#3 Surfeit Hein
斧も、御師匠も、森も、火も、虫も、何もかも。俺にとってはなくてはならないもの。
金属の鉄臭い匂い。木々の独特な匂いに苔の匂い、火が爆ぜる音、虫の羽音。少し息を吸い込めば、肺を満たす新鮮な空気。生きていると、実感するように、俺は心の中で笑って、表情筋を引き締めた。
傀儡と。そう呼ばれるものがある。権利などない、社会的弱者。主につけられた首輪は取ることを許されず、命令通りに動かなければならない存在。捨て子やホームレスの大部分がこの傀儡になる。国内での傀儡の数はおよそ、1000人。全人口の一割にも満たないが、年々数が増え始めている。社会問題にもなっているのが、この傀儡制度だ。奴隷、とも言う。
俺は、この傀儡の中の1人だ。
「ハイン、少し、休憩にしようか」
「はい、御師匠」
傀儡の中では、俺は恵まれていると思う。
表情を変えさえしなければ、何を思っても、何を言っても、何を食べても、どう動いても、どんだけ食べても許された。俺の前の主は、1日の息をする回数まで決められていたのだから。
俺だって、最初から傀儡だったわけじゃない。昔はちゃんと、幸せな家庭で暮らしていた。父上と母上、それに双子の妹、ホルン。俺もホルンも、片目の色が違ったけれど、特に障害になることなく、穏やかに時間が流れていた。
12歳の時、盗賊に押し入られて傀儡になるまでは。
盗賊に売り飛ばされた俺は闇オークションで出品されていた。
「オークションNo.6【オッドアイ】ハイン・ギア・セザール!こちら100万から!」
そして、使われては売られ、使われては売られを繰り返し、ざっと10回ほど。その頃には、俺は18になっていた。
そのオークションでは、ある男が俺を見て真っ先に手を挙げた。
「そいつ、500万出す。くれ」と。「俺について来い、仕事の手伝いをしてくれ」と。大声で言った。
その人が、今の御師匠。御師匠は俺を選び、手を差し伸べてくれた。
御師匠は木こりだった。毎朝山へ出かけ、木を切り、加工して売りに行く。切った分だけ植林をして、自然のバランスを崩さないようにしていた。
俺は御師匠を尊敬していた。首輪は紐のように細く、そして赤かった。小さな鈴が付いていた。首輪というより、ネックレスだった。
ある日、御師匠の小屋の裏山の土砂が崩れた。轟音が響き、鳥達が喚き逃げる。
「御師匠!逃げましょう!」
「…潮時か」
ひとつ、御師匠は呟いて、俺の首輪を鋏で切った。首輪はチリン、と小さな音を鳴らして床に落ちる。
「…え」
「お前は、好きに生きろ。傀儡なんてもんに、2度となるなよ。お前は綺麗なんだからな」
「何、言ってるんですか…?」
肩に手を置かれて、見つめられる。御師匠の瞳には、強い意志が宿っていた。その意志の強さに、たじろぐ。
「さ、逃げろ」
御師匠は、百八十センチ越えの俺を軽々と持ち上げると、小屋から投げ飛ばした。小屋の先は緩やかな坂になっている。俺はごろごろと転がって、小屋から離れていった。
「いって…っ」
体が止まり、顔を上げて叫んだ。
「御師匠っっ!!」
「待ってろ、今行くからよ」
小屋の前で転がる俺を見ていた御師匠は、小屋の中に入っていった。山の声が大きく響いた。
危ない、咄嗟にそう思った。
「御師しょっ……っ」
ドォォォーーーーン………
ついに山が崩れた。土砂崩れ、というより土石流が、小屋ごと御師匠を飲み込んで、流れていった。
「っっ、、」
喉がひりついて、上手く声が出なかった。あっという間に、小屋が流されて、消えた。跡形もなく。小屋があった場所には、深い爪痕だけ。
奇跡的に、俺のいた場所の被害は少なく、かすり傷くらいで済んだ。でも、御師匠は…。
「……っ、お、…御師匠っ、!御師匠っっーーーーー!」
漸く声が出るようになって、枯れるように叫んだ。でも、俺の声は虚しく響いただけで、返事が返ってくることはなかった。
いてもたってもいられなくなって、危ないとわかっていても小屋を追いたくなった。立ち上がろうとした時、右足に激痛が走る。
見ると、腫れていた。きっと、投げ飛ばされた時に捻ったんだろう。
でもだからなんだ。御師匠を、探さなきゃ。
痛む足を引きずって、坂を上っていく。一歩ずつ、上って行って…小屋があった場所に戻った頃、小さく音が聞こえた。ひゅんひゅん、と何かが回るような音。どこからだ、と見渡して上を見た。
何かが降ってくる?あれは…。
「斧っ!?」
二本の斧が回りながら落下してきていた。後ずさりして、落下地点を避ける。数瞬後、ザクッと音をたてて、地面に挿さった。
それらの斧は綺麗だった。金色と銀色の両刃斧で、左右非対称。刃は鈍く輝き、細部の装飾は煌めいていた。これは、木こりが使うような、伐採斧じゃなく、戦い用の戦斧だろう。重たそうだが、俺の腕力じゃ持て余すくらいだ。
「御師匠…?」
チリン、と音が鳴る。見ると、柄の端に巻き付けられた赤い紐と鈴があった。その途端、御師匠がこれを作ったってことを悟った。それも、俺のために。
斧の柄を握ると、左眼に痛みが走った。咄嗟に押さえると、目に触れられなかった。何かがそこにあった。
「え」
羽の様にふさふさとした何かが、眼から生まれてきていた。不思議と、痛みはあんまり感じなかった。
やがて、「それ」が生まれた。
青い、俺の左眼と同じ色の、鴉。その鴉は、俺の肩にとまって、カァと鳴いた。なんとなく、それが御師匠だと感じた。
「今行くからよ」御師匠はそう言った。そういうことなのか、腑に落ちて、少し笑う。やっぱり貴方は素晴らしい。
二本の斧は、御師匠に関連付けて、金色の方をアルファ。銀色の方をミネルヴァと名付けた。御師匠の名前はアルファ・ロッド・ミネルヴァ。勿論、鴉はロッド。
なんだか、すごくお腹がすいた。
「ねね、暴食。何を欲して喰らい尽くす?君が素質に目覚める時、オレは君の欲望を満たす」
空腹感が増す中、何か聞こえた気がしたけれど、足の痛みと一緒に忘れてしまった。




