グソクムシ
「さてと。君の身に起きていることは大体聞かせてもらった。しかし、聞いたのは所詮概要でしかない。君がどういう状態なのかを把握するためにもこれからいくつか聞かせてもらうわけだけど、いいかな?」
「はい、大丈夫です」
彼女は姿勢を正し、恭しくお辞儀をして見せた。
「まずは……君の名前から聞こうか。私は雪目。無慈籠 雪目という。よろしくね」
「こ、小森 夢乃です。よろしくお願いします」
彼女、夢乃は手に取ろうとした紅茶から手を放すと、慌てたように名乗り、再び頭を下げた。
「それで?巨大なダンゴムシに襲われるという話だったわけだが……」
「はい、白いダンゴムシが……夜寝てる時に……」
「寝てる時に──か。それ以外ではないんだね?」
「はい」
「どれくらいの頻度でなんだい?」
「週に1回とか、多いと4回とか、それくらいです」
「バラバラなわけだ……共通点があったりとかは?」
「共通点……あ、早く寝た日が多い気がします」
「早く寝た日?」
「はい。普段は10時くらいに寝てるんですけど、襲われる日は大体それよりも前に眠くなるんです」
雪目は一度質問を止め、紙にペンを滑らせていった。
「なるほど──じゃあ次に、友人関係や家族関係で何か困った事は?」
「え?あ、ありません。友人とも、父とも、仲は良い方です」
突然方向性の切り替わった質問に戸惑ったようであったが、すぐに取りなおして答えた。
「勉強だとか進路だとかで不安を感じたことは?それ以外でもいいけど、何かストレスを感じるようなことは?」
「ええと……」
「あぁ、すまない。そのダンゴムシ以外の事で頼む」
「……数年前に母が亡くなって、それからしばらくしての事だったので、もしかしたらそれが……かもしれません」
「……そうか。思い出させて悪いね。だがついでだ、両親はどうだい?お互い、仲良くしていたかい?」
「もうそれなりに落ち着いてますから……2人とも凄く仲が良くて、私も一緒に、いろんなところに遊びに行ったりもしてました」
「なるほどなるほど……」
「何か分かったのか?」
「いや、全く。てっきり坐魚の様な存在に憑かれているのかとも思ったのだが──精神的なモノではないのかな……」
考え込むような仕草をした雪目を見てそう尋ねた傑ではあったが、どうやら今得られた情報だけでは何も分からないらしい。
「なぁ姐さん。金縛りとかって線はないのか?」
金縛り。それなりの割合の人間が体験することのあるそれであるが、夢か現実か分からないという彼女の証言は合致しているように思えた。
そして白いダンゴムシ。これは白い服を着た幽霊がそう見えていただけなのではないのか、そうとも考えられ、傑は雪目に尋ねた。
「確かに10代の思春期、とりわけ女の子は金縛りにあう確率が高いというのは聞いたことがある──が、金縛りは霊的なモノではない」
「でも金縛りって言ったら霊が見えるようになる奴だろ?」
「アレは睡眠麻痺と名前の付いた、科学的に証明もされているものだ。霊が見えるというのも、視界のぼやけや夢を現実と誤認したが故の報告に過ぎない。それに、その頻度で金縛りにあっていたら身体にも何かしらの影響が出るはずだ」
「そうなのか……」
「だが困ったな。白いダンゴムシ……それが本当にダンゴムシなのかも分からないが、私の知る限りそんな存在はないんだよ」
「そんなことあるんだな」
「私は何もかもを知っているわけじゃない。ただ、私が知らないとなると本当にマイナーな存在の可能性がある。しかし、そういった存在が何故今日に現れる事ができるのかの見当がつかない──仕方ない、こうなったら」
「こうなったら……?」
2人は夢乃に聞こえないような声で会話していたが、雪目はそれを止めると、再び彼女に向き直った。
そして紙とペンを差し出した。
「うろ覚えで構わない。君の認識がそうだと思ったもので構わない。その白いダンゴムシとやら、ここに描いてみてくれるかい?」
そう言うと、彼女は少し目を瞑り、ゆっくりとそれを描き始めた。
それはダンゴムシにも見えるが、どこか違うような気がした。
「これは……グソクムシ、だね。確かにダンゴムシにも似ているが」
雪目はその絵を自分の側に向けると、観察を始め、呟いた。
グソクムシ。海の生き物らしい。
「これなら何か分かるのか?」
「うん。こんな妖怪は存在しないという事が分かった」
「は?」
「そもそもグソクムシは海底を這う海の掃除屋だ。この国で発見されたのも最近の話で、妖怪になる下地が無いんだよ」
「じゃあ何なんだよこれは」
「慌てない慌てない。それに、まだ大事なことを聞いていない」
「大事なこと?」
雪目は再び夢乃の方を向いた。
「これに襲われると言ったわけだが、そう一口に言ったって方法はいろいろあるはずだ。どういう風に襲われたというのか、覚えている範囲でいい、説明できるかい?」
彼女は少し言い辛そうにして目を伏せていたが、そのうち顔を上げて話し始めた。
覆いかぶさる、体中を這うような感覚がある、といったものが主だそうで、叩かれたり刺されたりといったことはないらしい。
が、何度か首元を噛まれたともいう。
ジッとしていればそのうち終わるのだそうだが、それが嫌で嫌で仕方が無いと、夢乃は涙交じりに話した。
「…………なるほど」
「分かったのか?」
「……あぁ。その妖怪は悪ではない。善かと言われると少し微妙だが」
「でも噛まれてるんだろ?」
「まぁね……傑君」
雪目は横の椅子に置いてあった鞄から財布を取り出した。中を漁り五千円札を取り出すと、傑に手渡した。
「何だよいきなり」
差し出されたので受け取ったものの、意図が分からず雪目の顔を見た。
苦い顔をして、怒っているようにも見えた。
「これ使ってくれていいからさ、どこかで時間でも潰していてくれないかい?」
「は?」
「このマンションを下りて大通りの方に出ればファミレスでも何でもあったはずだから」
「ちょ、ちょっと待てよ。いくら何でも脈略が無さ過ぎるだろうがよ」
「事情は……後で説明するよ。少なくとも、これ以降君にできることはない」
「いや──分かった。じゃ、終わったら連絡くれや」
有無を言わさぬその態度に、傑は戸惑いつつも頷いた。
出来ることはないとはっきり言われたのだ。食い下がるのもみっともないと、そう考えた。
雪目は傑が出て行くのを見送ると、扉の鍵をかけ、夢乃がいるリビングへと戻る。
「えっと……な、何が……」
「少しね。私だけの方がいいと判断したんだよ」
「……?」
「これから、君を苦しめていたその妖怪……いや、化物かな。それを引き剥がすんだ」
「取れるんですか?」
「あぁ。だが、君にとっては相当な苦痛になる」
「苦痛……」
「それも心が壊れてしまいかねない様な苦痛だ。分かってしまった以上実行するしか無いのだが、覚悟だけはしておいてくれ」
夢乃はぽかんと口を開けていたが、唾を飲み込み、こくりと頷いた。
「じゃあ準備するから、シャワーでも浴びてきてくれ」
雪目は隣の部屋の戸を開けると、振り返って言った。脱衣所を指差すと、夢乃はてこてこと歩いていく。
それを見送って適当に繕った着替えを置くと、この家で唯一綺麗に保たれているその部屋へと入った。
「ここから先は人間の領域だが……これまで護ってくれた神様への礼はしなくてはならない。……が、それにしたって碌でもない」
雪目は独り、暗い部屋の中で舌打ちをした。




