#2 Greed Leo
早く走れたのは、生まれつき。一撃のパンチが重いのも、生まれつき。耳が良いのも、喧嘩で強いのも、生まれつき…。食事中のおかず争奪戦でも強いのだって、生まれつきでしかない。
『強くあれ』
父親が言ったその言葉は、この国では命を削る他ならなかった。俺にとって、墓穴を掘ることでしかない。父親は弱かった。
『平凡に生きる』
母の教えは理にかなっていた。強者である母は貧しくて、奪う事への躊躇いさえ忘れた人だった。でも俺たち兄弟を想う心はあるようで、この国での最高の生き方を教えてくれた。
強者は貧しく、弱者は死ぬ。この国は酷い。程よく生きるには、強いことと、弱いことを隠すこと…。適度に勝って、負ける。
兄と共に聞いた一度きりの教え。
「嘘だ…」
そんな奴、居るわけがない。平凡な奴が、幸せなところを見たことがない。
その話を一度した数日後。母は行方不明になった。
「この国を出よう」
兄さんがポツリと溢した。
「…。」
「母さんは失踪。父さんは金を奪われて鬱状態。もう、ムリだ…」
うつむいたまま、拳を震わせて兄さんは言った。俺は、あまり乗り気にはならなかった。
確かに、母さんは失踪し、父さんはリストカットを繰り返すまでに鬱状態になった。もううんざりするくらい罪を犯した。だけど、この国を出るには、もう一つ罪を重ねなければならない。それはもっともっと重罪だ…!
「聞いてくれ、レオ。これしか方法はないんだ。ボクとお前がこれ以上罪を重ねない為には、これしか」
「兄、さん…!?」
「わかるな?審査を受けるんだ」
最悪だと思った。兄さんは最大の罪を犯そうとしているんだ。でも、何故か首は横に振れなかった。
「ああ」
気づいた時には、もう手遅れだった。
国境に向かわざるを得なくなった。
「何でだよ…っ」
イラついて、近くの壁を殴る。コンクリートで出来ていたそれは、紙みたいに崩れ落ちる。遠巻きに俺たちを見ていた奴らは壁を見て、怖がりながら逃げていく。ちぢみあがった心臓の音が響く。
「ああ、レオだ…また、俺たちを襲うのかな…」
なんて、言葉にしない諦観の声が聞こえた。町中に溢れる俺たち兄弟の噂。誰も、俺たちに近づかない。近づいたら奪われるから。
俺は強い。だから、孤独だ。貧困だ。貧しくて、けど強いから奪う。奪えば、弱者は死ぬ。
俺はこんな可笑しな場所まっぴらだ。兄さんもこんなこと思っているんだろうか。
でも俺は、審査なんて嫌だ。
この国から出るには、審査が必要だ。すごく強い奴を殺さなきゃいけない。なんで、倒すんじゃあダメなんだろう。
でも、もう手を汚したくはないだろう?兄さんの声が聞こえた気がした。
国境前、俺を見て強張る大男。目に恐怖の色がにじむ。
「ごめん」
胸に十字を描き、拳で心臓の上を殴る、国の礼儀。決闘の始まりを示すこの敬礼を、もうしないことを願う。
「レオ・スプリング・ヴァン」
泣きそうなのを我慢し、目の前の男も敬礼をする。
すまない。心から思って、駆ける。
俺の、たった一撃で散っていく命は、お前で最後だから。
「ごめんなさいっ」
最後の鼓動が耳に響く。脳内で反響して、苦しい。かってに涙があふれ出た。
足が震えて、地面に尻をつけた。
「レオが…殺した」
背後から、声が聞こえた。ものすごく遠くから聞こえた。振り返ると、人だかりが出来ていた。
「殺した」「レオが殺した」「人殺し」
様々な声が聞こえる。聞こえてしまう!
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
背後から手が伸びてきた。そして、俺の耳を塞ぐ。優しく耳を塞いだ。だから、この良すぎる耳はまだ声を拾っていた。だから、塞いだ奴の声も聞こえた。
「ああ、ボクの愛しい弟。辛いだろ?ボクと一緒に行こう?あんな奴らの声なんか、聞こえないふりして、さ」
兄さんだった。ふふ、と。不快な、軽い笑い声が聞こえた。
背後に目を向けると、「いつも通り」の兄さんがいた。にっこりと笑っている、いつもの兄さん。
「あいつらは、敵だ…。レオの味方は、このボクだよ」
耳を塞いでいた左手が胸のあたりまで降りる。そして、五芒星と十字を描いた。これは、真実の印。途端に、あいつらの声は聞こえなくなった。
また、ふふ。と笑い声が聞こえる。なぜか不快に感じなくなっていた。首を傾げて、立ち上がる。足の震えなんか、最初からなかったみたいに。
「レオ…大好きだよ……最高だ…こんなに思い通りになる弟は…」
「…え?」
「なんでもない。さぁ、行こう」
「…?…ああ」
何か、気づかなければいけないことがあった気がするのに、わからない。この国境を超えたら2度と思い出せない気がする。
「はーやーく」
とん、と背を押されて、国境を跨ぐ。下駄がカランと軽快な音を鳴らした。
「早くしないと、ダメだろ?」
兄さんが肩をたたく。背後で、カチリと音が鳴った。
「っっ!?ぐぅぁぁぁぁぁぁっっ!?」
猛烈な痛みが俺を襲った。強い耳鳴りがして、平衡感覚を失う。視界がぐらりと揺れて、気づいた時には地面に伏していた。
ズキズキズキッ!耳を塞ぐと、ねっとりとした感触がした。驚いて掌を見ると、赤く滑っていた。血だった。
「ぐっ、かはっ」
噎せながら、血を吐く。
「いつも通り」の兄さんは、「早く。はーやーく。レオ、早く来てよ」と、笑った。
「!?」
早く、しないと。何故か思った。何を?わからない。俺はなんで急がないといけない?
「吸え、何もかも。己の糧にしろ」
低く兄さんが呟いた。途端、フラッシュバックするものがあった。
立ち上がった俺の背後、無数の人が倒れていた。血が吹き出して、命が終わって。そして、兄さんに「吸い込まれて」。
「忘れちゃダメだよ、レオはボクのもの。 ボク無しじゃ生きれないってことをな」
歪んだ視界の中、いつもの笑顔があった。聞こえた声を信用できなくなるような、いつも通りの笑顔が、あった。
ああ、兄さんにとって、人を殺すことは「日常」だったんだな…。それを悟った時、俺は記憶を拒絶した。
「ねえ強欲。君は欲しい?何を?…全て?その慾に憑かれたら、オレは君の望みを叶える」
記憶の隅に刻まれた嘲笑うような問い。
でも俺は兄さんの記憶と共に拒絶してしまった。




