霊障
「いい食べっぷりだったね。流石に若いだけはある」
「本当によかったのか?」
「問題ないよ。請求は全部課長に向かうワケだし。私の財布は何一つとして痛むことはない」
「えぇ……」
「ま、上も上で申し訳なくは思っているという事だ」
雪目が息を吐くと、一瞬の静寂が訪れた。
風の吹く音が、鳥の鳴く声が、車の走る音が、少し遠くから微かに聞こえてくるのみ。
「さて。思いの外長い旅になった気もしたけど、それも終わり──と、行きたいところだったのだが」
「まさか、まだ何かあんのか?」
食後、車に戻る前に空気でも吸って行こうと、雪目は傑を連れて高台に上っていた。
辺りを一望できるというものであったが、そこから見えるのは面白みのない殺風景な街並みのみ。
しかし、そんな景色を、ただボーっと見つめていた。
「食事中という事もあって事の顛末は話さなかったし、食後の今もどういうことがあそこで行われていたのかについて話す気もない。まぁ、あの流れでなんとなく知ってしまった可能性はまた別のモノとして。ただ、悪いニュースが1つある」
「悪いニュース?」
「あぁ、私は勘違いをしていたと言っただろう?私はあの村に神隠しをするような神がいるわけでも、そんな妖怪がいるわけでもないと言ったわけだが、そこだ」
「言ってたな。でも実際いなかったんだろ?何を勘違いしたんだ?」
「信仰だよ。彼らは狂っていた。そして、ありもしないものを強く信仰していたわけだ。実際それだけでは何かが生まれることもなかったわけだが、彼等の行っていた儀式のようなものが、あの場に漂っていた魔力や怨念を練り上げてしまっていて──結果、怨霊のなり損ないがあの場所にはいたんだよ」
「はぁ……それで、問題ってのは?」
「それがだ。今君について来ている」
「……は?」
「いや、もしかしたら初めから私たちを見ていたのかもしれない。最初の宿、カメラも何もなかったのに見られているような気がしたのはそれの所為なのかもしれない。だとすればかなり危険な部類だと言える」
言葉を失うというのはこういうことを示すのであろうかと、傑はそんなことを考えた。
いや、もはやこの程度の事はそこまで驚愕すべきことでもないような気もしてはいるのだが、それでもいささか脈略が無さ過ぎた。
「そしてこれは私の勘でしかないが、傑君が彼らをボコボコにしたのを見て、自分たちの無念を晴らしてくれたと考えたのだろう。行き場や棲み処を失った怨霊が君にくっ付いてきている」
「俺は……憑かれたってことか?」
「厳密には違うけど、まぁそうだ。それも元の素材が怨念だ。この間の3人組は自分達で架空の、紛い物のそれを作り上げたワケだが、今回は違う。元から憎悪指向にして怨霊志向の存在。放置すれば確実に問題になる」
「どうすりゃいいのそれ」
「手っ取り早いのはお祓いかな。けど、それにも問題があってね」
「どんな?」
「それが、私にはできない──ということだ」
万事休すか──そう思ったが、それならばできる人に任せればいいのではないかと、思考を転換させた。すると雪目にも心当たりはあるらしく、もとよりそのつもりでは痛そうなのだが、その表情は不安そうでもあった。
「まぁ確かに心当たりがないわけではないし、頼んでみるだけならまぁ可能かもしれないが──それにもできるのかどうかは分からない。そうなった場合、下手に石を投げるだけにしかならないわけだ」
「本格的に悪霊になるって感じか?」
「そうだ。そうなったら危険でね」
「その割には落ち着いてるよな」
「私が慌てふためいても意味はない。下手に怖がらせるくらいなら冷静に対処法を探すほうが早いだろう」
「それは分かるけどよ…これはこれで不安になるっての」
「なら、早いところ問題解決に動かないとだ。……戻ろうか」
雪目は傑に向けて手を差し出した。
長い前髪が風に揺れ、隠れていた右目を覗かせる。
傑はその手を取ると、2人で車へと戻っていった。
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憑かれている状態を何とかするべく行動を開始した2人。
車に乗り込んで走り出すこと1時間、若干の気持ち悪さを外から流れ込んでくる空気で誤魔化しながら、目的の場所へと向かっていた。
「その人っていうのはどういう人なんだ?」
傑は話すことも思いつかず、そんなことを訊いていた。
「簡単に言うのであれば、臆病な奴だよ。退魔課には関係のない、私の個人的な知り合いだ」
「臆病……?それでお祓いなんて出来るのか?」
「あぁ。臆病だからこそ慎重で、そのお陰でこれまで色んなものを相手にしてこられたとも言える」
そこまで言うと、雪目はハンドルを握る手を強めた。
「だから、君に憑いているそれを視て、断られる可能性もあるんだよ」
臆病且つ慎重。相手にするものが人間でないのなら、それが一番正しく安全なのだろう。
一度の失敗が許されない可能性もある、寧ろ、その可能性の方が高いとさえ言えるのだ、当然の事だろう。
しかし、そのせいで自身に憑いたというそれを祓ってもらえなければ、その臆病さこそを恨まなくてはならなくなるという事なのだが。
「断られたら詰みか?」
「いや、手が無いわけではない。無いわけでは無いが、それは避けたい。だから素直に引き受けてくれることを祈ろう。何、もしもの時は傑君が思い切り睨みつければそれでイチコロだよ」
「俺もそれをしなくて済むよう祈ることにする」
窓の外に目を向ける。
もう慣れたものだが、自分の顔が反射して映るのを見ると、なんとも人相の悪い奴がいるなと、その度に思う。
「────イ…」
「──!?」
その時、耳元で何かぞわっとするような、猫じゃらしにでも撫でられたかの様な心地がして、傑は運転席に目を向けた。
そこでは雪目がただハンドルを握っているだけで、自分に何かをしたようには見えなかった。
というより、今何かを感じたのは左耳だったのだ。右側にいるはずの雪目が何かをできるとは思えない。
「傑君、気にしちゃダメだよ」
「…………分かった」
何かを察した雪目はそう釘をさすが、傑の脳内はもはやそのことでいっぱいであった。
「コ────…」
今度は右耳に、声のようなものが聞こえてきていた。
その瞬間、車のスピードが少し上がった。法定速度からは出ていないのだろうが、急いだほうがいいというのはそれだけで分かった。
それから3時間ほど、休憩も挟まずノンストップで車は走らされるのだった。
△▼△▼△▼△▼△
夕方を少し回った頃。
「ここが…」
「全くもってけったいなものだと思うだろう?完全にただの屋敷だのに、当の本人はこれを神社だと言い張っている」
車を降り、しばらく道を歩いて行った先に見えたのは、歴史の教科書なんかで見たことのあるような武家屋敷であった。
和風という意味では似たようなものなのかもしれないが、実態として、造りとして、用途として、全くもって違っている。
漆喰で塗り固められた壁をなぞりながら、門を目指す。
「インターフォンとか無いんだな」
「まぁ、こういう場所だしね。予定のない来客はあまりないそうだし。でも、私たちが来ると分かっていればちゃんと開いて──」
そう言って門を押そうとして、雪目は止まった。
勢い余って顔を押し付けていたのは見なかったことにしたが、雪目はもう一度門を手で押し、それが開かないことを知ると、少しむくれた。
「……傑君、ぶち壊してくれ」
「いや、電話でもなんでも掛けろよ」
雪目がポケットからスマホを取り出し連絡を入れると、少しして扉は開かれた。
戸を開けたのはそこに勤めている女中らしく、雪目はその人に何かを言うわけではなかった。
その代わり、案内された先にいたその人を見つけるや否や挨拶も抜きにネチネチと嫌味を放ち始め、それは5分ほど続けられた。
傑はそんな様子を襖の隙間から覗くようにして窺っていたのだが、雪目が振り返ったのを見ると、それを開けて中へと入っていった。
広い座敷であった。
「──ひィッ!!」
そして、小さく、しかし甲高く響く悲鳴。
雪目よりも小さいその女は、畳に手をつくと、座敷の奥まで全力で後ずさりをして逃げて行く。
そして壁にぶつかると、吠えるようにして叫んだ。
「雪目ェ!なんてもの連れてきたんだッ!」
傑はその言葉に動きを止めた。
自分が連れているその怨霊はそんなにも恐ろしい存在なのかと。
「確かに前に借りたお金は返してないけどさぁ!ヤクザ連れてこなくてもいいじゃん!ズルいって!」
傑は内心つんのめりそうになった。尤も、そんなことになるような体幹ではないのだが。
「ヤクザじゃない。連絡しただろう、彼が変なものに憑かれた張本人だ」
「えぇ……?あぁ、本当だ。憑いてるね……どっちにしろヤバそうなのが」
今更かとは思いつつも、彼女がおずおずといった様子で戻ってくるのを見て、傑も足を進めた。
部屋の真ん中あたりまで進むと傑は座り込み、彼女は正座をした。
紅白の浴衣に、平安貴族の様に切り揃えられた髪が黒く艶やかに輝いていた。
「先程はどうも。私は神崎 八千代。ここの──守護者のような存在です」
彼女は三つ指をついて頭を下げると、そう名乗った。
傑も名乗り帰すと、彼女──八千代は顔を上げた。
にこりと微笑んだその表情は柔らかかったが、その目線は傑のすぐ後ろに向けられていた。
「さっきはちゃんと視れてなかったけど、これまた歪な存在なのね」
「やっぱり八千代には視えてたか。安心したよ」
「これでもこういう存在だから。……で?どこで拾って来たの?」
「まぁ、アレだよ。とある事件の被害者達だ。実際に何をされて死んだのかまでは完全には把握できていない」
「そう……なるほど。惨いものね」
「そんなにかい?」
「えぇ。正直言って断りたい程に」
「そうか」
「これは多分私でも対処しきれないと思う。けど、私以外で引き受けられるようなのもいないと思う」
だから、と八千代は傑の方を見て、
「上手くいくかは別として、やれることはやってみるよ。失敗したら……ごめんね」
引き受けると言った。傑は表情こそ崩さなかったが、内心安堵して、肩の力を少し抜いた。
なにせ、こうしている今もずっと何者かの声が耳を撫でているのだ。恐ろしくて仕方がない。
特にここに来てからは体が痺れるような感覚さえしていた。気にしないようにしているものの、限界が近かった。
「出来ればその時のことは考えたくもないのだけど、助かるよ。君がダメだと個人的に嫌な手段しか残されていなかったわけだし」
「……そうね。なら、傑君だっけ?開始は3時間後、陽が落ちてからにするから。その間に身を清めるなりの準備をしておいて。雪目は……まぁ、すること教えるなり何なり。時間になったら少し離れててもらうことになるけど、それまでは好きにしてて」
傑はこくりと頷いた。
身を清める。その言葉に、脳内で滝行をする自分の姿を思い浮かべながら。
「わかった。にしても意外だよ、あの臆病者な君が二つ返事で引き受けるなんて」
「安心して。上手くいこうが失敗しようが、この分のお代は請求させてもらうから」
八千代は丁寧に立ち上がると、部屋の右にある襖を開け、その奥へと消えて行った。
それを見送った2人だったが、あまりのんびりもしていられないと、準備に取り掛かる。
「ここに滝なんてあるのか?」
傑は雪目に尋ねる。ここは広い家ではあるが、流石にそのようなものまで完備しているとも思えなかったのだ。
「滝?」
雪目は何のことかと首を傾げ、合点がいくと、クスクスと笑った。
「確かにイメージするものと言えばそれかもしれない。けど、この場合はお風呂に入るんだよ」
「風呂?」
立ち上がると、傑は怪訝そうな顔をした。
「流石に今回は入らないよ。けど、見守りはする」
「今回は…って普通は入らねぇんだよ。てか、見守るってなんだよ」
「1人になったところを狙わないとも限らないしね。現に体中が痛んでいるはずだ」
「あぁ……分かるんだな……」
「まさか、気が付いてないのかい?」
「え?」
「既に出血しているよ。想像以上に影響が強い」
そう言われ、傑は痛む個所に手を当てた。そしてその手が赤く染まっているのを見て、視界がぼやけた。
雪目に導かれるようにして風呂場へと移動すると、彼女はどこからか粉を取り出し、浴槽に撒いていく。
「それは?」
「粗塩だよ。ま、身を清めるって言っても結局は気休め程度の儀式でしかないからね。傷口には沁みるだろうから、気をつけてね」
そうしてゆっくり丁寧に体を流していった。
身体を伝い流れた湯が薄く赤みがかっているのを見て、溜息を吐いた。
悉くツイていない。いや、憑いてはいるのだが。
続け様にこうした問題が訪れるのはそういう因果なのか。
それが雪目の所為だなどとは思わなかったが、人付き合い1つでこうも環境は変わるものなのかと、そんなことを考えていた。
「──っ痛!」




