第二十章:ロンドン・コーリング
『MetalForge』の記事が公開されてから数日、SoundCrowdを取り巻く世界は、静かに、だが確実に変わり始めていた。
鈴のLive365のページは、海外からのアクセスが殺到し、コメント欄は、見たこともない言語で埋め尽くされている。
「SOADのお墨付き」という、事実とは異なる見出しは、彼らの存在に神秘的なヴェールをかけ、そのサウンドは、実態以上に神格化され始めていた。
その熱狂の最中、再び鈴の元に一通の英文メールが届く。
差出人は、イギリス・ロンドンの音楽プロモーター、デヴィッド・ウォルシュを名乗っていた。
「MetalForgeの記事を読んだ。君たちの音楽を聴いた。素晴らしい。もし君たちに気骨があるのなら、ロンドンに来ないか?」
メールには、信じられないようなオファーが書かれていた。
新人登竜門として有名なロックフェス『Camden Crawl』への出演、そして伝説的なライブハウス『The Underworld』でのギグ。
しかし、そこには厳しい条件が添えられていた。
「現地での宿泊場所と、全ての出演枠はこちらで保証する。ただし、日本からの渡航費(航空券代)は、君たち自身で用意してくれ」
***
いつものマクドナルドで、四人は頭を抱えていた。
テーブルの上に置かれたノートパソコンには、航空券の予約サイトが表示されている。東京―ロンドン、往復エコノミー。一人、十数万円。四人分で、最低でも50万円以上。
それは、彼らにとって天文学的な金額だった。
「……無理だろ、こんなの」
小鳥ですら、その金額には弱音を吐くしかなかった。
蛯名は、レコード会社への賠償金支払いのため、貯金はほとんどない。鈴には、そもそも収入がなかった。
全員の視線が、唯一、可能性がある冬馬へと集まる。
「……無理だよ」
冬馬が、苦しそうに言った。「大学受験を前にして、バンドのためにイギリスに行きたいなんて……言えるはずがない」
その場は、重い沈黙に包まれたまま、解散となった。
その夜、冬馬は、リビングで父親と二人きりになるタイミングを、ずっと待っていた。
母親は、彼の進学に過剰なほど期待をかける、厳格な人だった。話をするなら、父親しかいない。
やがて、母親が風呂に入ったのを見計らって、冬馬はテレビを見ていた父親の前に、正座した。
「父さん。お願いがあります」
父親は、黙ってテレビを消し、息子に向き直った。
冬馬は、震える声で、全てを話した。バンドのこと、ロンドンからのオファーのこと、そして、そのために大金が必要なこと。
案の定、風呂から上がってきた母親が、その話を聞きつけて激怒した。
「冬馬! あなた、何を馬鹿なことを言ってるの! 受験はどうするの!? そんな不良みたいな真似、絶対に許しません!」
母親の甲高い声が、リビングに響き渡る。
もうダメだ、と冬馬が俯いた、その時だった。
「……まあ、いいじゃないか」
静かな、だが、有無を言わさぬ父親の声だった。
「あなた!?」
「お前が、我儘を言うのは、初めてだな」
父親は、母親ではなく、まっすぐに冬馬の目を見て言った。
「良いじゃないか。お前が、自分で選んだ道なんだろ? だったら、好きなようにやってみろ」
冬馬は、信じられないというように、父親の顔を見た。
「……でも」
「後悔しないように、精一杯やれ。金は、俺が出す」
それは、冬馬が生まれて初めて聞く、父親からの、魂の応援だった。
「……ありがとう、父さん」
涙をこらえるのが、精一杯だった。
「出発の日時とか、詳しいことは、バンドの年長者の蛯名さんって人に任せるから、話してもらってもいいかな」
「うん、分かった」
***
数日後。
再びスタジオに集まった三人の顔は、一様に暗かった。金策が、全くうまくいっていないのだ。
そこに、冬馬が、少しだけ晴れやかな顔でやってきた。
「みんな、聞いてくれ。ロンドン行きの航空券代、なんとかなった」
彼は、昨夜の父親とのやり取りを、訥々と語った。
その、あまりにもドラマティックな展開に、小鳥も、鈴も、蛯名も、ただ呆然と聞き入っていた。
「……すげえじゃねえか、お前」
最初に口を開いたのは、小鳥だった。その声には、素直な賞賛と、少しの羨望が混じっていた。
冬馬の、たった一度の勇気が、閉ざされかけていた道を、こじ開けた。
その事実に、全員の心が、再び一つになる。
小鳥が、まるで最高のゲームを見つけた子供のように、不敵に笑った。
「面白いじゃねえか。行こうぜ、ロンドン」
その一言で、SoundCrowdの、無謀で、命懸けの挑戦が、正式に決まった。




