籠り神
「……美味いなこれ」
雪目が化物を引き剥がしている中、傑は最初に目に入ったファミレスで1人、少し遅めの夕食を取っていた。
24時間営業の店だが、やはりこの時間だと人は少ない。
それでもまばらに座り食事をする人の姿を隅の席から見ていた。
彼はこういう店に入る時、店側に指定されない限りは隅の席に座るようにしていた。
窓辺に座ればその近くを通りかかった人がその店に入るのを躊躇うのでは、店に入ってすぐ目に付くところに居れば踵を返してしまうのでは、そんなことを考えては、隅の方に陣取るのが癖になっていた。
自意識過剰なのだろうか、そう思うこともあったものの、それくらいの自覚をもって生きなければいけない人間なのだと、彼は自分に対して常々言い聞かせている。
輩を相手にする分にはいいのだ。見る人を怯えさせる顔も、そういう場においては効力を発揮してくれる。
尤も、その顔の所為でその類の人種に絡まれることも多いわけだが。
彼にとって、悪ガキもチンピラも半グレもヤクザも関係ない。それが悪なら潰すまでである。
この間にしてもそうであった──夜間に近所を闊歩していた時の事である。
どこぞの組織の若い構成員であろうか、そんないかにもな輩に絡まれた。
何処の組の者かと聞かれ、高校のクラスを伝えたら喧嘩になった。
当然と言われればそうかもしれないが、噓は言っていない。
それで殴りかかってこられたのだから、その後の対応など一つしかないというもの。
結局その時は上の人間が出てくるまでひたすらに殴り続けることになり、殴りつけていた腕が少し傷んだのを思い出した。半殺し──九割九分九厘殺しであった。
「……ん?もう終わったのか」
その時、テーブルに置いてあったスマホの画面が光り、そこに雪目からのメッセージが表示された。
恙なくとはいかなかったものの、必要なことは全て済ませたから、戻って来ても、そのまま帰ってもらってもいいと、そんな内容であった。
「……結局何だったのかは気になるしな」
まだ料理は少し残っている。
それを見ながらそんなことを呟いたが、急いで食べる必要もないだろうと、彼は10分ほどかけて食事を済ませた。
折角だという事で、普段なら頼まないようなものや、1つだと微妙に足りないものをいくつか頼むなどの小さな贅を尽くしていき、渡された五千円は全て使い切った。
何故そんなことをしようとしたのかは本人でさえ首を傾げるものであったが、恐らく、ささやかな反撃のようなものだったのだろう。
店の外に出るとむわっとした夜風が頬を撫で、傑は足早に雪目の家を目指して歩いて行く。
雪目の家を出てからおよそ1時間ほど。
再び戻ってきた雪目の家で、事の顛末を聞くことになる。
「おかえり。まぁ掛けなよ。気になるのはわかるけどさ」
「はいよ。そりゃ突然追い出されたら気にもなるだろ」
「だろうね。けど、やはり私の予想通り、君に出来ることはなかったし、君はあの場に居なくて正解だったよ」
雪目は酒を炭酸で割ると、残った炭酸水を傑に差し出した。
言いたいことはあったが、取り敢えずそれで喉を潤すことにした。そこまでの距離を歩いたわけではなかったが、存外喉が渇いていた。
「ふぅ……。で、悪い奴じゃなかったって事だろ?どういう奴だったんだ?」
「あぁ。籠り神という妖怪だったよ。彼女のダンゴムシという説明だけでは、さしもの私も分からないワケだ」
「籠り神?引き籠りみたいな感じか?」
「引き籠りとはまた少し違うかな。籠り神……子守の神とも、木を護る神とも言われている。まぁ、守護神に近い存在だよ」
「守護神……グソクムシの守護神か?」
「いや、そもそも籠り神に特定の姿形はなく、その人間の脳内にある何かの姿を借りて現れるらしい。多分彼女はそれが見え始めた頃、ネットか何かでグソクムシの姿を見たんだろう。アレはなかなか不気味でインパクトの強い生き物だからね。籠り神は、彼女の脳に残っていたそのイメージを、自分の姿を作るのに利用した──といったところだろう」
「それでグソクムシか……もう少しマシなのもあっただろ」
「確かに。よく言われているのは、親や友人やペットだとか、その本人が信頼していたり仲がよかったりと、そういう相手の姿を借りることが多いのだそうだ──しかし、今回ばかりは少し事情もあってね、出来るだけ不気味な見た目をしていなければいけなかったんだよ」
「そういうこともあるのか……でもよ、噛んだりしてたってのは何なんだ?守護神だったら普通そいつのこと守ってくれるもんじゃねぇのか?」
「あぁ。守ってたんだよ、ちゃんと。彼女が壊れてしまわないように、あの籠り神は自分にできる事をしたんだ」
「壊れる……?」
彼女がそれを見るようになったのはその母親が亡くなってからだと言っていた。つまりはその死の悲しみ、苦しみ、寂しさ。そんなものから彼女を守っていたと、そう言うのだろうか。
だがしかしだ。わざわざ目の前に現れて別の悩みの種を作る必要性がどこにあるというのか。現れるならせめて彼女の母親の姿を取るべきなのではないか。
それができないと判断したにしても、神というのだからそれっぽい力でそれとなく支えてやればそれでよかったのではないのか。
そんな考えが傑の脳内でクルクルと回っていた。
──いや、違う。
それらの考えを全て否定し、吹き飛ばした。
彼女曰く、母親の死からは立ち直っているはずなのだ。
勿論、完全に断ち切るなどということはできていないだろうが、それでも心が壊れてしまうような苦しみの中に、彼女は既にいないはずなのだ。
初めの頃であればいざ知らず、今となっては籠り神の役割など無いはずで、いまだにそれが見えているというのはどうにもおかしな話である。
「そうだ。彼女を傷つけていたのは籠り神ではないんだよ。残念なことにね」
考え込んでいた傑の耳に、雪目の低い声が届き、彼は顔を上げた。
「別の奴に何かされてた……って事か?」
「簡単なことだよ。得られた情報に少しの憶測を足せば、答えには簡単に行き着く」
雪目は無表情のままそう言った。自分で考えてみろということらしく、傑は脳内を整理していく。
夜、寝ている時にしか現れない。
籠り神は覆い被さり、体を這って、時折噛み付いたりもする。
彼女、夢乃の家族仲や友人関係に問題は無い。
頻度自体はバラバラなものの、共通点として、襲われる日は何故か眠くなるのがいつもより早い。
これくらいだったかと記憶を辿っていく。そしてここに少しの憶測を足せと、雪目は言った。
しかしだ。どんな憶測を足せばいいのかというのが分からないと、彼はそこで行き詰まり、
「……そうだ、別の奴……」
ついさっき出たばかりの情報を失念していたと、彼は考え直す。
籠り神は別の誰か、もしくは何かにされた事から彼女を守っていたという。
しかしその方法は何度も言った通りのことで、そこから考えられることというのは何か。
「夜に……寝てる時……這う──っ、まさか」
それはつまり、そういう事であった。
「そうだ。籠り神はもうそれしか手段がないと考えたのだろうね。自分を悪者にする事で彼女の心を守った。そのせいで、彼女は自分が被害に遭っている事を認識しているのにも関わらず、それを認識できていないという、おかしな状態に陥っていたワケだが」
「……心配かけたくねぇって言ってたのに、その相手が犯人か。ふざけてんな」
聞かなければよかった、気にならなければよかった、そう思い始めた。
「籠り神に少し離れてもらったら彼女、泣きながら話していたよ。もう既に母親はこの世にいなくて、だからと言ってそんなことを話せるような相手も身近にはいない。そしてそのうち、あのグソクムシが見えるようになった──と」
「でも、何で……」
「動機なんて所詮知れたものだよ。妻を失った辛さや寂しさを、娘で紛らわせようとしたんだろう」
「……じゃあ、姐さんがしてたのは」
「事情聴取と連絡だ。彼女はひとまずそっちで保護してもらって、早ければ今日にでも父親の方に人が行くだろう。今後どうなるかは彼らの手に依るけど」
「そうか。……籠り神は?」
「話を聞き終わったら再び彼女のそばについていたよ。まぁ、あくまでも護ろうとした結果だ。私はそれをどうこうしたりはしないし、あの子にはまだアレが必要だろうね。……少し離れてもらうだけでかなり抵抗されたし」
雪目は両手をプラプラと揺らし、疲れた疲れたと口にした。
「無責任かもしれないけど、後は籠り神に任せることにするよ」
「他人の人生にまで責任は持てない……からか?」
「あぁ、そういうことだ。傑君、君も彼女の為に怒ってやれるのは立派だが、その怒りにはもう宛先が無いんだ。早いところどこかへやっておいた方がいいと思うよ」
「そう……だな」
彼が握られた拳を解くと、その腕はだらしなく枝垂れた。
その日はそれで終わったワケだが、ただただ胸糞の悪さだけが心に残ることになった。




