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消滅の宇宙  作者: 万世 千秋
カルメン
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40/63

居酒屋での誘い

あけましておめでとうございます。

実家でゆっくりしすぎています

是非最後までお読みいただけると嬉しいです。


その後の酒場には、テンゴたち5人全員が残り続けていた。

店内の賑わいが少しずつ落ち着き、閉店時間が近づくそのギリギリの瞬間まで、彼らは客たちからこの街の裏事情や貴重な情報を聞き出し、記憶に焼き付けていく。すべては、今後の過酷な活動や生存に生かすための大切な糧(かて)なのだ。


しかし、夜の深まりと共に客たちはぽつりぽつりと席を立ち、家路へとついていく。

そんな中、なぜかカルメンの姿はいまだに店内に残されていた。広場で大騒動を引き起こして逃げ延びた彼女が、こんな場所にまだ身を隠している理由は誰にも分からない。

そんなカルメンの姿を見とがめたのか、頭深くに帽子を被った一人の男が、怪しげな笑みを浮かべながら彼女のテーブルへと歩み寄ってきた。


「おい、カルメン……いい話があるんだ。今度、ジグラルタルの方でな……」

「ジグラルタル!? おお、あそこはいい男がたくさんいる最高の場所じゃない!」


声をかけられたカルメンはパッと顔を輝かせるが、直後に傍らにいた別の男たちとテンポよく会話を弾らませる。

――ジグラルタル。男たちの溜まり場であり、裏稼業の者たちが集うその場所には、いったいどんな旨い仕事が転がっているというのか。


「静かにしろって! うまい儲け話なんだ、お前も手伝ってくれないか?」

「ふん、どうせ男たちの荷運びでもさせる気でしょ?」

近くにいた別の女工が鋭く突っ込む。男たちが集まる場所での「うまい話」といえば、決まって危険な力仕事の相場が決まっていた。

「いやいや、安心してくれよ。可愛い女に重い荷物なんて運ばせるわけがないだろ、男でもあるまいし……」


男はそう言ってふと視線を横に流し、まだ席に残って静かに様子を窺っていたテンゴたちをチラリと眺めた。

「おい、そこの異邦人の若者たち。お前たちもジグラルタルへ行かないか? さっき話題になっていた闘牛の試合までにはきっちり戻ってこられるし、悪い話にはならないはずだぜ」


思いがけず自分たちにまで話が振られたため、テンゴたちは思わず顔を見合わせる。

「……何の旨い話だ?」

「ジグラルタルって、一体どこにあるんだ?」

「それに、俺たちはいったい何の作業を手伝わされるわけ?」


テンゴたちが率直な疑問をぶつける。もしそれがまともな荷下ろしや労働であればまだ考え物だが、万が一それが窃盗や違法な密輸などの犯罪行為であれば、ここで即座に断らなければならない。

「もし、盗みや犯罪の類いだったら……そんなのお断りよ」

チヒロがピシリと言い放つと、男は少し気まずそうに肩をすくめ、渋々といった様子でテンゴたちのテーブルから離れていこうとした。

「そうかよ……まぁ、気が乗らないなら無理強いはしねぇさ……」


何か踏み込んではいけない裏の領域に触れたと感じたのか、男はこれ以上の勧誘を諦め、自分の仲間たちの席へと戻っていく。若い男女が揃っているとはいえ、肝心の協力者にならなさそうと分かれば、彼らにとってもはや用はなかった。


「おい、ペテンとヤマを張る仕事には女の華が必要なんだよなぁ……なぁカルメン、お前は来てくれるだろ? いったいいつ出発する?」

「た、確かに私はいつでもいいんだけど……」


しかし、誘いを持ちかけられた当のカルメンは、なぜかその男の言葉にすぐには乗らず、どこか気まずそうにその場で立ち止まったまま、複雑な表情でためらい続けていた。

「おいおい、どうしたんだよ。行くならさっさと返事しろよ……」

「……行くなんて一言も言ってないし、今日のところは、あたしは行かないわよ」


きっぱりと拒絶するカルメンに、酒に酔った密輸仲間らしい男たちが二人、足元をふらつかせながらぐっと詰め寄ってきた。

「おいおいカルメン、見捨てないでくれよ」

「俺たちを置いていくつもりかよ……!」

「お願いだから来てちょうだい、カルメン!」

さらに、先ほどまで彼女と一緒にいた女性たちまでもが縋りつくように声を上げる。

「いつもだったら、こういう面白そうな話には真っ先に飛び乗るくせに……どうして今日はそんなに煮え切らないのよ……!」


周囲からの非難と困惑の視線を一身に集め、カルメンはついに耐えかねたように、近くの椅子へドッと重そうに腰を下ろした。彼女の美しい顔には、これまでに見せたことのない深い疲労と、言い知れない苦悩の色が滲んでいる。


「……そこまで言うなら、理由を教えてあげるわ」


カルメンは重い口を開くと、誰の目も見ようとせず、ただ伏し目がちに呟いた。

「……いったい、何が理由なのよ?」

「ねえ、教えてよカルメン!」

「それは……その……」

「で、一体何なんだよ?」


異様なまでの沈黙を破り、カルメンは覚悟を決めたように顔を上げ、きっぱりと言い放った。


「――今、あたしは本気で恋をしているからよ」


その言葉が酒場の空気を切り裂いた瞬間、周囲にいた男も女も、まるで雷に打たれたかのように飛び上がるほど驚愕した。


「「なんだって――!?」」

「「こ、恋だって――ッ!?」」

「そうよ、本気の恋よ……!」

「おいおい、カルメン、目を覚ませよ! いつものお前だったら、男なんてただの気まぐれか、よくて一日で終わる火遊びだろ……ッ!」


周囲の喧騒を他所に、カルメンは深く息を吐き出すと、両手をしっかりと膝の上で組み、ただ一点、床の上の見えない染みだけをじっと見つめ続けるのだった――。


「――自分を見失ってしまうほどの、本物の恋なのよ……」


その言葉は、わずかに開いたテンゴたち5人の耳にもハッキリと届いていた。どうやら、彼ら全員がその衝撃的な告白にすっかり聞き耳を立ててしまっていたらしい。

「……おい、今の聞いたか?」

「ああ、間違いないな……」

「相手は、間違いなくあのドン・ホセだな……」

「少し気にはなっていたが、まさか本当に……。あの時、ホセもわざと大げさに倒れてカルメンを逃がしたように見えたしな。それでカルメンのほうも、あの伍長に惚れちまったってわけか」


広場での大騒動、そしてホセとカルメンの間にわずかに交わされた奇妙なアイコンタクトややり取りを思い出し、テンゴたちは静かに頷き合う。

だが、冷静に考えれば大問題だった。下級の伍長であるドン・ホセが、重罪人を故意に見逃したとなれば、軍の規律違反どころか、最悪の場合は軍法会議にかけられるほどの重罪に問われかねない。「カルメンを逃がした」という事実が上の者に発覚でもすれば、ホセの立場は一巻の終わりだった。


「驚いたな、だが、お前ならうまくやっていけるさ! 仕事も、そしてその新しい恋とな」

帽子の男はカルメンの肩にガッチリと腕を回し、なおも諦めきれないといった様子で説得を続ける。

「おまっ、そうだろう? お前たちもそう思うだろ、若い連中!」

男は話を盛り上げようと、近くで静かに食事をつまんでいたテンゴたちにまで同情を求めるように視線を投げてきた。カルメンさえ連れ出すことができれば、手っ取り早く頭数が欲しかったのだろう。

「え……? ああ、まあ……」

不意打ちで話を振られたテンゴたちは、苦笑いを浮かべながら曖昧に相槌を打つ。


「だけどね……今回ばかりは、いつものような遊びの恋じゃないの。忘れられない、人生で一番大切な恋なのよ……。どうしても、私のこの恋を成功させたいの」


カルメンのその真剣な響きを帯びた言葉に、どれほどの真意が隠されているというのだろう。これまでジプシーとして誰にも縛られず、自由気ままに生きてきた彼女が、これほどまでに一つの恋に執着している。

彼女は男二人と女二人に囲まれた椅子に、重そうに腰掛けたまま俯いている。


「なんてこった……!」

「お願いだ、カルメン、頼むから俺たちと一緒に来てくれよ!」

男たちが二人がかりで彼女の袖を引っ張り、必死にすがりつく。

「カルメン! お前がいなきゃ、このヤマは成り立たないんだよ!」

帽子の男もついに片膝を地面につき、彼女の顔を覗き込むようにして熱心に口説き落とそうとした。

「分かってるわよ、でも……!」


その一方で、テンゴたち5人は時間を忘れてテーブルの上の料理をつまみつつも、視線はチラチラとカルメンたちの卓に向け、全神経をその会話に集中させていた。

――居酒屋での必要な情報収集はとうに終わっている。しかし、どうしてもこの目の前のトラブルメーカーから目が離せなかった。

この女は、次に何を引き起こすか本気で予測がつかない。もしここでまた広場のような大騒動を巻き起こされてはたまったものではなかった。


「ねえ、カルメン……そこまで言うなら教えてよ。その恋の相手って、いったい誰なのよ?」

カルメンのすぐ隣に座っていた女性が、心配と好奇心が入り混じった切実な声で問いただす。彼女もまた、いつもと違う様子のカルメンを心から気にかけているらしかった。


「その人はね……」


カルメンはテーブルに片肘をつき、わずかに頬を赤らめながら、その場にいる全員に向けて静かに、しかしはっきりと告げた。


「――あたしをあの広場で助けてくれた……あの素敵な兵隊さんよ」

「そう……?」

「じゃあ、さっき捕まった時の兵隊さん? それとも……?」

「そうよ……あたしをあの時、わざと逃がしてくれたあの兵隊さんよ……」


カルメンのその答えに、テンゴたちパーティーの面々も思わず顔を見合わせる。

(――やっぱり、あの時の伍長に間違いないな)

無言のアイコンタクトで互いの確信を確かめ合う一同。


その時だった。


「――止まれッ! 竜騎兵だ!!」


酒場の入り口、あるいは上の階の階段付近から、凛とした男の怒声が突然響き渡った。

どうやら誰かが扉の締めを忘れていたらしい。その張り詰めた声を聞いた瞬間、カルメンの強張っていた表情がスッとほどけ、みるみるうちに歓喜の笑みへと変わっていく。


「……あ、あの声は……!」

「おいおい、どこに行く気だカルメン!?」

「こっちよ……! 私を迎えに、彼が来てくれたのよ!」


周囲の制止も聞かず、カルメンは弾かれたように椅子から立ち上がると、声のする方へと早足で駆け出していく。その胸の高鳴りと昂揚感のあまり、周囲の目など彼女の視界にはもう微塵も入っていなかった。


「おっ、なんだい、なかなかのいい男じゃないの!」

カルメンの隣にいた女性もつられて立ち上がり、彼女の肩越しにその人物を覗き込んで、面白そうに頬を緩める。

「おい、それならあいつを俺たちのヤマに引きずり込もうぜ! 仲間にしよう!」

しつこくカルメンを誘い続けていた帽子の男が、新たな面白味を見つけたと言わばかりに悪巧みの笑みを浮かべる。


「いいから、あんたたちは引っ込んでてっ……!」


カルメンが振り返りざまにピシャリと怒鳴りつけると、女性も男たちも気圧されたように、しぶしぶと自分の席へとすごすご引き返していく。


その一方で、テンゴたちのテーブルでは――。

響き渡った「止まれ!竜騎兵!」という声の主が誰であるか、彼らは一発で気付いていた。あまりにも耳に残りやすい、あの真面目すぎる男の声だったからだ。


「なぁ……いまの声って……」

「間違いない。あの声は、ドン・ホセやな……」

「ったく、あいつはいったい何のつもりでこんなところまで追ってきたんだ? ……まさか、本気でカルメンを逮捕しにきたのか?」

「うちらにあの魔女をどうこうする権利なんてないし……というか、この街で頼れる知り合いと言ったら、実質あのホセさんくらいしかいない気もするけどね」

「きっと、愛しの彼女を引っ立てるためにやってきたんだろうぜ。どうする、出迎えに行ってやるか?」


ピローが面白半分に提案するが、すぐにネルソンが首を横に振る。


「やめとけって。向こうは本物の竜騎兵(ドラゴン)の兵士たちを引き連れてるんだ。下手に俺たちが首を突っ込んで、余計なトラブルに巻き込まれても面倒だろ」

「そうだな……。まずは、少し様子見といこうか」


テンゴたちはグラスを傾けたまま、これから何が起こるのかを見届けるべく、静かに身構えるのだった――。


「――名誉のため、そして恋のため! それこそが、我らすべての『アルカラの竜騎兵』の誇りだ……!」


「この恋を成就させなければ、俺の竜騎兵としての人生の成功など遠く及ばない……!」


鳴り響く足音とともに、ドン・ホセの力強い声が酒場の階段の上から響き渡る。

彼の手には、とある人物から託された一通の手紙がしっかりと握りしめられていた。その行間に綴られた文字を何度も読み返し、彼は確信していたのだ――カルメンもまた、自分と同じように心から自分を愛してくれているはずだと。


一刻も早く彼女に会いたい。その胸を焦がす感情は、もはや規律正しい軍人としての理性を完全に凌駕していた。

ホセは荒々しく階段を駆け下りていく。その足取りは急ぎ足を超えて、まるで愛する者のもとへ飛び込むような凄まじい執念と勢いに満ちていた。


「カルメン……っ!」


その熱を帯びた声が地下の酒場にこだました瞬間、店内の空気が一変する。

果たして、狂おしいまでの想いを抱いて駆けつけたホセと、彼を待ち構えていたカルメンの結末はいかに――。




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