第54章 『無知と狂人』(1)
海斗の視点
気がつけば、目を覚ましてから四日が過ぎていた。
もっとも、僕の主治医だという大輝さんは、本当は六日経っていると言い張っている。でも僕は四日だと譲らない。頭が半分壊れて、無理やり縫い合わせられているからといって、自分の身の回りで起きていることすら分からなくなるほど間抜けになった覚えはない。
そんなこともあって、それ以外にも今はまだ口にするつもりのない細々とした出来事が積み重なり、僕の中では少しずつ、一つの確信が形になっていた。
――大輝さんは、日常的に嘘をつく人だ。
たとえば、僕を見舞いに来たのは兄だけだと言ったこと。
優一さんを信用するなと忠告したこと。
車にはね飛ばされて何メートルも吹き飛ぶような大事故に遭ったのだと説明したこと。
それから、今の僕は体の状態が悪いから、お粥とあの嫌になるほどどろどろした飲み物しか口にできないと言い切ったこと。
くだらない。
本当に、くだらない嘘ばかりだ。
だから大輝さんの姿を見るたび、僕は自然と警戒するようになった。またどんな新しい嘘を持ち出すか分からないからだ。
たとえば今日。――何度でも言うけれど、僕が目を覚ましてから四日目。
優一さんもまた、大輝さんと一緒に病室へ来ていた。
昼を回っても、僕はまだベッドから動けずにいた。
いや、まったく動けないわけじゃない。ただ、それがひどく難しかった。立ち上がろうとすると目が回り、脚には力が入らず、鈍い痛みが走る。
それでも歩けないだけで、起き上がって座ることくらいはできた。
だから僕は毎日、ベッドの背もたれにもたれ、テレビをぼんやり眺めたり、考え事をしたりして時間を潰していた。
……いや、「考え事」というのは少し違う。
記憶がない僕は、考えるというより、ひたすら疑問ばかりを抱えていた。
今日は何月何日なんだろう。
僕はいくつなんだろう。
僕は誰なんだろう。
どこの学校に通っていたんだろう。
友達はいたんだろうか。
父さんや母さんは、どんな顔をしていたんだろう。
日付のような単純な疑問から、両親との本当の関係のようなもっと深い問いまで、頭の中はそんなことで埋め尽くされていた。
特に最後の疑問は、二人が一度も見舞いに来ないという、どうしようもなく割り切れない事実から生まれたものだった。
兄の優一さんは、二人とも生きていて、今も夫婦として一緒にいると言っていた。
ただ、そのあとに一言だけ付け加えた。
「昔からああいう人たちなんだ」
――ああいう人たち。
そんな曖昧な言葉を、僕はどう受け止めればいいのだろう。
……いけない。
また話が逸れてしまった。
最近はこんなことばかりだ。頭をぶつけたせいで、注意力までどこかへ飛んでいってしまったのかもしれない。
ともかく、今の話に戻ろう。
僕はベッドにもたれたまま、大輝さんが病室の端から端まで落ち着きなく歩き回る姿を眺めていた。
一往復。
二往復。
三往復。
もちろん数えていた。
でも二十九往復目に差しかかった頃には、見ている僕のほうが目を回しそうになっていた。
このまま続けたら、床に一本溝でも掘ってしまいそうだった。
「もうやめてくれませんか」
思わず声をかける。
「見ているだけで目が回ります」
ところが、大輝さんは僕の言葉など耳に入っていないようだった。
突然、何かを思いついたように声を上げる。
「そういうことか」
僕を指さしながら言った。
「これなら回復が異様に早い理由も説明がつく」
きっと独り言なのだろう。
何を言っているのかさっぱり分からなかったので、僕は黙って好きにさせておくことにした。
「これなら説明がつく。そうだ、そうだ。投与量を増やせば、回復期間はもっと短縮できるはずだ」
指を鳴らしたかと思うと、今度は病室にいたもう一人へ向き直った。
「分かりますか、優一さん。薬ですよ。薬が効き始めているんです。だから言ったでしょう、効果は出るって」
優一さんへ目を向ける。
彼は椅子に座ったまま身じろぎもせず、両手で顔を覆っていた。
疲れ切っているのが、その背中だけでも伝わってくる。
もっとも、その表情まではよく見えない。
僕の視界はぼやけていた。
「優一さん、聞いてますか」
大輝さんは肩を揺さぶりながら言う。
「またここで寝ないでください」
その姿を見ていると、胸の奥に小さな同情が芽生えた。
どうして日を追うごとに、あんなにもやつれていくのだろう。
「放っておけばいいでしょう」
僕は口を挟んだ。
「眠いなら寝かせてあげてください。ここで寝ても僕は気になりません」
大輝さんはため息をつく。
「君のお兄さんが覚えるべきなのは、ここはホテルじゃなくて病院だということです」
僕は精一杯の非難を込めて睨み返した。
けれど何か言うより早く、優一さんがようやく口を開いた。
「起きてるよ、起きてる。ただ少し考え事をしていただけだ」
顔をこすり、頭を振り、両頬を軽く叩く。
それでも最後には大きな欠伸が漏れた。
「だんだん本気で興味がないんじゃないかと思えてきましたよ」
大輝さんは腕を組む。
「興味がないわけないだろ。ただ、お前の説明が長すぎるんだ。最初は海斗の後遺症の話だったのに、気づけば怪しい薬の話を一人でぶつぶつ喋り始める。お前以外、誰にも分からない」
大輝さんは否定しなかった。
肩をすくめ、「すみません」とだけ言った。
謝罪というより、どこか開き直ったような声音だった。
「あなたが寝不足なのは私のせいじゃありませんから」
「寝不足だと?」
優一さんの声が急に鋭くなる。
「そうだ、眠れてない。一日中ずっと親父と、あの女を――」
「優一さん」
大輝さんが慌てたように遮る。
「言いたいことは十分伝わりました。疲れすぎています。睡眠不足で判断力も落ちている。少し薬を出しておきましょう」
二人の話を黙って聞いていたのは、興味がなかったからじゃない。
何か外のことを知れるかもしれないと思ったからだ。
兄は外の様子をほとんど話してくれない。
それに、彼が何にそこまで追い詰められているのかも気になっていた。
兄なのだから、心配になるのは当然だった。
「さて、君の話に戻りましょう」
気づけば大輝さんの声がすぐ目の前から聞こえた。
両手で僕の頭を包み込み、無理やり顔を向けさせる。
そのせいで、優一さんから意識が逸れた。
「君の容体について説明していたところです」
「でも僕は元気だと思いますけど」
そう言いながら、冷たい手を振りほどく。
「いいえ。元気ではありません。見た目以上の速さで回復していますが、頭部への衝撃で重い後遺症が残っています」
「どんな後遺症です?」
少し気を取り戻した優一さんが尋ねた。
「たとえば、左側頭部への損傷はかなり深刻でした」
そう言って僕の頬を指でつつく。
「当然、いくつもの後遺症が残ります。治療は続けますが、正直、大幅な改善は期待できません」
そこで一度言葉を切り、また僕から少し離れた。
「まず右目です。視力は少なくとも三割失われています」
胃の奥に重い塊が沈んだ。
「左目も約一五%ほど低下しています。完全な失明ではありませんが、常に何かが霞んで見えたり、欠けて見えたりする状態です」
僕は間抜けみたいに頷いた。
だから三歩先のものさえ細部が見分けにくかったのか。
今さら気づくなんて馬鹿だと思われるかもしれない。
でも違う。
見えづらいこと自体には、前から気づいていた。
ただ、末期の病人が自分の症状を感じながらも、その深刻さを医者に告げられるまで理解できないように、僕も本当の意味では分かっていなかっただけだ。
人間は何にでも慣れる。
だから僕も、この中途半端な視界に慣れきってしまい、生まれたときから世界とはこんなふうに霞んで見えるものなのだと、本気で思い始めていた。
大輝さんは再び僕の頭をつかみ、ゆっくり向きを変える。
「それから左耳です。こちらは重度の損傷で、聴力は約六割失われています。治療しても望みはあまりありません。海斗、この耳で聞こえますか」
僕は肩をすくめた。
「聞こえますよ……まあ、少しだけ。大きな声なら問題ありません」
大輝さんは深いため息をつく。
「いいえ、聞こえていません。そう思っているだけです。右耳が機能しているから、音を拾えているにすぎません。だから何もかもが弱く、ぼやけて聞こえるんです」
悔しかったけれど、頷くしかなかった。
今日だけは。
今日だけは、大輝さんの言葉は本当だった。
「これからは補聴器が必要になるでしょう。この耳については、あまり期待していません」
優一さんはベッドの向かいに座ったまま、一言も口を挟まず、その説明を静かに聞いていた。
一方の僕は、頭をつかまれ続けるのが嫌になり、弱った首に残る力を振り絞って頭を振り、大輝さんの手をようやく振り払った。
「そこまで悪いなら」
僕は言った。
「そんなふうに頭をつかまないでください」
「……あ」
ようやく気づいたように、大輝さんは両手を上げて一歩退く。
「失礼しました。ですが、まだ終わっていません」
こうして、主治医による長く苦しい診断はなおも続いた。
そのあとも、意欲の低下や、運動機能、集中力への深刻な障害など、いろいろ説明された。
けれど、その手の医学的な話をここで一つ一つ語るつもりはない。
正直なところ、僕自身ほとんど理解できなかったし、傷ついた頭に残ったものも、ごくわずかだったのだから。
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