居酒屋での歌唱
毎日が忙しく執筆の時間もあまりありませんが
頑張って続けます。よろしくお願いします。
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店内にざわめきが広がる中、店員たちが手にしたギターとタンバリンが力強いリズムを刻み始めた。――それは、誰もが知る豪壮な調べ。ジョルジュ・ビゼーが遺した名曲、『闘牛士の歌』のイントロだった。
エスカミーリョは悠然と歩みを進めると、傍にあった酒場の頑丈な木製机に片足をぐっと掛けた。
傍から見ればいかにも無作法で品のない振る舞いかもしれないが、このセビリアの住人たちにとって、英雄のそんな豪快な振る舞いはむしろ魅力の一つに過ぎず、誰も気にする者などいなかった。
「――さあ、あなたがた勇敢な兵士たちに乾杯しよう!」
エスカミーリョは被っていた華美な帽子を片手で軽く持ち上げ、右手を朗々と差し出しながら力強く歌い出す。
「セニョール、セニョール……なぜなら兵士は、われわれ闘牛士と深く分かり合えるのだから!」
「どちらの男も、自ら望んで誇りのための戦いに赴くのだからな――!」
その歌声に引き寄せられるように、近くにいた一人の女性がうっとりとした面持ちで机に歩み寄り、ハートマークの浮かぶような熱い瞳でエスカミーリョを見上げる。彼は優雅な笑みを浮かべ、片手でその女性の頬を軽く宥めるようにあしらった。
「闘牛場は今や満員、今日は年に一度の祭りの日! 闘牛場は上から下まで、熱狂の渦に包まれている!」
大勢の常連客を見渡し、客席の向こうをビシッと指差して極上のポーズを決めるエスカミーリョ。
その圧倒的な求心力の前に、観客たちはすっかり理性を忘れ、大声でわめき合い、歓声と叫びと熱狂の嵐が店内に巻き起こる。
歌の途中で彼は机から軽やかに飛び降り、近づいてきた店のマスターからワインの注がれたグラスを受け取った。それを片手に持ち、誇らしげな笑みを湛えながら店内の通路を堂々と歩いていく。その勇ましく、まるで「かかってこい」とでも言いたげな伊達男の歩き方は、周囲の男女の心を完全に鷲掴みにしていた。
「なぜならこれは、命がけの勇気の祭り……! これこそが、栄光ある勇者たちの祭りなのだから!」
彼はグラスのワインを美味しそうに一口で飲み干すと、再び帽子を頭に被り直した。
* * *
「みんな、最高の歓迎をありがとう! 俺こそ街の闘牛士、エスカミーリョだッ!」
曲の終わりと共に、エスカミーリョが両手を大きく広げて大歓声に応える。
「「「エスカミーリョ万歳――ッ!!」」」
「「「闘牛士エスカミーリョ様、最高だぜ――っ!!」」」
「「「わぁぁぁぁぁ――っ!!」」」
酒場全体が割れんばかりの熱狂に包まれる。
エスカミーリョは優雅に右手を上に掲げ、指先をピタリと合わせて鋭い指パッチンを鳴らした。――その一撃の合図だけで、先ほどまで騒ぎ立てていた数百人の客たちが、まるで魔法にかかったように一瞬で静まり返る。
「みんな、聞いてくれ! 今度の休日、いよいよ大闘牛場ですべてをかけた試合が開かれる! どうか皆の期待を背負い、最高に迫力のある戦いをお見せしようではないか!」
その言葉に、再び会場は爆発的な歓声に包まれた。
「「「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
「「「行くぞ、絶対に応援しに行ってやるからな――っ!!」」」
「「「エスカミーリョに勝利の栄光を――ッ!!」」」
拍手喝さいの嵐の中、エスカミーリョは胸に手を当てて深々と一礼する。
「我が愛する友よ、熱い声援をありがとう……!」
その圧倒的なスターのオーラに酔いしれながら、店内は「今夜は朝まで飲み明かすぞ!」とさらなる大宴会モードへと突入していくのだった。
喧騒の只中、ふとエスカミーリョの鋭い視線が、店内の隅に座る一団へと向けられた。
――異国風の、見慣れない服装に身を包んだテンゴたちのパーティーである。
彼は周囲の歓声を片手で制しながら、不敵な笑みを浮かべ、ギラギラと光る好奇心の宿った瞳でそのテーブルへとまっすぐ歩み寄ってきた。
「やぁ、そこの若者たち。君たちは、この酒場に足を運ぶのは初めてかい?」
突然の英雄からの直接の問いかけに、テンゴはわずかに身構えつつも落ち着いたトーンで答える。
「あぁ、まあ……そんなところだな」
「左様」
続いて、ネルソンも腕を組んで怪訝そうに呟く。
「……にしても、他の常連客たちには目もくれずに、なんでわざわざ俺たちなんかに声をかけたんだ?」
ピローも警戒心を解かずに問い返す。
「ははっ、無理もないさ。なにせ君たちは、このセビリアではお目にかかれない、珍しい服装をしているからね。嫌でも目を引かれたのさ」
エスカミーリョは面白そうに片眉を釣り上げ、さらに踏み込んで尋ねた。
「――一体、君たちはどこからこの街へやって来たんだい?」
エスカミーリョほどの男であれば、一目見ただけで彼らが「他所の者」であることなど容易に見抜けたはずだった。
普段の闘牛場には似たような服装の顔なじみばかりが集まるため、彼らの目に映る異国の衣服や独特の佇まいはいやでも目を引く。それに、彼自身が新たな観客を獲得し、さらに自身の名を広めるための好機とあれば、ここで自らを熱烈に売り込んでおくのは闘牛士としての自然な処世術でもあった。
「あ……えっと、ほら、ちょっと行った先にある街から来たんだよ」
テンゴは少し言葉を濁しながら、歯切れ悪く答える。
「そうです、はい……けっこう近くの街から来たんです!」
続いてチヒロもそれに乗っかるように答えたが、あらかじめ口裏を合わせていたわけではないため、二人の答えは微妙に噛み合っていない。
「……なるほど、そういうことか。うん、分かった!」
細かい詮索は野暮とばかりに、エスカミーリョは爽やかな笑顔で大きく頷いた。
「せっかくの出会いだ、君たちの名前もぜひ聞かせてくれ。俺の名前は、さっきからお客さんが散々叫んでいるから耳にタコができているかもしれないが……改めて名乗ろう。私はこの街の闘牛士、エスカミーリョだ! 異邦人のみんな、よろしく頼む!」
堂々たるエスカミーリョの自己紹介を受け、テンゴたち5人も順に名乗りを上げていく。
「俺の名前はテンゴだ。よろしく頼む」
エスカミーリョは気さくに笑いながらテンゴに歩み寄り、力強い握手を求めた。ガッチリと結ばれたその手と、互いに向けられた笑顔には、異国から来た者同士の奇妙な連帯感が漂う。
「こちらこそ、よろしく」
「拙者の名は、岡田ネルソンや。よろしくな」
「あぁ、ネルソンだな。よろしく頼む!」
「ふっ……我が名は闇の力を司る者、暗黒の魔法使いにして暗殺者ピローだ。魂の底から……よろしく頼もう」
あまりに中二病全開なピローの自己紹介に、さすがのエスカミーリョも一瞬だけ言い淀み、引きつった笑みを浮かべたが、それでも大人の対応で何とかしっかりと握手を交わした。
「……うん?ピローだな、よろしく……!」
「……桃姫です。よろしくお願いします」
「おお、その可愛いぬいぐるみを手離さないお嬢さんだね。よろしくね、モモちゃん!」
エスカミーリョが優しく手を差し出すと、モモはアザラシクッションを小脇に抱えたまま、しっかりとそれに応じた。
「私はチヒロ! よろしくね、エスカミーリョさん!」
最後を飾るチヒロの明るい挨拶に、エスカミーリョはますます機嫌良さそうに白い歯を輝かせるのだった。
「……ふむ、可憐なお嬢さんだね。今度、お茶でもお誘いしていいかな?」
ふと、エスカミーリョがチヒロやモモに向けて軽やかな笑みを向けたその瞬間――。
すぐ傍らで、テンゴが氷のように冷たい鋭い視線をエスカミーリョに向けていた。睨んでいると言っても過言ではないその静かな威圧感に、さすがの伊達男もわずかにたじろぐ。
「おや……?」
エスカミーリョはテンゴの視線の意味を瞬時に察し、大人の余裕を見せるようにフッと笑みを深めた。
「っと、これは失礼した。あまりの美女たちに見とれてしまってね。……まあ、この街には少ししか滞在しない予定だし、なにより君たちの厳しい目線がこれ以上刺さるのも痛いからね」
「ええ、そうしてもらえると助かります。僕たちはすぐに旅立つ身ですし……」
テンゴの冷ややかな返答に、エスカミーリョは気にする様子もなく爽やかに頷く。
「そうか、それは残念だ! だが、今度の休日には大闘牛場で熱い試合が開かれる。ぜひ、みんなの来場を期待しているよ!」
「……っしかしまぁ、闘牛とはねぇ」
「でも、せっかくの機会だし、行ってみるか……?」
「はい、ぜひ行かせていただきます!」
「行かせてもらって、いいげろ……?」
「ああ、みんな、今日は歓迎してくれてありがとう!」
テンゴたちの複雑な反応を心地よいBGMのように受け流しながら、エスカミーリョは軽やかな足取りで、次のターゲット――店内の隅にぽツンと座るカルメンの席へと歩みを進めた。
カルメンもまた、最初からエスカミーリョの派手な登場と、その後の振る舞いをずっと観察していたのだ。彼女の目に映る彼は、命知らずの英雄か、それとも腕利きの役者か。いずれにせよ、圧倒的な華を纏った男であることに違いはなかった。
闘牛士エスカミーリョが鮮やかに店を盛り上げ、満足げに去っていったあとの喧騒の中――。
居酒屋の空気が、ふっと別の危険な熱狂へと切り替わった。
店内の隅の特等席でグラスを傾けていたカルメンが、おもむろに立ち上がったのだ。
彼女が艶やかな笑みを浮かべ、緩やかにステップを踏みながら歌い始める。
「捕まえようとしても、逃げていくわ。愛そうとしないなら、愛してあげる……! だけれど、もし私があなたを愛したなら、用心することね!」
その瞬間、店内のざわめきが嘘のようにピタリと止まった。
誰もが知る豪壮にして妖艶な調べ――『ハバネラ』のメロディが、カルメンの力強くも蠱惑的な歌声に乗せて店中に響き渡る。
「恋は野の鳥誰にも手なずけられないの呼んでもムダよ~」
その圧倒的な歌声の魔力に、居酒屋にいた男たちはもちろん、情報の整理をしていたはずのテンゴたちの動きまでがピタリと釘付けになった。
テンゴは眉をひそめ、警戒心を露わにしながらカルメンの姿を見据える。
ピローが冷や汗を拭いながら、呆れたような、しかし目を奪われたような複雑な表情を浮かべる。
チヒロが腕を組んでプンスカと怒りながら、周囲の男たちを睨みつける。
モモがアザラシクッションをギュッと抱きしめながら小声で呟き、ネルソンは腕を組んだまま鋭い視線でその歌いっぷりを観察していた。
ハバネラの情熱的なリズムに合わせ、カルメンは挑発的な視線を周囲に投げかけながら、ゆっくりと客席の間を歩いていく。
「どうせ断られるのだから脅されてもお願いされてもどうにもならないわ」
周りのお客さん達がカルメンの歌に合わせて一緒に踊り出した
すると魔女の魔法にかかったかのようにテンゴたちも踊り出す。
そう、これは「音楽」だ!
「おしゃべりと無口なら私は無口なほうが好き」
男性客を見定める様に体にボディータッチを行いながら周りを歩く。
「何も言わなくても、それでいいの」
店内がカルメンの歌唱によって賑やかになっていく。
その歌声は男性客を魅了していくのだった。
「それが恋!恋なの!それが恋!恋なの!」
その熱狂の渦の中心へと、先ほど店を去ったはずの闘牛士エスカミーリョが、面白そうに片眉を釣り上げながら再び歩み寄ってきた。
「ほう……これは見事な歌声だ。セビリアの街でこれほど情熱的な歌い手を見たのは初めてだな」
エスカミーリョは拍手を送りながら、カルメンのすぐ傍らにスッと歩を進める。
歌を終えたカルメンは、ふっと挑発的な笑みを浮かべ、彼を流し目で迎え撃った。
「やぁ、そこの美しいお嬢さん。君の名を聞かせてもらえるかい? 次の闘牛で、勝利を捧げたあとで……ぜひ君の名を大声で呼びたいんだ」
さすがは伊達男、場数を踏んだ鮮やかなナンパのセリフだった。エスカミーリョは座るカルメンのすぐ傍らに立ち、これ以上ないほど甘い笑みを投げかける。
「ふふ……どうも。カルメンでもいいし、カルメンシータでも、好きなように呼んで構わないわ」
周囲の客たちの熱狂が一段落し、それぞれの卓で酒を酌み交わしているこの静かなタイミングを縫って、二人だけの濃密な空気が漂う。
「あぁ……本当に美しい。見れば見るほど、君を愛してしまいそうだよ」
「ふっ……私なんかに関わらないほうが、身のためよ」
「冷たいお人だ。だが、どれだけ冷たくされようと、俺は君を待ち続けることにするさ」
「待つのは勝手よ、どうぞご自由に。……それに、あたしは気ままなジプシーだもの」
今日初めて言葉を交わしたばかりだというのに、エスカミーリョはすっかりその美貌とミステリアスな魅力に心を奪われてしまったらしい。「また必ず話しかけに来るよ」と語りかけるその瞳には、強い執着と情熱が宿っている。しかし、カルメンの方はどこか飄々としながらも、その誘いをのらりくらりと受け流していた。
「じゃあ、本日のところはここまでだ。また来るよ、カルメン」
「ええ、お別れね……。でも、後悔しないうちに、またすぐ会いに来てちょうだい」
「勿論だとも!」
カルメンとの短い、しかし劇的な会話を終えると、エスカミーリョは満足げに身を翻し、再びテンゴたちのテーブルへと戻ってきた。
「やぁ、君たち。楽しい話の途中だったが、僕はそろそろ失礼させてもらうよ。それじゃあ、闘牛場で待っているからな!」
「あぁ……闘牛の試合、見に行かせてもらうよ」
「ありがとう!」
気さくに手を挙げて見せると、今度は出口の近くで忙しそうに帳簿をつけていた店長のもとへと歩み寄る。その一挙手一投足に至るまで勇ましく、いかにも「闘牛士」の名にふさわしい堂々とした佇まいだった。
「――店長!」
声をかけられた店長は、パッと顔を上げて眩しそうに微笑んだ。
「おや、エスカミーリョの旦那!」
「今日は最高の歓迎をありがとう。実にいい酒場だ」
「こちらこそ、ありがとうございます! またのご来店を心よりお待ちしておりますよ!」
「ああ、では……!」
エスカミーリョはくるりと振り返り、店内にいるすべての客たちに向けて大きく手を振った。
「みんな、今日は最高の夜をありがとう! 僕はこれで失礼するよ!」
「「「お疲れ様です、エスカミーリョ――ッ!!」」」
「「「また来てくれよ――っ!!」」」
割れんばかりの歓声と喝采を背に受けながら、エスカミーリョは華美な帽子をもう一度深く被り直し、地下へと続く階段を悠然と登っていく。
その背中を見送りながら、テンゴたちは新たな出会いと、この街で待ち受ける更なる波乱を予感せずにはいられなかったのであった――。




