決着
「ぬかったわ。力をつける前に片を付けるつもりが、おかしな小娘を相手取ったせいで……」
星狐は忌々しそうに傑を見た。
目の前で自身を殺さんとする雪目から目を離せず、呆然と立ち尽くしていた傑を放置してしまったが故の失態であった。
しかし、力をつけたばかりの状態で果たして何が出来るのか。そう考えていた星狐の表情には依然として余裕があった。
「それにしてもなかなかしぶといの。軟弱物の増えたものと嘆いておったが、いつの世にもこういう人間はいるものよの」
雪目に目線を戻し、迫りくる攻撃を弾いていく。一撃一撃が積年の恨みの籠った攻撃で、気を抜けば一気に削られかねない。
自分に向けられた殺意が本物であることは理解できた。
だが。
「何故わっちが責められねばならんのかの」
殺意が本物であることは理解できても、その殺意がどこから来るものなのかが理解できないでいた。
「何故って、まだ分からないのかこの化物が!」
雪目は冷静さを欠いていた。傑が力を手にしたことにも気が付いてはいない。
尤も、星狐から目を離せる程の余裕が無かったことも理由の1つではあるのだが。
「化物だったらなんじゃ。理由になっておらんぞ」
幸福を追い求める人間の心理が生み出した欲望の怪異。それが星狐という存在であった。
人を騙して金品を奪い、心を奪い、それによって幸せを感じていた星狐にとって、自分のしていることのどこが悪であるのか、人間が幸せになろうとしているのと何が違うのか理解できないでいた。
「お主らが安寧を享受し、平穏無事に暮らして幸せを手に入れるとして、その裏で一体幾つの人間が不幸を被っているか知らんのか?」
「……はぁ?」
「人が幸せを手にする時、その陰で5人10人と不幸になっているだろう。幸福というものは見知らぬ誰かの不幸の上に成り立っているもので、その恩恵はお主らだって受けているはず。わっちもお主らも、結局やっていることは同じことよ」
「それは……それは詭弁だろう。例えそうだったとしても、私達は意図的に他人を傷つけて幸せを得たりはしないし、出来ないんだよ」
「ふん、そこにどんな意図や過程があったかなど関係無いわ。結果的に同じことで、お主の姉御もまたその一人でしかなかったということ。事実、己の身内がそうならなければ、お主は、わっちを恨むことも無かったじゃろうて」
雪目はそれに言い返すことはなかった。言いたいことはあったものの、認めなければならない事実として、彼女は姉を失わなければ妖怪を追い続けるような生活に身を投じることはなかったハズなのだ。
そんなことは知ることも無く、ただ普通の人間として平穏無事に暮らしていたのかもしれない。
それでも、現実としてこうなっているわけで、雪目はそれを許すことなど出来はしない。
「まぁ、誰かの幸せには相応の皺寄せが付き物ということよ」
「……いや、違うね。やっぱり噓だ」
「何が違う?」
「幸福を手に入れた人間が消えれば、あるいは初めからいなければ、その5人とか10人というのは不幸にならずに済むのかい?……違う、別の不幸を勝手に被るだけだ。誰かが幸せになるには誰かが不幸になるしかないなんて、そんなわけはない」
「……何が言いたい?」
「さっきその口で過程や意図は関係ないと言ったが、それは違うという事だ。お前は私の姉を騙し、傷つけ、挙句に殺した。それはお前の、幸せを追い求める行為とは何の関係もない行為で、やっぱり許すようなことはできないし、お前の意見になど誰も賛成することはないんだよ」
「ハ。幸せになるのに他者の賛同がいるとはの。人間というのはかくも理解しがたい生き物よ」
「化物の分際でその人間の幸せを追うのはどこの誰だい?」
「娘、言葉には気を付け──ぬぅッ!」
雪目の言葉に反応して狐火を放つ。
しかし、それはことごとく打ち消され、星狐はまたも自身の失態を、傑から2度も目を離していたことを恥じた。
「お主……やはり早々に消しておくべきであったか」
距離を取り、痛みの走る腹を抑えた。
「なっ…………す、傑君……噓だろ……?まさか、いやでも、そうとしか……」
傑はガシャガシャと音を鳴らして、睨み合っていた両者の間に入った。
「よう、狐女……女狐か?」
彼に恐怖は無かった。
ここまで駆けてみて分かったのだ。今の自分なら勝てぬ相手など存在しないと。
身体が軽く、その拳は力強く速い。
「それぞれ身の丈に合った生き方ってあるよな。人だろうが何だろうが、それぞれ与えられた生き方があるし、その道中に置いてある幸せしか拾うことはできないって──昔世話になったポリ公が言ってたんだったか」
手を閉じたり開いたり、首を鳴らしてみたり。
まるで準備運動でもするようなその動きに星狐は警戒心を最大限に引き上げ、攻撃を放った。
「姐さん、こいつの事殺したがってたのは知ってっけどよ。悪りぃ、俺がやっちまうわ」
左腕を振り払い、巻き起こした突風が青い炎を打ち消した。
そして構えた右腕、その握りしめられた拳を星狐の脇腹目掛けて打ち込んだ。
拳と脇腹の間に大気が圧縮され、解き放たれる。轟音と共にその身体は弾き飛ばされ、地面を抉りながら転がっていった。
傑はアスファルトを破壊しながら蹴り上げると、一瞬でその距離を詰め、さらに拳を振り下ろす。
空気ごと削り取るような感覚、その一撃は星狐に深い傷を負わせるに至った。
「くっ、人間風情にここまでの力が……!」
よろめきながら立ち上がると、傑を睨みつけた。
「知らねぇよ。お前が弱ぇだけなんじゃねぇの?」
「そんな訳、そんな訳、あるはずがない……ッ!」
「そうかよ。じゃ、精々頑張れや」
天に昇る龍のように、傑の拳は星狐の顎を捉えた。
無慈悲なまでに強烈な一撃、岩をも砕くその攻撃を喰らって尚その姿を保っていられた星狐は、決して弱くなどなかった。しかしそれは絶対的な評価で合って相対的な評価ではない。目の前の相手と比べた際、それはもはや比較にすらならなかった。
星狐は空中に投げ出されたその身で必死にバランスを取ろうと藻掻くが、足を取られ地面に叩きつけられ、背中を地面に強打し、その痛みに顔を歪ませたのも束の間、今度は背負い投げの要領で顔面からアスファルトに飛び込んでいく。
幸せに執着し、それを追い求めた己の終着点はこんなものなのかと、星狐は内心嘆いた。
その身体はタオルの様に振り回され、あちこちにぶつけられていく。
「何故……幸せになるのは罪なのか……?それがわっちの存在意義だと……それが……!」
眼前に迫るガードレール。その顔をめり込ませ、痛みさえ感じられなくなりながら呟いた。
「人の世で生きるならそれなりのやり方ってもんがあんだろうが。そこから逸脱した我儘が通るわけねぇよ。俺もお前も、全員そうだろうが」
「わっちは人などではないぞ……」
「だったら尚更だろ。ただでさえ人じゃねぇのにその上好き放題してたらこうもなるわ」
既に尾は数本が消失してしまっていたが、それでも降り注ぐ連撃は的確にその身を打ち抜いていく。
「はぁ……こんなもんか」
地面に横たわる星狐は、虚ろな目で傑を見ていた。
もう動く気配はない。
足掻くことができないワケではないが、そんな気力は既になく、起き上がることも諦めていた。
「フッ、ハハッ、化物は化物なりの幸せを追うべきであったか。尾が九つであったあの頃から何も変わっておらんな……変わっておれば──いや、それは考えても無駄よの」
自身の無力さを力なく嘲笑う。
元より力に自身があるわけではなかったが、それでもここまでの差を見せつけられてはどうしようもなく、今はこの隙にと己の肉体を乗っ取ろうとする悪魔を抑えつけることで精一杯であった。
強欲の悪魔と契約をしてみたのも結局は利用するためで、その道具に自身を思うようにされるくらいならこのまま終わった方がマシであると、星狐のプライドがそうさせていた。
それを察した傑は姿勢を正し、構える。
辺り一帯が音を立てて震え始めると、これから訪れる終わりがどのようなものであるかを示すように、魔力が収斂していく。
「……どうやるのか知らねぇけど、これで終わらせてやる」
「痛くないと良いがの──まぁ、人の恨みが痛くない訳もないか。せめて一撃で屠るとよいわ」
片膝をつきながらもゆっくりと立ち上がると、両手を広げた。
一思いにやれ──と言うように。
「あぁ、姐さんの分もある。歯ぁ喰いしばれ!」
雪目の分も──もう片方は、言うまでもなかった。
「ハァァァァァァアアアアアッッ!!!!」
「カカ、カカカ!」
拳は紫電を纏い突き進むと、星狐の胴を貫いた。
そして解き放たれた魔力は星狐の肉体を破壊し尽くし、貫かれた腹からボロボロと崩れ去っていく。砂の城が崩れ去るが如く、サラサラと亡んでいった。
星狐はそれでも、最後まで笑っていた。
「これでいいのか…?」
何分初めての事であったからに、これで終わりなのかと首を傾げながらも、リモコンのボタンを押すと、鎧は剝がれていく。何とも呆気ないモノだと、彼はえも言えぬ気分になった。
「……!」
ルルの、その後ろからこちらへと近付いてくる雪目の姿が見えた。
「…………殺したんだね。アレを」
「まぁ──な。終わったよ」
お互い、何を言ったものかと無言であった。
傑自身、完全に人間を辞めたわけではない。
身体自体は人間のままである。しかし、力を得たという点でそれは言い訳でしかなく、ただただ気まずかった。
「私の復讐のために、君にそんな力を得て欲しくはなかったよ──いや、私の為というのは自惚れが過ぎるかもしれないけど」
「まぁ……俺も俺で理由はあったしな。それにそもそも、あいつは俺を狙ってたんだし、俺が相手すんのも、おかしなことじゃねぇだろ」
「……それでもだよ。君はもう──」
雪目がその言葉を発しようとしたその時、
「──化物なんかじゃありません!」
ルルがその姿を現し、雪目に対して言い放った。
傑には初めから見えていたが、雪目にもその姿を視認できるようにしたのだ。
雪目が目を見開くと、昼の街に風が吹いた。長い髪が揺れ、隠れていた目が露わになった。
「えぇと、初めまして?ルル・フューリタンです」
「……こうして姿を見るのは初めてだね。どうも、私は雪目。無慈籠 雪目だ。まぁ、知ってるだろうけど」
「はい。貴女が過度に化物……我々のような存在を嫌う事も含めて、です。なので私、しばらく本国に戻って調べてきたんですよ。傑さんを人間のまま、アレらの存在と戦えるようにする方法がないのかを」
「……なるほど」
「えぇ、ありましたよ一応。だからこれで文句は──」
ヒートアップし始めたルルを、傑は静止した。
「いや、いい。多分それだけの問題じゃねぇんだろうし、俺が化物だってんならそれはそれでいいんだよ」
「よ、よくなんかありません!傑さんは確かに、雪目さんを助けるための力を欲したんです!誰かの為に力を振るえる人が化物な訳ありません!」
「……!…………そうか、確かにそうもしれないね。すまない、言葉が過ぎた」
「いやまぁ、別に……事情もなんとなく知っちまったワケだし。……でもよ、俺も俺で考えたりしてみて思ったことがあるっつうか」
「思ったこと──か。何を、どう思ったんだい?」
「なんだ、この力ってのは人間が手にしていいもんじゃねぇってのはそうなんだろうし、たとえどんな理由であれ、それを手に入れた俺はもう人間じゃねぇのかも知れねぇ──けど、人間か化物かっていうのは結局、生き方の問題じゃねぇのかって、思うんだよ」
「……まぁ、そうかもね。人として生まれたからと言って、必ずしも人間らしく生きられるわけじゃあない。踏み外す人間も多い」
「だからよ、探してみるわ。どう生きれば人間らしく生きていけるって言えるのか。そもそも社会になんか馴染めねぇだろうなって、そんなことは鏡見る度に嫌ってほど思い知らされてきたワケだし。だったら、俺は俺なりに、龍崎 傑として生きて死んでやる」
「……傑君として、か。まぁ、君がどういう道を辿るのかは気になるところでもある。だとすれば、私も少しずつ、変わらないとダメかな」
これから何を変えるのか。それが分からず、聞き返すように声が出た。
「できればこの手で終わらせたかったし、ここで終わりたかったという思いはある。けど現実としてそれは失敗に終わったわけで、時間は先に進んでしまった。なら、いつまでも同じことをしているワケにもいかないかなと、そう思ってね」
「死ぬつもりだったのか……?」
「まさか。死ぬだろうなという予感がしてただけだよ。あのままやり合っても勝てはしなかっただろうし、私が死んでも流華君辺りが潰すのだろうと思っていたから──だから、向こうより先に見つけなければと少し焦っていたのかもしれない」
「……そうか」
「何にせよ、ここから先は大人の仕事だ。後片付け含めこちらで何とかしておく。君は一度帰りたまえよ。思った以上に疲れているみたいだしね」
雪目は辺りを見回してから言った。
折れた電柱、凹んだガードレール、割れたアスファルト、破損したその他諸々。
生身の身体で喧嘩をしていてはこうはならないだろうと、彼は乾き切った声で笑った。
そして促されるまま、あるいは追い払われるようにして、その日は帰路に着いた。
雪目と改めて話はするべきだと、そんな事を思いながら。




