第59章 『最初の真実』
海斗の視点
その夜は、脚の痛みのせいでほとんど眠ることができなかった。どうやら昼間、病室を出ようとして無理に走ろうとしたことが、きっちり自分に返ってきたらしい。あの看護師が言っていたとおり、僕の身体はまだ歩ける状態ではなかった。
だから、不本意ながら看護師を呼ぶしかなかった。眠れないというだけで、どうしようもなく気が滅入った。あの息苦しいほど白い天井を一晩中見つめ続けなければならないのかと思うだけで、泣きたくなった。せめて眠っている間だけは、自分が囚人ではないような気ができたからだ。
その夜の当直は年配の女性だった。顔立ちは穏やかなのに、やけに大きく調子の外れた声で話すものだから、ずっと機嫌が悪いようにしか聞こえなかった。
薬を二錠渡された。片方は痛み止めで、もう片方は睡眠薬だったのだろう。正直、分からない。あの看護師のあまりにぶっきらぼうな態度を前にすると、何の薬なのか尋ねる気力すら湧かなかった。
そして母親に叱られた子どものように、僕は布団を頭まで引き寄せ、そのまま眠ろうとした。
いつ完全に眠りへ落ちたのかは覚えていない。気づいた頃には、もう朝になっていた。そして、眠りについた瞬間を思い出せないのと同じように、どんな夢を見たのかも思い出せなかった。もっとも、最近は夢そのものを見ることが少ない気がする。
僕はまだベッドに横たわったまま、ゆっくりと長い息を吐いた。薄暗い天井を見つめ、その向こうでは夜明けの淡い光が少しずつ世界を照らし始めている。
考えていた。いつも、考えていた。
『最初の医師はいつ来るのだろう。また今日も、あの終わりの見えない日課が始まるのだろうか』
リハビリ。理学療法。味気ない食事。そして、どこまでも続く同じ毎日。
それでも、ひとつだけ気になっていた。
『今日も優一さんは来てくれるだろうか』
『いつ来るのだろう』
『何時頃だろう』
『外へ連れ出してくれるという約束を、守ってくれるだろうか』
そんなことを考えながら寝返りを打つと、隣に誰かが横になっているように見えた。
心臓が止まりそうなほど驚いた。危うく叫び声を上げるところだった。反射的に身体を引きずって距離を取ったものの、薄暗さに目が慣れるにつれ、その人物が誰なのか分かってきた。
そう――優一さんだった。
僕の隣で、ぐっすりと眠っていた。
***
よく知られていることだが、病院のベッドはたいてい一人用だ。
けれど、僕のベッドは少し前に二人用のものへ替えられていた。
理由は単純だ。
昏睡状態から目覚めて以来、僕には眠っている間に身体を激しく動かしてしまうという、ありがたくもない癖がついてしまったらしい。
医師たちの話では、寝汗をかき、苦しそうにもがき、身体をよじりながら狭いベッドの上を転がり、そのまま床へ落ちてしまうことが何度もあったという。
まだ頭が半分壊れたままの僕にとって、それはあまりにも危険だった。
痛みが原因ではなかった。
たぶん、悪夢なのだと思う。
もっとも、さっきも言ったように、僕自身は何を夢見ていたのか、今でも何ひとつ思い出せない。
そうして、もっと広いベッドへ替えるという案が出た。
結果は……まあ、半分成功といったところだ。あれで駄目なら、今頃はベッドに縛りつけられていたかもしれない。前にも言ったように、ここでの生活は決して楽ではなかった。
睡眠薬のおかげだったのだろう。その夜の僕は眠っている間に動かなかった。
だからこそ、誰かが夜中に忍び込み、僕の隣へ潜り込んできたことにも気づかなかったのだ。
不思議なことに、最初こそ驚いたものの、優一さんがそこにいることは嫌ではなかった。
起こそうとも思わなかった。
ただ、見ていた。
穏やかな寝息を立てているのに、その顔は疲れ切り、青白く、生気が薄かった。
病気なんだ。
そんな確信が、胸のどこかにあった。
――今なら殺せる。
そう思った。
――この人は、きっと目も覚まさない。
ひどい考えだった。
自分でも、どうしてそんなことを思ったのか分からない。
馬鹿げている。
そんな一言で、その嫌な考えを頭の中から振り払った。
すると今度は、罪悪感だけが胸に残った。
僕は悲しそうに優一さんを見つめた。
少しも身体を動かさないように。
ほんのわずかな音すら立てないように。
起こさないように。
休んでほしかった。
あの病から回復してほしかった。
僕の目には、彼は病人だった。
しかも、余命わずかな患者のように見えていた。
見つめながら、何かを考えていたわけではない。
ただ……
本当に、ただ見つめていただけだった。
けれど、その瞬間だった。
何の前触れもなく、まるで否定しようのない真実に気づいた人間のように、僕の視界がふっと開けた。
その感覚は、胸の奥深くへ突き刺さった。
浮かんだ言葉は、たった一つ。
『本当に、この人は僕の兄なんだ』
静寂。
瞬きもせず。
何も考えず。
そして、もう一度。
「そうだ……兄さんなんだ」
僕は小さく呟いた。
その瞬間、ようやく確信できた。
もう否定することはできなかった。
誰かに騙されているのではないかと疑うこともなくなった。
そして、目覚めてから初めて、本物の笑みが僕の顔に浮かんだ。
今までの笑顔とは違う。
あれは全部、作り物だった。
全部だ。
でも、これは違う。
昏睡から目覚めて以来、僕は何度も言われ続けてきた。
『君の名前は海斗だ』
『これがお前の人生だ』
『これがお前の年齢だ』
『こんなことがあったんだ』
『お前はこういう人間だった』
『この人がお前の兄だ』
けれど、心のどこかでは、ずっと受け入れられずにいた。
『嘘かもしれない』
僕は何度も自分にそう言い聞かせていた。
『どうして嘘じゃないと言い切れる? 本当だという証拠がどこにある?』
確かめる術はなかった。
だから余計なことを口にしてしまうくらいならと、自分に無理やり信じ込ませるしかなかった。
それでも、心のどこかには納得していない自分がいた。
疑い続ける自分がいた。
でも、今日は違う。
今日だけは、あの言葉の中に、少なくとも一つだけは本当のことがあると確信できた。
少なくとも、一つだけは。
「兄さん」
その言葉だけは、もう二度と疑わなかった。




