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消滅の宇宙  作者: 万世 千秋
カルメン
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43/64

居酒屋での喧嘩、そして戦闘

この第2幕も終了です。

最後までお読みいただけると幸いです。

よろしくお願いしまう。

カツ、カツ、カツ――と、硬質な軍靴の足音が、地下へと続く階段を重々しく鳴り響かせて降りてくる。

その靴音の主が誰であるか、ドン・ホセには嫌というほどよく分かっていた。自分と同じ軍靴を履き、上の階で待たせている部下たちの痺れを切らした末に、業を煮やして自ら呼びに降りてきた上官に違いなかった。


「さぁて、いよいよ誰かお迎えがやってきたみたいだぞ」


テンゴが興味深そうにつぶやく。

上の階で待機している部下たちが、あまりにも遅いホセの帰還に痺れを切らし、上官へチクリと報告でもしたのだろう。このままでは上の人間にまで大目玉を食らうのは確実であり、すぐにでも頭を下げにいかなければならない立場なのだが、いざ上官の顔を思い浮かべると、ホセの背筋には冷たいものが走った。


「――取り込み中すまないな。失礼、入るぞ」


ガチャリと扉が開き、姿を現した上官は、どこか芝居がかった、そして悪意ある笑みを浮かべながらゆっくりと店内に歩みを進めてきた。その余裕綽々な態度からは、この場の空気をすべてお見透しで、面白がっている様子がありありと見て取れる。


「こいつは一体、どういう風の吹き回しだ……?」


上官はドン・ホセと、その傍らに立つカルメンの姿をチラリと見比べながら、いやらしい笑みを崩さない。


「なぁ……ホセよ。一兵卒でありながら、勤務中にこんなところで何をやっているのやら……」


その時、カルメンがふっと妖しく、そして勝ち誇ったような優越の笑みを浮かべて上官の側へと歩み寄った。彼女は腰に片手を当て、もう一方の手で近くの椅子を軽く掴みながら、ぞんざいな仕草でホセを振り返る。


「さぁ、ホセ。お偉いさんからの命令よ、さっさと行きなさい」


上官がホセに下した命令――それはもちろん、上の部下たちを待たせている手前、一刻も早く兵舎へ戻れという帰営命令に違いなかった。後でこっ酷く叱り飛ばされるのは目に見えているが、絶対服従である軍の命令を無視するわけにはいかない。


「……はっ」


渋々と、ホセは乱れた軍刀や軍帽をしっかりと正し、出口へと歩き出そうとした。これでようやく、鳴りやまない帰営のラッパの音に従って、この泥沼から脱出できるはずだった。

彼は上官とカルメンの二人の横を、目を伏せながら通り過ぎようとする。

ホセはギクリと足を止め、その場で振り返った。


「……あの、上官殿。一つ、どうしてもお聞きしたいことがあるのですが」

「ん? なんだ、改まって。……俺がわざわざ地下のこんな薄汚い酒場まで足を運んだ理由か? それとも、俺がさっきカルメンと親しげに踊ったことについてか?」


隠そうともせず、上官は余裕の笑みを浮かべたまま、あっさりと自らの口でそれを暴露した。

――やはり、カルメンと親密に踊っていた男の正体は、他ならぬこの目の前にいる上官自身だったのだ。

その事実を突きつけられた瞬間、ホセのなかに蓄積されていた嫉妬と怒りのマグマが、一気に臨界点を突破した。


「なっ……貴様……ッ!」

「おいおい、そんなに睨むな。俺のことは気にするなよ、ホセよ。お前は早く、外で鳴り響いているラッパの元へと走っていくがいい。――これは命令だ」


邪魔者をさっさと追い払うかのような、あまりにも冷酷で、嘲笑を含んだ上官の物言い。

「……ふざけるな……! 嫌だっ!!」


帰営のラッパの元へ戻れという命令を、ホセは真正面から拒絶した。いつもであれば絶対服従だったはずの上官に対し、彼はあろうことか歯向かい、激昂の声を叩きつける。


「何だと……!? お前、上官の命令に背くつもりか……ッ!」

「ふざけるな! そもそも、広場で『あの女を連れて行け』と最初に俺に命令したのは、あんたじゃないのかよ……ッ!」


あの広場での大騒動の責任を押し付け、カルメンを逮捕して連行するように命じたのは、他ならぬこの上官自身だったはずだ。すべての元凶が目の前にいると気づいたホセの瞳には、狂気じみた怒りの炎が煌めいていた――。


「――その男が、よりによってなぜここでカルメンと戯れ、親しげに踊っていたんだ……っ!」


怒りに震えるホセの問いかけに対し、上官は悪びれる様子もなく、どこか楽しげに鼻で笑ってみせた。


「決まっているだろう。お前たち部下に広場の後始末をすべて押し付けたあと、俺は優雅にこの居酒屋へ流れてきたのさ。なにせ、面倒な尻ぬぐいは部下に丸投げするのが上官の鉄則だからな」

「なんだと……!?」

「そうしたらどうだ。本来なら今頃は牢にいるはずの逃亡者・カルメンが、こんなところで優雅に飲んでいるじゃないか。話を聞けば、どこかの間抜けな部下が奇妙な芝居を打ってまで、彼女の逃亡を手助けしたそうじゃないか……なぁ?」


広場ではテントや商品がめちゃくちゃに散乱し、地獄のような後始末を部下たちに命じておきながら、自分だけはちゃっかり先に抜け出して酒場に入り浸っていた。しかも、すべてを知った上でホセを面白半分にからかっているその態度は、上官として最悪のクズと言ってよかった。


「面倒事を押し付けるだと……!? あんた、それでも人間か、上官としても最低だ……っ!」

「ふん、お前こそ部下として最悪の出来損ないだな。おとなしく帰営命令に従っていれば、こんな恥をかかずに済んだものを……」

「恋人のいる女にちょっかいを出しておいて、挙句の果てにこれから何を企む気だ……っ!」


激しい怒号が飛び交う中、カルメンはというと、その修羅場の中心にいながらどこか冷ややかな、それでいて面白がるような不敵な笑みを浮かべてそのやり取りを眺めていた。

――まるで、こうなることすべてを最初から予測していたかのように。あるいは、「さあ、この愚か者を存分に懲らしめておしまい」とでも言いたげな、魔性の笑みだった。


「これからの話なんて、お前のような一兵卒に関係あるまい。お前を軍法会議にかけて極刑に処すことだって、この俺の権限一つでどうとでもできるんだぞ? ……分かっているだろうな?」


上官は冷酷な笑みを浮かべ、容赦なく現実を突きつける。


「カルメンを逃がした大罪はすべてお前に被ってもらい、そのあとで彼女を俺が美味しくいただく……本来なら、そういう完璧な算段だったはずなのだがな。まさか、こんな下劣なところでこんな風に勘づかれるとはな……」


上官の権力を笠に着たその物言いは、もはや隠す気すらなかった。

ホセが背負わされた罪は、すでに一つではない。第一の罪は「重罪人カルメンの逃亡手助け」、そして第二の罪は「上官の帰営命令に対する明白な不服従」。

だが、上官はどこか面白がり、嘲笑を隠しきれていない。


「いや、まぁ……こうしてすべてを暴かれるのも、それはそれで一興か……?」

「……貴様……っ!!」


ブチィッ、とホセの中で何かが完全に切れた音がした。


「もう許さん……! 覚悟しろ――ッ!!」


ホセは腰の鞘からガシャリと音を立てて軍刀を引き抜き、鬼神のごとき形容で一気に戦闘態勢へと移行する。その殺気に満ちた眼光は、今にも上官の喉元へと斬りかからんばかりにギラギラと狂気を帯びていた。


「おい、ホセさん! ここは酒場だ、剣を抜けばどうなるか分かっているのか……っ!」

「やめろホセ、正気に戻れ……!」


すかさずテンゴとピローが間に割って入り、血相を変えて制止しようとする。しかし、激昂のあまり理性を焼き尽くされたホセの耳に、仲介の言葉など一文字も届いていなかった。

その騒ぎを聞きつけ、先ほどまで隅で様子を窺っていた帽子の男たちや他の客までもが「何だ何だ!」「いよいよ一戦始まるぞ!」と野次馬の輪を作り始める。地下の酒場は一触即発の不穏な熱気に包まれていった。


「おや、この俺を相手に、本気で勝てるとでも思っているのか?」


上官はせせら笑うと、ホセの胸元に突き刺さっているあの「枯れた花」を一瞥し、さらに挑発的な言葉を紡ぐ。


「……まったく、いい気なものだな。まぁいい、冥土の土産だ。その胸に飾った汚い雑草でも持っていくといい。地獄の底で嗅ぐ枯れた花の匂いは、さぞ最高の香りがすることだろうよ……ふ、ははははっ!」


上官もまた、嘲笑うように自らの腰から重々しい軍刀をゆっくりと引き抜いた。

――このままでは、狭い地下の酒場が血の海と化し、死者が出かねない。


「ダメだ、二人ともそこまでだ! いますぐ剣を下ろせ……ッ!」


テンゴの必死の怒号が店内に響き渡る。だが、すでに抜かれた二振りの剣が収まることはなかった。部下に襲われかけて、上官が剣を抜かない理由などどこにも存在しないのだから。


「――お前たちはそこでおとなしく黙っていろ!」


ホセは鬼気迫る表情でテンゴを睨みつけ、怒声を叩きつける。


「これは、俺とこの男による……男と男の、決闘だ――ッ!!」


「男と男の戦いだって? ……ふっ、笑わせるな。これは男と、ただのクズ男の戦いだッ!」

「なんだと、さっきから黙って聞いていれば……!」


怒号と共に、二人の男が激突した。

先に仕掛けたのはホセだった。相手を討ち取る気迫のまま、上段から猛烈な勢いで軍刀を振り下ろす。


「いあああああ――ッ!」


だが、上官は冷ややかな笑みを浮かべたまま、その一撃を難なく剣の腹で受け止めた。ガキィンと甲高い金属音が響き渡り、火花が激しく散る。


「ふっ……こんなものか、お前のカルメンに対する愛とその程度の実力は……!」

「いいや、俺のカルメンへの愛はこんなもんじゃない……ッ!」


ぐっと押し込まれ、徐々に上官の膂力(りょりょく)に押されていくホセ。そのまま一気に押し切られそうになったその瞬間、上官は体重を乗せてホセを力任せに弾き飛ばした。

わずかに後退したホセの隙を見逃さず、上官はすかさず横合いから腹部を狙って鋭く切りかかる。しかし、ホセも負けじと体勢を立て直し、相手の喉元めがけて必死の突きを繰り出した。


――その、まさに一触即発の刃が交わろうとしたその時。


「「そこまでだ――ッ!!」」

「こんな決闘なんて許さない!」

「まったく、我らを空気扱いするな!!」


激しい乱闘の渦中へと、テンゴたちが飛び込んできた。

テンゴが手にしていた扇子で上官の剣を鋭く受け流し、同時に岡田ネルソンがホセの手から放たれた軍刀を見事に弾き飛ばす。さらにピローも割って入り、周囲にいた帽子の男たちや野次馬の客までもが加勢して、二人を力任せに取り押さえた。


「な……何をする、お前たち……ッ!」

「離せ、俺を離せ……!」


テンゴたちと大勢の客にガッチリと取り押さえられた結果、血みどろになりかけた決闘は強制的に幕を閉じた。荒い息を吐き出しながら、二人はいまだに殺気を含んだ目をギラギラと光らせている。

そんな騒然とする空気の中、決闘を特等席で眺めていたカルメンが、優雅な足取りでドン・ホセのへと歩み寄ってきた。


「とんでもないことになったわね、伍長さん。……まぁ、間が悪かったのよ」


ホセは唖然とした、そして信じられないものを見るような怒り混じりの顔でカルメンを見つめる。

その反対側では、上官が荒立てた息を整え、ようやく冷静さを取り戻しつつあった。


「ふう……もういい、離せ」


上官は周りを囲む客の手が離れるのを感じると、くしゃくしゃになった制服の襟元を雑に手で払い、何食わぬ顔で近くの椅子に腰を下ろした。あれだけの騒動を起こしておきながら、まだここで酒を飲み続けるつもりなのだろうか。


「あのまま、あたしを遠くへ連れて行ってくれれば、こんな面倒なことにはならなかったのに……。そうすれば、貴方のことをずっと愛してあげられたはずなのにね……」


カルメンはホセの顔のすぐ近くまで身を寄せ、まるで他人の不幸を面白がるかのように悪びれず囁いた。その言葉のどこまでが本気で、どこからが気まぐれなのか、もはや誰にも分からない。


「お前は――今日付けでクビだッ!」


少し離れたテーブルから、上官が冷え切った声で言い放つ。


「森の中、海の中、どこへでも行け!!その身一つでどこへなりとも消え失せるがいい……ッ!」


上官は自分の軍刀を乱暴に鞘へと収めると、ふんと鼻を鳴らした。


「あぁ、そうかい! ほざきやがって……っ!」


激昂したホセが再び突っかかろうと暴れるが、テンゴやネルソン、そして客たちがガッチリと両腕を抑え込み、決して前に出させない。

その時、野次馬の中にいた一人の男がスッと懐に手を伸ばした。


――コンッ。


鈍く黒光りする銃口が、容赦なくホセの眉間へと向けられた。


「おい、これ以上余計な動きをするな。……穴だらけにされたくなかったらな」


銃口を突きつけて冷酷に威嚇したのは、先ほどまでカルメンに怪しげな「うまいヤマの話」を持ちかけていた、あの帽子の男だった。

緊迫した空気の中、男はホセの背後へとそっと回り込み、その耳元に低い声で囁いた。


「うわ!拳銃かよ」

「まじかよ」


テンゴたち5人がその向けられた拳銃に驚愕した。


「安心しな!お前さんたちには使わない、ただこの場を収める為に使用しただけだ」

「――旦那。俺たちはこれから、この街を離れる。……どうだい、お前さんも一緒に来るかい?」


周りの男たちの声は、いつしかホセをダークな裏社会へと誘う甘い誘惑の囁きへと変わっていた。

もはや上官からその場で「クビ」を宣告された以上、自分はもはや誇り高き竜騎兵の伍長などではない――ホセの背中は、そう諦めと絶望に塗りつぶされているかのようだった。


「仕方ないだろ……俺にはもう、帰る場所なんて……どこにもないんだ……」

「ホセさん、あんたには故郷で待っている大切な場所と、素敵な人がいるじゃないか。この騒ぎが収まったら、素直に故郷へ帰ればいいんだよ!」


テンゴのまっすぐな言葉に、ホセはわずかにうつむき、遠い故郷の景色や誰かの面影を脳裏に浮かべかける。しかし、その刹那――悪辣な笑みを浮かべた帽子の男が、冷たく現実を突きつけるように囁いた。


「そこの『異邦人』あんたらには用はない。とっとと帰んな」

「――旦那、感傷に浸っている暇はないぜ。お前さんに、もう『その時』なんてものは来ないのさ」


男の言葉に引きずられるように、ホセは仲間である帽子の男たちと共に、うなだれたまま部屋の隅の方へと足を進めていく。

「「!!」」

「…あぁ、そうだな」

その様子を見届け、テンゴとネルソンはガッチリと掴んでいたホセの腕からそっと手を離した。


「じゃあな、旦那さん。ちょっと失敬……」


部屋の隅へと追いやられたホセを追うように、カルメンもまた、何の躊躇いもなくふわりとその後を追って歩いていく。

あれほど罵り合い、殺し合いの喧嘩まで演じたというのに、ホセの脸上からカルメンに対する怒りの色はすでに消え失せていた。彼は虚ろな目で、静かに彼女と話し始める。


「……お前、本当にあの男たちの仲間についていくつもりなのか?」

「仕方ないだろう? 元を正せば、お前が帰営のラッパが鳴っているにもかかわらず、俺を引き留めたりするからこんなことになったんじゃないか……」


ホセは顔を伏せたまま、決してカルメンの目を合わせようとはしない。その姿は、まるで魂の抜け殻のようだった。

やがて、カルメンはふと顔を上げ、最後に部屋の隅から鋭い視線を投げかける。

カルメンに目を合わせ、次いで憎々しげに上官を睨みつけ、最後に――彼女たちの邪魔ばかりをしてきたテンゴたちを険しい目で一瞥した。その瞳に宿る敵意の矛先は、明らかに自分たち「邪魔者」に向けられていた。


「さて……これから、あのホセさんはどうなっちまうんだ?」

「このまま連れて行かれちまうのか……?」

「ここも、そろそろ閉店の時間が迫っている頃合いだしな……」


もっとも、この居酒屋の本当の閉店時間まであとわずか1時間しかないことなど、テンゴたちはまだ知る由もなかった。


「……なんだかんだ言っても、正直、ホセさんの行く末がめちゃくちゃ心配だよ!」

「ちっ、いい大人の面倒なんてほっとけよ。あんな優柔不断な浮気者、自業自得だろ」

「本当、ダメな大人の典型例やわな……」

「それにしても……あの魔女、いやカルメンに、なぜ男たちはここまで心を狂わされてしまうのか……本当に不思議で仕方ないぜ……」


テンゴたち5人は再び頭を突き合わせ、小さく息を潜めながら議論を交わす。

――このままホセが怪しげな男たちと共に、とある危険な場所へ出発してしまうのを、自分たちはただ黙って見過ごすつもりなのか?

いや、そんなはずはない。

――彼らを追うべきか、それともまだこの街で、やるべきことがあるはずだ。物語の歯車は、まだ止まってはいない。



ここまでお読みいただきありがとうございます。


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