ユニバーサル・オーダー 現る
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二階の部屋から姿を現したチェルノモールは、そのままフワリと宙に浮遊し、ニコロの斜め後ろへと着地した。
しかし、その瞳には一切の光が宿っていない。光彩の失われた虚ろな目は、まるで魂を抜き取られた人形のように感情を欠いていた。自らの意思は既に無く、完全に何者かに操られているのは明白だった。
「お前……チェルノモールに何をしたんや!?」
憤怒を露わにしたネルソンが語気を強めて問いただす。
「ふん、そんなもの教えるはずがないだろう」
ニコロは冷笑を浮かべると、短く命じた。
「行け、チェルノモール! そいつらを始末しろ!」
命じられるがまま、チェルノモールがゆっくりと杖を振り上げた。
その先端に絶望的なまでの禍々しい魔力が収束し、自らの身の丈ほどもある漆黒のエネルギー弾となって解き放たれる!
「――任せろッ!」
直撃すればタダでは済まない大技に対し、すかさず動いたのはテンゴだった。
懐から一瞬で扇子を引き抜くと、優雅かつ鋭く空を切り裂きながらスキルを詠唱する。
「『天空完全五度――ッ!!」
テンゴの前面に手にした扇子が一瞬で巨大な扇子の光の盾へと膨れ上がった。
――持続時間はわずか二秒。
だが、その二秒間のみあらゆる攻撃を完全に遮断する、絶対不可侵の無敵障壁。クールタイム五秒という短さゆえ、発動タイミングを一瞬でも誤れば死に直結する非常にハイリスクな技だ。
(……今だッ!)
ドンッ! と重厚な衝撃音が響き渡る。
完璧なタイミングで展開された五芒星の盾によって、迫り来る漆黒のエネルギー弾は見事に弾かれ、霧散した。
「……ッ!? なに……!?」
予想外の絶対防御に、ニコロが不快そうに顔をしかめる。
弾き返した反動の風の中に立ち、テンゴは扇子を強く握り直して前を見据えた。
「……そうはさせねぇ!!」
この『静音の五芒星』は、LKO時代に幾度となく使ってきたスキルだ。そして同時に、山ほど失敗を重ねてきた苦い記憶の残る技でもある。
使い慣れていると言えば確かにそうなのだろうが、使いこなせていないと言えばそれもまた事実。タイミングのシビアさに何度も泣かされてきたが――土壇場の今回は、完璧に決まった。
「……何だ? その奇妙な技は……」
舌打ち混じりに眼光を鋭くするニコロに対し、テンゴは不敵な笑みを浮かべ、手にした扇子を静かに構え直す。
「何だ? わざわざ説明でもしてほしいのか?」
攻撃を防ぐと同時に、仲間の間からチェルノモールを案じる声が一斉に上がった。
「おい、チェルノモール!」
「声が届いてないの!?」
「返事しろ!」
矢継ぎ早に言葉を投げかけるが、チェルノモールの表情はフードの影に隠れて窺い知れず、一切の反応もない。ただ操り人形のように無感情に佇むだけだった。
(……くそっ、完全に意思を奪われてるのか……!)
だが、この戦況下でも探れる情報は少しでも引き出しておかねばならない。テンゴは扇子を構え直すと、目の前の元凶――ニコロへ向けて鋭い問いを投げかけた。
「お前は一体何者だ……!? 俺たちと同じ『プレイヤー』なのか!?」
テンゴが思わず投げかけた予期せぬ単語に、ニコロはピタリと動きを止め、怪訝そうに首をひねった。
「あ……? ぷれいやー……だと……?」
聞き覚えのない言葉に一瞬ポカンとしたニコロだったが、すぐに何かを企むように「くっくっ……」と意地の悪い嘲笑を浮かべてみせる。
「お前たちこそ『お告げ』の『守護者』じゃないのか…?」
突きつけられた互いの問いに、その場の時間が凍りついたかのような沈黙が広がる。
防壁の内側でテンゴたちが(……え? こいつ、LKOのプレイヤーじゃなくて、ただの勘違い野郎か……?)と顔を見合わせる。
「まぁいい……小賢しい守護者どもが、我が領域の静寂に呑み込まれるがいい…」
互いに漂い始めた妙な空気を力ずくで振り払うと、自嘲気味に首を振った。
ニコロが腕を振り上げ、甲高い声で命じる。
「やれ、チェルノモール! お前の力を見せてやれ!」
ニコロが甲高い叫びとともに勢いよく腕を振り上げると、周囲の空間へ一気に禍々しい気が満ちていく――。
宙に浮遊するチェルノモールが、その言葉に応じるように静かに杖を天空へと掲げた。
「……『日食の終止符』だ――ッ!」
瞬間、天高く巨大な漆黒の天体が出現し、ドーム状に大きく広がって庭園全体をすっぽりと包み込んでしまった。
ただでさえどんよりとした曇天で日光の届かない場所だったが、空間そのものが塗りつぶされ、真夜中のような完璧な闇が支配する。
光は失われた。頼りになるのは、屋敷から漏れる僅かな明かりと、庭園に点在するライトの光線のみ。
まるで宇宙の虚無の底へと放り出されたかのような、外部から完全に遮断された不気味な暗黒ドーム。テンゴたち六人は、その閉ざされた空間の中に閉じ込められてしまったのだ。
「なっ……何だ、これは!?」
テンゴが周囲の異変に眉をひそめ、警戒を強める。
「ふはは、これはお前たちを処罰するための――」
ニコロが勝ち誇ったように言葉を続けようとした、その瞬間だった。
宙に浮かぶチェルノモールの身体に、突如として激しい異変が起こる!
ジャラランッ――ガチンッ!!
重厚な金属音とともに、無数の漆黒の鎖がチェルノモールの全身へ苛烈に巻き付いた。
(……あ、あれはッ!?)
――ピローのスキル、『星葬を保持する妥協なき鎖』だ!
ピローの構えた赤いブレードの先端から、けたたましい金属音とともに漆黒の鎖が飛び出した。
「こいつが闇魔法使いなのは分かった……! こいつは我に任せろ!」
叫ぶと同時に、鎖で締め上げたチェルノモールの巨体を薔薇のゲート付近へと豪快に投げ飛ばす。ドサッ、と重い衝撃音が鳴り響く中、ピローはすかさず『テレポート』を三回連続で発動し、チェルノモールの落下地点へと一気に間合いを詰めた。
「……ねぇ…うちは…あっち行くね。じゃ、テンゴ、チヒロ、ネルソン、頑張って」
「あぁ、ピローを頼んだぜモモ!」
続けてモモも『テレポート』を一度使用し、ピローたちの後方へと跳躍する。敵に肉薄するピローとは違い、一定の距離を保つ冷静なポジショニング――回復と後方支援を担うビショップとして、真っ先に狙われるリスクを避ける的確な判断だった。
「っ……ちょ……おい……!?」
予期せぬ奇襲でチェルノモールを引き剥がされ、ニコロは思わず狼狽した声を漏らした。制止しようと手を伸ばすものの、テンゴたちのプレッシャーに阻まれ言葉が続かない。
「ルスラン、君は姫様の安否確認を! こいつは俺たち三人で相手をする!」
テンゴは先ほどの攻防でニコロの技量を見極め、即座に指示を出した。
「あぁ、分かった! 三人とも健闘を祈る!」
短く答えたルスランが、大剣を手にリュドミラ姫の方角へと駆け出す。
直後、チェルノモールの全身を縛り上げていた鎖がバチバチと音を立てて砕け散り、不気味な黒いオーラを纏った巨体が再び宙へと浮き上がった。
それを見届け、テンゴ、チヒロ、ネルソンの三人は、眼前の敵――ニコロへと鋭い視線を据え直した。
(ピローが余裕すら漂わせる表情でチェルノモールに果敢な攻撃を加えていた。
ログアウト不能という異常事態の中で、まだ単なる『ゲーム』の感覚が抜けていないのか。それとも、この世界そのものが本当にまだゲームのルールで動いているのか――それも追々、確かめねばならない問題だ――――だが今は)
だが、思考を切り替え、テンゴは目の前の敵へと意識を集中させる。
「……お前たちは何だ? この私を愚弄しているのか……!?」
ニコロは顔を歪め、怒りを露わにして吐き捨てた。自分と対峙しながらも後方の戦況に気を配るテンゴたちの態度が、不快でたまらないらしい。
「荒野にいたあの人を『大頭』に変え、デタラメを吐いて騙した……そんな卑劣なやり方、私は絶対に許さない!」
チヒロが真っ直ぐにニコロを指差し、強い意志の籠もった声で弾劾する。
「お前がすべての元凶やってことは、最初から分かっとるんやぞ!」
ネルソンも威圧するように一歩踏み出し、怒りを煮詰めた声を叩きつけた。
テンゴもまた扇子を鋭く構え直し、ニコロの目を射抜くように冷ややかに問い詰める。
「――結局、お前の目的は何なんだ?」
「我々の目的は、全宇宙で『ダークマター』をかき集め、この宇宙を新たに作り変える事が目的だ!!!」
ニコロは額に青筋を浮かべ、般若のような形相で激怒した。
「その崇高な理想を実現すべく、結成した我々の組織の名は――ッ!」
ニコロは叫びながら手にした弓を瞬時に変形させ、鋭い突剣へと仕立て直す。そして、地面を強く蹴ってテンゴの胸元へと一直線に突進してきた。
「……UNIVERSAL・ORDERだッ!!」
(――来るッ!)
すかさずテンゴは扇子をバッと開き、空を振り払うように一閃させた。ガーディアンのメインスキルを迷いなく発動する。
「『五音の防星』――ッ!!」
その瞬間、テンゴの周囲に扇子の意匠が施された五つの光の盾が召喚・展開された。直後、ニコロの放った決死の突きが、展開された盾の障壁へ正面から激突する。ドォォォォンッ――!!重厚な衝撃音が響き渡り、ニコロの刃は完璧に弾き返された。
「っチぃ!!」(ガンッ!)ニコロは弾かれた反動を強引に殺すと、怒りのままに突剣を叩きつける。
「さっきからぁっ!!」(ガン! ガンッ!)
さらに狂ったように剣を連打するが、扇子の大盾は微動だにしない。
「何なんだよッ! ドンドンドンッ!」
ついには剣だけでなく、なりふり構わずドカドカと無意味な蹴りまで叩き込み始めた。
「このっっ……この不愉快な盾はぁぁぁッ!!!?」
完璧な防御性能を誇る盾を前に、ニコロは完全にプライドを打ち砕かれ、ただの不審者のように逆上して暴れ散らかすしたのだ。
「はぁ、はぁ……このっ……!」
ニコロは荒い息を吐きながら、なおも突剣を振り上げてテンゴの盾を打ち据えようとした。
――だが、その時だった。
屋敷へ向かって走り、リュドミラ姫の安否確認へと向かうルスランの後ろ姿が、ニコロの視界に跳び込む。
「……フン、まずはお前からだ!! ルスラン!!」
ターゲットをテンゴの絶対防御からルスランへと瞬時に切り替えると、ニコロは地面を強く蹴って勢いよく走り出した。
(――まずいッ!)
テンゴが肝を冷やした瞬間、『五音の防星』の内側にいたネルソンが声を張った。
「拙者が行くさけ! テンゴ、盾をひとつ開けてくれんけ!」
ネルソンと一瞬、強く視線が交差する。その背後ではチヒロもすでに武器を構え、ネルソンの突撃に合わせて即座に追撃へ入る構えを見せていた。
「頼んだぞ!」
テンゴが扇子をすっと振り上げると、全方位を覆っていた浮遊盾のうちの一枚が、頭上へと誘導されるように滑らかに持ち上がる。
生じたわずかな隙間から、ネルソンが弾丸のように勢いよく飛び出した。
「わいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!」
庭園全体を揺るがすような豪快な雄たけびを上げ、ネルソンはルスランへと迫るニコロの側端へと一気肉薄する。
「んあ……!?」
「な、何だぁッ!?」
突然背後から響いた大音響の咆哮に、ニコロは思わず足を止め、目を丸くしてネルソンを凝視した。
「……何の雄たけびだよ。突っ込んでくるなら黙って来い……!」
呆れ交じりに吐き捨てつつも、ニコロは突進してくるネルソンへ向けて即座に突剣を構え直した。
「『荒星・八点拍子』――ッ!!」
ネルソンが叫ぶと同時に、その愛刀へ禍々しくも力強い赤黒いオーラが噴き出すように纏わつく。
そのまま全重量を乗せて正面から斬りかかろうとした――まさにその時。
ニコロの真横から、チヒロが間髪入れずに割り込んだ。
「『雷天の瞬奏』――ッ!!」
稲妻のような軌跡を描き、チヒロの杖がニコロの側頭部を狙って豪快に薙ぎ払われる!
「くっ……同時攻撃か―――ッ!?」
ニコロは咄嗟に左手の漆黒のバイオリンを大きく膨張・巨大化させると、左側から迫るチヒロの打撃を防ぐべく掲げ、間一髪で防御態勢を取った。
同時に、正面から迫るネルソンの赤黒い一閃に対し、右手の突剣を力任せに突き出して真っ向からの相殺を試みる!
◆◆◆
仲間たちが稼いでくれた一瞬の隙を突き、ルスランは屋敷の正面扉へとなだれ込んだ。
重厚な扉を押し開き、息を切らしながら薄暗い館内へと足を踏み入れ、リュドミラ姫の気配を探る。
(この建物は一階と二階で構成されている……居るとしたら、間違いなくこの中だ!)
先ほどチェルノモールが解き放った『日食の終止符』の影響で、館内は真夜中のような深い闇に包まれており、著しく視界を阻まれていた。
ルスランは壁を頼りに左手側の廊下へと一気に駆け出す。
「こっちか……!?」
一階の廊下を走り抜け、片端から部屋の扉を開けて確認していく。
だが、どの部屋もまるで今日建てられたかのように不自然なほど整然とした美しさを保っており、人の気配は一切なかった。
「ええいっ、ここにもいないのか!」
手応えのなさに焦りを募らせたルスランは、すぐさま反対側の廊下へ折り返した。焦燥のままに剣を打ち払い、閉ざされた扉を豪快に叩き切る!
「姫様――ッ!!」
バタンッ!
扉を力任せに蹴り倒して室内へとなだれ込む。しかし、踏み込んだ部屋の中に人の気配は一切なかった。
「くそっ……! 一階じゃないなら二階か!」
階段を踏み荒らすように駆け上がり、真っ先にチェルノモールが立ち尽くしていた二階の部屋へと向かう。
だが――何かがおかしい。一階からは想像もつかないほど、二階には無数の扉がずらりと連なっていた。廊下を走るたび、視界の端で木製のドアがぐにゃりと奇妙に歪んでいく。
「姫様っ!!」
「ここにもいない……!」
隣の部屋へ飛び込むものの、そこにあったのは一階と同様、がらんとした無機質な空洞だった。こんな冷たく気味の悪い場所にチェルノモールが姫を囚わしているのかと思うと、胸の奥から激しい怒りが込み上げてくる。
荒い息を吐きながら廊下へ飛び出すと、景色はさらに異常を増していた。空間そのものが歪み、壁も床もぐにゃぐにゃと波打っている。
「な……空間が歪んでいる……!? これもあいつの魔法か!?」
次なる部屋のドアへ手を伸ばそうとした、その時だった。
「ぐっ……ぁ……!? なんだ、急に体が……っ!」
何もない空間へ向け、足が勝手に動き出す。抗おうとしても、目えない力に手足を引かれるように前へ前へと踏み出してしまうのだ。
視界がぐるりと歪み、追っていたはずのドアの光景がみるみる遠ざかっていく。やがて前後左右の概念すら失われ、部屋の扉は影も形も消え去ってしまった。
「くそっ……ここはどこだ……!?」
闇とも異空間ともつかない場所に孤立した瞬間、足元から不吉な気配が湧き上がった。
(グチャッ……キチチチチ……)
暗闇から姿を現したのは、不気味な音符の形をしたモンスターたち。
昆虫のように濁った複眼をギラつかせ、針のように尖った鋭利な口腔を覗かせている。オタマジャクシのようにも見える異形の群れが、ルスランの足元を覆い尽くすように湧き出してきた。
「……っ!! こいつらは何だ……!? オタマジャクシみたいな化け物めっ!」
音符の化け物たちは甲高い鳴き声を上げ、一斉にルスランへ群がり跳ねかかってくる。
「くっ! こいつら……まさか『暗黒の魔法使い』チェルノモールのしもべか!?」
ルスランは即座に愛剣を抜き放ち、迫り来る化け物たちを薙ぎ払った。一閃、二閃。飛び交う音符を斬り捨てていくが、一向に数が減る気配はない。
「流石に多すぎる……っ!!」
払っても払っても湧き出る大群は、ついにルスランの脚を這い上がり、腰のあたりまでを黒く埋め尽くした。蠢く身体の重みと粘りつく不快感に、剣を振るう腕の自由すら奪われていく。
「っく……こんな……こんな所で……っ!」
「っこ、っこのオタマジャクシが!!」
「ぐわぁぁッ!?」
抗いきれず、ルスランの身体はそのまま音符型モンスターの濁流へと呑み込まれ、床へと倒れ伏した。
無数の不気味な目が自分を見下ろし、視界が漆黒に染まっていく。
(僕は……姫様を助けるために、ここまで来たのに……)
身動きの取れない闇の中で、意識が遠のいていく。
絶望の底で掠れる意識の向こう側――ふと、昔の記憶が頭をよぎった。
(そういえば……僕はリュドミラ姫と出会うまで、剣の実力なんてまるで無かったんだ――)
・・・・・・・
・・・・・
・・・
―――数年前。
(そう……キーフ公国にいた頃の僕は、決して強い騎士などではなかった――)
毎日毎日、血の滲むような訓練を重ねても、模擬試合でまともに勝てたことなど一度もなかったのだ。
「ハッハッハッ! どうした騎士ルスラン! お前の実力はその程度か!?」
ドガンッと重い衝撃とともに、ルスランの体は容易く吹き飛ばされた。
「ぐっはぁッ……!」
派手に尻もちをつき、手から弾け飛んだ愛剣が遠くの地面へと転がっていく。
「っく……! まだだ……次こそは……ッ!」
泥に塗れた手を這わせ、必死に剣へ手を伸ばそうとしたその時――。
「いや、そこまでだ」
頭上から冷ややかな制止の声が下りてきた。
「まだまだだな、ルスラン。今日のところはこのくらいにしておくか」
見上げれば、そこに立っていたのは筆頭騎士ファルラーフだった。圧倒的な格上の存在。ルスランはこれまで、一度として彼に勝てたことがない。
「っく……次こそは……ッ」
「ふっ……お前が俺に勝っていることと言えば、リュドミラ姫をお守りしようとする、その強いお心くらいのものだ」
ファルラーフは肩をすくめ、小さく鼻で笑った。
「まあ、精神力の強さだけは俺も認めるところだ。心配せず、日々精進することだな」
吐き捨てるようにそう言い残すと、ファルラーフは振り返りもせず訓練場を立ち去っていった。
(そうだ……僕の実力なんてこの程度だった。ファルラーフの足元にすら及ばない、落ちこぼれの騎士……)
――そんなある日のこと。隣国への遠征にあたり、リュドミラ姫の護衛としてルスランが抜擢されるという異例の事態が起きた。
「姫様……何故、私のような者を今回の重要な任務に指名されたのですか?」
馬車の中で耐えかねて問いかけたルスランに、リュドミラ姫は優しく目を細めて微笑んだ。
「それはですね、騎士ルスラン。貴方が誰よりも『仲間を護る心』をお持ちだからですよ」
「仲間……ですか?」
「ですが姫様、お言葉ですが……私には確かに姫様をお守りする騎士道精神はございます。けれど剣の実力においては、他のどの騎士よりも劣っております……」
弱音を吐くルスランに対し、姫は静かに首を振った。
「……ルスラン。私は時折、不思議な夢を見るのです。貴方が………大切な仲間たちのために、ボロボロになりながら奮闘する姿を」
「え……?」
「いずれ貴方にも、騎士としての『運命の日』が訪れます。その日のために……今日の遠征に同行し、どうか私を護ってくださいね」
神秘的な光を宿した瞳で、リュドミラ姫は温かく語りかけてくれた。
「はぁ……なるほど……」
姫の深い信頼に胸を打たれつつも、自分にその大任が務まるのだろうかと不安心理を拭いきれずにいた、その時――。
「お待たせいたしました、リュドミラ姫。今回の遠征、ラトミール王子との食事会に私も同行させていただきます」
ぬっと姿を現したのは、一人の屈強な騎士だった。ルスランにとっては見覚えのない男だ。
一目でわかる圧倒的な威圧感。直接手合わせなどせずとも、到底自分などが敵う相手ではないことくらい一瞬で理解できた。
「はい、よろしくお願いしますね」
「今回は私の騎士ルスランも同行します。仲良くしてあげてくださいね」
「ええ、勿論です」
男はクックと口元を歪め、姫に丁寧なお辞儀を返すと、ゆっくりとルスランの方へと視線を向けた。
「よろしく。君が噂の騎士ルスランか?」
「あ、ああ……そうだ。リュドミラ姫の騎士、ルスランだ。よろしく頼む」
差し出された手に応じ、固い握手を交わす。だが――。
「俺はゴリスラヴァだ……」
その男――ゴリスラヴァの浮かべた笑みにはどこか歪な不気味さがあり、鋭い眼光の奥には邪悪な企みが冷たく揺らめいていた。
――そしてその日は、ルスランの人生で最も屈辱的な一日となった。
遠征の最中、リュドミラ姫が突然姿を消したのだ。同時に、あの騎士ゴリスラヴァも行方不明となった。同行していた王室の職員も他の騎士たちも血眼になって周囲を捜索したものの、二人を見つけることはできなかった。
やむなくキーフ公国へと戻り、国を挙げて捜索範囲を広げようと提案したルスランを待っていたのは、温かい言葉などではなく――容赦のない冷眼と、激しい罵詈雑言の嵐だった。
「本当にあのルスランで大丈夫なのか!?」
「やっぱり実力的にも無理だったんだ!」
「今回の失態、騎士の称号を剥奪すべきよ!」
「王室に対する反乱罪で訴えてやるッ!」
「おい、さっさと騎士なんてやめちまえ!」
どこを歩いても、背中に突き刺さる心ない非難の声。
だが……リュドミラ姫を護れなかったのは紛れもない事実だった。反論の言葉など何ひとつとして出てこない。
(何故……何故、姫様は僕のような無能を騎士に、側近に指名されたんだ……!?)
(こんな僕に……一体何をしろっていうんだ……ッ!!)
溢れ出す悔しさと無力感に、ルスランの心はズタズタに引き裂かれた。
……その後に判明した『リュドミラ姫誘拐の犯人がゴリスラヴァである』という真実さえも、当時の彼の絶望を埋めてはくれなかった。
・・・・・・
・・・・
・・・
(あの時の姫様は……何故、僕なんかに期待してくださっていたんだろう?)
音符の化け物たちに全身を押しつぶされ、身動きすら取れない闇の中で、ルスランは薄れゆく意識を振り絞って考えていた。
脳裏に浮かぶのは、テンゴたちと初めて出会ったあの日の光景だ。
(姫様が奪われ……また護れなかったと、己の無力を血が滲むほど悔やんでいたあの時――)
目の前に差し出された、テンゴの温かい手。
(あの時のテンゴたちは、一体何を考えていたんだろう……。婚礼の儀がぶち壊され、周囲が混乱と怒りでざわめいていたというのに……何故、僕なんかに手を差し伸べてくれたんだ……?)
『運命の日』――姫様が残したその言葉が、何度も胸の中で渦巻く。
(ダメだ……何もかも分からない。派手なスキルも、圧倒的な強さもない僕に何ができる? あとはテンゴたちに任せて、僕はここで大人しく消えるべきなんじゃ――)
弱気が心を蝕みかけたその時、胸の奥で姫様の声が力強く蘇った。
(『仲間の為に……』――そうだった。姫様をお守りするのは騎士としての僕の務めだ。だけど姫様は……いつだって僕だけじゃなく、僕の周りにいる仲間のことまで気にかけてくださっていた……!)
(仲間の為に、今の僕に何ができる? あんな派手な攻撃スキルなんて持ってない僕に……!)
その時――遠い闇の向こうから、自分を呼ぶ温かい声が聴こえた。
(ルスラン)
(ルスラン――っ!)
記憶の底が揺れる。そうだ、自分の手にあるこの剣にも、名前が付けられていたはずだ。
(『運命を断ち切る剣』……あの大頭――がそう名付けたんだったか。大層な名前だ。だけど……姫様だって『運命の日』とおっしゃっていた……)
雷に打たれたような衝撃が、ルスランの思考を貫いた。
(――待てよ。運命の日って……今日の事じゃないのか!?)
(『運命の日』とは、今日僕がここで無残に倒れる日という意味じゃない……! 襲いかかる惨い運命を僕自身の手で断ち切り、大切な仲間を救い出す日のことなんじゃないのか!?)
視界を覆う暗闇が疾走する。
そうとも、今まで僕は何度もテンゴたちに救われ、支えられてここまで来たんだ。
(だったら今度は――僕が彼らを助ける番だッ!!)
その覚悟に応えるように、心の中に鮮烈な声が次々と響き渡った。
(大丈夫か、ルスラン!)――力強いネルソンの声。
(助かったわ、ありがとう!)――朗らかなモモの声。
(助かったぜ、相棒!)――頼もしいピローの声。
(私がついているから!)――凛としたチヒロの声。
(よろしくな!俺はテンゴだ!)――頼もしいテンゴの声
そして最後に、テンゴたち5人がまっすぐルスランの目を見据え、テンゴたちの手が、力強く差し出される。
(((((さあ――行こうッ!!)))))
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
自分を押しつぶしていた音符モンスターの山を破り、ルスランの全身から溢れ出た眩い光が爆発した!
吹き飛ばされる異形の群れ。その中心で立ち上がったルスランの手には、純白の聖なる光を激しく撒き散らす『運命を断ち切る剣』が握られていた。
「僕は――仲間を護るために、ここへ来たんだッ!!」
渾身の力で一閃。放たれた聖光の波紋が、襲いかかろうとしていた音符型の化け物たちを一瞬で削り取り、影も形もなく消し去っていく。
「姫様と、仲間たちの悲運を……今ここで断ち切ってみせる!!」
「これこそが――僕に託された『運命』だッ!!」
閃光が弾け飛ぶと同時に、ルスランの視界がクリアな現実へと引き戻された。
ぐにゃりと歪んでいた壁も天井も床も、全てが本来の整然とした屋敷の姿へと戻っている。
「よしっ……! 次の部屋だ!!」
異空間の結界が打ち破られたことを確信し、ルスランは一刻の猶予もなく隣の部屋へ向かって走り出した。
廊下へ躍り出ると、先ほどまで無限に続いていたはずの回廊は終わりを見せ、突き当たりのドアまでが一望できるようになっていた。
(やはり、あの歪みはチェルノモールの張り巡らせた結界魔法だったか……!)
迷いを完全に振り払った足取りで突き当たりのドアへと踏み込み、勢いよくその扉を押し開けた――!
「くっ、ここにもいない……! だったら……さっきあの男が飛び出してきたベランダの部屋か!」
思考を巡らせ、今度はニコロが姿を現した奥の部屋へと向かった。
扉を押しても微動だにしなかったため、咄嗟に引いて開ける。
(――ダンッ!!)
勢いよく扉を開け放ったルスランの視界に、ついに求めていた光景が飛び込んできた。
「姫様――ッ!!」
そこには、挙式の際に身にまとっていた華やかなドレス姿のまま、ベッドの上で静かに息を立てて眠るリュドミラ姫の姿があった。
「……っ! 今すぐお救いします!」
感極まって室内へ足を踏み入れようとした――まさにその瞬間。
(――ガギィンッ!!)
見えない『壁』に阻まれ、ルスランの身体が強く弾き返された。
「な……なに……!?」
強固な透明の魔法障壁が、ベッドとルスランの間に立ちはだかっている。
「ええいっ! 姫様! 姫様ッ!!」
ルスランは必死に目えない壁を拳で殴りつけ、矢継ぎ早に声を張り上げた。だが、透明な障壁はピクリとも揺らぐ気配がない。
「っはあああああ――ッ!!」
覚悟を決めて大剣を抜き放ち、渾身の一撃を見えない壁へ叩きつける!
しかし、打撃音とともに激しい反動が腕を襲い、攻撃はあっけなく弾き返されてしまった。
「っくぅ……! 何なんだ、この壁は……!? まさか――強力な魔法の結界か……!?」
弾かれた手を痺れさせながら、ルスランは即座に思考を巡らせた。
「だとすると……術者はチェルノモール……! 彼を倒さない限り、この魔法の壁は破れないというのか……!」
だが、リュドミラ姫の安否は確認できた。
手出しはされておらず、ただ静かに眠りについているだけだ。最悪の事態を免れていたことに、ルスランの胸へ深い安堵が広がっていく。
「……姫様。私はこれより、あの『暗黒の魔法使い』を倒してまいります!」
ルスランは眠る姫を見つめ、静かな、しかし揺るぎない誓いを立てた。
「暗黒の魔法使い、チェルノモールの目を覚まさせ……彼を縛る哀しい運命を断ち切ってみせます。そして彼も死の運命から救い……必ず、必ずや戻り、あなたをその眠りから覚まさせて見せます……!」
最後にもう一度姫の顔を目に焼き付けると、ルスランは迷いのない足取りで部屋を後にし、再び仲間たちの待つ戦場へと駆け出していった。
◆◆◆
ネルソンが解き放った『荒星・八点拍子』は、単体の敵へ向けて怒濤の八連突きを叩き込む強力な連撃スキルだ。極めて高い威力を誇り、特に『LKO』時代のボス戦においては重宝されていた技である。
しかし――コントラバスのごとく巨大化したニコロのバイオリンは、チヒロの『雷天の瞬奏』を完璧に受け止めてしまった。
軋むような音とともに、巨大バイオリンの隙間からシューッと白い不気味な煙が漏れ出す。
チヒロの奇襲を凌ぎ切ったニコロは、冷ややかな視線でネルソンを見据え、突剣を静かに構え直した。
「……『跳弾の輪舞』」
静かな呟きと同時に、ニコロの手元から視認不可能なレベルの閃光が迸る。
それは、一秒の間に数百回もの突きを繰り出す苛烈極まりない超高速連撃だった。
「ぐぁっ……あぁぁぁッ!?」
刀で必死に殺しにかかったネルソンだったが、怒濤の連撃をすべて防ぎ切れるはずもない。相殺しきれなかった無数の突きが全身を苛み、その凄まじい衝撃によって、テンゴの足元まで豪快に吹き飛ばされてしまった。
「しまっ……おい、ネルソン! 大丈夫か!?」
テンゴはすかさず扇子を掲げ、『五音の防星』の浮遊盾を一枚持ち上げて収容スペースを作る。
ほぼ同じタイミングで、攻撃を防がれたチヒロも敵の間合いから間一髪で脱出し、後ずさりながら戻ってきた。
「うぅ……うがが……っ」
「いいから、とりあえず入れ!」
苦悶の声を漏らすネルソンの腕をテンゴは片手で力任せに掴み、戻ってきたチヒロとともに、素早く自身の障壁の内側へと引きずり込んだ。
障壁が元通りに閉じた直後、テンゴはネルソンの痛々しい姿に息をのんだ。
自身の『八点拍子』で相殺しきれなかった分も含め、その全身には数十箇所にも及ぶ生々しい傷が刻み込まれていたのだ。
「ネルソン、すぐに回復だ!」
ネルソンの職業は『サムライ』――『LKO』におけるトップクラスの単体火力を誇るアタッカー職だ。だがその圧倒的な攻撃性能と引き換えに、防御力は極めて低い。まさに「紙装甲」というデメリットを絵に描いたような職業であった。
そのため、ソロでの狩りならいざ知らず、高難易度ボス戦においてサムライが生き残るには多量の回復アイテムの常備が欠かせない。ヒーラーのビショップやタンクのガーディアンが不在のパーティーでは、あっという間に倒れて足を引っ張りかねない難儀なクラスでもあった。
ネルソンはアイテムポケットから最高峰の回復薬『星のエリクサー』これは渦巻き型の瓶に星型のキャップが付いているお洒落な回復薬だ。これを取り出すと、勢いよく煽るように口へと流し込んだ。
「っぷはぁぁ……っ!」
飲み終えた瞬間、ネルソンの全身が眩い光に包まれる。体力が一瞬で全回復し、体に刻まれていた数数十箇所もの生々しい傷跡が見る見るうちに消え去っていった。
(――ガンッ! ガガガンッ!!)
その時、テンゴの展開する防壁の外側から、再び激しい金属音が響き渡った。
ニコロが苛立ちを露わにし、突剣で『五音の防星』の盾を力任せに叩き続けているのだ。
『五音の防星』で呼び出す浮遊盾には明確な「耐久値」が存在する。いくら頑丈とはいえ、高威力の連打を浴び続ければ徐々に削られていき、最終的には破砕されてしまう。
(……出来ればこれ以上叩くのはやめてほしいんだが……)
削られていく盾の耐久値を意識しながら、テンゴは冷静に次の打つ手を模索する。
その間も、盾の向こうからニコロの必死で不毛な叫びが響き渡っていた。
「おい! 引き籠ってんじゃねーよ!!」
「せこいんだよッ!! 卑怯者、さっさと出て来い!!」
まともな打撃を与えられずプライドを砕かれたニコロは、なりふり構わず防壁を攻撃し続け、まるで癇癪を起こした子供のように怒号を上げ続けていた――。
「二人ともいいか? 次からは俺も加勢する」
盾の内側で、テンゴが低く力強い声で提案した。
「うん!」
「了解だ」
「『並走する星の使者』を使う。無茶は絶対するなよ、見ている限りあいつの火力は相当高いからな」
「ああ……いつも思っとるけど、ほんと頼もしいスキルやね」
ネルソンが口元を緩めると、チヒロも頷いて笑みを浮かべた。
「うん、じゃあテンゴ、頼むね!」
「よし――作戦開始だ!」
その頃、『五音の防星』で周囲を遮断している大盾の周囲をうろついていたニコロは、ふと不気味な違和感を覚えた。
先ほどまで息を呑む気配のあった盾の中が、妙に静まり返っているのだ。
ニコロが突剣を構え直し、警戒を強めたその瞬間――ニコロから少し離れた位置で、浮遊する盾の一枚がスッと開いた。
「――『並走する星の使者』!!」
テンゴの鋭い声が響き渡ると同時に、眩い光の粒子が飛び出す。
防壁を突き破るように展開したチヒロとネルソン、そのすぐ隣へ――彼らの動きに追従するように、『五音の防星』の大盾がそれぞれぴったりと寄り添うように立ち並んだ。
『並走する星の使者』――それは、半径百メートル以内にいる味方プレイヤーを最大五人まで指定し、彼らの傍らへ『五音の防星』の盾をそれぞれ追従・並走させるサポートスキルであった。
追従させた盾の操作権までは味方に移譲できないが、指定されたプレイヤーは「自身の半径一メートル以内」であれば、その場に盾を固定・留め置く程度の簡単な指示を出すことが可能となる。
そして、その場所から一メートル以上離れれば、盾は自動的に再びそのプレイヤーへの追従・並走状態へと戻る仕組みだ。
テンゴは今回、前衛で殴り込むチヒロとネルソンの二人へ一枚ずつ盾を配分し、さらにもう一枚を自分自身のすぐ隣へ固定させた。
そして残った二枚の盾には何の指示も出さず、あえて自身の周囲を浮遊・展開させておくに留める。
(前衛のふたりを護りつつ、残りの二枚は予備として俺の周りに配置しておく……! これで急な奇襲にも対処できるはずだ)
隙のない防御陣形を完成させたテンゴは、不敵な笑みを浮かべながらニコロを見据えた――。
「そこかあッ!!」
ニコロが叫ぶと同時に、姿を現したのはネルソンとチヒロの二人だった。
一気に陣形を崩して踏み込んでくる二人。その傍らには、テンゴから配分された『五音の防星』の大盾がピッタリと追従している。
「『荒星・八点拍子』!!」
ネルソンが威勢よく技を繰り出し、チヒロと並んで凄まじい同時攻撃を叩き込む。
「何っ!? 今度は何だ!?」
突如目の前で繰り出された二人同時の猛攻。そして、その十メートルほど後方には、冷静に自分たちの攻防とニコロの挙動を見つめる術者・テンゴの姿があった。テンゴは思考をフル回転させ、ニコロの対応から次の作戦を練り上げようと集中している。
「っく……また同時攻撃かよッ!」
ニコロは前回の苦い経験から学習していたのか、手にしていたバイオリンを巨大化させると、ガチリと強固な防御態勢を取った。そして先ほどと全く同じ技を繰り出す。
「『跳弾の輪舞』!!」
放たれる百回にも及ぶ苛烈な跳弾連撃。
だが、ネルソンは攻撃が到達する直前、並走していた大盾を『その場に留め置く』コマンドを即座に発動。その盾の影へと身を滑り込ませた。
荒れ狂う百連撃は、固定されたテンゴの巨大な盾によって全て完璧に受け止められる。
「チヒロ、今や!!」
ネルソンが身を挺して連撃を引きつけた絶妙な隙――すかさずチヒロが跳躍し、ニコロの頭上から肉薄する。
「『超新星の聖歌』!!」
凛とした叫びとともに、チヒロが振り下ろした杖から解き放たれた光の巨大ハンマーが、ニコロへと振り下ろされた。
しかし、ネルソンの足止めが途切れると同時に、ニコロは巨大化させたバイオリンを盾代わりに滑り込ませていた。
(――ズドォンッ!!)
チヒロの一撃は巨大バイオリンの強固な装甲に阻まれ、激しい衝撃波とともに猛烈な白煙が巻き上がる。攻撃は防がれてしまい、ニコロに決定的なダメージを与えるには至らない。
「っチ……! どいつもこいつも、面倒くさい真似をしやがって……!」
煙の中から現れたニコロは、顔をしかめて吐き捨てた。前衛二人の連携と、それを裏で支える絶対防御の鬱陶しさに完全に痺れを切らしたらしい。
「だったら……まずはお前からだ!!そこの『盾ヤロウ』ッ!!!」
ニコロは目の前の前衛ふたりを強引に無視すると、十メートル後ろに立ち尽くすテンゴへと視線を固定。地面を蹴って一直線に突進した。
ニコロがターゲットをテンゴへと切り替え、猛然と突進を開始する。
それを察知したチヒロは、ニコロの側面から一撃を叩き込むべく、即座にその真横へと回り込んだ。
「逃がすかッ!」
盾の陰から飛び出したネルソンも、すぐさまニコロへの追撃へと踏み出す。彼が留め置きの範囲(一メートル)を離れた瞬間、固定されていた『五音の防星』の大盾が再びふわリと浮き上がり、ネルソンの背後へと自動で伴走を開始した。
テンゴ目掛けて一直線に突き進むニコロ。
その左右から肉薄するチヒロとネルソン。
正面のテンゴ、左のチヒロ、右のネルソン――猛進するニコロを中心に、三人の位置関係は完全な「コの字」を描く絶妙な挟撃陣形へと組み上がっていく。
「っしゃああああッ!! 『跳弾の輪舞』!!!」
迫り来るニコロの大絶叫と、百連撃の凶悪なプレッシャー。
だが、正面で標的となったテンゴに焦りの色は一切ない。テンゴはあらかじめ自身のすぐ横に固定しておいた大盾の影へと、滑り込むようにスッと身を潜めた。
(ドドドドドドドドッ……!!)
盾の向こうから、耳を割らんばかりの猛烈な衝撃音が連続して響き渡る。
『跳弾の輪舞』の凄まじい高火力に押され、テンゴの視界に見える耐久値はジワジワと減っていくのを肌で感じる事ができた。それはテンゴ自身の盾だけでなく、側面でガードを固めていたネルソンの傍らの盾も同様だ。
(……この火力を力任せに押し通す気か!? だが、盾が全て砕け散る前に決着を……!)
テンゴが盾の残り耐久力を注視しながら次の手を思考していた――まさにその瞬間。
「『超新星の聖歌』!!」
「『荒星・八点拍子』!!」
完全な「コの字」の陣形を完成させていたチヒロとネルソン、二人の必殺スキルが同時にニコロの無防備な側腹部へと叩き込まれた。
「うぎゃああああああああッ!?」
凄まじい衝撃波とともに爆煙が上がり、悲鳴が響き渡る。今度は巨大バイオリンによるガードも間に合わず、二人のダイレクトアタックが見事にニコロの身体を捉えたのだ。
白煙の合間から激しいダメージエフェクトが散り、ニコロの体には無数の痛々しい傷が刻み込まれる。そのまま耐えきれずに後方へと激しく吹き飛ばされた。
(効いた……! だが、もしこれでも倒れなければ……もう一度二人の同時攻撃で畳みかけるか、あるいは……!)
テンゴが鋭い眼差しで吹き飛ばされた敵を見つめる中、着地したニコロは肩で荒い息を吐きながら、メラメラと執念を燃やす目で睨み返してきた。
「はぁ……はぁ……ッ! 」
全身傷だらけになりながらも、その瞳にはなおも敵意の炎が燃え盛っていた――。
「はぁ……っはぁ、っふうぅ……」
激痛と疲労からか、大ダメージを負ったニコロは大きく呼吸を乱しながら後方へと引き下がり、束の間、攻撃の手を止めて息を整えていた。
その背中に、テンゴは自分の盾からゆっくりと体ごと出し、問いの言葉を投げかける。
「……お前の演奏には、溢れんばかりの情熱が籠もっていた。なのにどうして楽器を武器として扱い、こんな汚い真似をするんだ……!?」
「黙れ……! お前に何が分かるってんだッ!!」
ニコロは血走った目でテンゴを睨みつけ、血を吐くような叫びを上げた。
「俺は……俺は音楽のせいで、大切な人を亡くしたんだよッ!!」
「「!!」」
思いもよらぬ告白に、テンゴも仲間たちも息を飲んだ。
「どういうことだ……!?」
「だから俺は憎いんだよ!! 音楽も、人間も!! 人の愛情なんてものはな、知ったこっちゃねええんだよおおおッ!!」
憎悪を爆発させるニコロ。だが、その悲痛な叫びを聞いたテンゴの瞳には、冷たさではなくどこか悲しげな色が宿っていた。
「……お前がどれだけ怒りをぶちまけても、その情熱までは消えていない。本当は今でも、音楽を愛しているんだろ?俺もお前と同じバイオリンを演奏する。だからこそ、分かるんだよ 」
「な、何だと……!?」
「言葉では言い表せない、その感情が、俺や、俺の仲間には分かる!だからこんな事…」
自身も同じ演奏家だからこそ、ニコロの演奏に込められた深みと、捨てきれない音楽への愛が見えてしまう――テンゴは真っ直ぐな視線で、満身創痍のニコロを見据えた。
「――だとしてもッ!!」
ニコロは血走った目で叫ぶと、傷だらけの体に鞭打ち、バイオリンを顎に挟んで構えをとった。
「俺は……人間から『ダークマター』を精製するのを絶対にやめねええええッ!!!!」
(何だと……人間から……!?)
耳を疑う惨酷な言葉とともに、ニコロは弓を使わず、左手の指で直接バイオリンの弦を弾いた。
――『ピッチカート』。
指先が弦を弾くたび、鋭い音色とともに無数の漆黒の弾丸が生成され、テンゴ目掛けて弾丸の雨となって降り注ぐ!
「くっ……!!」
対話のために盾から顔を出していたテンゴは、即座に再び盾の影へと身を潜めた。
(ドンドンドンドンドンッ……!!)
数十発に及ぶ黒い弾丸が、激しい音を立ててテンゴの盾を打ち据える。先ほど受けた『跳弾の輪舞』のダメージも重なり、盾の耐久値ゲージは見る見るうちに限界へと向かって減っていく。
(人間から作る……!? 何なんだ……その『ダークマター』ってのは一体……!?)
不吉な疑問が頭をよぎる暇すら与えず、限界を迎えた大盾が――ついに粉々に砕け散った。
「俺はなぁ……とっくに魂を売ったんだよッ!!!」
盾が砕け、無防備な姿が露わになったテンゴへ向け、ニコロは狂気に満ちた叫びとともに一直線に肉薄してくる。
「「テンゴーーーッ!!」」
チヒロとネルソンが悲鳴のような叫びを上げ、テンゴを救うべく再び同時攻撃の態勢に入ろうとする。だが、ニコロの突撃の方が速い!
しかし――テンゴはただ呆然と立ち尽くすような男ではなかった。
周囲を浮遊している『五音の防星』のうち、まだ『並走する星の使者』で対象を指定していない予備の盾が、まだ二枚残っている!
「指定対象は俺だ!! 来いッ!!」
テンゴの叫びに呼応し、持っていた扇子を勢いよく差し出す。
浮遊していた盾の一枚が猛スピードで軌道を変え、テンゴの真横へと瞬時に滑り込んだ。
間一髪――テンゴは滑り込んできた新たな盾の影へと身を隠し、ニコロの死角へと再び隠れ切ったのだった。
チヒロとネルソンが仕掛けた渾身の同時攻撃――その二人の動きに同調するように、テンゴの放った盾も疾風となって二人の左右へと追従する。
「『超新星の聖歌』!!」
チヒロが振り下ろした杖から解き放たれた光の巨大ハンマーが、ニコロの頭上から肉薄する!
「『天球円舞・砕骨音衝』――ッ!!」
同時にネルソンが放ったのは、単体の敵に対して規格外の破砕力を叩き込むボス戦専用の超大技。優美な円舞の軌道から骨をも砕く強烈な一撃が、ニコロの胸元を狙って閃光のように繰り出された。
だが――ニコロの反応もまた狂気的なまでに早かった。
「させんッ……!!」
ニコロは襲い来るチヒロへ向けて間髪入れずに『跳弾の輪舞』の弾丸を叩き込むと同時に、手にしたバイオリンを瞬時に巨大化させ、ネルソンの『砕骨衝』を正面から受け止めたのだ!
(――ドガアアアンッ!!)
凄まじい衝撃音が響き渡る。廃人クラスの高火力を誇るネルソンの一撃は、巨大化させたバイオリンの強固なガードに阻まれ、ニコロ本人への直撃を防がれてしまった。バイオリンの表面に不気味な亀裂と巨大な爪痕のような傷が刻み込まれるにとどまる。
「何……だと……ッ!?」
自身の最強火力が完全に防がれたことに、ネルソンは目を見開いて息を呑んだ。
一方、ニコロの『リコシェ』を正面から浴びてしまったチヒロは、激しい衝撃に吹き飛ばされる。
「きゃあああああああああッ!?」
悲鳴とともに後方へ転がるチヒロ。だが、ネルソンのように遠くへ弾き飛ばされることはなく、数メートル後ろに着地した。職業がパラディンであるチヒロは、タンク専門のガーディアンに次ぐ圧倒的な防御力を誇る。ニコロの火力は絶大だったが、致命的な大ダメージには至っていない。
「チヒローーーッ!!!!」
テンゴの叫びが響く。
テンゴの叫びを聞きつけたチヒロが、土煙の中からすっと立ち上がった。
「私は大丈夫!」
力強い声に、テンゴは胸を撫で下ろす。ひとまず無事で何よりだった。
「おい、そこの女! お前、なんで魔法使いのくせにいちいち杖で人を物理的に殴ってくるんだ!?」
理不尽なイチャモンを付けられながらも、チヒロは素早くテンゴの『並走する星の使者』で配備された盾の影へ滑り込んだ。そしてアイテムポーチから『星のエリクサー』を取り出すと一気に煽り立てる。
(――シュワァァァ……)
「っふうぅ……」
眩い回復の星のエフェクトが全身を包み込み、少し減っていたチヒロのHPゲージが一瞬で全快した。体制を整えたチヒロは、盾の陰からニコロを睨み返して口を開く。
「……私のこの武器はハンマーよ! アバター機能で見た目を杖に変えて殴って何が悪いのよ!?」
「お前バカか!? どこがハンマーだ、どう見ても杖だろ! 魔法が使えないからって人を殴る道具にするんじゃねえ!」
「あんたこそバイオリンでそんな凶悪な攻撃しないでよ!!」
チヒロの至極全当な正論が、鋭くニコロに突き刺さる。
「フン……好きに言っていろ。残ったその卑怯な盾4枚もさっさと破壊して、守護者どもに終止符を打ってやるよ」
ニコロが不敵な笑みを浮かべ、再び臨戦態勢をとる。
二人の応酬が続いている一瞬の隙――テンゴの頭脳はフル回転していた。盾の耐久値の限界が迫る中、次の一手でニコロの守りを完全に打ち崩すための戦術を、静かに組み立てていくのだった。
現在、稼働可能な『五音の防星』は残り4枚。
このスキルは一旦使用をやめれば、その時点から徐々に耐久値の自動回復が始まるという仕様がある。しかし――猛攻が続くこの窮地で、味方を護る盾を解除することなど到底不可能だ。
(……盾で護りながら粘るにしても、このまま長引けば耐久値が持たない……! 時間が勝敗を分ける……!)
テンゴは焦燥に駆られながらも、冷徹に現状を分析し、次なる打開策を必死に模索し始めた――。
◆◆◆
ここまでお読みいただき有難うございます。
ご感想頂けますと幸いです。
書籍化、アニメ化狙ってます。




