巻きも鳥
ちょっとした違和感であった。
甲高く鳴り響く目覚めの音。それを黙らせると上体を起こし、脚に掛かった布を払いのける。
カーテンを開け放ち、部屋を出ては、顔を洗って目を覚まさせる。
両親となんて事のない会話をしたりしながら朝食を取り終えると、服を着替えて外に出る。
毎朝日課にしているランニングを済ませ、腕立てとスクワットを軽く200回。これが彼のいつもの朝だ。
そう、いつもの朝なのだ。
そして、昨日も見たはずの朝でもあった。
傑の顔は、鏡などで確認するまでもなく青くなっていった。
そして、彼は急いで雪目のもとへと走っていった。
△▼△▼△▼△▼△
「姐さんッ!」
街中を疾走していき、目的の建物へと入っていく。人はそれなりにいたのだが、傑が通ろうとすると海のように割れていった。
ドタバタと階段を駆け上がり、事務所のドアを勢いよく開く。
「傑君じゃないか。朝から元気がいいねぇ、お姉さんにもその元気を分けてもらいたいものだよ」
エアコンの効いた涼しい部屋の中、雪目はパタパタと団扇を扇いでいた。
「元気なんじゃねぇ!大変なんだって!」
「大変?今日も今日とて、曖昧な平和は絶妙な感覚と奇跡の連続で保たれていると思うけど?」
「その今日が連続してるんだって!」
「…………はぁ。まぁ、取り敢えず掛けなよ。君が置いていった飲み物もあるし。……これ別にここに置いていく必要もなかったと思うのだけど」
「それは……どうせここ来るしと思ってよ」
雪目はグラスを取り出すと、冷えた緑茶を注いでいった。
傑は腰掛けると、雪目からそれを受け取り、一気に飲み干す。
喉が潤されていき、熱くなっていた身体は冷やされた。
「で?何があったのか、聞かせてもらおうじゃないか」
「その、なんだ……アレだよ。昨日も今日なんだよ!」
「なるほど。傑君が混乱しているということはよく分かった」
「混乱……もしてるかもしれねぇけど、そうじゃなくて…!」
「あぁ。安心してくれ。言いたいことも何となく分かったからさ。要は、今日というこの日がループしていると、そう言いたいんだろう?」
「そう!そうなんだよ!」
傑は何度も頷いた。
「だが傑君。それはおかしいんじゃないのかい?」
「お、おかしい?」
「だって、今日がループしていたとして、何で君はループに気がつけるんだい?普通なら記憶もリセットされるはずだ」
言いたいことは伝わったものの、反論の余地もなく否定されてしまった。
彼がこれに気がついたのははっきり言って勘でしかない。何となくそう感じたというだけで、それを断言できるワケではないのだ。確かに記憶も残っているが、それがルーティンをこなしていたせいだろうと言われれば、
だから説明することは困難であり、傑は沈黙を余儀なくされた。
「生きていれば時折既視感のある状況に出くわすことというのは多々ある。夢で見たとか、同じような体験を過去にもしたとか、色々と」
「でもこれはそう言うんじゃなくてだな……もう丸一日同じなんだよ!いや、それに気がついてここに来たから変わっちまってるんだけど」
「勿論、君が嘘や冗談でこんな事を言うとは思っていないよ。ただ、それだけの情報だとどう対応したものかと思ってね」
「そういう妖怪がいたりはしないのか……?」
「当然考えられる。が、少なくとも君には何も憑いていない。だとすると他の誰かということになるわけだが……」
雪目は考え込んだ。そして、思い出したかのような顔をして、傑の方を見た。
「あぁ──もしかしたら。アレかもしれない」
「アレ?」
「廻古鳥と呼ばれる妖怪でね。もしコレだとするのなら、時間がループするというのも、もしかしたらあり得るかもしれない」
「どんな奴なんだ?」
雪めは徐に立ち上がると、傑の横を通り抜け、後ろにあったキャビネットを漁る。
そこから古い書物を取り出すと、テーブルに広げてみせた。
かなり昔に書かれたもののようで、傑にはそれを読むことというのは出来なかったが、雪目は指差しながら話し始めた。
「これは『鳥物語』と呼ばれる、鳥を題材にした物語集でね。今なんかでも何人かの小説家や漫画家なんかが集まって一緒に本を出すなんてことはあるけれど、こっちは江戸の時代を生きた複数人の作家の合同作品なんだよ」
江戸時代には木版印刷が盛んになったこともあり、この物語集もまたそんな中で生まれたものだと話す。
「その中に出てくる奴なのか?」
「そうだ。この鳥物語の……あぁこれだ。第四章の『侍姫の鳥』に出てくる──時を巻き戻す存在だ」
「時を……巻き戻す……」
巻き戻っているのかはともかくとして、ループしているという意味ではその通りである。
「そう。物語の概要としては──」
雪目は本を捲るようにしながら語り始めた。
昔々、とある国に1人の侍がいた。侍はその国の姫に使える身分で、忠誠心は強く、主君からも高く評価されていたという。
美しい姫とその侍の間にもまた確かな信頼が築かれており、また懸想をしてもいた。
そうして日々を過ごしていた侍だったものの、ある時、隣の国との間に戦が起こる。
同盟を組んだ2つの国に挟まれるようにして、その国は攻め入られていった。
そしてその戦の末、姫は死んだ。逃げる際に巻き込まれた形であった。
侍は懸命に手当てをしたが、傷は深かったのだ。
そんな侍の下に、蒼い炎を纏った1羽の鳥が現れた。
それは虹色の羽を持ち、尖った顔をした美しい鳥であった。
その鳥は姫様の亡骸を抱えてすすり泣く侍に語り掛けた。
過去へ行きたいか、未来を変えたいか──と。
侍は考えることもなく頷いた。それを見た鳥は気色の悪い笑みを浮かべ、その願いを聞き入れた。
刹那、侍の意識は途切れ、次に目が覚めると、いつもと同じような朝であった。
寝床から体を起こしてから、ついにおかしくなったかと思いながらも、周囲の人間の様子に見覚えがあったこと、戦火に見舞われたはずの街が元通りであったことで、侍はすべてを察した。
その侍の取った行動は一つ。
今度こそ姫を救う──ただ、それだけであった。
彼は何度も失敗した。数十、数百通りの死を目の当たりにしながらも、それでも折れずに姫をとうとう救うことに成功した。
侍は喜び、姫もまた、ワケも分からぬままに喜んだ。
しかし、その姫はそもそもそこで死ぬ定めであったはずの人間。
それを救ったというのはあるべきはずの運命に抗うという、この世界に住む存在として最も愚かしいことであった。
故に、そんな禁忌を犯した侍への代償は強烈なものである。
彼の家族や友人、仲間といった、彼が姫の他にも大切にしていた存在が次々に死を迎えていったのだ。
姫の未来を、たった1人の未来を変えてしまった事で、それ以外が滅茶苦茶になってしまったのだ。
彼は涙した。止めようにも止められない連鎖であった。
そしてとうとう折れ始め、心を病んでいく侍に負い目を感じた姫は、終ぞ自らその命を絶ってしまう。
彼は発狂し──そして、いつか自分の前に姿を現した、かの鳥を呼んだ。
しかし、それが彼の目の前に現れることは二度となかったのだ。
彼は何もかもを失った──運命を、あるがままを受け入れられなかったが故に。
「──そんな、何の救いもないお話だよ」
「ここに出てくる鳥っていうのが……廻古鳥なのか?」
「そうだ。尤も、廻古鳥と名が付いたのはこれが世に出てからの事なのだけれど。タイムリープ物という、当時にしては斬新な物語が民衆には受けたそうでね、そこに当時の妖怪ブームが重なり、この鳥もまた妖怪として扱われることになった──という経緯だ」
「ん?てことはこれ……」
「そうだ。それが心当たりのなかった理由の一つというか、まぁ……忘れていたというか。もともとこの作品はタイムリープを扱っている悲恋物の作品であって、怪異譚じゃぁないんだ。ザックリ纏めちゃったけど、実際読んでいくと、心情描写がメインだからね」
「あぁ、なるほど──でも、そういう妖怪って確か……」
弱点が無かったり、あったとしてもそれを自分で見つけたりしなければならないと、雪目は過去にそう言っていた。
「そうなんだよねぇ──いや、そもそもいるかどうかも分からないのだけど。もし対処法があったとして、どこにいるのかもわからない以上は……どうしようもないな」
「じゃあ……ループが終わるまでは、というか、その誰かが目的を果たすまで待ってなきゃいけねぇってことか……?」
「それはそれで危険なんだよ。もしそれが君の友人だったりした場合、ループが終わった後それに巻き込まれて死にかねない」
「えぇ……だったらどうすりゃいいんだよ……流石に巻き込まれて死ぬつもりはねぇんだけど」
「対処法を考えればいい。今日中に……とは言っても、明日もまた今日かもしれないのだけどね」
「考えるったって…そんな簡単な事でもねぇだろ?」
「まぁね。でも、この妖怪はホトトギスの怪異だと言われている。そこから辿っていけば、存外簡単に対処できるかもしれない」
ホトトギス。傑は首をかしげた。
ホトトギスを知らなかったわけではないものの、何故これがホトトギスになるのかが分からなかった。
雪目はペンと紙を持ってくると、そこにスラスラと文字を書きながら答えた。
「ホトトギスというのは漢字で書くと色々あってね。全部当て字なんだけど、不如帰、霍公鳥、杜鵑──そして、時鳥とも書く。そこから転じて時間を巻き戻す鳥だ。まぁ、ホトトギスという生き物自体がそれなりに残忍──なこともあって、こうなったんだとは思うのだけれど」
「時鳥……なるほど」
傑は席から立ち上がった。残っていた緑茶を飲み干すと、早速外に出ることにした。
「私の方でも探っては見るけど、もし今日中に解決策が見つからなかった時はまた明日、私に廻古鳥が出たとだけ言ってくれ。なんとなくのことは察するだろうからさ」
「分かった。怪しい奴がいたら当たってみることにするわ」
などと言いつつも、結局この日は何も収穫を得ることはできないまま、せめて明日も今日であってくれと、そう思いながら帰宅した。
そして帰宅後、雪目からの連絡でその怪異がこの街の誰かに憑いていることまでは突き止められたと、そこから先は頼んだという文言と共に情報が送られてきていた。
「……あ、もしかしたら」
傑は少し調べ物をし、その日はそのまま眠ることにしたのだった。
明日もそのことを、覚えていることを祈って。
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そして、この事態は思っていたよりも簡単に片が付くこととなった。
「なるほどねぇ…」
雪目はその話を、傑からの差し入れを食べながら聞いていた。
その目は少し不満そうなものであるが。
「そんなに不満か?」
「別にいいんだけどね。解決はしたんだし。これは私の個人的な問題だよ」
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タイムリープが発覚した翌朝、またしても時間は巻き戻っていた。
そのことに気が付くと、気が付けたことに安堵しながら、彼はとある人物に連絡をしてみることにした。
「──もしもし?」
「何だ、珍しい電話もあったもんだな」
榊であった。少し声が遠いような気がしたが、傑は構わず話を進めた。
「頼みがあるんだが」
「頼みだと?暇じゃないんだ、頼むというのなら金は頂くぞ」
「金は払えねぇ──が、聞いてくれりゃそれなりの儲けは出るハズだ」
そう言うと榊は少し間を開けて、
「……いいだろう。話だけなら聞いてやる」
そう答えた。
「なら単刀直入に。うぐいす餅を大量に作ってなるべく多く、この街の人に売ってくれ」
「は?」
「あ?だから、うぐいす──」
「聞こえなかったんじゃない。意味が分からないと言ったんだ。菓子を売ること自体はいつもやってるが、うぐいす餅だけだと?」
「あぁ。絶対に損はしない」
これが成功しなければまたループするのだ。例え損をしたところで、それもなかったことになる。
いや、時間を巻き戻している張本人がその目的を果たしてしまえば時間は進むことになるのだが、多分まだならない。そう確信していた。
「よく言う、やるまでもなく大損だろうが。まず需要が無いだろう」
「需要は作れる。やり方はちょっと言えねぇけどよ」
真に協力を要請していた。内容は、この街の人間が無性に鶯と名の付くものを食べたくなるようにする、という暗示である。
始めこそは力を使いたくないと言っていたものの、事情を話すとそれくらいの協力はしてくれることとなった。
これでも妥協してギリギリだそうだが、直接操作したりするわけではないからセーフだろうと、傑が無理を押し通した形だ。
「……何が目的だ」
「廻古鳥が出たって言えば、伝わるのか?」
「──なるほど、それで鶯……はぁ。馬鹿みたいな作戦のように思えるが、流石に無視もできなくなったな。無慈籠にいろいろ吹き込まれた結果か」
「やってくれるか?」
「あぁ。どうせ今日は暇だったしな。儲けが出るならやってやる」
「……おい、さっき暇じゃないって言ってなかったか?」
「誰かから連絡が来た時は初手で忙しいと牽制しておくのが鉄則だ。面倒事を押し付けられるのを回避できるからな。覚えておくといい……では、さらばだ」
そう言って、電話は切られた。
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こうした経緯であった。真の超能力が強かったのか、準備を済ませて繰り出た駅前は既に人でごった返していたという。
その全員がもれなくうぐいす餅目当てに街を彷徨い歩いていたそうで、さながらゾンビ映画にでも出演した気分だったと、その日の夜に苦情のような連絡が届いた。
「で、目が覚めたらカレンダーもちゃんと進んでたってわけだ」
「あぁ。誰かの目的を潰した形にはなるのかもしれないし、もしかしたらそれ自体は関係なかったのかもしれないけどな」
その場合は過去をやり直していた人間が目的を果たしてしまっていたことになるのだろうが、確かめる術はない。
出来ることといえば、これが自分の考えた撃退法の成果だという事を信じることと、自分が巻き込まれないようにと祈ることだけである。
「それにしてもうぐいす餅ねぇ……」
雪目がうぐいす餅を口に放り入れ、それを飲み下して言った。
少しだけ余ったからくれてやると、榊が傑に持たせたものであった。
「姐さんからのヒントでな。ホトトギスについてちょっと調べてみたんだよ」
ホトトギスはその習性上、鶯の巣に卵を産み付けて行くのだが、それをみすみす見逃す鶯でもなく、ホトトギスを追い払う行動をしばしばとる。
つまりは相性が悪く、そこを利用した形となる。
賭けではあったものの、試してみないことにはどうしようもない。
それに、もし失敗しても何か手掛かりが掴めるのでは──と考えたのだった。
「ふぅん……」
やはり不満そうに、傑の方を見ていた。
「何でそんなに嫌いなんだ?」
「……何でもだよ。つまらない話だ」
そこから先は何も話さなかったが、雪目の表情が本当にしょうもない話だと伝えていたので、傑もあえては踏み込まなかった。




