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消滅の宇宙  作者: 万世 千秋
『ドン・ジョバンニ』改め『ボン・ジョバンニ』
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60/64

お手をどうぞ


 去っていったレポレッロは、確かにピローの佇まいから油断ならない殺気を察知し、彼を「同業の暗殺者」だと誤認した。


「暗殺者ピロー」――。


彼がその身に宿している本当の職業(クラス)は、文字通りの暗殺者などではない。

その真の正体は、最高位の闇を操る――『魔法使い(ダークメイジ)』。


『――見た目に騙されるな』

かつてソクラテウスが熱弁を振るったその格言通り、かつての『L K O(ラニアケアオンライン)』において、プレイヤーの名前や外見、そしてその中身(職業)が一致しないことなど、ごく当たり前の日常に過ぎなかった。


しかし、今回の『ボン・ジョバンニ』を巡る顛末は、単なるネトゲの「見た目とビルドの差」という当たり前の範疇を超え、根本的に異なるおぞましい歪みを孕んでいる。


ジョバンニは自らを「平和主義者」だと言い放った。

だが、その外見と名前、そして彼らが裏で積み上げてきた『殺人カタログ』の凄惨な実績は、彼らの言葉がただの「中身を隠すための欺瞞」であることを残酷に証明している。


そして――いま目の前で「暗殺者」のフリをしている仲間、ピローにこそ、その本質のすべてが隠されていた。


去っていったレポレッロは、確かに「暗殺者」と自己紹介をしたピローの佇まいに、探るような値踏みの視線を向けていた。

同業の、血に飢えた殺し屋としての殺気を感じ取ったからこそ、彼らはピローを警戒したのだ。


だが、彼らは致命的なまでにピローの本質を見誤っている。


ピローがマントの隙間からのぞかせる、あの禍々しい赤いブレードの柄。

そこに秘められた真の『魔法』がひとたび解き放たれた時、現実へと変貌したこの世界の肉体にどのような干渉をもたらすのか――それはまだ、誰一人として知らない。


いつか訪れるであろう、決着の刻。

ピローの放つ本物の魔法は、決して無意味に人を傷つけ、命を弄ぶための凶器などではない。


彼はいつだって、自らの大切な仲間を守り、途切れかけた未来への軌跡を切り開くためにその強大な力を振るってきたのだ。

それは、あの懐かしく平和だった『LKO』の時代から、何一つとして変わっていない。


――彼は、単なる中二病全開の痛々しい人物などでは決してない。


自らの手をどれほど黒く染めようとも、仲間たちをこの世界の絶望から救い出す。

偽りの暗殺者が仕掛ける、本物の魔法。


孤独な魔術師による、世界を揺るがす壮大な実験の歯車が、今静かに、しかし確実に回り始めていた――。


テンゴたちや狂乱のエルヴィーラと別れたレポレッロは、路地の奥で身を潜めていたジョバンニと無事に合流を果たしていた。

エルヴィーラから受けてしまった「自分自身を殺害する」という前代未聞の依頼内容を聞かされ、ジョバンニは露骨に顔を青ざめさせていた。


そんな二人の耳に、ふと賑やかな歓声と音楽の音色が聞こえてきた。

いや――それは事件や争いの騒ぎではない。心からの祝福と喜びに満ちた声であった。


『ゴルトバルク』の喧騒とした中心街から少し離れたのどかな郊外に、その小さな村はある。


「若い娘は、どんどん恋をすべきなんだ!」

「そうとも! 年月が過ぎ去るのを放っておいてはいけないからな……!」

「もし、胸の中で恋の炎が燃えていたら、毎日がなんて楽しいことでしょう!」

「さあ、今日から素敵な恋が始まるのよ……!」


男性、女性を合わせて総勢30人はいるであろう盛大な宴が、昼下がりの村の空気を鮮やかに彩っていた。

屋外に並べられた長テーブルの上には、果汁たっぷりのオレンジジュースやアップルジュース。焼き立てのフランスパンに具だくさんのサンドイッチ、そしてシチューのような野菜がごろごろ入った温かく白いトロトロの食べ物――。集まった全員のお腹を十分に満たすほどの豪華なご馳走が所狭しと並べられている。


「おいで!! みんなでお祝いしましょう!!」

「今日はめでたい結婚祝いよ!!」

「歌って! 踊って! 音楽を思いきりかき鳴らして!!」

「楽しいわね!!」

「さあ、素晴らしい音楽の始まりよ!!」


村娘と村の男たちは互いに手を取り合い、輪になって楽しげに踊っていた。


――その陽気な祝いの場に、とある二人組の男たちが通りかかろうとしていた。

そう、逃走の最中だったボン・ジョバンニと従者レポレッロである。


「っふ~~~、やれやれ……。ようやくあの喧騒から立ち去ることができた…」


額の汗を拭いながら歩いていたジョバンニだったが、華やかな村娘たちの姿が目に入ると、すぐさまその唇に気障な笑みを浮かべた。


「やぁ、皆さん! 素敵なシニョリーナたち!」


ジョバンニの爽やかな声に、宴を開いていた30人の村人たちが一斉に視線を向ける。

この村にとって旅人や客人が訪れることは別段珍しいことではなく、ごく自然に笑顔で彼らを迎え入れた。


「ご機嫌よう。どうか気にせず、宴を続けてくれたまえ」

「えぇ……ボン様。こちらは結婚式でもやってるんですかね……?」


従者レポレッロが周囲の様子を伺いながら尋ねたが、答えたのはジョバンニではなく、輪の中心にいた一人の若い女性だった。


「ええ! そうよ! そこのダンディーな旦那様方! 私が本日の花嫁よ!」


誇らしげに胸を張る花嫁――ゼルリーナである。


「ほう……。で、肝心のお相手……花婿はどちらかな?」


ジョバンニが周囲を見回しながら尋ねた。楽しげに集う女性たちの数があまりにも多すぎたからだ。もっとも、男性たちがいないわけではない。


「……私目でございます!」


人々の奥から、一人の若い男が堂々と歩み出てきた。花婿のマゼットである。彼は腰に手を当て、少しばかり鼻高々な自信満々の表情を浮かべながら、ジョバンニとレポレッロの目の前に進み出た。


「ほーう、威勢の良い名乗りだ。大したものだな」

「いかにもな『亭主』に見えますぜ、ボン様……」


レポレッロが隣で囁く。すると、花嫁のゼルリーナが愛らしい笑顔で言葉を添えた。


「マゼットはとっても良い男なのよ!」

「おお! そうか! ……フフ、実は私もそうなんだよ」


美しい花嫁の姿をその目にとらえた瞬間、ジョバンニの瞳の奥で、再び男としての――そして悪漢としての邪悪な欲望が怪しく揺らめき始めたのだった。


「是非、あなた方とお友達になりたいものだ!」


ジョバンニは両手を大袈裟に広げ、心からの親愛を装うかのような甘い声を響かせた。

そして、輝くような笑顔を浮かべる美しい花嫁へとしなやかに視線を向ける。


「シニョリーナ! お名前は?」

「ゼルリーナよ」


花嫁のゼルリーナは、フレアスカートの裾を優雅につまみ上げると、片足を少し前に引き、片膝を軽やかに落とす洗練されたお辞儀(カーテシー)で愛らしく名乗り出た。


「君は?」


続けて、ジョバンニは不機嫌そうに立つ隣の花婿へ視線を移す。


「マゼットです」


男――マゼットは、少し警戒を混じらせたぶっきらぼうな口調で普通に返事をした。


「花婿のマゼットと、可憐なる花嫁のゼルリーナだな!?」


ジョバンニは再び両手を広げ、朗々とその名を反復する。

そして、その瞳に妖しい光を宿しながら、この祝宴の場を一瞬で己の意のままに支配せんとする「とある驚くべき宣言」を口にしようとした――。


――まさに、その時である。


賑やかな手拍子と甘い歓声が響き渡る村の入口を、深々とフードを被った一人のローブ姿の男性が、静かな足取りで通りかかろうとしていたのだった。


かつて『全宇宙友好協会』――そのギルドは『L K O(ラニアケアオンライン)』において、7月6日のサービス終了日まで圧倒的な勢力を誇っていた大集団であった。

サービス終了間際のログイン数は約50人ほどに落ち着いていたものの、かつての最盛期には実に150人以上のプレイヤーを抱えていた大所帯である。そう、彼らもまた、あのログアウト不能となったあの日、宇宙へと放り出され、終わりなき彷徨を余儀なくされた生存者たちであった。


――その協会の面々が今、この異郷の地に姿を現していた。


黒い生地にフードが付いたワンピース状の衣装を纏い、腰にキュッと巻き付けられたベルトをアクセントに、顔をひた隠すようにフードを深々と被った男性。

トレンチコートに黒い中折れハットをかぶり、腕に愛くるしいパンダのぬいぐるみを大切そうに抱えた青い髪の女性。

そして、ダークでシックなカラーパレットのゴスロリ衣装に身を包み、装飾が施されたシルクハットをかぶり、手に美しい蝶の柄のステッキを携えた男性。


3人が降り立ったのは、青々と広がる野の草原であった。

ギルド本部からの空間転送――ワープによって、この『ゴルトバルク』の街の外れへと一瞬で飛んできたのだ。


周囲の空気と景観からここが「地球」ではないことを確認した彼らは、情報収集のため、目の前に広がる街へと向かって歩みを進めようとしていた。


「どうやら……地球ではありませんね……」

「行きましょう……『ハッスル慎吾』さん、『出張買取術師』さん」


黒いフードの男性――協会の主宰者たるソクラテウスが、落ち着いた声で供の二人に呼びかける。


「はい、参りましょう、ソクラさん」

「あぁ……一体いつになったら地球へ帰れるんだ、俺たちは……」


中折れハットの青髪の女性『出張買取術師』と、ステッキを携えたゴスロリ姿の男性『ハッスル慎吾』が溜息混じりに頷き、ソクラテウスの後を追って歩き出した。


賑やかな歓声と軽快な音楽の鳴り響く方角へと進んでいくと、3人の視界に一足飛びで飛び込んできたのは、陽気な男たちと可憐な村娘たちが繰り広げる華やかな宴の風景だった。

言葉通り、長テーブルの上には目を見張るほどの豪華な食卓がどこまでも並んでいる。


揃いの衣装を纏った村娘たちが踊る中、その輪の真ん中に割って入ろうとしている一人の男の姿があった。

洗練された、しかし村の者たちとは明らかに一線を画す派手で気障な身なり。3人は瞬時に(あのかさばる衣装の男は、この村の住民ではなく外部から来た客か何かなのだろうか)と推察した。


立ち止まった3人は、その会話にそっと耳を傾ける。


村の青年マゼットと、可憐な花嫁ゼルリーナ。

二人の目出度い婚礼の宴であるということは、ソクラテウスたち3人にもすぐに見て取れた。ごくありふれた、平和で幸福な結婚式の光景――そこまでは、何の問題もないはずだった。


――しかし。


その真ん中に立つ男――ジョバンニが、芝居がかった動作で大袈裟に両手を広げ、朗々と言い放ったのだ。


「――皆さんを招待しよう!! 私の豪奢な館へ!!!」


ジョバンニの思い上がった声が、昼下がりの祝宴に響き渡る。


「おい、レポレッロ! 今夜、ここにいる素晴らしい皆さん全員を、今夜、私の館へとお連れして、盛大な宴をもう一度開くのだ!!」


村人たちが歓声をあげる中、物陰からその光景を冷ややかな目で見つめる『全宇宙友好協会』のソクラテウス、ハッスル慎吾、出張買取術師の3人。

胡散臭い甘言で新婚の村人たちをまるごと自身の館へ誘い込もうとするジョバンニの目論見と、この異質な状況に、新たな警戒の視線が向けられようとしていた――。


「高級なチョコレートや温かいコーヒーをたっぷりご提供して、皆さんに大いにご満足いただこうではないか!」

「……特に、こちらのマゼット君に一番ご満足いただけるようにな?」


ジョバンニは露骨に不敵な笑みを浮かべ、マゼットの顔の至近距離まで顔を近づけて挑発するように言い放った。

その芝居がかった言葉と、新郎を軽視する歪んだ態度を、物陰からじっと観察していたソクラテウスは見逃さなかった。


「……怪しいですね」

「「え??」」


供の二人が一斉にソクラテウスを振り返る。


「何が怪しいんですか?」

「ん? どこがどう怪しいんだ?」


出張買取術師とハッスル慎吾の疑問に対し、ソクラテウスは顎に手を当てて静かに答えた。


「取り合えず、私は今の男の発言に深い疑問を持ちました。ここは一つ、首を突っ込んで真意を確かめてみましょう」

「よろしいですか?」

「まあ、ソクラさんがそう言うなら良いでしょう」

「仕方ねえな! いっちょソクラさんの本気の実力でも見せてやりますか!!」

「……一言多いです、ハッスルさん。行きますよ」


黒いローブを翻し、ソクラテウスたち3人は陽気な宴が繰り広げられている集落の中心へと踏み込んでいった。


「皆さん、こんにちは。……そこの旦那さん! そちらの可憐な女性は、マゼットさんの大切な花嫁なのではありませんか?」


ソクラテウスが朗々と声をかけたが、その場の全員が一瞬で静まり返った。

異国情緒に溢れすぎる彼ら3人の装いは、どう見てもこの街の住人ではない。突如現れた謎の『異邦人』に対し、村人たちはもちろん、ジョバンニやレポレッロでさえ警戒感を露わにして言葉を詰まらせたのだ。


「「「「「……………」」」」」

「……どうやら、みなさん。不審者が現れた様です……」

「いやいや、違うだろ! その通りだ、俺はゼルリーナを一人になんかしておけないんだ! 私なしでこの男の館へ行くなんて、とても耐えられない……!」


マゼットが我に返り、ソクラテウスの問いかけに同調するように怒りを露わにした。しかし、ジョバンニは鼻で笑いながら胸を張る。


「問題ない! 私は誇り高き立派な騎士だ! ゼルリーナの身は私の手で完璧に護られている! だから何も心配はいらん!」

「そんなはずないでしょう。こんな時に、しかもわざわざ夜に大人数を誘って一体何をする気なのです? あなたは……」


ソクラテウスが冷ややかな視線を向ける。


「何も怪しいことなどするはずがないだろ! ……ただ、マゼット君には私の言うことを聞かないと後で酷く後悔することになるぞ、と言っているのだ。……そもそも君たちは誰なんだい?」


ジョバンニは苛立ちを隠さず、ソクラテウスたち3人を睨み返した。


「我々は遠い星から遥々、この街にやって来た者たちだ。決して不審者ではないから安心して欲しい」

「??? その怪しすぎる身なりで何を言うか!……おい、そのフードを取れ!」

「仕方ない……フードを取ろう」


ソクラテウスは静かに手を伸ばし、被っていた黒いフードをゆっくりと払った。

現れたソクラテウスのあまりにも整った美しい顔立ちを目にした瞬間、ジョバンニの顔色が変わる。男としての強烈な敗北感と危機感が彼を襲ったのだ。


「お、お前……まさか、私以上の女好きだな!? 真打の登場か!?」

「そんな事はない。私にはその様な俗世の欲望など微塵もない。したがって……私は神にもっとも近い存在だ」


ソクラテウスが決めるように朗々と仏像ポーズを取った。


「「「「「???????????」」」」」


その意味不明すぎる決め台詞に、ジョバンニとレポレッロと村娘と他の男性は同時に盛大な首を傾げた。


「まぁ! 騎士様が私を護って下さるの!? すてき!」


二人の困惑を余所に、花嫁のゼルリーナが目をキラキラと輝かせて声を上げた。

マゼットの普段着の姿に比べ、ジョバンニの着飾った装いが「本物の騎士」に見えてしまっていたのだ。


「そんな訳がないでしょう。見ての通り、コイツは騎士などではない。……騎士の格好をした『何か』だ」


ソクラテウスがピシャリと言い捨てる。その一言が、ジョバンニの尊厳を決定的に打ち砕いた。


「さっきから聞いていれば……ッ!! お前の様な礼儀知らずの不審者、この場で叩き斬ってやる!!」

「ボ、ボン様! ボン様!? 今日はなんだか変な奴らにばかり絡まれますね!!」


レポレッロが青ざめながらジョバンニの袖を引っ張る。


「まったくだ! さっきの『自称・暗殺者』と言い、この『自称・神に近い男』と言い、どうなってるんだ今日は……ッ! まさか、昨夜の騎士団長の呪いじゃあるまいな……!?」


イライラと叫び散らすジョバンニの脇で、レポレッロがボソリと独り言を漏らした。


「……まぁ、うちらもあちこちに絡んでいますが……」

「うるさあああああああい!!!!」


ジョバンニは従者を怒鳴り散らすと、再びソクラテウスに向き直った。

ジャキッ――と音を立てて腰のレイピアを抜き放ち、眩い剣先をソクラテウスの鼻先へと突きつける!


祝宴の場が一瞬でパニックに包まれ、村娘たちの悲鳴が響き渡った。


「この私……偉大なる騎士に勝てると思うなよ!? 私の実力はな、地べたで転がっている生ぬるい騎士団長よりも遥かに強いんだぞ!?」


レイピアを身構え、凶暴な笑みを浮かべるジョバンニ。

しかし、その殺意の刃を突きつけられてなお、ソクラテウスは眉一つ動かさず、冷徹な真顔で一言だけ言い放った。


「――『嘘』はいつまでも続くと思うなよ」


「……!!! お、おのれぇぇぇーーーーーッ!!!!」


欺瞞を暴かれたジョバンニの顔が激怒で真っ赤に染まり、冷たいレイピアの突撃がソクラテウス目掛けて解き放たれようとしていた――!


ソクラテウスは右手の掌を静かに正面へと掲げた。

それは、彼がかつて何百人ものプレイヤーたちを統率してきた時と全く変わらない――集団へ完璧な静寂を即座に呼び戻す、まるで仏像のごとき静謐なポーズであった。


和やかだった宴の空気は、一瞬にして肌を刺すような緊張感へと変貌する。

ソクラテウスは感情の起伏を一切排した、だが不可避の威圧感を孕んだ声で静かに口を開いた。


「――死ぬことと、自分の信念と、どちらが大事か!」


「知ったことか! 『平和主義者』の私が、お前みたいな不審者に負けるはずがないだろ!?」

「くたばれぇぇぇぇーーーーーっ!!!!!!!!」


激昂したジョバンニが必殺のレイピアを突き出し、ソクラテウス目掛けて一閃の突きを繰り出した!

しかし――刃がソクラテウスのわずか1メートル手前に迫ったその瞬間、信じがたい事態が巻き起こる。


突如として間に割り込んだのは、腕にパンダのぬいぐるみを抱えた青髪の女性――出張買取術師であった。

彼女は抱えていたパンダのぬいぐるみを無造作かつ豪快に振り上げ、迫り来るレイピアの白刃を『パァンッ!』と力任せに叩き弾いたのだ!


「ぐわぁぁぁ!?」


凄まじい衝撃に手首を弾かれ、ジョバンニの掌から離れたレイピアは、クルクルと綺麗な円を描いて宙を舞い、はるか遠くの草むら深くへと突き刺さってしまった。


「!! ボ、ボン様ぁぁぁアアア!!!」


叫び声を上げて転倒するジョバンニ。その隙を見逃さず、技を繰り出した出張買取術師はハットの庇を指で押し上げ、何事もなかったかのように冷ややかに宣告した。


「……これで、そちらの旦那さんの身勝手な罪(介入)は打ち消されました。大人しく元の結婚式を挙げなさい」

「お、おのれ、決闘を何だと思っている…」


ジョバンニは勝手に始まった決闘について言った。

ジョバンニは目の前の人物であるソクラテウスしか目に入っておらず邪魔をしてくる者については

まったく警戒をしていなかったのだ。


「よろしい…」

「さすがはお二人さん……。俺はただの観客になって見物してただけですかい……」


ハッスル慎吾が溜息混じりにステッキを回しながら肩をすくめる。

倒れ伏したまま喘ぐジョバンニを見下ろし、ソクラテウスは滔々と説教を施し始めた。


「あなたのあらゆる言動を闇雲に誉める人は、決して信頼するに値しない。あなたの間違いを正しく指摘してくれる人こそ、真に信頼できる人なのです。その様な人物は、きっとあなたの周りにもいるはずだ……。今からでも遅くはない、行いを悔い改めなさい」


その言葉に、冷や汗だくの従者レポレッロが這い寄ってくる。


「ボ、ボン様、ボン様……大丈夫ですかい……? いっそ、あっち(殺し屋稼業)の方、すっぱり引退なさいますか……?」

「……だ、大丈夫だ……ッ! それよりお前はさっきから一言が多いんだよ、この馬鹿者がッ!!」


ジョバンニは必死に顔を真っ赤にしながら、哀れな下僕を怒鳴り散らした。


――こうして、村を包み込んでいた悲鳴と緊迫した静寂は静かに去っていった。

白昼の横暴は、あまりにも一方的なボン・ジョバンニの『敗北』という名をもってして、ひとまずの幕を下ろしたのだった。

しかし――プライドを打ち砕かれたこの男が、これで大人しく引くような器でないことだけは火を見るより明らかであった。


ソクラテウスは集まった村人たちに向き直り、深々と頭を下げた。


「宴を開かれている皆さま、突然の乱入、誠に申し訳ない。これで一件落着です」

「村の皆さんも、とにかく安心して結婚したまえ。――良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる」


両脇に出張買取術師とハッスル慎吾を従え、威厳に満ちた演説を美しく締め括るソクラテウス。


「では、失礼」


3人はそれ以上の関与をせず、風のように背を向けると、再び『ゴルトバルク』の街路へと向かって歩みを進め、闇の中へと静かに消えていったのだった――。


ソクラテウスの放った言葉は、決して怒鳴り声などではなかった。

だが、その一言一言がまるで魂の核を直接削り取るような、恐ろしいまでの精神的重圧(プレッシャー)を伴ってジョヴァンニの脳裏に深く突き刺さっていた。


ソクラテウスたちが去った宴の場には、どこか凛とした静寂が残り、村人たちからは感嘆の声が漏れる。


「ねぇ、さっきの男の人、どう思う……?」

「カッコいい……かしら??」

「あの男、神に失礼よ…」

「私にはちょっと無理よ、雰囲気が凄すぎて怖いわ……」

「でも、あの男……すごく整った良い顔立ちの人じゃない……」

「一体どこの国から来たお方なのかしらねぇ……」

「それより、あそこの倒れ込んだ騎士さん、大丈夫なのかしら?」


レポレッロが地面に尻もちをついたジョバンニを引き上げようとオロオロしていると、そこへ一人の女性がトコトコと歩み寄ってきた。

花嫁のゼルリーナである。


「大丈夫かしら……? 騎士さん……?」

「あ……あぁ……まぁ、大丈夫だ……」


隣ではマゼットも心配そうな、しかしどこか冷めた顔で見つめている。

ゼルリーナに優しく手を差し伸べられ、ジョバンニは彼女の手を借りて情けなく立ち上がった。


「ありがとう、ゼルリーナ。お礼を言いたい……あちらへ行こうか」


ジョバンニは怪我人を装いながら、ゼルリーナを宴の広場から少し離れた木陰へと巧みに案内した。


「……ふぅ、やっと二人きりになれたね」


そう――ゼルリーナは、単に目の前で負けて打たれ伏した「か弱く可哀想な平和主義者の騎士」を気遣い、助け起こすために手を差し伸べたに過ぎなかった。

だが、ジョバンニはその可憐な瞳をじっと見つめ、気障な笑みを復活させる。


「どうだ? 彼らをうまく追い払ったろう? ……ふっ、たまにはあえて負けてみるのも悪くない……」

「え……?」

「だって彼らは武器すら持っていなかったろう? そこで私が本気を出し、相手を完膚なきまでに叩きのめして勝ってしまっては……私という騎士の格が疑われて困るからな。はっはっは!」


ジョバンニの白々しい言い訳に、ゼルリーナも思わずクスクスと微笑みを返した。


「君に本当に似合うのは……私のような誠実で心優しい騎士だ。……違うかい?」

「旦那様、ですが……私はあのマゼットと結婚するのですよ……?」

「あんな男、君には何の価値もないよ。君の先には、全く別の輝かしい運命が待っているのさ」

「え……?」

「さぁ今すぐ、私と結婚しよう……。少しばかり弱い騎士だがね……はっはっは!」


ジョバンニは甘い言葉を囁きながら、ゼルリーナのしなやかな右手をそっと両手で包み込んだ。


「君のこの美しい唇……そして白く柔らかな指に触れると……まるで上質なチーズのように、芳しくしなやかに香るのだよ……」


ジョバンニは引き寄せるように顔を近づけ、ゼルリーナの右手の甲へとそっと熱い口づけを落とした。


「あぁ……っ、ダメよ……」


ゼルリーナは困惑したように声を漏らし、慌てて視線をそらした。


「最後には……裏切られてポイと捨てられるのよ……。『騎士なんて身分の人たちに、誠実な人など一人もいない』って、みんなが言っていたわ……」

「そんな酷い嘘を吐くのは誰だい? マゼットか? あいつはただの平民だぞ?」

「でも……」

「いいかい? 私のこの目をよく見てごらん。『誠実』と書いてあるだろう? さぁ、立ち止まっている時間が勿体ない。私と結婚しよう」

「あなたと……!?」

「そうだ、私とだ。……あそこを見てごらん」


ジョバンニが指さした先――緑豊かな丘の向こうに、小さいながらも重厚で立派なお城が聳え立っていた。


「あの小さなお城は、私の城だ。あそこで今夜、私と結婚式を挙げよう……」

「行こうか……行くまいか……少し怖いわ……。でも、もし行ったら行ったで、私は最高に幸せになれるのかしら……?」


遠くの宴の席では、マゼットがチラチラとこちらを伺っていた。

ジョバンニは彼らに会話が届かないよう極限まで声を潜め、甘く魅惑的な毒を流し込み続ける。


「さぁ、行こう、可愛い人……」

「でも……ほら、見て……マゼットに悪いわ……」

「私が君の人生を劇的に変えてあげる」

「私も誘惑に弱いわ……あなたも騎士として弱い……」

「はっはっは! おいで、さぁ、私と共においで……」

「あぁ、どうしよう……。……ええ、行きましょう……!」


ゼルリーナがジョバンニの手を取り、一歩を踏み出そうとした――まさにその時であった!


「――待てッ!!!!」


勢いよく二人の間に割って入ってきた男がいた。

花婿のマゼットである!


彼は先ほどのソクラテウスの鋭い警告を、心から真摯に受け止めていた。そして、あの怪しい騎士に対する自分の疑念が正しかったことを完全に確信したのだ。


「待て! どこまでも酷い男だ! お前、さっき懲りたんじゃないのか!?」

「天の神様はなぁ! お前のような奴の悪事を絶対に見逃さねぇぞ!?」

「なっ……!? わ、私は何も……ッ!」


マゼットの気迫に押され、ジョバンニは一転してしどろもどろになる。

芝生の上を行ったり来たりしながら、冷や汗を流して慌てふためいた。

事態を察したゼルリーナは、今にも修羅場が始まろうとするその場所から、サッと遠くの安全な場所へと避難した。


「俺はなぁ! 俺の大切な嫁をお前の毒牙から護るためにここに来たんだ!!」

「な、何を言っている! 私はただ、彼女と仲良く遊んでいただけなのが分からないのか!?」

「これが本当に遊びかッ!? あまりにもひどい遊びだな!!?」


怒りに肩を揺らすマゼットだったが、ふぅと息を吐くと、思い直したように言い放った。


「……ゼルリーナ、戻るぞ。もういいだろ。あんた(ジョバンニ)も宴に参加するなら、さっさと参加しな!」


新郎マゼットの想像以上の「心の広さ」と思い切りの良さを目の当たりにし、ジョバンニは言葉を失った。


気まずそうに宴の広場へ戻ると、その傍らにはすでに従者レポレッロの姿があった。

彼はすでにテーブルの上の料理を大量に平らげたらしく、お腹を膨らませて大満足の表情を浮かべている。


「……ふぅ、食った食った。美味いですねぇボン様!」

「黙れ……ッ!」


こうして、ジョバンニたちの強引な乱入によって一時騒然となったゼルリーナとマゼットの結婚式の宴は、美味しい食事を存分に楽しみ、その余韻を噛みしめながら、無事に終わりの時間を迎えたのだった。


「……では、我々はこれにて失礼するよ」


ジョバンニとレポレッロは、村人たちに手を振ってその場を後にしようとした。

ジョバンニは去り際、マゼットたちへ「今夜の館のパーティーには必ず参加するように」と念を押していた。


静まり返っていく昼下がりの村。

今夜、あの男の館で一体何が起きるのか――何も起きなければ良いがと、遠ざかる二人の背中に不穏な影が落ちていた。






登場人物紹介


花嫁:ゼルリーナ

花婿:マゼット


黒い生地にフードが付いたワンピース状の衣装を纏い、腰にキュッと巻き付けられたベルトをアクセントに、顔をひた隠すようにフードを深々と被った男性。:ソクラテウス


トレンチコートに黒い中折れハットをかぶり、腕に愛くるしいパンダのぬいぐるみを大切そうに抱えた青い髪の女性。:買取出張術師


そして、ダークでシックなカラーパレットのゴスロリ衣装に身を包み、装飾が施されたシルクハットをかぶり、手に美しい蝶の柄のステッキを携えた男性。:ハッスル慎吾

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