逃走
先程通されたのとは別の、蠟燭の心もとない灯だけが赤々と輝くその部屋の中での事。
傑は白い装束を身に纏い、そこにいた。
あれから3時間が経過し、どこか神妙な雰囲気の中、お祓いは執り行われることとなった。
雪目は部屋の外で待機するよう八千代に言われ、その影が障子越しに薄く見えている。
ついさっきまで着ていた浴衣とは全く別の、巫女服のようなものに身を包んだ八千代が部屋へと入り、口を開いた。
「では傑君。これから始めて行くわけですが……その間、何があっても目は開かないでください。3段階にわたって執り行う関係上、その間には少しの間が開くわけですが、間違えないでください」
目を開けてはいけない理由は気になったが、今聞くことでもないだろうと、傑は黙って頷いた。
「それから、何をされても気にしてはいけません。目を瞑ったまま、無反応なまま。今できているワケですから問題ないとは思いますが、ここから暴走する可能性が……無いとは言えませんから」
八千代は部屋中に貼られた札を確認すると、1つ息を吐き、それを始めた。
傑は目を閉じる。視界が塞がれたことで、他の感覚が少しずつ鋭くなっていく。
何者かが体に触れる感覚は消えない。耳元では何かが囁かれている。
そんな声を吹き飛ばすようにして、八千代の声が部屋中に響いた。
先程までの優しそうな声からはかけ離れた、力強い声であった。
抑揚のついた詩のようなものであったが、何を言っているのかはよく分からない。
しかし、体に張り付いた何かが少し離れたように感じて、傑は内心勝利を確信した。
そうして5分ほどそれが続くと、少しの間をおいて2回目が始まった。
が、異変はそこで起きた。
一度離れたように感じられた何かが、ガッシリと、思い違いでも何でもなく、肩を掴んで揺らし始めたのだ。八千代が動いた様子は無し、声は動いていなかった。
目は開けない。無視を続け、為されるがままにしていた。
「──ナ」
再び耳元で声が聞こえる。それは先程までとは違い、はっきりと聞こえていた。
無視するな。低く唸るような声でそう言われたのだ。
応えてはいけないと、無視を、沈黙を貫く。
そうするとその声は止み、部屋が静寂に包まれた。
「……?」
そこで違和を覚える。何故静まり返ったのか。
無視を続けたから霊が自分に構うのを止めたのか、それで静かになったのか。
そうだとして、何故八千代まで黙っているのか。
何かあったのではないか、確認したほうがいいのではないのか。
そんなことを考えていたその時、
──バサバサッ
と、木の葉が揺れるような音がした。
それは2度、3度、自分の周りを回るようにして聞こえてきていた。
ぼそぼそと呟くような声も聞こえていた。
そしてそれが病むと、今度は別な声が聞こえてきた。
「さ、終わったよ。かえろうか」
雪目の声であった。調子のいい、いつもの声であった。
しかしおかしいと、傑は目を閉じたまま考えていた。
自分の記憶が確かであれば、障子の開いた音はしていない。静かに開けたとして、それをする意味は何だ。
それに、終わったことを告げるのは雪目ではなく八千代のハズではないのか。
「はは、傑、目を閉じている間に寝てしまったのかい?」
無言を貫く傑の耳に聞こえてきたのは、雪目の揶揄うような声。
「……!」
違うと、そう確信した。雪目は自分の事を傑と呼んだことはない。
これはきっと声を真似ただけだと、反応してはいけないと、目をぎゅっと瞑った。
「ホラ、目ヲ開ケナヨ。終ワッタヨ」
そう考えたからか、雪目の声だと思ていたそれは、冷たく無機質な、悍ましい声へと変わった。
「還ロウヨ。ネェ……ネェ……」
肩が揺らされ、バサバサという音がそのたびに大きくなっていく。
「無視スルナヨ。聞コエテルダロ」
やはり反応はしない。しかし、ここからどうすればいいのか、このままコイツがどこかへ行くのを待たなくてはならないのか、こうなったら無視もしていられないのではないか、そんなことを考え始めた時、
「……雪……目──雪目ッ!緊急事態だ!」
八千代の声がした。焦りに満ちた声であった。
障子が勢いよく開け放たれた。バンッと、木と木のぶつかる高い音がする。
雪目は傑の手を取り、部屋から連れ出した。
その手が偽物などでないことは、目を開けるまでもなく分かった。
「雪目!どこへでもいいから逃げろ!」
背後から八千代の声が聞こえた。バサバサという音にかき消されそうになっていたが、それでもはっきりと聞こえた。
「このっ……!お前は私とここに居ろ!」
そんな声を最後に聞くと、雪目は傑を着の身着のまま、素足のままに屋敷の外へと連れ出した。
陽も落ち暗くなり始めたその夜闇の中を、車目掛けて一直線に走っていく。
足に砂利が刺さる痛みも忘れたまま、傑はそれについていった。
そうして車に乗り込むと、雪目は素早い手際で車を動かし、猛スピードで走り出した。あらかじめいつでも車を出せるようにしていたのかもしれない。
それから数分して、雪目の声がした。
「傑君、もう目は開けていいよ。ただ、アレが見えたら教えてくれ」
そう言われて、傑はやっと目を開けた。高速道路に乗ろうとしているところであった。
「な、なぁ、あの人は……大丈夫なのか?」
「多分ね。言っただろう、臆病者だと。アレは10年近い時間を使って自分の体内に結界を張っている。あの怨霊がどうこうできるとは思えない──が、お祓いを止めるくらいの手出しはされてしまったらしい」
「……止められたのか?」
「あぁ。自分を攻撃しているという事に気が付いたからだろう。言ったままの展開だ。気が付く前に消えていればよかったものを──」
忌々しそうに、苛立ったような声で言う。
夏休みではあるものの、帰省ラッシュなどと重なったわけでもなければ、そこまで車も多くはない。下りであったことも影響しているのだろう。
疎らに走っていた車を何台か抜き去っていきながら、雪目は高速道路を走っていく。
傑は周囲を頻りに見回し、それがいないかを確認する。
「でもよかった。きちんと指示には従っていたらしいね。そうでなければもう少し状況は深刻だったかもしれない」
「もう十分深刻だろ──というか、ここからどうするんだよ」
「榊の所へ向かうか、もしくは──」
雪目がそう言う間も、傑は周りに目を向けていた。
忙しなくそうしていると、不意に後ろの車に違和感を覚え、雪目の言葉を遮った。
「姐さん、後ろの車……」
後ろを走っていたのは自分たちが乗っている車の何倍も大きなトラックであった。
夜の高速道路ではよく見かける、見かけだけなら普通のトラックである。
しかし、その動きはどうにも妙であった。
激しく蛇行し、距離を詰めようと速度を上げてきていた。
「──もう逃げられたのか。最悪だよ」
煽り運転などとは違うと、傑は後ろを振り向いてそれを見ていた。
暗いせいで運転席の様子をうかがうことはできない。
そしてトンネルへと入っていくと、ほぼ真後ろにまでそのトラックは近付いてきていた。
周囲の車は何かを察して道を開けていく。事故にならなくて済んだと安心する半面、あのトラックにとってもこちらを追いかけやすい場が整っていた。
「コイツ、追突する気か……!?」
「だろうね。車同士に挟まれたりすれば私たちは仲良くグチャリだ。サンドイッチはごめんだね」
何とかギリギリ、それでも危なげに逃げていたが、雪目の顔は青白かった。
繰り返される一瞬の判断で何とか繋いでいる状況であったが、それにも限界が来た。
────ドンッ!!
と、背後から突き上げられるような感覚。
雪目はその衝撃で、ハンドルに額を打った。
「大丈夫か!?」
それでもアクセルは踏み込んだまま、彼女はすぐさま顔を上げて運転に戻る。
「……あぁ、心配はない……」
そして、
「……傑君、君の友達。例えばよく話していた颯君なら、ここから私達を逃がすことは可能かい?」
そう問いかける。傑は思った。雪目の言っていた嫌な手段と言うのはそれの事なのかと。
「本当はこんなこと言いたくなかったんだけどね。バカみたいだろう?化物だ何だと言って勝手に嫌っておいて、挙句これなんだから」
そんな考えが伝わったのだろう。傑の方を見ることはなかったが、雪目はそれに答えた。
「多分アイツなら何とかは出来るとは思うけどよ……」
本当にいいのか?そう続けようとして、言葉を切った。
かつて聞いたあの化物とは仲良くできないという言葉は、何か別に事情があるはずだと、勘でしかないがそう思っていた。
そしてそれはそう簡単なことで揺らぐこともないのではと。
普通、生死の係ったこの状況なら相手が神だろうが悪魔だろうが化物だろうが、それに縋ることを選り好みしている暇などないはずだ。
しかし、
「私1人なら意地を張って死んでやっても良かったさ。けど、君まで私のそれに巻き込んでどうする」
雪目はそう言った。
やはり、この状況においても自分の信念は死んでいないらしい。
「なら……」
傑は足元に置いてあった荷物を漁り、携帯を取り出す。必要ないからと置いておいて正解だったと、ロックを解除した。
暗い車内が画面の光で明るくなった。
が。
「…………っ、出ねぇ!」
電話を掛けるが、反応はない。
メッセージを送っても反応しないということはあるが、流石に電話を掛けて出ないという事はこれまでなかった。
これも霊障なのかと舌打ちをすると、背後から声がした。
「ねぇ、それって私でもいいのよね?」
「「……!?」」
雪目にとっては初めて聞く声で、傑にとっては何度か聞いたことがある程度の声であった。
傑はバッと振り返り、後部座席を見た。
雪目は運転に集中しながらも、ルームミラーをちらと見た。
そこにいたのは長い黒髪の少女。薄暗い車の中、彼女は堂々と腰かけていた。
「楓……先輩……」
「えぇ。アンタは颯の友達の子でしょ?そっちのは?」
雪目はハンドルを握りしめたまま、黙っていた。
それを見かねた傑が代わりに口を開いた。
「雪目の姐さん……です」
傑も、楓の前ではどうしてか敬語を使っていた。
楓がただの人間であった頃からそうである。喧嘩をすれば自分が勝てるだろうという相手のハズなのに、どうにも逆らえぬ圧を感じていたのだ。
「ふぅん……で、ヴェルザ。さっき言ってた怨念って?」
楓の肩のあたりから、黒い靄が浮かび上がった。
ぞわぁっと、得体のしれぬ恐怖に包まれたような気がして、傑は目を逸らした。
「後ろの車の運転手に憑りついているらしい。乗り込む車を間違えたのか?」
「別に間違えてなんかないわよ。知ってる子の気配がしたから乗り込んでみただけ」
「そうか。何でもいいが、早く食わせろ。アレだけの怨念だ、少しは腹の足しにもなるだろう」
楓とヴェルザはこの状況にしては余裕のある会話を繰り広げていた。
雪目の手は震えていた。傑も恐ろしさこそ感じてはいたものの、それを知っているわけではない。
知っているからこそ、自分たちがこれまで相手にしてきたどんな化物よりも恐ろしいことが理解できたのだった。
「まぁいいけど。颯の友達なら助ける理由もあるし」
楓は車の窓を全開にすると、そこから身を乗り出し、飛び出て行った。
△▼△▼△▼△▼△
「えぇと……何でここに……?」
雪目は楓が飛び出していったのを確認すると、そのまましばらく車を走らせ、サービスエリアに車を止めた。
そして、意外にも様子を見に来た楓に、傑は問いかけた。
「何で…あぁ、颯が宿題片付けるからって言って相手してくれないから。暇になって散歩してたのよ」
散歩。普通であれば道を歩くことを言うのだろうが、楓が歩いていたのは空である。
それも、ここから2人の家までは遠く離れており、散歩という距離でもない──遠出である。
「そしたらヴェルザがいきなりあっちだこっちだって言いだすから、仕方なくここら辺まで歩いてたのよ」
「大して美味くもなかったな。期待外れだ」
「何なのよ本当に」
理解できる範囲を超えていた。しかし、そのおかげで助かったというのだから、考えても仕方が無いだろう。
「じゃあ颯が電話に出なかったのは……」
「携帯の電源切って封印してたからじゃない?」
颯の身に何かが起きていたわけでも、携帯そのものに何かが起きていたわけでもなかったらしい。
肩を落とし、盛大にため息をついた。
「で?アンタ達は何してたのよ。人間の怨念が犇めき合ってるってヴェルザが言ってたけど」
「それについては、私が説明しよう」
雪目が取り繕ったような笑顔で傑の前に立ち、楓に説明を施していった。
全てを話したわけではないにしても、分かり易く語っていった。
それを聞き終えた楓はどこかバツが悪そうにしていた。
「成仏とかさせたほうがよかったの?」
「……本当はそうなのだろうけど、ああなってしまった以上は生者の命が優先だ。感謝するよ」
「そう。ま、それならいいわ」
そして、楓は天高く跳び上がると、夜の空を駆けて行った。
2人は結局、サービスエリアで食事をとると、車の中で夜を明かし、筋肉痛のまま帰ることになった。




