復讐
お越しいただきありがとうございます。
今回のでニコロ過去編最後です。
是非最後までお読みください。
夜の闇が深く垂れ込める街角。暗く狭い路地を、ニコロはゆっくりと辿っていく。
その顔には絶望の涙が伝いながらも、口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。感情はとっくに壊れ、内に秘めた狂気と復讐の炎だけが彼を突き動かしている。
手に握りしめられているのは、道端で拾い上げた重々しいこん棒だった。
ニコロはとある一室の前で足を止め、静かにドアを押し開けた。
立ち込める空気の中、部屋の奥にはあの司祭と、刃物を握っていた実行犯の男が身を潜めていた。突然の訪問者に、二人は息を呑んで驚愕の表情を浮かべる。
「……ここにいたのか」
ニコロは隠す風もなく、血の気のない顔の前でゆっくりとこん棒を掲げて見せた。
「な……なぜお前がここにいる……!?」
司祭が慄き、動揺を隠せない声を漏らす。
「話が違うぞ……!」
「この、悪魔め……!」
男たちが引きつった顔で吐き捨てた瞬間、ニコロの口元がニヤリと吊り上がった。
「どんな思いであいつが死んだか……思い知れえええっ!!!!」
ニコロは跳びかかり、手に持ったこん棒を司祭と男に向かって狂ったように振り下ろした。
涙をぼろぼろと流しながら、容赦なく殴りつけ、叩き潰すその姿は、まさしく世間が恐れた「悪魔」そのものだった。彼の全身から、ドス黒く不気味なオーラが噴き出していく。
「ふははははっ! この悪魔め……!」
「悪魔はお前たちだあああっ!! ふははははははっ!!」
「はははははははははははっ!!!!」
悲痛な絶叫と狂気の高笑いが部屋中に響き渡る。幾度も幾度も振り下ろされる打ち据える音。やがて、二人の原型すら留めない凄惨な肉塊と化した頃、ニコロは力尽きたようにその場へへたり込んだ。
惨劇の広がる部屋の入口――。
ドアの傍らには、片手にステッキ、もう片手に重厚なバイオリンケースを抱え、インパネスコートを羽織りシルクハットを被ったあの男が、不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。
すると、激しい憎悪と狂気の渦の中から生み出されたかのように、漆黒の怪しい光を放つ漆黒の球体――『ダークマター』がコロコロと男の足元へ転がり落ちてきた。
男はそれを愉悦に満ちた眼差しで見つめると、愛おしそうに拾い上げ、しばらくその光景を静観していた。
やがて、返り血と涙に濡れて座り込むニコロへ向け、男は傍らにステッキを置き、ゆっくりと歩み寄った。
「こちらのバイオリンは……貴方の大切な物でショウ?」
男はニコロの目の前へ、そっとバイオリンケースを突き出した。
「今後一切、捨てたりしないでくだサイ」
不敵な笑みを絶やさぬまま、男はケースを開けて中身を確かめさせる。そこに収められていたのは、ニコロが賭け卓に投げ出したはずの愛器『イル・カノーネ』だった。
「……!? これを……一体どこで……!?」
驚愕に目を剥くニコロに対し、男は平然と言い放つ。
「……いや、俺には……もう、そんな資格は……」
涙ぐみ、受け取りを躊躇うニコロの胸元へ、男は強くケースを押し当てた。
「私が買い取って参りまシタ!受け取ってくだサイ!」
「……なに……?」
「お二人が育んできた愛の形こそが、このバイオリンのはずデス! そして……どうか彼女のことを忘れないでくだサイ!」
男の言葉に、ニコロはハッと息を呑んだ。
自暴自棄になって手放したあの名器を、この男は売買された店へ赴き、破格の金額を叩いて買い戻してきたのだ。
「買い取った……だと……? なぜ……そこまで……?」
震える声で尋ねるニコロに対し、男はただ深くシルクハットの庇を下げ、妖しく微笑むだけだった。
「さぁ……?」
◆◆◆
その日の夜、ニコロは人里離れた静寂に包まれる教会の中にいた。
復讐を果たし、二人の命を奪ったその手――背負ってしまった重すぎる罪を前に、ただ静かに贖罪の祈りを捧げに来たのだ。
どれほど深く祈りを捧げようとも、この手で犯した殺戮の罪が消えるわけではない。
それでも、この教会で捧げる祈りは、壊れかけた自分自身のためであり、そして何より、愛する歌姫の魂を揺り籠のように包み込むためのものだった。
静まり返る聖堂の中、ニコロはそっと『イル・カノーネ』を構え、弓を滑らせた。
――パガニーニ作曲:『ヴァイオリン協奏曲第4番 第2楽章』。
神聖な空気の中、あまりにも悲壮で、けれどどこまでも美しい旋律が、静かな夜の教会に低く高く響き渡っていくのだった――。
教会の聖堂を満たしていた最後の響きが静かに消え去り、ニコロは『イル・カノーネ』をケースへと収めると、重い扉を開けて教会を後にしようとした。
教会の外では、先ほど名器を買い戻して手渡してくれたあのシルクハットの男が、ポツンと佇んでいた。ニコロが亡き彼女へ純粋に演奏を捧げられるよう、邪魔をせず一人にしてあげるという彼なりの配慮だったのだ。
出入り口に立ったニコロに気づくと、男は静かに声をかけてきた。
「もう、よろしいのでスカ?」
「あぁ。これでいい」
あの大惨殺の夜、己の脳裏に鳴り渡ったあの凄惨で美しい旋律――それを楽譜へと書き起こし、いまこの神聖な教会で彼女の魂へ届け切ったのだ。
「俺は満足だ。きっと……彼女にも届いているだろう」
「えぇ、私もそう思いマス。あなたの演奏は……やはり実に素晴らしいデス!」
男は満足そうに深く頷くと、続けて問いかけた。
「これから、どちらへ行かれるのでスカ?」
「さぁな。またあてもない演奏旅行だろ……金はないがな。あるいは、どこかで適当な仕事でも探すさ。……こんなくだらない世界で生きていくくらいなら、俺は死んだ方がマシだと思っている。だが……あんたには感謝してるよ。色々とお世話になったな」
ニコロは男と目を合わせないまま、自嘲気味に息を吐き出した。
「いえいえ、とんでもございまセン。……左様でスカ。であれば、我々と一緒に仕事をしてみませンカ?」
「仕事だと……?」
不意の提案に、ニコロは初めて男へ視線を向けた。男はシルクハットの庇に手をあて、芝居がかった仕草で朗らかに告げる。
「ハイ! この……愛のない宇宙を、愛の溢れる宇宙に作り変えるのデス!」
「……宇宙だと……?」
あまりにも浮世離れした言葉に、ニコロは戸惑いを隠せない。
「我々『UNIVERSAL・ORDER』は今、志を同じくする仲間を集めておりマス! 貴方の“宇宙”を、しっかりと見させて頂きまシタ!」
「宇宙とは……一体何のことだ……?」
「まずは『宇宙』について、じっくりとお話をさせて頂きまショウ!」
戸惑うニコロはふと立ち止まり、頭上に広がる漆黒の夜空を見上げた。
あの日、彼女と一緒に見上げることが叶わなかった無数の星々が、いま目の前で眩しく瞬いている。
「……今夜は星が綺麗だな。『宇宙』か……ふん、まぁ悪くないな。……で、その仕事、給料は良いんだろうな?」
ニコロがニヒリスティックな笑みを浮かべて尋ねると、男は胸を張って答えた。
「ハイ! 基本給+出来高制デス!」
「っは! そうかよ、案外悪くなさそうじゃねぇか」
「ハイ!」
自暴自棄な闇の中から一歩踏み出すように、ニコロはふと目の前の怪しげな男の顔を覗き込んだ。
「ところで……あんた、名前は何て言うんだ?」
ニコロは、今でもはっきりと覚えている。あの歌姫との鮮烈な出会いを――。
路地裏で彼女の歌声を耳にした瞬間、居ても立ってもいられず自分から声をかけたのだった。ただただその清らかな響きに魂を揺さぶられ、この人と一緒に舞台に立ちたいと心から願ったからだ。
彼女はニコロのヴァイオリンコンサートにも足を運び、彼の奏でる音色に静かに耳を澄ませてくれた。
館の庭へ出れば、一人ぽつんと日向ぼっこをしていた彼女の佇まい。柔らかな陽光の中に浮かぶその横顔は、どこか寂しげで儚げだった。
街中で買ったパンを頬張っていた時、不意に目の前に現れた彼女の無邪気な姿。二人で分け合って食べたパンの味。その場でヴァイオリンを構え、街行く人々を魅了したあの豊かな時間。
ふと触れ合った彼女の手が、かすかに震えていたことも覚えている。あれは、彼女を縛りつける見えない不自由や運命に怯えていたからだったのかもしれない。
共に部屋に籠もり、楽譜を開いて幾度も音を重ねた練習の日々。言葉を超えて、笑顔と音楽で魂を通わせ合った時間。
そして――あの光り輝く舞台の上で披露した、最初で最後の奇跡の歌声。
最期に彼女が遺した、「生きて」という切なる願い。
その言葉をしっかりと胸に抱き、ニコロはどれほど険しい道であろうとも、未来へ向かって生き続けなければならないのだった――。
◆◆◆
そこは、とある星の海岸沿いに聳え立つ、豪華なお城のような重厚な館。
波の音がかすかに響くその場所へ、ニコロは傷ついた身体を引きずるようにしてやってきた。
その手にはバイオリンケースが握られている。
激しい戦闘で負ったダメージはある程度治療してきたものの、まだ身体の奥には重い痛みが残っている。よろめく足取りで玄関の前へ辿り着いたニコロは、息を整えて重厚な扉をノックした。
すぐさま中から姿を見せたメイドに案内され、整然とした二階の廊下を進む。
そして、目指す部屋の前で足を止めた。会うべき「あの人物」が待つ執務室だ。
ニコロが静かに扉を叩く。
「ハイ! どうぞ!」
中から響いた独特の朗らかな声に応え、ニコロはドアを押し開けた。
「ただいま、戻りました……ヴィレム様」
部屋の中にいた男――ヴィレムは、かつてニコロの前に現れた際、シルクハットを被り、ステッキを携え、インパネスコートを羽織っていたあの人物だった。
執務室の壁際にはそれらの衣類やステッキが丁寧に立てかけられており、ヴィレム自身はデスクで大量の書類や郵便物の整理をしていたところだったようだ。
ニコロの痛々しい姿を目にした瞬間、ヴィレムは手を止め、驚いたように目を丸くした。
「オヤオヤ? どうされたのでスカ、その傷は……。マァマァ、まずはそちらにお座りくだサイ」
促されるまま、ニコロは室内にある豪華な応接用のソファへと深く身体を沈めた。
「はい……ご報告に参りました。『お告げ』の通り……『宇宙の守護者たち』が現れました」
その言葉を聞くと、ヴィレムもまた書類仕事を中断し、会話を交わすべくニコロの向かいのソファへと腰を下ろした。
「なるほど、なるほど……『お告げ』の通り、遂に来ましタカ……。とりあえずニコロさん、貴方が生きて無事に戻られたことが何よりデス。かなり酷いお怪我のようですカラ……」
「はい……お気遣い、ありがとうございます」
「まずはコーヒーでも飲みまスカ……」
ヴィレムがパチンと指を鳴らすと、扉が開いて洗練された身のこなしでメイドが入ってきた。
「コーヒーを二つ、お願いできまスカ?」
「畏まりました」
メイドが静かに一礼して部屋を後にすると、ヴィレムは再びニコロへと視線を戻した。
「それで……今回の『ダークマター』は、どのようにして作られましタカ?」
ヴィレムの問いかけに、ニコロは静かに答える。
「……祖国を愛する騎士、その二人の兄弟愛を引き裂きました」
「おぉ~! それはなんとも、素晴らシイ……!」
ヴィレムは感嘆の声をあげ、目を輝かせた。だが、続く彼の問いに、ニコロは苦々しい表情で視線を落とした。
「それで、回収した『ダークマター』はドチラヘ……?」
「そ、それが……『宇宙の守護者』たちに奪われました……」
「……なるほど。それで、その傷を負われたのデスね。分かりまシタ……」
ヴィレムは納得したように深く頷くと、表情を引き締めて尋ねた。
「それで、彼ら『宇宙の守護者』たちとは、一体どのような者たちでしタカ?」
「彼らは……」
ニコロは意を決し、詳細な報告を始めた。
奪われた『ダークマター』のこと、襲いかかってきた『テンゴ』と名乗る者たちを含む5人の集団、そして彼らが駆使する常軌を逸した『奇妙なスキル』の数々――。
次の激突に向け、暗い静寂が漂う執務室の中で、二人の綿密な情報共有が続けられていくのだった――。
「なるほど……彼の『宇宙』論は、宇宙全体が『音楽』である、と……。フフッ、私は彼のその『宇宙論』を否定はしまセン」
「はぁ……」
ニコロは生返事を返し、テーブルの上に置かれたコーヒーを静かに口へと運んだ。
「その『テンゴ』というお方、案外あなたと気が合いそうな人デスねぇ」
「……」
「この宇宙を何に例えるかは、人それぞれデス。そのテンゴという男のような者もいれば、私のような考えを持つ者もイル…」
ヴィレムはそう言うと、視線をニコロの瞳へとまっすぐに向けた。
「しかし、確かなのは……そこに『愛』があるかどうかデス。いいですか、ニコロさん。我々『UNIVERSAL・ORDER』の目的は、『ダークマター』を使ってこの宇宙を作り変える事デス」
どこか神聖ですらある語り口。けれど、続く言葉には狂気と冷酷さが宿っていた。
「『愛』がないのであれば、『愛』を作り出し……そして、その『愛』を極限まで引き裂いて踏みにじる。そうしてこそ、至高の『ダークマター』が生まれるのデス」
「……はい。次なる『愛』を叩き潰すため努力します」
「えぇ、勿論デス。……しかしニコロさん、今のあなたは到底お仕事ができるお体ではありまセン。傷が癒えるまでは、しっかりと休みなサイ」
「……感謝いたします」
深々と頭を下げるニコロに、ヴィレムは思い出したようにパッと表情を明るくした。
「あぁ……そういえば。私は以前、また貴方の演奏を聴きたいと申し上げまシタ。……今、よろしいでスカ?」
「あ……いや、私は……もう音楽など……」
困惑し、視線を落とすニコロ。だが、ヴィレムは優しく、けれど拒絶を許さないトーンで微笑んだ。
「弾いてくだサイ。この場で……貴方自身のためニモ、そして……彼女のためニモ。貴方の『音楽』は、宇宙のためにあるのですからねぇ。観客は私と、そこにいるメイドの二人だけデスが……」
「……わかりました。ご期待に応えましょう」
ニコロは静かに立ち上がると、肌身離さず抱えていた『イル・カノーネ』を取り出した。
演奏の場に選んだのは、執務室の大きな窓を開け放った先にある、夜風の吹き抜ける広々としたベランダだった。
ベランダへ出て夜空を見上げる。雨は降っていない。頭上には、吸い込まれそうなほど眩しい満天の星々が広がっていた。
(観客はもう一人いる……。そう、この満天の星のどこかで見守ってくれている……アリア、君のために届けよう)
ニコロは息を整え、ゆっくりと弓を弦へと添えた。
――パガニーニ作曲:『ラ・カンパネラ』。
澄んだ音色が夜の静寂を切り裂き、高らかに鳴り響く。
星々が光の鐘を奏でるように、空一面で眩しく瞬き、互いを照らし合っていく。
ヴィレムはベランダの傍らでコーヒーを片手にその繊細で激しい旋律に耳を傾け、一口口をつけた。メイドもまた佇み、息を呑んで夜空に溶けていく美しい音色に魅了されている。
ひだまりのように優しくニコロを包み込んでくれた、彼女のあたたかな笑顔。
二人で重ねた愛おしい思い出のすべてが、彼女から手渡されたこの愛器『イル・カノーネ』の中に、深く、深く刻み込まれていた。
最後の旋律が夜風の中に消えていき、ニコロはそっと弓を収めた。
(君との楽しかった思い出は……ずっと、この胸の奥深くに大切に閉まっておくよ……)
静寂のあと、背後から惜しみない拍手喝采が沸き起こった。
「やはり素晴らシイ……! 貴方はご自分の『愛』を取り戻されたように見えマス!」
「……ありがとうございます」
ヴィレムは満足そうに大きく手を広げ、夜空に向かって朗々と謳い上げた。
「宇宙の壮大な物語には、過去も現在も未来もありまセン! 生きとし生ける者に存在意義と一つひとつの物語を与える……こうして宇宙は『愛』に満ち溢れていくのデス!」
そしてニコロに向き直り、穏やかに告げた。
「我々の仕事はその『愛』を潰す事です」
「さぁ、今夜はもう遅い……しっかり休んで明日に備えまショウ!」
「はい!」
夜風に吹かれながら、ニコロは静かに心の中で呟いた。
(ありがとう……君が見ていてくれるから、俺はまた前へ進めるんだ)
◆◆◆
ご感想頂けますと幸いです。
お待ちしております。




