星狐
「それは……」
今まで何となくで予想していたことが1つ、また1つと繋がっていくような気がして、彼は口を開いた。
しかしその時、雪目が置いていた携帯から音が鳴ると彼女はそれを手に取り、同時に彼の言葉も途切れることとなった。
「噂をすれば影が差す。八千代からだ」
雪目は手元で手早くロックを解除し、送られてきたメールを見て顔を顰めた。
「どうした……?何かあったか?」
「……最悪だ。いや、絶好の機会と言うべきか」
「……?」
「ここ数日、あまり自由に動き回るワケにもいかない私の代わりに、八千代が調査をしていてね」
割と自由にしていたような気もしたが、本腰を入れて調査をすると言うのは難しかったのだろう。
それをあの偽蝶が出た日以降、八千代が雪目の代わりをしていたらしい。
「それで結果報告でも来たのか?」
「結果報告……そうだね。考え得る限り最悪の、そして願ってもない報告だ。……私はやっと、目的を果たせる」
「目的……」
雪目は席を立つと、軽く荷物を纏め始めた。
どこかへ向かうのだろう──否、どこかというのは聞くまでもないのかもしれないが。
「すまない傑君。これから八千代に話を聞きに行くことにする。まぁ、この部屋は自由に使ってくれ」
「え、あ、ちょ──」
立ち上がり腕を伸ばすも、その腕は空を掴むだけであった。
雪目は足早に部屋を出て行くと、扉は勢い良く閉じられる。
外からは微かに、小走りで階段を下りる足音が聞こえてくる。
傑は取り残された部屋で1人、頭を掻いた。
「ったく。肝心なことは何も……あ?」
愚痴を言いながらも課題に戻ろうかと座り直すと、ポケットに入れていた携帯が震えた。
「姐さんか?……いや、違う」
榊からの連絡であった。
内容は「知りたければ来い」という一文と、指定場所の住所のみ。
まるでタイミングを計ったかのように、その連絡は──賽は投げられたのだった。
「……行くしかねぇか」
合鍵を取り、必要な物だけをもって事務所を出た。
自分が何を知りたがっているのかさえ曖昧なままではあるものの、興味本位か、そうでなければ何かしらの感情が、彼を突き動かしていた。
不思議な感覚であった。普段彼が直感的に動く時、それは大抵曲がった人間を見た時が殆どのハズだった。
階段を降り、道を駆け、坂を上がり、また駆ける。
そして20分ほどして、目的地へ辿り着いた。
榊屋と大きな看板の掛けられた、立派な店であった。
「自分の店に呼んだのか……」
思わず呟く。来たことも聞いたことも無かった店であったそれは、威風堂々、ただそこにあった。
「まぁな。ここなら俺の部屋も用意できる。話をするのにはちょうどいいだろう」
店を見上げていると、後ろから声が聞こえて振り返った。
そこにいたのは榊。相も変わらず不気味な出で立ちで、彼はそこにいた。
陽が落ちかけて辺りが暗くなり始めていたのが、それをより一層際立てていたと言える。
「デカい店だな」
何を言おうか迷い、そんなことを口にする。
店の名は知らなかったが、ガラス越しに見える店内にはまだ客の姿があった。
榊はそれを聞くと口角を上げ、自慢げな表情をした。
「数年前までは潰れかけてたような店だが、親父から店ごと分捕ってここまで育て直した。まぁそれはいい、取り敢えず入れ。和菓子と茶なら出してやる」
榊は傑の真横を通り、建物の裏口から店内へと入っていった。傑もその後を追う。
廊下を渡り、階段を上がり、案内された室内で待つ。
しばらくして、茶と菓子を盆に載せた榊が戻り、それをテーブルの上に置いた。
「こ、こんなにか…?」
かなりの量の菓子がそこには載せられていて、傑は問う。
「今朝の分はもうそろそろ下げるつもりだったからなァ。構わん、食えよ」
「……それならまぁ、貰うけどよ」
手を伸ばし、目に付いた物から口に運んでいく。優しい甘さであった。
それを見て、榊は話し始めた。
「それで本題だが、単刀直入に言う。龍崎、あの女から離れろ。死にたくなければな」
「はぁ?……死ぬ?」
食べる手を止める。冗談でも言われた時のような、乾いた笑いの混じった声が出た。
「おそらくアレも、しばらくすればお前に同じことを言うだろう──だが、その事情をあいつは説明しないだろう。そうなればお前は興味本位で首を突っ込んで死ぬことになる」
「いや、待て。何の話だ?どういう……てか、それに首突っ込んで死ぬって、んなバカな……」
「現にお前は今、あんなメールに従ってここまでノコノコやって来ただろう。そういう好奇心をしているんだよ、お前は」
返す言葉もなく黙り込む。何かを知るためにここに来たという行動は興味からのもので、それを否定することはできない。
「ここ数日、俺は八千代に言われて可能な限り情報を集めていたわけだが……その際、とある妖怪がこの街にいることが分かった」
「じゃあさっきのメールは……それの事だったのか」
メールを見て、何か悍ましいものでも見たかのような目をしていた雪目の姿を思い返した。
「以前、と言っても初めて会った時に言っただろうが、あの女は目的のためにしか動かない。これから先、あいつは自分が死ぬことになったとしてもそう動く。だから前もって忠告することにしたんだよ」
「……っ──な、なぁ、目的ってなんだ?そんなにヤバい奴がいるのか?」
「あれの目的は1つ。仇討ちだ。あいつは自身の姉を殺された恨みだけで動いている。だから相容れないのだが」
「殺された……」
2人いる姉のうち、片方は既に亡くなっていて、それは事件か事故に巻き込まれたものだと八千代は言っていた。
雪目は化物を嫌っていて、それは人ならざる者だけでなく、人を殺すような存在も含まれていた。
そして今の殺されたという発言。
「妖怪に殺されたのか……?それで、そいつが今この街にいると?」
「そういうことだ」
「……どういうヤツなんだ?」
「まぁ、そう来るだろうな──なら、九尾の狐という妖怪を知っているか?」
分かり易く溜息を吐くと、榊もまた和菓子に手を伸ばした。
「……まぁ、聞いたことくらいはあるが」
「そうか、なら次だ。それが今現在どうなっているのか、言ってみろ」
「何か、石にされたとかだろ?殺生石……だっけか?」
「そうだ。それはかつてこの国、否、この東洋の至る所でその姿を確認され、様々な国を転々とし、最終的にこの国にて石になったのだという」
それくらいなら聞いたこともあった。玉藻前、そんな名前で人間として生きていた妖怪、そう認識している。
「だがそれでも、武士や陰陽師が寄って集って追い回して、石に封じるのがやっとだ」
倒せなかったから封印をする。倒せないのに封印は出来るのかと思わなくもない。
実際生け捕りにするほうが殺すよりも難しいわけで。だがしかし、出来るのだろう。
現に出来ているのだから。
「封印……まぁそうも考えられるのか。……そいつが姐さんの仇なのか?」
「いや、違うな。九尾の狐自体は殺生石になった時点で力を失っている。力を失ったからこそ封印されるに至ったのだが」
「じゃあ何の話だ?」
「九尾の狐という妖怪は、元々はただの狐だ。それが長き時を生きることで次の段階へと進化、あるいは転生していくと言われている。狐は野狐となり、それが仙狐、天狐、空狐と位階を上げて行く。会社員でいうところの昇進というやつだ、そう考えておけ」
茶を啜り、話を戻す。
「ただの狐だったその存在は尻尾の数を増やしながら位階を上げていき、それと同時に様々な物を得る。知恵や感情、欲といったものだ。そうして九尾の狐になるころには人間とそう変わらぬ存在へと──いや、霊的な力を持った神にさえ等しい存在へと成るわけだ」
「はぁ……」
「故に、この尾の一本一本は九尾の狐をそれたらしめる力の源であると言える。そこで本題だが、こんな話が残されていてな。何でも、九尾の狐は石に封じられる際、この九つある尾の内の、後から得た八つの尾を斬り落とされたらしい」
九つの内の八つ。それを失いただの狐と同じに戻ってしまったが故に、抗うこともできずに封印されたのだろう。
それでも尚、周囲に、無差別に呪いを振りまいたというのだから強力極まりないのだが、しかしである。
「斬り落とされたって話が残ってるってことは……」
「ほぅ……なかなか勘がいいな。まぁ、あの女の影響だろうが。そうだ、斬り落とされて尚その尾は力を持っていた。そしてその内の何本か、一本だけかもしれないし全てかもしれないが、それは妖怪として新たな存在となり、未だに生き続けている」
「じゃあ石に封じられたのは……」
「全くの無駄だったという事だ。当時の連中もそこまで考えていなかったか、そもそも知らなかったか。それがどちらであろうと知ったことではないが、封じるのなら九尾の狐として封じるべきだったんだよ、あの石に封じ込められたのはただの狐と嫌がらせ程度の怨念だけ。むしろ狐がばらけて行動し始めた分、余計厄介になったと言える」
「その尾が姐さんの仇だってことか」
「あぁ、どれかというのは分かっている。……星狐、それがあいつの……無慈籠の仇敵だ」
会話の中で初めて出てきた単語である。狐の位階を示しているのだろうことは推測できたが。
「7本目の尾だ。主に人間に近い欲をそれは司っている」
「欲……か」
「欲だ。欲ほど恐ろしいものもない。九尾の狐もその欲に従い国を傾けてきたという話だからな。そして、星狐は九尾から分離した後、己が欲を満たす為だけに人間を欺き続けてきたという」
「欺く……詐欺ってことか?でもそれに巻き込まれるって……そんな人だったのか?」
「どういう意味だ」
「どういうって……そんな金持ちだったのかなって思ってよ」
雪目は特にそんなことは言っていなかった。尤も、自身の過去にはあまり触れていなかったわけだが。
「ふむ。お前は何か勘違いをしているようだな」
「勘違い?」
「詐欺師は金持ちなど狙いはしない。当然騙せれば実入りは大きいが、結局金持ちは騙せない。そういうのはドラマの中の話だ」
「……てぇと?」
「疑えるからだ。金持ちには疑う余裕が、要はヒマがある。迷い、怪しみ、考えるヒマがな。だが貧乏暇なし、そういう人間にはその余裕がない。だから目の前の美味い話にホイホイ乗って騙されるんだよ」
今日にも明日にも金の要る人間に悠長に悩んでいる時間などない。あるのは焦りだけ。
そんな時に良い話が舞い込んできて、付け込まれて、騙される。
そういう事かと彼は納得した。
「まぁだがいずれにせよ……間違いないのは、『あの女の姉は狐に化かされ、挙句の果てに命を落とした』という事だ。それ以来奴はこの妖怪を追うためだけに生きている。目的は復讐、言ってはなんだがくだらん人生だ」
「くだらないって……そんなん……」
「いつまでも死者に執着し、その影を追って何になる。そもそもだ龍崎、お前を側に置いているのだってただの偶然などではない。お前はこの世ならざる者に触れたからだと思っているのかもしれないが、あいつはただ死んだ姉に似ていたから興味を持っただけだ」
いかにも、まるで雪目の姉と面識でもあるかのように言った。
細い目から覗く真っ黒な瞳が、傑を睨みつけている。
「お前と同じように正義感の強い人間でな。暴力で物事を解決する類の人間ではなかったはずだが、そういう人間だった」
「知り合いか何かなのか…?」
「……何だっていいだろう。もうこの世にはいない人間の話だ。それよりも、お前はこれからどうするのか、そちらの方が重要と言える」
「どうするったって……」
「今度はこれまでの様な存在ではないという事だけは確かだ。奴は妖怪を悪意を持って操り、人に差し向ける。今までと同じようになんだかんだで上手く行くなどと考え不用意に手を出せば、強烈なしっぺ返しを食らうことになるぞ」
真剣な口調で、そう忠告した。ただの妖怪が相手ではない。
知恵もなく、殴ればそれに応じて逃げて行くような存在ではない、そう言われた。
「それにな龍崎、悪い知らせというものもあってな──」
そういって話を続けようとしたとき、傑の携帯が鳴った。
それを無視し、榊は言葉を続ける。
「──お前が行っても、いや、あの女が行ったところでどうにもならない可能性が高い。というより、ほとんど誰が行っても失敗に終わる、そんな悪い知らせだ」
傑は画面に目を落とした。雪目からである。
『傑君、この街にとある妖怪が存在していることが分かった。ただ、それは悪魔か何かと手を組んでいる可能性が高いみたいでね、今回君の出る幕はない。という事で、私達の方で適当に片付けておくから、しばらく仕事はお休みにしてくれよ』
そう書かれていた。榊の話を信じるのであれば、このしばらくに終わりはあるのだろうか。
「もう夏休みも終わるんだ。妙なバイトに明け暮れるよりも大事なことがあるはずだぜ、龍崎」
前から声がして顔を上げ、榊の顔をじっと見つめた。
妖怪が悪魔と手を組んだ。その時点で傑にはどうすることもできない。当然、雪目達にだってどうしようもないだろう。
対処できるとすればそれこそ颯か、楓か、生徒会長か。それくらいである。
しかし。
「なら────」
自分が──と、そう言おうとして、再び携帯が鳴った。
画面に目を落とすと、短く追伸が来ていた。
『それと、化物になろうだなんて考えてはいけないよ』
見透かされていた。
言おうとした言葉を、封じられてしまったのだった。
その日はどうすることもできずに帰っていったが──それからしばらくして、夏休み明けの事であった。
颯が消えていたということを彼が知ることになるのは。




