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消滅の宇宙  作者: 万世 千秋
『ドン・ジョバンニ』改め『ボン・ジョバンニ』
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59/62

殺人カタログの歌

お越しいただき有難うございます

最後までお読みいただけると嬉しいです。



 次の日の朝――。


昨日引き起こされた凄惨な殺人事件の、当の本人と従者による密談が始まろうとしていた。

昨夜の闇の中、混乱に乗じて現場から姿を消した二人は、あらかじめ指定していたこの場所で落ち合う約束を交わしていたのだ。


頭上からはうっすらと朝日が差し込み、遠くの商店街からは商人たちの威勢の良い掛け声が響き渡っている。活気あふれ始める表通りの賑やかさとは打って変わり、家と家の間に挟まれた薄暗く誰も通らない寂れた路地には、重苦しい殺気が澱んでいた。


従者レポレッロは意を決し、主人であるボン・ジョバンニへと食ってかかるように詰め寄る。


「さぁ、何が言いたい?」


ジョバンニは腕を組み、冷ややかな眼差しで従者を見下ろしながら言い放った。


「昨日の依頼は失敗し、その代わりにあんな騎士団長を殺してしまうなんて……!」

「ふん、誰も見ちゃいないさ」

「誰も見ていない……だなんて! 事態はそんなに甘くありませんぜ!」

「そんなに事は重大ではない。そもそも依頼対象(アンナ)ではないが、昨日の騎士団長はああ見えてそれなりに強かった。相応の報酬は入るはずだ」


悪びれもせず言い返すジョバンニに対し、レポレッロは眉をひそめて首を振った。


「やはりボン様……お名前を変えたりなさらない方が、報酬も依頼も山ほどこなせていたはずですぜ……。今のボン様の暮らしぶりといったら、まるでその辺の与太者同然じゃありませんか」


レポレッロは低い姿勢を保ちつつも、心からの忠告として己の主人に物を申していた。

長年従者としてこのジョバンニという男に付き従ってきたからこそ分かる苦言だ。これから従者として路頭に迷わず生きていくためには、どうしても確実な依頼をこなして金を稼ぐ必要があるのだから。


「黙れ。……お前が立てたあの誓いはどうした?」


ジョバンニは傲慢な上から目線で睨みつけ、冷たく問い詰める。


「もう……知りませんよ……」


レポレッロは心底嫌気がさしたように吐き捨てた。

そんな従者の態度を受け流すように、ジョバンニは唇の端を歪めて薄笑いを浮かべる。


「……まぁいい、仲直りをしようじゃないか。次は必ずや、依頼を完璧に達成してみせる」

「ハァ……本当ですかね……」

「おい。俺がこうしてリスクを犯し、この街に留まっている訳は……一体何だと思う?」

「それは……ちゃんとお仕事をしていただくためで……」

「裏社会の『殺人カタログ』……『殺人リスト』に名を載せる以上、仕事の重みを知らなくてはな。仮に名前を変えようとも、積み上げてきた実績はどこまでも実績だからな……」


ジョバンニは漆黒のマントをふわりとなびかせ、冷酷な光を宿した瞳で朝空を見上げる。


「それに……ふふ、また今夜も、最高の獲物がやってくるさ――」


◆◆◆


昨夜、暗い街路で目撃した「あまりにも生々しい人の死」の記憶は、夜が明けてもテンゴたちの心に重くドシリと横たわっていた。


現実の世界(リアル)にいれば、事件や事故、あるいは病気や老衰といった理由以外で、大人が目の前で他人の「死」に直面することなどまずない。ここは本当に単なるゲームの世界なのか、それとも死の概念すら書き換えられた残酷なリアルなのか――底知れぬ謎への不安と深い悲しみを抱えたまま、5人はどこか暗い雰囲気をまとって朝を迎えていた。


宿の食堂。各自が自室から重い足取りで出てきて、丸テーブルを囲むように着席する。


「……おはよう」

「おはよー……」

「おはよ……」

「おす……」


元気のない挨拶が飛び交う中、ピローがスープの湯気を見つめながらぽつりと呟いた。


「……みんな、昨日は寝れたか?」

「うん……まぁ……」

「寝れたよ……」

「昨日のあの現場に遭遇したからさ……中々寝付けなかったけどな……」


チヒロやネルソンが力なく答える。重苦しいしんみりとした空気がテーブル全体を包み込む。

その空気を振り払うように、テンゴが努めて穏やかな声で言葉を紡いだ。


「……まぁ、なんだ。皆思うところはあるけど……俺たちは、こうして生きているじゃないか」

「……」

「さぁ、食べようぜ。今日は外も晴れてるしさ……。晴れてるんだから、少し街に出てこの惑星、この街を探索してみようぜ」

「あぁ……そうだな」

「そうね……」


テンゴの提案に頷き、5人は黙々と朝食を腹に収めると、準備を整えて宿を後にした。


表へ繰り出すと、昨夜の惨劇がまるで嘘であったかのように、街には色鮮やかな活気が溢れ返っていた。

太陽の光を浴びて輝く美しい公園、重厚で洗練された西洋風の建物が建ち並ぶ街並み、そして大きな貴族の屋敷。通り沿いには珍しい品々を並べた活気ある出店が連なり、夜の営業を待つ酒場がひっそりと佇んでいる。その景色は、かつて訪れたあのセビリアの街をどこか彷彿とさせるものがあった。


街の賑やかさに触れ、少しずつ緊張がほぐれかけていたその時――。


テンゴたちの目の前を、一人の女性が激しい興奮状態で独り言を毒づきながら通りかかろうとしていた。


この世界に迷い込んでから、数多くのNPCや住民を見てきた。彼らが独自のスクリプトやAIに従って生きていること自体は、もはや見慣れた光景のはずだった。

だが、その女性が撒き散らす気迫と怨念は、あまりにも異質で苛烈なものだった。


「あの酷い男はどこだ……!! 私はあんなにも愛したのに、すぐに私を裏切りやがって……っ!」

「あの情け知らずを見つけ出して……八つ裂きにして、心臓をえぐり取ってやるわ……ッ!!」


怒りに肩を震わせ、殺気立った瞳で周囲を睨みつけながら歩み去っていく女性――。


深く帽子を被り怒り心頭の様子でブツブツと呪詛を吐き捨てながら歩く女性――ドンナ・エルヴィーラ。

普通であれば関わり合いを恐れて誰もが視線を逸らすところだが、チヒロは心配になって思わず声をかけていた。どれほど過酷な現実に直面しようとも、気軽に困っている者に声をかけられるのは、どこか彼らがゲーマーらしい親切さを失っていない証拠かもしれなかった。


「あのー……どうされたんですか?」

「ん?……あら、お嬢さんには関係のないことよ。お気遣いありがとう、おほほ……」


エルヴィーラは一瞬だけ表情を和らげると、素っ気なく返事をした。


「そうですか……失礼しました」


そのまま何事もなく会話が終わるかと思われた――その数秒後のことだった。


「お嬢さん! お嬢さん!!」


建物の隙間にある薄暗い路地から、急に二人の男性が飛び出してきた。

テンゴたちと同じように、彼女の異様な苦しみを聞きつけて声をかけてきた親切な(あるいは胡散臭い)通りすがりがいるようだった。


「何という深い苦しみをお持ちで……!!」


男性の一人が大袈裟な身振りを交えて問いかける。二人組は怒りに震えるエルヴィーラへとにじり寄り、慇懃無礼な笑みを浮かべて話を持ちかけた。


「私共が、お嬢様のそのお心を優しく慰めて差し上げます!」

「なんなのあんたらは!? 誰なのよ!?」


エルヴィーラの叫ぶような問い詰める声は、離れた場所にいたテンゴたち5人の耳にもはっきりと届いていた。5人は思わず足を止め、振り返ってその怪しいやり取りをじっと観察し始める。


「私は、迷える羊を必ずや救う――『愛の運び手』でございます!!」

「私は今、あの怪物を……天と地に賭けた聖なる義務をすっぽかして、私を置いて逃げて行ったあの男に天罰を与えてやりたいのよ!!」


興奮気味に捲し立てるエルヴィーラに対し、男は揉み手をしながら即座に応じた。


「そのお仕事、ぜひ私共にお任せいただきましょう!」


物陰から聞き耳を立てていたテンゴたちは、ずっと難しい顔をして首を傾げていた。

そう――一体「何のお仕事」なのか、その実態がさっぱり掴めなかったからだ。


「その男に神からの正当なる罰をお与えするため、お名前とご住所、できれば似顔絵をお聞かせ願えますか?」


もう一人の男が手帳を取り出しながら尋ねた。


「で? あんたら、依頼を引き受けてどうする気なのよ?」


エルヴィーラが口を尖らせて問い質す。すると、男は事もなげに、どこまでも平然と言い放ったのだ。


「――その男性を、『殺害』いたします」

「報酬につきましてはですね……」


――『殺害』。


その不穏すぎる二文字が男の口から飛び出した瞬間、テンゴたちの脳裏に昨夜目撃したあの凄惨な騎士団長の殺人現場が鮮明にフラッシュバックした。


(まさか……!?)


こうも簡単に、しかも白昼堂々と「殺し」の取引が行われているなど、到底あってはならないことだった。だが、もしこの街『ゴルトバルク』においてこれが日常茶飯事の「仕組み」なのだとしたら――。


男が報酬の話を進めようとした、まさにその時だった。


「っちょっと待ったああああ―――ッ!!!!!」


聞き耳を立てていたテンゴを筆頭に、5人は猛然と3人の元へと駆け寄った!


「何が『殺害』だ……!?」

「昨日の夜、実際に惨い殺人事件があったのよ!?」

「こんな昼間から、何の恐ろしい依頼をしようとしとるんや!?」


テンゴ、チヒロ、ネルソンの怒声が一斉に響き渡り、怪しげな二人組――そして復讐に燃えるエルヴィーラを正面から鋭く見据えたのだ。


帽子を深く被った女性――ドンナ・エルヴィーラと怪しげな二人組は、突如として割り込んできたテンゴたち5人に一瞬気圧されたものの、すぐに男二人が不満げに詰め寄ってきた。


「一体何なんですか!? あなた達は!?」

「そうだ、我々の商売の邪魔をしないでいただきたい!」


どこか胡散臭さは漂うものの、その立ち振る舞いは無駄に堂々としており、一見すれば公的な職に就く人物かのように見えなくもない。


「それに、昨日殺人があったなんて私は知らないわよ!?」


エルヴィーラが苛立ちを露わにして叫ぶ。テンゴはその二人組を鋭く睨みつけ、鎌をかけるように低く問いかけた。


「……まさか、昨日発生したあの惨い殺人、アンタらがやったんじゃないだろうな?」


その言葉が落ちた瞬間――二人組の顔色が一変した。

ダラリと大粒の冷や汗が彼らの額を伝い落ちる。


「そ、そんな! 滅相もありません! 仕事として受けた依頼以外の殺人など……! この! ボン様に至っては絶対に行うはずがございません!!」


従者の男が慌てふためいて弁明し、テンゴたちとエルヴィーラは思わずあっけにとられた。


「その通りだ! この私、『ボン・ジョバンニ』は何を隠そう根っからの『平和主義者』だ! そのような野蛮な真似は絶対にしない!」


胸を張って言い放った男――ボン・ジョバンニ。

その白々しい主張に、テンゴとピローは冷ややかな視線を浴びせる。


「……ホントかぁ?」

「昨日我にぶつかったか?、我の目が誤魔化せると思うな……」


テンゴとピローが呆れ交じりに呟く中、深く被っていた帽子の奥から、エルヴィーラがじっとその男の顔を見つめ返した。


「……ん?? ……ボン・ジョバンニ……??」


首を傾げながら、穴が開くほど男の目元や顔立ちを観察するエルヴィーラ。


「あなた……まさか『ドン・ジョヴァンニ』じゃないかしら!?」


エルヴィーラが鋭く追及した途端、従者の男の手が激しく震え出していた。


「ち、ち、違いますぜお嬢さん! このお方はあくまで『ボン・ジョバンニ』様でありますぜ! 全くの別人です!」

「でも……すごーく顔も似ているわよね~~~??」


エルヴィーラは男の至近距離まで顔を近づけ、マジマジと見つめ回す。

確かに名前が酷似しているだけで、ただのそっくりさんの可能性もゼロではない。だが従者は滝のような汗を流しながら、必死に否定を繰り返していた。


「さ、さ、最近、お仕事が全くなくて大変困っております! 何卒ご依頼をお願いします、お嬢様!!」


あまりにもしつこく頭を下げて依頼を乞うてくる従者に対し、エルヴィーラはふぅとため息をつき、渋々といった様子で言葉を吐き捨てた。


「……ふん、じゃあ、そのお仕事の依頼を聞いてくれるかしら?」

「はいっ!! 何なりと!!!」


ジョバンニと従者は一瞬でパッと顔を輝かせ、満面の笑顔で依頼を受けようと身を乗り出す。

そんな二人に向かって、エルヴィーラは狂気を孕んだ笑顔で言い放った。


「――今言った『ドン・ジョヴァンニ』を、殺害してほしいのよ!!」


「「!!!!????」」


その言葉を聞いた瞬間、二人の顔から一瞬で血の気が引き、先ほど以上の滝のような冷や汗が吹き出した。


物陰から観察していたテンゴたち5人も、(まさか……!)と息を呑み、二人の露骨すぎる挙動不審な態度を固唾をのんで見守る。


「本当に酷い男なのよ! 私を言葉巧みに騙して裏切ったわ!!」


エルヴィーラは怒りを再燃させ、目の前に立つ『ボン・ジョバンニ』の瞳をこれでもかと恐ろしい形相で睨みつけながら捲し立てた。


「この男……!! ……あぁ間違えましたわ! 『その男』をもう一度見つけ出して、私の手で……あるいは依頼で、徹底的に復讐してやりたいのよ!!!」


激情に駆られたドンナ・エルヴィーラは、さらに怒りの矛先をぶつけるようにまくし立てた。


「あの男が何をやったかと言ったら……私の家にそっと忍び込んで、強引に甘い言葉で誘惑し、私を夢中にさせた挙句にポイと捨てたのよ! 『妻にする』と言っておきながら、何の相談もなく私を置いて逃げたのよ……! おかげでこの1週間、涙と後悔だけに明け暮れる地獄のような日々だったわ……ッ!!」


先ほどにも増して沸騰した怒り心頭の解説に、気まずさのあまり、従者の男は引きつった笑みを浮かべる。


「そ、そ、その男……あ、会ったことはありませんが、まさしく『オペラ』の悪役に出てきそうな、どうしようもない糞野郎でございますね……!」

「では、失礼する……」


冷や汗を拭いながら、ジョバンニは唐突に身体の向きを変え、何処かへと歩き出そうとした。


「ボ、ボン様!? どちらへ行かれるんですか!?」

「急用を思い出したんだ。あとは任せたぞ、レポレッロ!」


そう言い捨てるやいなや、ボン・ジョバンニはただの歩行から次第に早足へと変わり、その場から逃げ出すように足早に去ろうとする。


「ちょっと! どこに行くのよ!?」

「ま、まぁまぁお嬢様……その、四角は丸くありませんし……」

「何を言ってるのよ、私を茶化そうとしてるわけ!?」


エルヴィーラが怪訝な声を上げる中、ジョバンニの背中はみるみる小さくなり、遠ざかるにつれて完全に「走って」逃げ出していくのが見て取れた。


残された従者は、去っていく主人の背中を冷や汗で見送りつつ、気まずさを誤魔化すようにテンゴたちとエルヴィーラに向き直る。


「ま、まぁ悪党め……あっさり逃げたわね……」

「ご安心ください、お嬢様……そしてそこの異邦人の方々!」


男は咳払いを一つすると、胸を張って宣言した。


「私、今や『ボン・ジョバンニ』様の忠実な僕《しもべ》をしております――『レポレッロ』と申します!」


テンゴたち5人とエルヴィーラという計6人の視線が、その従者へと集まる。遠ざかるジョバンニの背中をちらりと確認しつつ、レポレッロは懐から一冊の小さな冊子――片手で収まるサイズの手帳のような本を取り出した。


「よろしいですか? これはボン様がこれまで手にかけてきた……失礼、華々しいお仕事の数々をしるした『殺人カタログ』、その歩みを示す証拠でもあります! そして、何を隠そう、この私『レポレッロ』もそのすべての目撃者であり、証人でありますぞ……ッ!?」


追い詰められた保身のためか、あるいは主人の愚行をさらけ出すためか、レポレッロはふわりと姿勢を整えると、彼ら6人の前で堂々と歌い始めた。


――『殺人カタログの歌』


レポレッロは、懐から取り出した古びた手帳――『殺人カタログ』を、まるで名誉ある勲章か何かのように誇らしげに掲げ、これ見よがしにめくり出した。

パラパラと音を立ててめくられるページには、男性、女性の枠を超え、まさに老若男女問わず、無数の人々の顔が精緻なタッチでスケッチされている。血の通った人間の顔。

だが、その絵のすべてに、まるで検品でも済ませたかのように、赤黒いインクで無慈悲な「×(バツ)印」が乱暴に書き込まれていた。

それはすなわち、彼らがすべてボン・ジョヴァンニの手によって命を奪われたという、動かぬ死の証明。

あまりにも異常で、あまりにも悍(おぞ)ましい光景を前に、テンゴたち5人とエルヴィーラが息を呑む。その緊迫した沈黙を破り、レポレッロは劇場の舞台に立つ役者のように胸に手を当て、朗々と歌い始めた。


「また出た深いため息が……」


深く、わざとらしいほど重いため息をつき、首を振る。


「依頼を受けては、殺しーきれない!」

「失敗もある!」


レポレッロは自分の頭を拳で叩くようなジェスチャーを見せ、悔しさを滲ませる。だが次の瞬間、パッと表情を明るく変え、手帳をバッと一同に突きつけた。


「……だが、これからは違うッ!」


ここから歌のテンポが一気に跳ね上がる。レポレッロの指先が、手帳のページを激しく、かつリズミカルにめくっていく。そこに描かれた死者たちの顔が、パラパラ漫画のようにテンゴたちの視界を通り過ぎていく。


「毒殺では、三百二十人!」

「絞殺(こうさつ)では、二百三十一人!」

「撲殺では、ちょうど百人!」

「刺殺では、九十一人!」


一気にまくし立て、誇らしげに胸を張る。その表情は凶悪な殺人鬼のそれではなく、自らの「業績」を自慢する職人のそれだった。何百人という人間の命を奪っておきながら、それをただの数字としてカウントする歪んだ狂気。

だが、そこまで熱弁したかと思うと、レポレッロは急にガックリと膝と肩を落とし、泣き出しそうな情けない顔を作った。


「――が、それは過去の栄光……」

「ちょっと皆様、驚かないでくださいよ?」

「今はご覧の通り、さっぱりです……!」


そして、残された白いページ、まだ「×印」のついていない、真っ白な空白の紙面を、テンゴたちの目の前でバサバサと激しく振り回した。その必死な様子は、まるで飢えた犬が餌を乞うているかのようだ。


「し・ご・と・くれ!!」

「し・ご・と・くれ!!」


裏社会を震撼させたはずの暗殺チームの片割れとは思えない、あまりにも必死で、あまりにもセコい「営業活動」。あまりのシュールさに、テンゴ、チヒロ、ネルソン、ピロー、モモの5人は開いた口が塞がらない。

そんなプレイヤーたちの呆然とした空気を無視して、レポレッロはジリジリと、怒りで顔を真っ赤にさせているドンナ・エルヴィーラの方へと歩み寄り、手帳の特定のページを指さした。


「その中には、そこのお嬢様のように」

「騙されて泣いた、哀れな美女たちもいれば」

「お城の兵士も、ただの通行人も」

「あらゆる身分の、あらゆるターゲットが!」


歌がクライマックスに達すると同時に、レポレッロはピタリと動きを止め、その目がギラリと不気味な光を宿す。


「そう、あいつの刃にかかって……みんな死んだのです!!」


パタン、と大きな音を立てて手帳が閉じられる。

目の前で繰り広げられた、あまりにも軽快で、あまりにも悍(おぞ)ましい「殺人のカタログの歌」。

目の前の従者は、主人がどれほど冷酷に、どれほど多くの命を奪ってきたかを、まるで自慢話のように歌い切ってみせたのだった。


「それでは、美しいシニョリーナよ! 本当にご依頼をなさいますか!?」


レポレッロはバチンと音を立てて手帳を閉じ、期待にギラギラと目を輝かせながらエルヴィーラへ尋ねた。

喉から手が出るほど欲しい「し・ご・と」のチャンスだ。


「ええ! 勿論よ! 私の元に戻らないなら……いっそあの男を殺して頂戴!!」

「……!?……んん? 戻らないなら殺せ……? 戻るなら生かせと……?……」


レポレッロの頭上に大きな疑問符が浮かび上がった。

暗殺の依頼としてはあまりにも矛盾した、女の歪んだ愛憎。

しかし、背に腹は代えられない。彼はすぐにコホンと咳払いをして気を取り直した。


「……ッ! かしこまりました! 僕(しもべ)である私レポレッロが、主であるボン様にお仕事のご依頼を確かにお受けしたと、至急報告して参ります!」


レポレッロは背筋をピンと伸ばし、エルヴィーラに向かって芝居がかった動作で深々と一礼した。

そしてクルリと向きを変えると、隣で一連の怪しいやり取りを不審そうに見つめていたテンゴたち5人へと視線を向ける。

手帳を素早く懐へしまい込み、その目が営業マンから、裏社会に生きる「観察者」のそれへと切り替わった。


「……あ、いや。それで、あなた方、異邦人の皆さまは何かご依頼されますか?」

「いや、俺たちは……」

「そもそも、どちらの国から来られたのですか? この辺りの住人ではございませんよね?」


探るような、値踏みするようなレポレッロの視線。


テンゴは一瞬身構えたが、ここで変に隠すのも怪しまれると考え、努めて自然に声を返した。


「すまんな、俺たちも自己紹介が遅れたな。俺はテンゴだ」

「私はチヒロよ!」

「うちは、桃姫。モモって呼んで……」

「拙者は岡田ネルソン。ネルソンでいいげぞ」

「そして……我は暗殺者ピローだ。よろしく……」


5人がそれぞれ名を名乗ったその瞬間、レポレッロの目がピタリと止まった。


「ほーう……『暗殺者』、ですか……。なるほど、なるほど……」


レポレッロは顎に手を当て、5人を、特にピローの姿を穴があくほどじっくりと観察し始めた。

ピローが羽織る漆黒のマントの隙間。

そこから覗く、禍々しい鈍色の光を放つ赤いブレードの柄。


「ふむ……なるほど。同業者、あるいは同類といったところか……」


レポレッロはその鋭い直感で、ピローの奥底に眠る「本物の殺気」を的確に察知していた。

この5人、ただの呑気な旅人ではない。


「まぁ、いいでしょう。私はこれにて失礼させていただきます。皆さん、またお会いしましょう」


レポレッロは帽子に手を当てて優雅に一礼する。


「そちらのシニョリーナには、後ほどお仕事の成果をしっかりとご報告させていただきますので。では……」


そう言い残すと、レポレッロは先ほどジョバンニが全速力で逃げていった道をなぞるように、驚くほど軽やかな足取りで去っていった。

テンゴたちはその背中を見送りながら、どっと押し寄せる疲労感とともに、(これもまた、この街『ゴルトバルク』ならではの日常なのだろうか……)と複雑な思いを巡らせる。

一方、依頼を終えたエルヴィーラも、激しい怒りの余韻に肩を揺らしながら、レポレッロとは反対の方向へと一人寂しく歩き出した。

裏切られた愛への執着と、それを抹殺したいという殺意。その狭間で揺れる背中は、どこか痛々しくもあった。

――と、その時である。


「ああ~~~~ッ! そうだ! そうだ! 言い忘れたことがあったーーーッ!」


緊迫感が緩みかけた路地に、場違いな大声が響く。

去っていったはずの従者レポレッロが、大慌てでドタドタと足音を立てて走って戻ってきたのだ。

テンゴたちは目を丸くし、肩で息を切らせながら突進してきたレポレッロを迎え撃つように目線を合わせた。


「ん? なんだ?」

「異邦人の皆さん! ……あなた方に『お仕事の依頼』が来ることが無いよう、心よりお祈り申し上げます。……言いたいのは、それだけです……!」


一瞬、冷たい風が吹き抜けたかのように、路地の空気が完全に凍りついた。

レポレッロの言葉に込められた、あまりにも重く、生々しい意味。


――すなわち、いつか誰かが自分たちを憎み、あの『殺人カタログ』を開いて、テンゴたちの名前を標的(ターゲット)として書き込む日が来ないことを祈るという、静かな、しかし確かな『警告』。

テンゴたちは息を呑み、言葉を失ったまま、意味深に光るレポレッロの瞳を見つめ返した。


自分たちがこの街にいる限り、いつ誰から命を狙われてもおかしくない。

昨夜見た騎士団長の惨劇が、次は自分たちの身に起きるかもしれないのだ。

5人の胸に、一気に冷たい警戒心が跳ね上がる。


「では、今度こそ! ……ああ~~~ッ! ボン様~~~~ッ! 待ってください~~~ッ!」


ピリついた空気を残したまま、レポレッロは再びきびすを返し、今度こそ猛スピードで走り出した。

遠くの路地の角へと、その背中が消えていく。


「置いてかないでくださいよおぉぉぉーーーっ!」


遠ざかる彼の情けない叫び声だけが、陽の差し込み始めたゴルトバルクの街路に、空しく響き渡っていたのだった。


◆◆◆


レポレッロの姿が角の向こうへ消え、路地裏には再び重苦しい静寂が戻っていた。


テンゴ、チヒロ、ピロー、ネルソン、モモの5人は、しばらく無言のまま彼らが去っていった道を見つめ続けていた。


「……ねえ、テンゴ」


チヒロがどこか確信に満ちた、それでいて背筋に走る戦慄を隠しきれない声で呟いた。


「今のやり取り……あの男たちの動きって、どこかで……」

「ああ、間違いない」


テンゴは深く頷いた。

その脳裏に鮮烈に蘇っていたのは、あの地球のレンタル集会所で参加した、第70回『全宇宙友好協議会』の一幕であった。


戦士の皮を被った魔法使いが、一瞬の隙を突いてターゲットから成果を掠め取り、テレポートで鮮やかに逃走する――。

かつてソクラテウスが壇上で熱弁していた『見た目や肩札に騙されるな』という悪質な詐欺やトラブルの手法。


名前を『ドン』から『ボン』へと僅かに変え、平和主義者を装って懐に入り込み、ターゲットの愛憎を利用して『殺人の依頼』という特大の成果を掠め取っていったあの二人組の手口は、まさに協議会で共有されていた数々の事例と恐ろしいまでに符号していた。


「しかも、あの従者(レポレッロ)……」


ピローがマントの下で赤いブレードの柄をそっと弄びながら、低い声で呟く。


「我の職業(中身)まで察してやがったか?……。あれはただのセコい営業マンじゃねえぞ。あの『カタログ』に書かれた無数の×印……ありゃあ全部、本物の死の数だ」


レポレッロが最後に残していった、あの凍りつくような『警告』。


――あなた方に『お仕事の依頼』が来ることが無いよう、心よりお祈り申し上げます。


かつて『大宇宙冒険壇』の掲示板や協議会で語られていたような「ネトゲの詐欺・トラブル事例」としての知識。

それが、ログアウト不能となったこの『L K O(ラニアケアオンライン)』の異変の中では、生々しく命を脅かす『リアルな暗殺の仕組み』として、目の前で牙を剥こうとしているのだ。


ネルソンもまた、まだ少し疲れの残る顔を強張らせ、ゴクリと唾を呑み込んだ。


ソクラテウスの演説をただの「迷惑行為の対策講座」として聞いていたあの頃とは、決定的に状況が違う。

ここは、NPCの「死」すらも覆り得ない残酷なリアルへと変貌した世界であると実感せざろを得なかった。


甘い言葉や奇妙な名前に騙され、一歩引いて疑う慎重さを忘れた瞬間――自分たちの名前があの『殺人カタログ』の空白のページに書き込まれることになる。5人はその冷徹な事実に、静かに身を震わせた。


「……とにかく、警戒を怠るな。あのボン・ジョバンニって男とレポレッロ……次に会う時は、完全に敵(ターゲット)として対峙することになるかもしれない」


テンゴの固い決意の言葉に、4人は静かに、そして深く頷いた。


彼らは再び立ち上がり、色鮮やかな活気と底知れぬ不穏さが同居する『ゴルトバルク』の街並みの中へ、慎重に一歩を踏み出していくのだった――。

モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』における復讐の貴婦人、ドンナ・エルヴィーラの登場であった。

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