第4話 天界ソリューションズ襲来
「もう……
地獄、ブラックすぎて……」
ルルミアはぐったりと机へ突っ伏した。
小さな羽が、しおしおと垂れている。
修二はなんとも言えない顔でその姿を見ていた。
悪魔。
人類を誘惑し、魂を奪い、堕落へ導く存在。
本来なら恐怖の対象であるはずなのに、目の前にいるのは営業ノルマへ追われる疲れた新人社員だった。
「……なんか思ってた悪魔と違う」
「よく言われますぅ……」
「もっとこう、
“魂よこせぇぇ!”みたいなの想像してた」
「それ、旧世代悪魔ですねぇ」
「旧世代って言うな」
ルルミアは机の上のポテチへ目を向けた。
「あのぉ……
一枚食べても?」
「勝手に食えよ」
「やったぁ♪」
悪魔が普通にポテチを食べ始めた。
しかも箸で。
「手ぇ汚れるのでぇ」
「生活感あるな!?」
修二は思わずツッコんだ。
ルルミアはぱりぱりとポテチを食べながら、幸せそうに頬を緩めている。
「人間界のお菓子っておいしいですよねぇ……
地獄の新人寮、基本的に激辛ばっかりなのでぇ……」
「地獄の食生活どうなってんだよ」
「ストレス発散らしいですぅ」
「ブラック企業の社員食堂か」
修二は呆れながら椅子へ座り直した。
だが、その時だった。
コンコン。
「……ん?」
突然、部室の扉がノックされた。
修二は眉をひそめる。
こんな時間に、旧校舎へ来る人間などほとんどいない。
だが。
ルルミアの顔が一瞬で青ざめた。
「…………え?」
「なんだよ」
ルルミアが、びくりと肩を震わせる。
「うそ……
なんで……?」
「だから何が」
「“上”の気配がしますぅ……!」
「上?」
その瞬間。
ふわり、と甘い花のような香りが流れ込んだ。
空気が微かに白く輝く。
ルルミアが涙目になる。
「や、やばいですぅ……
天使界側ですぅ……!」
コンコンコン。
今度は少し強めのノック。
「うそぉ……
早すぎますぅ……」
「だから何が――」
修二は立ち上がり、扉へ向かった。
「ちょ、ちょっと待っ――」
ルルミアが止めるより早く、修二は扉を開けた。
その瞬間。
まばゆい光が部室へ流れ込んだ。
「うわっ!?」
思わず目を覆う。
白い羽が舞う。
ふわり、と甘い香り。
そして。
光の中から、一人の女性がゆっくり姿を現した。
銀色の長い髪。
透き通るような白い肌。
腰まで届く純白の翼。
完璧だった。
あまりにも。
現実感がないほどに。
「……天使かよ」
修二は思わず呟いた。
女性は優雅に微笑む。
「はい、天使です♪
はじめまして、黒崎修二様♪」
鈴のように澄んだ声だった。
だが。
ルルミアは青ざめていた。
「げぇっ……!」
「お久しぶりですね、ルルミアさん」
女性はにこやかに頭を下げた。
そして胸元から名刺を取り出す。
────────────────
天使界ソリューションズ株式会社
第一救済事業部
主任天使 セラフィナ
────────────────
「株式会社なの!?」
修二が叫ぶ。
セラフィナは営業スマイルを崩さない。
「現在、人間救済事業は民営化されております♪」
「民営化ァ!?」
ルルミアが慌てて前へ出る。
「な、なんでここが分かったんですかぁ!」
「契約前漏洩感情波を観測しました」
「やっぱりぃ……」
「なんだそれ」
セラフィナは優雅に頷く。
「人間の願望、祈り、後悔、執着――そういった感情は、空間へ微弱な精神波として放射されます」
「精神波?」
「テレパシーの一種ですね♪
人間界では“オーラ”などと呼ばれることもあります」
「オーラって実在したのかよ……」
「完全に間違いというわけではありません♪
もっとも、人間側の解釈はかなり雑ですが」
セラフィナが指を動かす。
空中へ淡い光の波形が浮かび上がった。
「悪魔召喚などの高位契約儀式では、その波長が大きく乱れるのです」
「……つまり?」
「簡単に言えば、“すごく危ない契約しようとしてる気配”です♪」
「雑だな説明!」
「弊社では、その危険波長を常時観測しております」
「盗聴じゃねぇか!!」
「観測です♪」
「言い方変えただけだろ!」
ルルミアがむっと頬を膨らませる。
「それって立派な営業妨害ですよぉ」
「営業妨害ではありません」
セラフィナの声が少しだけ低くなった。
「契約直前人類保護規定に基づく、正当な監視です」
「うわぁ……
天使界法務ぉ……」
ルルミアが小さく呻く。
セラフィナは修二へ向き直った。
「黒崎様」
「……はい」
「悪魔契約は、時に人間の正常な判断を歪めます」
「…………」
「追い詰められた状態での選択は、本当に本人の意思と言えるのでしょうか?」
修二は少し黙った。
セラフィナは続ける。
「だから天使界は、契約直前の人間へ、必ず“別の選択肢”を提示します」
「悪魔契約を止めるため?」
「いいえ♪」
セラフィナは微笑んだ。
「後悔させないためです」
その言葉だけは妙に重かった。
営業スマイルなのに、不思議と嘘っぽく聞こえない。
だが。
「一方で」
セラフィナはルルミアを見る。
「悪魔側は、人間の欲望を刺激し、
甘やかし、
そして堕落させます」
「な、なんですかぁ!」
「人間は本来、
努力なくして救済はありません」
「うっ……」
その言葉は正しい。
正しすぎるほどに。
だが、同時にどこか息苦しかった。
セラフィナは淡々と続ける。
「そもそもルルミアさん、
クーリングオフ率が異常ですよね?」
「うっ」
ルルミアの肩がびくっと震える。
修二が眉をひそめた。
「……クーリングオフ?」
「はい♪」
セラフィナは営業スマイルのまま頷いた。
「通常、悪魔契約は、
まず“仮契約”というお試し期間へ入ります」
「お試し?」
「はい♪
本契約前には、
一定期間の解除猶予が設けられているんです」
「解除猶予?」
「悪魔業界では“仮契約解除”、
人間界では“クーリングオフ”と呼ばれてますね♪」
「通販かよ……」
「その期間を過ぎると、
本契約へ移行します♪」
「へぇ……」
「ですがルルミアさんは現在――」
空中へ光の画面が浮かび上がる。
────────────────
仮契約件数:12件
本契約移行:0件
仮契約解除:11件
保留中:1件
────────────────
「本契約ゼロじゃねぇか!!」
「うぅぅぅ……!」
ルルミアが涙目になる。
セラフィナは淡々と続けた。
「仮契約中、
“本当に大丈夫ですか?”と確認し始めるそうですね」
「だ、だってぇ……
みんな不安そうなんですもん……!」
「悪魔向いてねぇ!!」
修二は思わず叫んだ。
ルルミアは慌てて弁解する。
「でもでも!
あとから後悔したらかわいそうじゃないですかぁ!」
「悪魔の台詞じゃねぇよ!」
「以前も、
“会社を爆破したい”って人が来たんですけどぉ……」
「物騒だな!?」
「よく聞いたら、
三日寝てなかっただけでしたぁ」
「休ませろよ!!」
「なので有給取って寝てから考えてくださいって言ったら、
翌日すごく感謝されましてぇ……」
「契約取れてねぇじゃねぇか!」
「うぅ……」
ルルミアがしょんぼり肩を落とす。
セラフィナはさらに追撃する。
「ちなみに保留中の一件も、
近いうちに解除されそうですが♪」
「やめてくださいよぉぉぉ!!」
「“人生終わった”と言っていた契約者ですが、
現在、資格試験の勉強を始めたそうです」
「よかったですねぇ!!」
「悪魔としては最悪ですね♪」
「うぅぅぅ……!」
修二は思わず吹き出した。
なんなんだこの悪魔。
怖いどころか、もはや人生相談窓口みたいになっている。
だが。
同時に修二は少しだけ思った。
――だから今、ここにいるのかもしれない。
この悪魔は、人間を壊すことに向いていない。
セラフィナは小さくため息をついた。
「では私はこれで。
契約の最終判断は、黒崎様ご自身でお決めください」
「……帰るのか?」
「強制介入が必要な危険契約ではありませんので♪」
セラフィナは静かに微笑む。
「もっとも――」
ちらり、とルルミアを見る。
「その悪魔の場合、
本契約まで辿り着けるか怪しいですが♪」
「ひどいですぅ!!」
白い羽がふわりと舞う。
光が部室を包み込み始める。
だが消える直前。
セラフィナはほんの少しだけ真面目な表情になった。
「黒崎様」
「……なんだ?」
「人間は弱い生き物です」
「…………」
「だからこそ、
どちらを選ぶかで未来は変わります」
その声には、営業トークではない響きがあった。
「どうか――
後悔なさらぬよう」
次の瞬間。
まばゆい光と共に、セラフィナの姿が消えた。
静寂。
「…………」
「…………」
しばらく沈黙が流れる。
そして修二は、ゆっくりルルミアを見た。
ルルミアは不安そうに視線を泳がせていた。
「……あのぉ」
「ん?」
「たぶん私、
またクーリングオフされると思いますぅ……」
「おい」
「だ、だってぇ……
いまの話聞いたら、
普通そっち選びますよぉ……」
修二は少しだけ黙った。
それから、ふっと笑う。
「……お前さ」
「は、はい?」
「悪魔なのに、
客を逃がす方向へ全力だよな」
「うぅ……」
ルルミアが羽をしょんぼり垂らす。
修二は椅子へ深く座り直し、天井を見上げた。
正しいのは、たぶんセラフィナだ。
努力しろ。
前を向け。
逃げるな。
その通りだと思う。
でも。
最近の自分には、その“正しさ”が少し苦しかった。
だから。
修二は小さく息を吐いた。
「……まぁ」
「?」
「お前みたいなのも、
嫌いじゃないけどな」
「…………へ?」
ルルミアの目が丸くなる。
その瞬間。
小さな悪魔の羽が、ぴこんっと跳ねた。




