逸れ蟻
「おい、大丈夫か?」
そう尋ねると、彼は小さく頷いた。
顔や腕などを見て、やはり殴られたりしていたわけではないと、しかし、それもさっきまでの事がエスカレートしていれば、いずれは時間の問題でしかなかったのだろう。
「ほらよ。取り敢えず表出ようや」
袋から1本飲み物を取り出すと、少年に渡した。
まだ少しだけ冷たかった。
「何があったんだ?」
そして傑はどうしてか、この少年から話を聞いてみようと、そんなことを考えていた。
少年は、ペットボトルから口を離すと、少し間をおいてから話始めた。
「学校で……嫌われてて……」
「学校で……な。何でだ?」
「わ、分かんない……です」
ふぅんと、傑はその話を聞いていた。いじめだろうか、何かの標的にされたのだろうか。
だとすれば、理由が分からないというのにも頷ける。
それはそうだ。いじめなどちゃんとした理由がある方が珍しい。
「それで、学校にも行ってなかったんだけど、今日歩いてたら見つかって──」
「不登校ってやつか」
「う、うん。テストの日とかは保健室に行くんだけど……」
「ほぅ、偉いじゃねぇか」
思わず、頭をガシガシと撫でていた。自棄になって全てを放棄するよりずっといい。
こうして外に出られるだけ、前に進む意志がきちんと残っていることに他ならないのだ。
「まぁでも、ずっとそのままじゃダメだってのは、お前だって何となく分かってんだろ?」
「……うん」
少年は小さく返事をすると、肩の辺りを揉むようにしていた。
それにしても、先程の3人が言っていた「ウザいから」という言葉が、傑の中で気に掛かっていた。
いじめられる側にも問題がある──などという事ではなく、ただ事実として、何かしらのきっかけがあるハズだと、そう踏んでいた。
いじめというのは規模問わず集団の中に生まれるものだが、大抵何かしらの、どんな些細な事であったとしても、それが始まるためのきっかけが必要なのだ。
何の前触れ汚なく、何の下準備も無しに始まることもあるが、目を付けられる理由というものはあって然るべきではないのか。
まだ語彙力の乏しい中学生の言う「ウザい」に一体どれだけの意図が詰め込まれているのかは計り知れないが、それが始まるための合図としての何かはあったはずなのだ。
だが、それを本人に聞いたところで答えが返ってくるはずもない。先程分からないと言った以上、それは確かである。
「でも、どうすればいいのかも分かんなくて……えっと……」
少年は言葉に詰まり、傑の顔を見上げた。
そういう事かと、傑はサングラスを上げ、頭の上に乗せた。
「俺は龍崎 傑。傑でいい」
「傑……さんは、友達とか、仲間とか、いっぱいいるんですよね?」
「ん……何でそう思った?」
「え、いや、だって……その……」
傑は何故かと問う。それはこれまでそう言った存在が多くなかったが故の疑問であったのだが、少し威圧的に聞こえたらしい。
「自分で言うのもなんだけどよ、俺この面だぞ。だから、何でそう思ったのかと思っただけだ」
「あ……と、その、ヤンキーって仲間いっぱいいるのかなって……ごめんなさい」
傑はそれを聞いて目を丸くすると、少しして笑い出した。
「違いねぇな。ああいうのは群れてなきゃ何もできねぇから。けど、俺にそういう仲間はいねぇ。というか、そういう奴らもまとめてぶん殴ってたらどっか行ったんだよな」
以前は傑にくっ付いてくるような、射程を名乗って付き従うような存在もいた。
興味もなく、始めは勝手にさせていたのだが、そういう連中が悪さをした時に叩きのめしていったところ、いつの間にかその全員が敵になっていた。
無論、敵にもならないような連中でしかなかったが。
「じゃあ……友達はいないんですか?」
「……いや、いるよ。2人な」
始めは中学のころと同じように1人でいるつもりでいたが、そんな入学間もない時期に話しかけてきた怖いもの知らずがいた。
それと話すようになって数日か1月程、そのあまりにも平然とした様子にクラスの人間も慣れてしまったのか、完全に避けられるようなことはなくなっていた。
別に避けられたとしてもそれはそれで自分の所為なのだからよかったのだ。
それでも、ただ避けられるのと普通にコミュニケーションが取れるのとでは、どう考えても後者の方がいいに決まっている。
何を思って話しかけてきたのかは知らないが、そういう意味で感謝していた。
「ま、ダチってのは大事だな。いるのといないのとじゃ何もかも違う」
「どうしたら、作れるんですかね……」
「どうしたらか。いじめてくる奴以外を何とかして味方につけるとか、1人でも結構変わると思うぞ?」
「それが、その、皆なんです」
「皆?いじめてくるのがか?」
「……嫌われてるのがです」
傑は首を傾げた。嫌われているというのは元々いたグループ内でのこととか、そういうのではなかったのかと。
そうではなく、文字通りクラス中に嫌われているのだとして、だとすれば心当たりが無いといった彼の発言に納得がいかない。
少数に嫌われる──なら心当たりが無いというのも納得は出来るが、全員と来れば何かしら無いとおかしいだろう。
「なぁ、心当たりとかって本当にないのか?」
「心当たり……ですか?」
「例えばなんか皆を敵に増すようなこと言ったとかよ。そうじゃなきゃ全員に嫌われるってことにはならねぇと思うんだよ、流石に」
いじめられているのを見て関わりたくないと思うことはあるだろうし、それをこの少年が嫌われていると認識しているだけの可能性だってある。
そう思って尋ねてみたが、彼曰く、そもそも今年入学して間もなくそうなったとのことで、心当たりどころか碌な会話すらなかったそうだ。
「他のクラスの奴もなのか?」
彼は頷いた。その時、後ろから声が掛った。
「そりゃ仲間ができるわけもないよ、傑君」
振り向くと雪目がいた。用事か何かはもう終えてきたのだろうか、同じ方向に向かっているようであった。
「姐さん……どういう…」
「逸れ蟻。その少年に憑いたモノの名前だよ」
「え……?」
少年はきょとんとした。
傑は慣れていたからだろう、ハッとしたような顔をしていた。
人間関係は人間の物であると考えていた彼であったが、そこに何者かが介入していたら。
そんな風に物事を捉えることというのが出来ていなかったと、雪目を見て思った。
「それっていうのはどういう存在なんだ?」
「まぁ、名前の通りだよ。どんな集団にも、逸れ者はいるということだ」
「対処法はあるのか?」
「ある──が、私は何もできないし、傑君も何もできない。出来る人がいるとすれば、それは彼自身だ」
「え、ぼ、僕?」
雪目に指を差され、彼もまた自分を指差しながら戸惑っていた。
3人はとりあえず歩いていくと、事務所の中に入っていった。
少年は何が何だかといった具合に挙動不審であったものの、しばらくすると落ち着いた。
傑は買ったものを冷蔵庫に入れていきつつ、2人の会話を聞いていた。
「さて。改めましてこんにちは。私は無慈籠 雪目」
「あ、えっと、僕は……塚田 有斗っていいます。……あ、あの、ここは?」
「霊能事務所をやっているんだ。私は妖怪の専門家なんだよ」
「よ、妖怪……?」
少年、有斗は当惑したように聞き返す。
「聞いたことくらいはあるだろう?」
「あ、はい……でもそれって……」
「あぁ、存在しない。だけど、正体不明の化物が街中に現れたりするという話くらいは聞いたこともあるハズだ。ま、それの延長線みたいなもんさ」
すると彼は頷いた。思い当たる節があったのだろう。
それを合図に、雪目は話し始めた。
「そもそも逸れ蟻に目を付けられるような人間は、そんなものがいようがいまいが関係なく、人間関係の苦手な者が多い」
思い当たることがあったのか、有斗は黙っていた。
「誰とも接することができなかった、それどころか、それをしようと動くことさえしなかった。そんな人間のもとに逸れ蟻は寄っていく」
「…………」
「そして、気が付いた時にはもう誰もいなくなっている」
「でもよぉ、そいつは入学してすぐそうなったって言ってんだぞ?それくらいの期間誰とも会話しないなんて、普通にあり得る話なんじゃねぇのか?」
傑は一度手を止め、座り込んだまま口を出した。
「すぐっていうのは、数字にしてどれくらいかな?」
「えっと……6月の半ばくらいからです」
「だとすれば2ヶ月半だ。入学したての子達も、それだけの時間が過ぎれば友達が出来るしグループもできる。それまでの間何もしなかったというのであれば、それだけで十分だろう」
「…………」
「私は──というか傑君は、だけど……逸れ蟻を取ってやることはできる。けど、それは一時的なモノに過ぎないし、君が変わらなければ状況は前に進まない」
「えっと、その、まず、どこにいるんですか?その蟻は」
「どこ……そうだな、君達も視えたほうがいいか」
雪目は札を取り出し、それを有斗に向けて投げた。
それは紙とは思えないほど一直線に彼の方へと向かって行くと、途中で燃え尽きた。炎などないハズの空間で。
「へ……うわぁッ!?」
すると視えるようになったのは、彼の両肩を掴んで雪目達の方を睨みつける巨大な蟻の姿。
自分の獲物を横取りされるとでも思っているのであろうか、歯をガチガチと鳴らして威嚇していた。
「傑君、やれるかい?」
「この間みたいにしなくていいのか?」
神様の力だったか何だったか、そんなようなものを得なくてもいいのかと。
雪目は首を横に振った。いらないらしい。
「アレは神様として崇められていた存在だったからね。これは獣……いや、蟲か。だからそうする必要もない」
傑は狭い室内を跳び、蟻の横顔を打ち抜いた。外骨格は思いの外硬かったが、蟻の身体は大きく揺れた。
蟻は身を縮こめると、そそくさとどこかへ逃げて行った。反撃の一つもしてこないその様に違和感を抱いたが、雪目の言葉で納得した。
「蟻は臆病な性格だからね。危険を察知したらすぐに逃げて行く。ま、どんな動物も大体はそうなのだけど」
「ハッ、さっきのアイツらみてぇじゃねぇか」
傑は蟻の消えて行った方に視線を送っていた。
「何があったのかは知らないけど。……でも、自覚はあるのだろう?」
雪目は変わらず有斗の顔を見ていた。有斗は黙ったまま、俯いていた。
「……ああやって立ち向かえば、変われるのかな」
「立ち向かえれば、ね。取り敢えず、理由もなく嫌ってくる人間はいなくなったわけだ。後は君次第で、こちらからは何も言えない」
傑はそんな言葉が少しだけ無責任に聞こえたが、そもそも他人の人生に責任など持てるわけもなく。
周囲が出来ることというのはどこまで行っても手助け止まりなのである。
「それでも一つ言える事は、君の歳で確定することなど何1つないという事だ。変われる変われないではなく、ここから形作っていくんだよ」
「確かに、不登校になったくらいじゃ人生終わってなんかくれねぇしな」
傑自身はなったことなどないが、そう言った。
「夏休みだって言っている間に終わってしまう。退屈な日々から学べることなど何もない。せっかくの休みなんだから、楽しみたまえよ」
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有斗が出て行った後、傑は雪目から言われた。
「傑君。君もなかなか面倒見がいいようだ」
「……さぁな。もしかしたら姐さんの真似事でもしてたのかもしれねぇ」
「──へぇ……じゃぁ、私は傑君の生き方を少し変えてしまったわけだ」
いたずらっぽく笑って見せた。相変わらず右目は隠れていた。
「これから形作って行くもんなんじゃねぇのか?」
「高校生にもなれば生き方なんて結構固まっているものだよ。それを自覚するのが大学生という期間だ」
「俺の生き方か。全くもって分かんねぇな」
「そりゃ、先のことは分からないさ。けど、その時その時訪れる状況にどう対処していくか、どう考えて、どう動いて、どういう答えをそこに作り出していくのかという事について言うのなら、もう既に君はそれを持っているはずだよ」
「どう対処するか──か」
少し考えて、”暴”という字が見え始めたところで、考えるのを止めたのであった。




