第14話 取り残された時間
「なんで私の名前、知ってるの?」
玲奈は不思議そうに首を傾げた。
修二は、すぐには答えられなかった。
目の前にいる少女は、三十年前に消えたはずの白峰玲奈だった。
だが、本人は何も知らない。
夏休みが始まってから、少し変わった場所でアルバイトをしているだけ。
そんな顔をしている。
「……俺たち、オカ研なんです」
「え?」
「県立風丘高校オカルト研究会」
玲奈の表情が変わった。
警戒ではない。
むしろ、ぱっと明るくなる。
「後輩?」
「はい」
「へぇー!」
玲奈は嬉しそうに笑った。
「そっかぁ。オカ研の後輩かぁって、あれ?部員にあなたたちっていたっけ?」
修二は胸の奥が少し痛くなるのを感じた。
玲奈にとっては、まだひと月しか経っていない。
オカ研は過去の思い出ではない。
今も自分が戻る場所なのだ。
「いえ、先輩は俺たちと初対面です」
「じゃあ、山下君に入部届だしたの?」
「山下君?」
「副部長」
玲奈は当然のように言った。
「背が高くて、眼鏡かけてて、いつも変なUMA本読んでる人」
「……すみません。知らないです」
「え?」
玲奈は戸惑った顔をしている。
「ま、いいわ。それよりも、部員のみんな・・」
「私がいなくなって心配してるんじゃないかなぁ」
修二は言葉に詰まった。
心配している。
きっとしていた。
だが、それは三十年前の話だ。
「心配どころか……」
「え?」
「先輩、伝説になってますよ」
「伝説?」
玲奈はきょとんとする。
「白峰玲奈失踪事件」
「うわぁ……」
玲奈は困ったように笑った。
「そんな大げさな」
「大げさじゃないです」
「いやいや、だって一か月だよ?」
「一か月いなくなっただけで伝説って」
「盛りすぎでしょ」
玲奈は本気でそう思っているようだった。
修二は何も言えなかった。
ルルミアは俯いている。
セラフィナも黙っていた。
「顧問の先生も心配してるだろうなぁ」
玲奈は小さく息を吐いた。
「怒られるかな」
「勝手に魔導書なんか試すからだ、って」
「……たぶん、怒ると思います」
修二はそう答えるしかなかった。
「だよねぇ」
玲奈は苦笑した。
「でも、本当は早く帰りたいんだよね」
修二の背筋が少し強張る。
「いまならまだ夏休みだし」
「宿題もしないといけないし」
「お父さんとお母さんにも連絡したいし」
玲奈はカウンターの方をちらりと見る。
「ここのお店の電話でかけようとしたんだけど」
「なぜか全然つながらなくて」
ルルミアが小さく声を漏らした。
「あー……」
「何だ?」
修二が見ると、ルルミアは気まずそうに指を合わせた。
「たぶん、その電話、古い回線ですぅ」
「古い回線?」
「最近、人間界との直通中継局ができたんですぅ」
玲奈が首を傾げた。
「中継局?」
「はい。地獄通信公社の」
「地獄通信公社」
修二は思わず復唱した。
「あるんだな、そんなの」
「ありますぅ」
セラフィナがにこりと笑う。
「天使界の技術提供も入っています♪」
「それは今言わなくていいですぅ!」
ルルミアが慌てて止めた。
玲奈は感心したように頷いている。
「へぇ……」
「じゃあ別の電話ならできるの?」
「たぶん、できますぅ」
修二はポケットからスマホを取り出した。
「電話なら、これ使いますか?」
玲奈はそれを見た。
しばらく黙る。
「……何それ」
「電話です」
「嘘」
即答だった。
「電話って、受話器が付いてるやつでしょ」
「これも電話です」
「ゲーム機じゃなくて?」
「違います」
「電子手帳?」
「違います」
「テレビ?」
「違います」
玲奈は怪訝そうな顔をする。
「ちょっとからかうのやめてよ」
「本当に電話です」
修二は画面を点けた。
玲奈の目が、ほんの少し大きくなる。
「光った……」
「番号、覚えてます?」
「もちろん」
玲奈はまだ半信半疑の顔で、自宅の電話番号を口にした。
修二はその番号を入力する。
玲奈はじっとスマホを見ていた。
やがて、呼び出し音が鳴る。
一回。
二回。
三回。
玲奈の表情が変わった。
「……本当に鳴ってる」
留守なのだろうか。
玲奈がそう思い始めた頃。
やっと電話がつながった。
年老いた女性の声だった。
玲奈の顔が明るくなる。
「お母さん?」
電話の向こうが沈黙した。
玲奈は少し首を傾げる。
「玲奈だよ」
「心配かけてごめんね」
また沈黙。
長い沈黙だった。
「お母さん?」
『……玲奈?』
かすれた声だった。
『玲奈なの……?』
「そうだよ」
玲奈は苦笑する。
「何言ってるの」
「ちょっと声、変だよ」
「風邪?」
電話の向こうで、何かが落ちる音がした。
『あなた……』
『あなた!』
『玲奈よ……!』
『玲奈から電話……!』
遠くで男性の声がした。
慌ただしい足音。
震える息遣い。
泣き声。
玲奈の笑顔が、少しずつ消えていく。
「お母さん……?」
『玲奈』
『玲奈、本当に玲奈なの?』
「だから、そうだってば」
玲奈は困ったように笑おうとした。
だが、うまく笑えなかった。
「大げさだよ」
「一か月くらいで」
その言葉を聞いた瞬間。
電話の向こうで、女性が息を呑んだ。
『一か月……?』
玲奈はスマホを握ったまま固まる。
「え?」
『玲奈……』
『あなたがいなくなってから……』
声が震えていた。
『もう、三十年よ……』
店内の音が消えた。
玲奈は動かなかった。
修二も、ルルミアも、セラフィナも。
誰も何も言えなかった。
玲奈の唇が、かすかに動く。
「……三十年?」
その声は、とても小さかった。
電話の向こうで、母親が泣いている。
父親らしき声も聞こえる。
けれど玲奈は、もう返事ができなかった。
彼女はただ、スマホを耳に当てたまま立ち尽くしていた。
自分だけが、あの日から取り残されたままなのだと。
その意味を、まだ理解できない顔で。




