偽物
「やっほ〜……って、あれ?雪目いな──ヒィッ!」
事務所のドアが開かれるや否や、和服に身を包んだ八千代が小さな悲鳴をあげた。
室内にいたのは傑1人。雪目はコンビニに行くと言ってから30分ほど、未だ帰ってきてはいなかった。
遅い。そう思い連絡してみようかと考えていたところに、八千代が来たのだった。
傑は八千代の方を見てため息をつく。初対面でもないのに怯えられたというのが気に食わなかった。
いつものことではあるのだが。
「いや、ごめんね?でもさ、どう考えても高校生の風格じゃないんだよ!怖いもんは怖いんだよ!」
そんな様子を察したのか、八千代は言い訳を始める。
以前、初めて出会った時よりも砕けた口調で話しているのは、彼女なりのせめてもの意思表示なのだろう。
それを真顔で聞き流していると、八千代はローテーブルの上に持っていたビニール袋を置き、中から箱を取り出し、冷蔵庫に入れた。
「何だそれ?」
「差し入れ差し入れ〜。来る途中にケーキ屋さんがあったから買ったんだよ。おかげで帰りの運賃ちょっと足りなくなったけど」
「バカじゃねぇの?」
「なっ──い、いいんだよ。どうせ雪目に借りるだけだし」
八千代は冷蔵庫から離れ、傑の対面に座った。
しかし、座るや否や早々に立ち上がると、緑茶を淹れに行った。勝手知ったる我が家のようにコップを取り出し、冷蔵庫の中にあったそれを注いでいた。
忙しないと、傑はそれを見て内心思った。
「ふぅ。あの時はあんな感じだったけど、今はもう大丈夫そうだね。よかったよかった」
怨霊に追いかけ回された時のことを言っているのだろう。
「あぁ。そういえば、礼もできてなかったな。助かった」
結局は失敗したわけだが、それでも協力してくれたというのは事実。
「まさかあそこまで抵抗されるとも思ってなかったよ。体外と体内にこれまで張り続けてきた結界が半分以上削られちゃったし、途中で諦めてくれたからよかったものの、粘るタイプだったらやばかったね」
「それは……あんまピント来ねぇけど、迷惑かけたな」
「んーん。にしても、雪目が言うにはあの怨霊、悪魔に喰われて消滅したって聞いたけど…アレどういうことなの?聞いても大して教えてくれないんだよね」
教えなかったというのは何か理由があるのでは、そう思いもしたものの、実際起こった事はその通りでしかない。
興味津々と言った八千代の顔を見て、傑はもう少しだけ詳しく教えることにした。
「──ってな訳だ。それがどこの誰かまでは言えねぇけどよ」
「なるほど。悪魔憑き……話には聞いていたけど──ま、雪目が言いたがらないハズだよ」
自身が化物と呼んでいた相手に命を救われたこと。そんな話、他の誰にもできるわけがない。
雪目は恐らく、傑がいなければ意地を張って死んでいたかもしれない。
ずっと、ずっとずっと気にかかって仕方のなかったことではあったが、いい機会かもしれないと、八千代に尋ねてみることにした。
「なぁ、雪目の姐さんは何でそんなに人間かどうかに拘るんだ?」
八千代はそれまでの笑みの混じるような表情を止めると、複雑そうな表情で言葉を濁した。
本人の事情をそれ以外の人間の口から言わせるのに若干の抵抗はあったが、それほどまでに重い何かがあるのかと、そう考えずにはいられなかった。
「私も雪目とはそれなりの付き合いだけどさ、そこはどうにも……ね」
「あぁ……いや、すまん。聞かなかったことにしてくれ」
怖気付いたのだろうか。もしそうであるならばおかしな事だと自分でも思ったのだろうが。
傑がそう言って話を切ると、部屋には気まずい空気だけが流れる。
一度成り行きで会うことになったとは言え、所詮はその程度の関係。話題があるわけでもなく、沈黙が続いた。
雪目は未だ帰らず、彼女が間に入ればまだ少しはと、お互いしきりにドアのほうへと視線を送っていた。
そしてその数分後。コンビニに行っただけにしてはやけに遅く、雪目は帰ってきた。
ドアが開かれ、2人の視線が同時に向けられた。
片方は安堵を、もう片方は疑念を孕んだ視線であった。
と同時に、傑の鼻にこれまで嗅いだことのない匂いがついた。
花を間近で嗅いだ時のような、そんな匂いが。
「あ、八千代。もう来てたんだ。意外とお早い到着だね」
「……うん、まぁね。予定より早く着いてさ。そうそう、途中でお店見つけてケーキ買ってきたから食べようよ」
八千代はどこか訝しみながら、雪目との会話を始めた。
初めこそ、この気まずい空間から解放されると安堵していた傑であったが、その様子を見て少し、何の確証もないままにとある疑問を抱いた。
「ケーキケーキぃ」
八千代は軽快に冷蔵庫へと向かうと、箱を取り出し、近くへと置いた。
小皿などの食器やコーヒーを淹れる用意をしつつ、雪目と傑に問いかけた。
「2人ともさ、ケーキどれがいい?」
買ってきたのはホール型のものではなく、それぞれ選べるようにと種類別に買ってきたのかと、傑は箱を覗き込んだ。
入っていたのは抹茶ケーキにティラミス、それからモンブランと、レモンの乗ったチーズケーキであった。
何故4つあるのか。オマケでもしてもらったのかと思ったが、箱に書かれたロゴはチェーン店のもの。
個人の店ならいざ知らず、全国展開しているような店ではキャンペーン中でもない限り、そんな勝手なことはできないハズだ。単にそのキャンペーン中という可能性もあったのだが、傑はそれが少し気にかかって尋ねた。
「何で4つあるんだ?」
「ん?……あぁ……つい、癖でさ。まぁ食べ盛りの君ならこれくらいの物、腹の足しにもならないでしょ?」
少し言葉に詰まりながら、八千代はそう答えた。
「さぁさ、それより、どれがいい?」
「じゃあ……これで」
そう言って選んだのはティラミス。
特に好みがあったわけではないが、その時はそれが1番美味しそうに見えた。ただそれだけであった。
「やっぱり男の子はそーゆーの選びがちだよね」
それを見た八千代は、何かを考えながらうんうんと頷き、コーヒーを淹れていく。
「あれかな、あまりにも女の子女の子した物は敬遠しちゃうけど、苦味のあるやつならそれも軽減される……みたいな」
「まぁ、あるかもしれねぇな」
思い当たらないでもなく、傑はそれを肯定した。
そういう物も嫌いではないが、如何せんこの顔に合わなすぎると、無意識に、或いは意識してそれを遠ざけていたのは事実であった。
「とは言え、あんまり見た目の派手なのは形が崩れても嫌だからって買わなかったんだけど。……で、雪目は何でもいいの?」
コーヒーを3杯淹れ終わったところで、八千代は雪目に声をかけた。
雪目は何やら棚を漁っていたようで、箱の中をみたりなどはせず、会話に混じることも無かった。
「ん……?あぁ、何でもいいよ」
「そう……じゃぁ、モンブランでも?」
「あぁ、構わない」
その答えに、八千代は目を細くした。
「……分かった。ねぇ雪目、包丁ってどこに置いてあったっけ?」
そして何かを確信したような顔をすると、雪目にそう問いかけた。
またしても、傑は違和感を覚えた。
今までずっと何がどこに置いてあるかを把握しているかのような動きで食器を準備していたはずの八千代が、突然そんなことを聞いたのだ。
それも、雪目に聞くよりそこら辺を開けてみて探した方が早いに決まっている。それなのに八千代は自分で探す素振りも見せず、ただ背中を向けたままの雪目を見ていた。
「え?……と、確か上の、右から2番目の引き出しに入ってなかったかい?」
「そう、ありがと」
八千代はそう言うと、雪目が言ったのとは全く別の引き出しを開け、包丁を取り出した。
その動きに迷いはなく、やはり初めから分かっているようであった。
「ん?」
傑はふとケーキを見た。
包丁で切るまでもなく元から綺麗に切られているそれを、一体今更どうしようというのか。
視線を戻すと、八千代は右手に包丁を持っていた。
──否、構えていた。
そして、傑が気がついた頃には走り出していた。
「え、あ、おいッ!」
「消え失せろぉぉッッ!!」
傑から伸びた腕は、空を掻いた。




