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夏の怪異譚  作者: アブ信者
龍崎 傑と無慈籠 雪目
36/36

終幕

 翌日。彼は雪目の事務所に赴いていた。


 改めて話をするべきだとは考えたが、それは早い方がいいと考えてのことであった。


 少し──とは言えない程に寝過ごしてしまったが、まだ営業時間内ではある──と、ドアを開けた。


 しかし。


「え……?」


 室内には何もなかった。


 何もなく、虚しい程に空であった。


 まるで初めから何もなかったかのように。


 けれども、確かに雪目がいた証として、それは置いてあった。


「……?」


 床に置かれた一枚の紙。折り畳まれたそれを開くと、筆で書かれたと思われる文字が羅列されていた。


「手紙……か」


 その手紙は差出人不明のものであったが、誰がこれを書いたのか分かり易い、そんな書き出しから始められていた。


「まず、これを読んでいるのが傑君であることを勝手に断じた上で、この手紙を綴らせてもらう──とは言っても書くべきことなんて大してなくて、今この部屋がすっからかんになっている理由を知りたがっている君からしてもそうなのだろう。端的に言えば、事情が変わったというのかな。昨日あれから考えてみて、その結果がこれだ。何の断りも連絡も無しにこうしたことは、それなりに反省しているよ」


 事情が変わり、その結果としてこの部屋を引き払った。


 たった半日程度で物をすべて運び出して行ったのかと室内を見回し、更に読み進めていく。


「事情が変わったとは言うが、結局のところ私はもう目的を果たしてしまったんだよ。その事務所も元々はあの星を追うために立てたもので、人目につくような立地にしたのもそのためだ──だけどもはや、その必要性さえ失ってしまった」


 確かにそこは通りかかればどんな会社が入っているのか解るような場所で、それは広く霊障に悩まされる人を集め、そこから星狐の情報を得ようとしたからだろう。


「なんにせよ、かつての八千代ではないものの、私も燃え尽きたというかね。勿論、私の復讐が終わっただけで退魔課としての仕事はあるワケだけど、それなりに疲れてしまったというか、しばらくは仕事ができる感じでもないんだよ。だから一度、区切りをつけることにしてみたという訳だ」


「………」


 何も言わず、文字から文字に目を移していく。この仕事はもう辞めてしまうのだろうかと。


 ひょんなことから巻き込まれていったとは言え、この生活はそれなりに気に入っていたと自分でも感じていた。


 寂しさがあるのはそのせいだろうかと、溜息を吐いた。


「それにしても、君が昨日言ったあの言葉が、どうにも頭の中に残り続けていてね。君が君らしく生きるというのなら、私も私らしく生きるべきなのかもしれない──って、そう思わされたよ。無念が晴れたわけじゃない。でも復讐できる相手はもういない。そんな中、いつまでも自分だけが同じ場所にいるワケにもいかないし、私は私にできることをして生きていくべきなのだろう」


「できること……」


「それも昨日考えてみたのだけど、やっぱりすぐに思いつくほど簡単な事でもなくてね。出来ることは多いのだけど、やりたいことかと言われたら少し違っていたし、そこはやはり妥協するべきでもないと思うんだ。どうせ退魔課として駆り出されることもあるんだから、そことの兼ね合いもきちんととれることをしたい。で、そうして考えていったときに一つだけあったんだよ──あったというかなんというかって感じだけど、霊能事務所──今やっている妖怪の専門家としての仕事は、条件として結構よくてさ」


「ん?」


 結局辞めないのか、これからも続けていくのか。


 そう思い読む手の止まった傑の後ろから、聞き慣れた声が聞こえた。


「だからさ傑君。これからも私の助手として頑張ってくれよ?」


「うぉっ……いたのかよ……!」


「ははー。わざわざこんな手紙を置いておく時点で傑君がここに来ることは想定済みだし、何より鍵が開いてる時点でそれを疑うべきじゃぁなかったのかい?」


 雪目は右手の人差し指でキーリングを回しながら、カラカラと笑った。


「なっ、まぁ……そりゃそうか……なぁ……何でここ引き払ったんだ?」


「読んでないのかい?目的を失って、もう積極的に妖怪と関わる必要性もなくなった。となると、このテナントは少し賃料が高くてねぇ。これからはまた別の場所を借りる。勿論ここからそう遠くないところを選ぶつもりだよ?……だけどその前に、少しの休養をね」


「休養──か。何かすんのか?」


「さぁねぇ。あんまり決めてないけど、姪っ子の顔でも見に行こうかな。何となく避けていたけど、一度くらいは会っておきたいし」


「避けてたのか?」


「私のような人間は関わるべきではないって──いや、違うな。これは言い訳の方だ。決意が揺らいでしまうんじゃないかって、そう考えていたんだよ」


「決意が……揺らぐ?」


「あぁ、あの子は姉の忘れ形見でね。生まれて間もなく親を失い、当時の私ではどうしようもなかったから、二番目の姉が当時の恋人と一緒になって引き取っていったんだよ。だから、その子が今を楽しそうに生きているのを見てしまった時、私は心の中にある復讐心を、これまで自分を生かし続けてきたその怒りを保てるのかって、怖気づいたんだよ」


 完全にではないが、理解できないことも無かった。


「まぁでも、今回私は学んだんだ。結末など例え思い通りでなくとも、人間は存外それで満足してしまうものなのだと。ま、例え姪にいない者として扱われたとしても、私は挫けず生きて行くよ」


「そ、そうか」


 雪目は身体を反転させ、ドアから一歩、足を前に踏み出した。


 窓から差し込んだ陽の光が、その背中を白く染め上げていた。


「さて、と。新しい場所が決まったら追って連絡はするよ。来てくれるんだろう?」


 首だけを向けて問う。長い髪が肩から枝垂れた。


「……まぁな。結構面白れぇし、割もいいしな」


 そう返すと、満足そうに笑って部屋を出て、ドアに鍵をかけた。


 妖怪など、以前なら絶対に信じることはなかっただろう。


 しかし、触れてみればこれが、案外面白いもののように感じられていたのだ。


「でも、よかったのか?」


 鍵をかける手を見ながら、傑は尋ねた。


「君が力を手にしたことかい?」


「あ、あぁ」


 やはり見透かされていて、それがどこか雪目らしいと感じた。


「いいというか──そうだね。それもまた昨日考えていたことかな。そもそも、私が君を手元に置いたのにはいろいろと理由があった。その中でも大きかったのは、君という人間を人間のままにしておきたいと、そう思ってしまったからだろう。けど、昨日君がそうなったとき、私はそこまで何かを感じることはなかったんだよ。何も感じなかったワケじゃないけどね」


「そう……なのか?」


「うん。そのことを思い返して自分なりに解釈した時に初めて気が付いたんだ。自分はどこか自分に対して言い聞かせていたんだという事に──私は化物を嫌っているべきだって、そう言い聞かせていたという事に」


「言い聞かせ……何でだ?」


「さっきも言っただろう?決意が揺らいでしまうからだよ。私の原動力は恨みや復讐心だ。それを薄れさせてはいけないと、ずっと化物を嫌い続けることを努力していた。全くもって度し難い」


 彼女も彼女で必死に、今日を、そして明日を生きる理由を探していたのかもしれないと、そう感じた。


「そう、誰かを救える化物はどんな人間よりも人間らしくて、誰も救えない人間はどんな化物よりも悍ましい。私は姉を救えなかったし、私は君に救われてしまった。完全には割り切れないけど、この思いもどこかで清算すべきだ。だからもう、拘るのもやめることにするよ」


 雪目は言い終えると、手をパンと叩いた。狭い通路に音が反響する。


「さてと。君の友達のことはまだ解決していない。だけど君自身の事や私の事については、ひとまず区切りもついたワケだ」


「まぁな。俺も俺にできることはしてみることにするわ」


「そうだね、それがいい。ただ取り敢えず言えるのは──」


 雪目が歩き出すと、傑もそれについていく。


 妖怪と行き合い、雪目と出会い。


 これは、そんなこんなで始まり、続く物語である。


「お憑かれ様、ということだ」

おしまい

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