交界ではタブーですからね。僕の無礼をお許しください」
するりと素早く靴下を脱がせると、彼はおもむろにハンカチを取り出してサッと二つに引き裂く。
「少し沁みるので我慢してくださいね」
そう言いながら、片方を机の上に置かれていた水差しで軽く濡らし、足首を汚していた血を優しく丁寧に拭き取ってくれた。
「ありがとうございます」
「いえ。紳士たるもの、困っている女性を見過ごすわけにはいきません」
手際良く、もう一つの濡らさなかった方のハンカチを足首に巻いてくれた。
応急処置までしてもらうことになるとは、なんだか申し訳なかった。
「この借りは必ず返します」
「お気になさらず。それに、あんまりそういう事は言わない方がいいですよ。どうするんですか、僕が法外な料金の謝礼を要求してきたら」
からかうような言葉に、アマーリエは目を丸くする。
「ネヴェルヴァルト侯爵様は、そのようなお人ではないでしょう」
「はは、信用して貰えたみたいで何よりです」
その笑みは余裕とは違う、照れが見え隠れするような素朴なものだった。




