ダンゴムシ
夜の繫華街。この時間だというのに、辺りは未だに明るい。
等間隔に設置された街灯の明かりをかき消すように、店の黄色い照明が自己主張を続けていた。
眠ることのないこの街は今日も人で賑わっている。夏休みに乗じてこういう場に繰り出す学生の姿もちらほらと見られた。
そして、どこかつまらなさそうに歩く高校生。
傑もまたその1人である。尤も、その目的は日頃の鬱憤晴らしであるのだが。
この時間は彼の様な威圧感のある容姿の人間が歩いていても、あまり目立つことはない。
だがそれでも、彼は道の端を歩く。これが癖なのかは本人でさえ判然としないが。
「……眩し」
横顔を照らす光の強さに思わず目を細める。
世では節電だ何だと聞くものの、所詮はこんなものである。ガンガンと電気を消費し、街を染め上げていく。
しかし、そうでない場所もある。
どこもかしこも明るいものであるが、光は全てを照らせない。何事も、端にまでは届かないのだ。
「ん……?」
ふと足を止め、3歩下がって路地を覗き込む。
建物と建物の狭間、その細く薄暗い空間に、彼女はいた。
フルフルと、何かに怯えるようにしてしゃがみこんでいた。
本来の目的とは少し違うが、彼はその路地にへと入っていく。その体格ではギリギリの道に、他の人影はない。
何か事件にでも巻き込まれたのかとも考えたが、どうやらまた少し違うのかもしれないと、彼女に話しかけてみることにした。
──が、結果は本人の想定していた通りのものである。
案の定怯えられてしまい、しばらく会話にもならなかった。叫んで人を呼ばれたりしなかったのが唯一の救いではあったものの、身の振り方には気を付けねばと、そう思い直した。
「で?こんな時間にこんなとこで何してんだ」
彼女はクラスの女子なんかと同じくらい、誤差はあるかもしれないが、歳としてはそう変わらなさそうに見える。
ただ、恰好としてはどうにも場違いというか、この繁華街を歩きにきたのでないことは理解できる。
「寝たくないから、逃げてきたの」
そんな彼女は顔を少し上げ、そう答えた。
「寝たくないから逃げてきた……よく分からんな。ただ夜更かしがしたいって感じでもなさそうだけど」
彼女は膝を抱え込むようにしていた腕を強く寄せ、顔を埋めた。
「寝たらアイツが来るから、ダメなの」
「アイツ?」
「アイツが──デカいダンゴムシが来るから」
「ダンゴムシ……って、あのダンゴムシだよな……デカい……デカい?」
理解できなかった。
ダンゴムシといえば小さい虫で、指先ほどの大きさしかないものだ。それがデカいというのはどういうことか、それにたかがダンゴムシ如きがデカくてどうして怯える必要があるのか、すぐには理解できなかった。
しかし同時に、彼女が嘘偽りや冗談でそれを言っているわけでないことも理解できた。
「夢見が悪いのか?」
パッと思いついたのはこの程度。
もしそうであるならば、食生活や生活習慣そのものの改善でどうにかなることが多いし、それでも無理なら医者に診てもらうことだって出来るのだ。
「夢なのか現実なのかも分からない。けど、デカいダンゴムシが襲いかかってくるの……」
傑の脳内には、彼女が巨大ダンゴムシのローリングアタックをお見舞いされるという、何とも間抜けな図が思い描かれていた──しかし、彼女の憔悴しきったその様子は、実態がそんなコミカルさとは程遠いものであることを示していた。
「親とかには相談したのか?」
「してない」
「してみろよ。それで医者に行くなら連れてってもらえるだろうし──」
「パパに……お父さんに、迷惑かけたくないの。1人で頑張ってて、仕事も忙しいみたいだから、余計な心配させたくないの」
どうやら彼女は片親らしいと、迂闊なことも言えなくなってしまった。
「でもなぁ……そのせいでお前がこうしてこんなとこにいるのもそれはそれで心配だろうし、自分の所為で相談すらできねぇってんならそれこそ本望じゃねぇだろ。だから一回──いや、待て」
その時、以前見たとある人物を思い出し、彼は言葉を止めて考え始めた。
魚見 優花。坐魚に憑りつかれて幻覚を見続けていた彼女の事である。
もしかして。そんな考えが脳裏をよぎり、彼は雪目に連絡をとってみることにした。
既に営業時間は過ぎているが、電話でもかければ流石に出るだろうと、スマホを耳に当てた。
「──もしもし?こんな時間に何か用かい?」
雪目は2回目のコール音が鳴り終える前に電話を取った。
何かを食べているのか、咀嚼音交じりの声と箸を置くような音がする。
「それがよ──」
彼は事情をかいつまんで説明していく。表が少しうるさく、もう片耳を塞ぎながら電話をした。
「なるほど。ダンゴムシねぇ……」
「そういう妖怪っていたりするのか?」
「ダンゴムシというのは少し心当たりが無いかな。ただ、もうこんな時間だ。彼女をそこに放置するわけにもいかないだろうし、かといって警察に補導させても問題解決には至らないだろう。周囲の音から察するに、傑君のいる場所は私の家からもそれなりに近いハズだ。彼女を何とか言いくるめてここまで連れてきてくれ」
「姐さん、無茶言うなよ。それこそ誘拐じゃねぇか」
「もしもの時は私がなんとかするさ。君に不利益は被らせない」
そこまで言うと、プツリと電話が切れた。仕方が無いと、傑は重い腰を上げて説得に向かうことに。
「電話終わったの?」
「あぁ。……なぁ、お前はそのダンゴムシとやらをどうにかしたいのか?」
「で、出来るの?」
彼女は頷くと、救いでも求めるかのような目で傑を見上げた。
「いや、俺は無理だ。ただ、そういうのに詳しい奴はいる」
「詳しい……?」
「どうする?行くか?」
怪しいとは思ったのかもしれない。しかし、彼女自身他にどうする手立てがあるわけでもなく、その提案を飲むことにした。
道中、いくつか会話を挟みながら雪目の待つあの部屋へと足を進めた。
彼女の母親は何年か前に病気で亡くなっていて、ダンゴムシとやらが見えるようになったのはそれからしばらくしての事であったらしい。
「それは……毎日見えるのか?」
「来る日と来ない日がある。2日続けて来るときもあるし、3日くらい開く時もあって……」
定期的に来るものでもなく、来たり来なかったりだという。それでも、週に一度は必ずダンゴムシに襲われるのだと、彼女は語った。
「寝てる時にしか来ないのか?」
「た、多分……それ以外では見たことないから」
考えられることとすれば金縛り辺りがそうなのかもしれない。
と、そうしているうちに雪目の部屋の前に着いた。
「ここだ。変な奴だが、悪い奴ではない。多分」
「無慈籠さん……」
彼女は表札を見ていた。
傑はインターフォンを鳴らすと、試しにノブを回してみた。
何の抵抗もなくノブは回り、扉は開かれる。
「開いてんじゃん……」
不用心なものだと顔を顰めた。
「やぁ、夕方ぶりかな……その子が、か」
傑の後ろにいた彼女の顔を覗き込むようにして、雪目は手を振った。
「立ち話もなんだ、取り敢えず入りなよ。少し散らかってるけど」
傑が靴を脱いで奥へと入っていくと、彼女もそれに倣った。
「お邪魔します」
雪目は彼女を座らせると、紅茶を淹れてその向かい側に座った。
傑は相変わらず散らかっている部屋の片づけをしながら、その話を聞くことにしたのだった。




