魔法の庭園
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結局のところ、一行を悩ませていた「飛剣」の正体はあの大頭だったのだ。ブレスを吹き荒らし、飛剣を飛ばして襲いかかってくる魔法の使い手で厄介な敵だったが、同時にあまりにも哀惨な宿命を背負わされた存在でもあった。
大頭から新たな武器を託されたルスランは、手にした『運命を断ち切る剣』を静かに腰の鞘へと納める。
激闘は幕を閉じた。しかし、本当の意味で事態が一段落したわけではない。
王子ラトミールと騎士ファルラーフの口から漏れ出ていた情報を、本人たちから直接問い質す必要があるのだ。
彼らの言っていた「あの男」とは、大頭の過去に現れたあの茶髪の男ニコロのことなのか。そして「ダークマター」とは一体何なのか――何より、囚われのリュドミラ姫の行方を突き止めなければならない。
テンゴたちが静まり返った荒野をぐるりと見渡すと、少し離れた場所に倒れているラトミール王子と騎士ファルラーフの姿が目に入った。戦闘の最中から全く気配を感じさせなかったが、二人にはまだ息があるのだろうか。
気になったモモは、一瞬で距離を詰めるテレポートを発動し、ラトミール王子のすぐ側へと瞬間移動した。
倒れるラトミール王子の体に深々と突き刺さっていた剣を引き抜き、モモはその傷口をじっと見つめる。
「……ヒール」
モモが静かに呟いた瞬間、抱えられたアザラシクッションの両目が怪しく緑色に発光した。柔らかな治癒の光が王子を包み込み、瞬く間にその傷を塞いで全回復させる。
「……ひぃっ……!?」
全身の痛みが消え去り、跳ね起きるように意識を取り戻したラトミール王子は、目の前に佇むモモの姿に気づくと情けなく悲鳴を上げた。
「お、お前は……何なんだ!? 私をどうするつもりだ!? さては……私の国を乗っ取るつもりだな!?」
「いや、興味ないから」
怯えきった王子の叫びを、モモは感情の起伏がない声で一蹴する。
ラトミール王子は視線を彷徨わせ、モモの腕の中に収まる異質な物体を指差した。
「そ、その奇妙な動物は何だ!?」
「……これはアザラシクッション。私の相棒だよ」
淡々と答えたモモは、テンゴたちが待つ場所へと指を向けて説明を加えた。
「とりあえずあっちに行って。拷問……いや、聞きたいことがあるから」
「ご、拷問……!?」
指し示された先を見ると、テンゴとルスランをはじめとする仲間たちが、冷ややかできつい視線を隠そうともせずラトミール王子をじっと凝視していた。
「‥‥‥‥え?」
容赦のない重圧に青ざめる王子へ、モモは追撃するようにぽつりと告げた。
「……早くして」
続いてモモは、少し離れた場所に転がっているファルラーフの傍らへとテレポートで移動した。ラトミール王子と同じように深々と刺さっていた剣を抜くと、傷口に手をかざす。
「……ヒール」
抱えられたアザラシクッションの両目が再び緑色に光り、騎士ファルラーフの全身の傷を瞬く間に治癒した。
「……おぉ……これは……ッ!?」
意識を取り戻したファルラーフは、跳ね起きると同時に目の前を見上げた。そこにいたのは、可愛らしいピンク色のドレスに身を包んだモモの姿だ。
「貴方様は……どちらのお姫様でしょうか! 私めのために治癒を施していただき、誠にありがとうございます! このファルラーフの生涯、すべてをお姫様に捧げたいと思います! 私はお姫様の忠実なしもべ……何なりとお申し付けください!」
モモの可憐なドレス姿からすっかり「助けてくれたお姫様」だと勘違いしたファルラーフは、大袈裟な手つきで芝居がかった忠誠を誓い始めた。
「……じゃあ、あっち行って。すぐに」
モモは感情の籠もらない声で吐き捨てると、テンゴたち6人が集まっている場所を指差した。
ファルラーフはその指し示された方角へと視線を向ける。
「……………」
その瞬間、ファルラーフの動きが一瞬で固まった。
視線の先には、怒りと威圧感を剥き出しにしてこちらを凝視しているテンゴやルスランたちの姿――とてもではないが「お姫様の仲間」とは思えない死神のような集団が待っていたのだ。
「承知いたしました! 今すぐに――」
かしこまった返事を言いかけながら、ファルラーフはモモと会話を交わす……と見せかけて、テンゴたちのいる場所とは真逆の方角に向かって全速力で走り出した!
「――退散させていただきますッ!!!」
「あ……逃げた」
脱兎のごとく走り去るファルラーフの背中を見送りながら、テンゴたちの陣営にいたピローが即座に動いた。スキル『テレポート』を立て続けに3回発動し、空間を跳躍してファルラーフの逃走先へと一瞬で立ちはだかる。
「……どこに行くんだ??」
「っひいいいいいッ!?」
突然目の前に現れたピローに、ファルラーフは引きつった悲鳴を上げて派手にズッコケかけた。
「お前……逃げるつもりじゃないだろうな?」
「な、お前は誰だッ! あっちに行ったら何をされるか分からんぞ!?」
急に取り乱したファルラーフは、なりふり構わず強行突破を図ろうと必死に身構える。
「そこを通らせてもらうッ!!」
「……早く向こうに行け。さもなくば、今度は暗黒雲どころじゃなくなるぞ?」
ピローが静かに、しかし冷酷な眼差しで見下ろしながら威圧する。
前回の「暗黒雲」の恐怖を思い出させられたファルラーフは、完全に青ざめてガタガタと震え出した。
「………ひっ、あぁ……っ」
◆◆◆
大頭が静かに佇むそのすぐ傍らで、テンゴたち6人は連行してきたラトミール王子と騎士ファルラーフを取り囲むように陣取った。
北へ向けて出発する前に、この場ですべての情報を吐き出させるためだ。
「ひ、ひぇっ……! な、何だその目は……! 私を誰だと思っている! 隣の国(バザール王国)の王子だぞッ!?」
跳ね起きたばかりのラトミール王子が怯え混じりの悲鳴を上げ、隣では身体を起こした騎士ファルラーフが苦々しい表情で身構えている。
だが、テンゴたちの瞳に宿る威圧感は、先ほどまでの戦闘以上だった。
折れた剣の代わりに大頭から託された『運命を断ち切る剣』の柄に手をかけるルスランを筆頭に、全員が容赦のない鋭い視線を二線級の企み手たちへと突き刺す。
「いいか、無駄な悪あがきはやめろ、お前が王子だろうが何だろうが知らんが…」
テンゴが一歩踏み出し、重々しい声で宣告した。
「俺たちが聞きたいのは3つだ。あの茶髪の男『ニコロ』の正体、お前たちが口にしていた『ダークマター』の意味……そして、囚われたリュドミラ姫の行方だ」
「な、何のことだ……ッ! 私がそんなことを話すと思うか!?」
ラトミール王子は必死に虚勢を張ろうとしたが、その直後、モモが抱えたアザラシクッションの目が一瞬怪しく妖光を放った。
「……話さないと、攻撃してまたヒールしてを、繰り返すよ?」
「ひ!??! 悪魔かお前たちはッ!!」
モモの感情のない追撃に、ラトミール王子の顔面は完全に蒼白となった。ファルラーフも勝ち目がないと悟ったのか、諦めたように深く溜め息をつく。
「……殿下、もうお諦めください。この者たちに隠し立ては通用しません」
「くっ……! 分かった、話す! 話せばいいのだろうッ!?」
背後に佇む10メートルの大頭――かつて自分たちが利用しようとした異形の悲痛な視線も相まって、ラトミール王子はついに観念したように吐き捨てるのだった。
「……あれは、数日前の夜のことだった」
ラトミール王子は苦々しい表情で、過去の出来事を語り始めた。
◆◆◆
――数日前、とある夜。ラトミール王子の城の一室にて。
そこは、重厚な本棚が幾重にも並ぶラトミールの書斎であった。
大きな執務机の上には、領内の詳細な地図が広く広げられている。村々の集落から城の位置、とうとうと流れる川や立ちそびえる山々まで、事細かに描き込まれた羊皮紙の地図だ。
燭台の小さな灯りが、机上の地図を静かに照らしている。
「明後日には、騎士ルスランとリュドミラ姫の婚姻の儀か……」
自身の部屋で書類整理をしていたラトミール王子は、ぽつりと独り言を溢した。
「あの者……随分と成長したものだな、騎士ルスラン」
書類を置くと机から立ち上がり、淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを手に取って窓際へと歩を進める。
「私の知るルスランといえば、度胸の欠片もない男だったというのに……。それがあの姫と結婚だと……? ふん、私を差し置いて……。次は私の番であってほしいものだな」
ベランダのドアを開け、夜空を眺めながらコーヒーを嗜もうとしたその時だった。
満天の星々が輝く贅沢な夜気に浸る暇もなく、ガチャリとドアを開けた直後――凄まじい突風が部屋の中を吹き抜けた。
その時、マグカップに淹れたコーヒーがその突風によってこぼれてしまい、地面を汚してしまう。
(――な、なんだッ!?)
頭上から静かに舞い降りてきたのは、一人の男。
整えられた茶髪に、特徴的な顎髭を蓄えた怪しげな人物だ。
突然の侵入者を前に、ラトミール王子は完全に固まった。
「……お前は誰だ? 侵入者か……!?」
すると、その男はどこまでも落ち着いた声で、重々しく語りかけてきた。
「……力が、欲しいか」
思わせぶりに囁く男に対し、ラトミール王子は少しの躊躇もなく、大真面目な顔で答えたのだった。
「私が欲しいのは、婚約者だ」
「……そうか。ならば、その誠実な願い、叶えてやろう」
男はニヤリと怪しい笑みを深めると、思わせぶりに声をひそめた。
「明後日、隣の国でリュドミラ姫の婚姻の儀が行われるのは知っているな?」
「あぁ、もちろんだ。私もそれに参列するつもりだが……それがどうしたというのだ?」
「実は……新郎である騎士ルスランが、姫様の大切にされている『ダークマター』という秘宝を狙っているらしいのだ。秘宝を奪うために結婚を企て、さらにはあの国までも乗っ取るつもりでな」
「な、何……だと……ッ!?」
ニコロから明かされた偽りの「衝撃の事実」に、ラトミール王子は声を裏返らせて驚愕した。まさかあの度胸のないルスランが、そのような大逆無道の企みを抱いているとは――。
「……ルスランの脅威から姫を護ることができれば、きっと姫様は感謝し、貴方と結婚することになるだろう」
「……っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、ラトミール王子の頭の中で、怒涛の勢いで都合のいい妄想が花開いた。
(『大切なダークマターを護ってくれてありがとう、ラトミール王子!』)
(『私……やっぱり貴方のような勇敢な方と結婚したいわ!』)
脳内で繰り広げられるリュドミラ姫との甘い会話に、王子のニヤけた想像は止まらない。
「……そのために、姫様を私の指定する場所まで運ぶのだ」
ニコロは妄想に身を委ねる王子を冷ややかな瞳で見つめながら、静かに計画の核心を告げたのだった。
この甘い妄想を現実にすべく、ラトミール王子はすぐさま現実的な実行手順へと思考を巡らせた。
「しかし……明後日、何食わぬ顔をして結婚式に参加したところで、私一人の力で姫様を連れ出すなど到底不可能だ。私は見ての通り、非力だからな」
「クックック……案ずるな。すでに手配は済んでいる。もう一人、こちらの計画に引き入れた男がいるのだ」
ニコロは口元を歪め、不敵な笑みを浮かべた。
「その者の名は――『騎士ファルラーフ』だ。お前はそのファルラーフと協力すればいい」
「なんと、あのファルラーフまでも……!」
「私は当日、密かに式場へ忍び込む。……いいか、現場でお互いに知り合いのような素振りを魅せるなよ? 私が合図とともに会場の照明をすべて落とす。その暗闇の瞬間に姫様を攫い、上空へと舞い上がるのだ」
「じ、上空へ……!? 飛べというのか!? この私に!?」
慌てふためく王子に対し、ニコロは軽薄に肩をすくめて見せた。
「もちろん、事前に浮遊の魔法をかけてやる。飛べない心配など無用だ。……そうだな、運び出す指定場所は『魔法の庭園』とでも言っておこう。場所については私も同行する、その時に案内してやるよ」
――こうして、ラトミール王子はニコロの口車にまんまと乗せられ、リュドミラ姫の連れ去り計画を実行に移したのだった。
◆◆◆
「私の場合は、とある鍛錬を積んでいた二日前の夜だった……」
ラトミール王子に続き、騎士ファルラーフが淡々と過去を語り始めた。
――二日前の夜。公国の城外に広がる静かな森の中。
満天の星空の下で、ファルラーフは木の棒に布を巻きつけた5体の案山子を相手に、一人剣術の鍛錬に打ち込んでいた。手にした木刀の激しい撃打を受け続けた案山子たちは、すでにボロボロだ。
「えぇい!」「はぁぁ!」「いよぉ!」「てやぁ!」「もういっちょッ!」
掛け声とともに繰り出される怒濤の5連撃。今宵も鍛錬に汗を流したファルラーフは、深く息を吐き出した。
「はぁ……はぁ……よし、今日はこれくらいにして帰って寝るか」
木刀を収めると、使い古した案山子たちを荷車へ積み込む作業に取りかかる。
「1体……2体っと……」
その時、一陣の突風が森を吹き抜けた。強風にあおられ、まだ立っていた案山子がバタリと倒れ込む。
「あ……まあいいか。突風なんてよくあることだ」
ファルラーフは倒れた案山子を拾い上げ、荷車へ放り込んでいく。
「3体、そして4体目っと……ん? 4体目の案山子は倒れていないな……」
暗闇の中で目を凝らしながら、ふと手が止まった。荷車の脇に静かにたたずむ影を見上げる。
「……こんな奇妙な格好をした案山子、連れてきたっけか?」
そこに立っていたのは、特徴的な顎髭を生やした茶髪の男だった。暗闇の中で男はどこまでも落ち着き払った声で問いかけてくる。
「……力が、欲しいか」
「うわああああッ!!? 案山子がしゃべったぁぁぁッ!!!」
「私は案山子ではない。ニコロという者だ」
腰を抜かしかけたファルラーフに対し、男――ニコロは至極冷静に訂正した。
「な、何者だッ!? 賊か!? 一体いつの間にそこに立っていたッ!?」
「1分前くらいだ。お前が淡々と案山子を荷車に積んでいた時だな」
「いや……賊でも怪しい者でもない。安心しろ、明後日ルスランとリュドミラ姫の結婚の儀があるのは知っているな?」
ニコロはフッと不敵な笑みを浮かべ、淡々と問いかけてきた。
「あぁ……それがどうしたというのだ。私めも参列する予定だが……」
「実は……騎士ルスランは、姫様が大切にされている『ダークマター』という秘宝を狙っているのだ。そしてその秘宝の力を使って国を乗っ取るつもりでな。国を乗っ取った暁には、リュドミラ姫を捨て去る腹づもりらしい」
「な……ッ!?」
耳を疑うようなニコロの言葉に、ファルラーフは息を呑んだ。
「あ、あの……あの堅物の騎士ルスランが……!? そんなはずはない……そんなはずは……ッ!」
「これは、この国の最大の危機だ。国が乗っ取られるのを防ぐには、忠義の騎士であるお前――ファルラーフがルスランと対峙し、奴を討ち果たすしかない」
突然突きつけられた恐ろしい事態に、ファルラーフは目を点にして激しく狼狽した。あの誠実なルスランが国を裏切るなど信じがたい……。しかし目の前の男は、あまりにも静かに、堂々と真実のように語ってくるのだ。信じて良いものか、ファルラーフの頭の中で葛藤が渦巻く。
「……リュドミラ姫の危機、そして国の破滅を救ってくれたなら、お前に絶大な『力』を与えてやろう」
ニコロはそう囁くと、ファルラーフの顔を覗き込むようにして低く問いかけた。
「力。力か……私も遂に権力と力を得る日が来たと言うのだな!」
騎士ファルラーフはその場で叫んだ。
「どうだ……? この話、乗るか?」
◆◆◆
テンゴたちの目の前にいるファルラーフは、申し訳なさそうに目線を地面へと落としながら話を続けた。
「……私の話はここまでだ。その後のことは、ラトミール王子とまったく同じ内容を指示された。式場の照明を落としてから作戦を始めること、『魔法の庭園』という場所へ運ぶこと、事前に浮遊魔法をかけられて上空へ舞い上がること……」
ファルラーフは一度言葉を切り、少し離れた場所に佇む巨大な大頭をちらりと見上げる。
「そして……この荒野にて、そこの大頭と協力して追撃してくる敵を迎え撃てと言われ、ここで待ち伏せをしていた……というわけだ」
がっくりと肩を落とすファルラーフの告白を聞き終え、テンゴたちは静かに息を吐いた。
二人がニコロの言葉巧みなペテンに利用され、踊らされていたことは疑いようもない事実だった。しかしこれで、黒幕の目的と囚われのリュドミラ姫が連れ去られた目的地が、ついにハッキリと特定されたのだ。
「『魔法の庭園』……そこに、姫様とニコロがいるんだな」
テンゴが呟き、背後に佇む十メートルの巨大な大頭へと視線を向けた。
大頭はもう暴れることもなく、どこか憑き物が落ちたような哀愁を漂わせながら、静かにテンゴたちを見つめ返している。かつてニコロに利用され、哀哀たる宿命を背負わされた悲しき存在――その無念を晴らすためにも、もうこれ以上あの男の好きにはさせない。
ルスランもまた、大頭から託された新たな相棒『運命を断ち切る剣』の柄に深く手をかけ、固い決意を瞳に宿した。
「分かった。『魔法の庭園』という場所も、あの茶髪の男の名前が『ニコロ』だということも理解できた。これで一通りの辻褄は合ったな」
テンゴは頷き、腕を組みながら問いを重ねた。
「……じゃあ、さっきから二人の口から出ていた『ダークマター』って秘宝は何なんだ?」
テンゴが問いかけると、テンゴたち6人は顔を見合わせ、首をひねった。誰もその名に心当たりがないようだ。リュドミラ姫の大切な秘宝とまで吹き込まれていたようだが、当事者である新郎のルスランでさえ困惑の表情を浮かべている。
「その『ダークマター』って、ニコロの嘘なんじゃないかな……?」
ルスランがぽつりと呟いた。
「だって、さっきからその秘宝について必死に思い出そうとしていたけれど、まったく聞いたこともないよ。それに……国を乗っ取るとか言っていたそうだけど、そんなことをしたって僕には何の得にも、意味にもならない」
ルスランの至極真っ当で誠実な言葉を聞いた瞬間、ラトミール王子の顔からすーっと血の気が引いていった。
「で、では……何か? 我々『リュドミラ姫親衛隊』は、あの茶髪の男にまんまと騙されていたとでもいうのか……!?」
頭を抱えて独り言のように慄く王子に並び、ファルラーフもがっくりと肩を落として視線を落とした。
「殿下……もはや『ダークマター』なる秘宝すら存在しない嘘かもしれませんねぇ……。これで我々『リュドミラ姫親衛隊』も解散ですか……」
勝手に命名していた「親衛隊」のあっけない終焉に、二人はすっかり打ちのめされて脱力している。その情けなくも哀愁漂う姿に、テンゴは呆れ混じりに息を吐いた。
「まあいい、とりあえず事情は理解したよ」
「二人とも、お城へお戻りになるといい」
ルスランも優しく二人へ城へ帰るよう促した。
「あとは……僕たちが必ず姫様を連れ戻すから。『ダークマター』のことも、これで一件落着ということで良いよね」
ニコロの企みも目的地の場所もすべて判明した。もはやこの場に用はない。
「……よし、行こうッ!」
テンゴの決意を込めた掛け声に、仲間たちが力強く頷いた。歩き出しながら、テンゴは大頭に向かって大きく手を振る。
「おーい、また戻って来るからなー!」
「うむ、お主たちならあの男に勝てるかもしれんな。健闘を祈る、くれぐれも気を付けてな」
静かに佇む大頭は、温かい眼差しで彼らの背中を見送るように言葉を返した。
哀しき過去を背負った大頭をその背に遺し、テンゴたち6人は迷いのない足取りで踏み出す。一路、リュドミラ姫とニコロが待つ遥かなる北――『魔法の庭園』へと進路を取って歩み出すのだった。
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荒野を抜け出したテンゴたち6人は、再び深い森の中へと足を踏み入れた。
その森は頭上を覆う木々のせいで昼間だというのに薄暗く、まるで夜のように気味が悪い。鳥の羽音や動物の鳴き声すら聞こえず、生き物の気配が一切感じられない静寂が広がっていた。かすかに立ち込める霧は、先ほどのような濃霧ではないものの、周囲の不気味さをいやが上にも引き立てている。
「いかにも何かが潜んでいそうな場所だな……」
足元に気を配りながら走っていると、目の前に巨壁のごとく聳え立つ巨大な崖が現れた。直射日光を遮るその陰影が、森の暗がりを一層深めている。
あそこが目的地なのか、それともあの崖を越えなければならないのか――テンゴが思考を巡らせながら沈黙の中で走り続けていると、突如として周囲の空気が一変した。
異空間に迷い込んだかのように、周り一面に可憐な花々が咲き誇る一角が現れたのだ。
「……ここが『魔法の庭園』か」
思わず足を緩める。目の前には、見事なバラで彩られたアーチ状のゲートが鎮座していた。あれが庭園の入り口に違いない。
ゲートの奥に視線を走らせると、澄んだ水を打ち上げる噴水が見え、さらにその向こうには2階建ての立派な西洋風のお屋敷が佇んでいた。リュドミラ姫が囚われているとすれば、間違いなくあのお屋敷の中だろう。
意を決し、テンゴたちがバラのゲートを潜ろうとした――その瞬間。
静寂を切り裂くように、優美でどこか哀愁を帯びた音楽が聞こえてきた。繊細に弦を震わせる、バイオリンの音色だった。
美しく整えられた庭園に深く響き渡るヴァイオリンの音色。
それは単に風情があるという言葉だけでは収まりきらないほど、圧倒的な技術と情熱に満ちあふれた演奏だった。
もしリュドミラ姫が攫われるという緊迫した状況でなければ、大ホールの演奏会で惜しみない拍手を送っていたであろうほどの腕前だ。
(この圧倒的な熱量……!)
テンゴの耳が、その旋律の正体を正確に捉える。
――パガニーニ『ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品6 第3楽章』。
「悪魔に魂を売り渡した」とまで称された鬼才パガニーニが遺した、超絶技巧と華やかな情熱が吹き荒れる難曲だ。この演奏者は間違いなく、音楽に対して並々ならぬ情熱と狂気を秘めている。
「このメロディは……ッ」
テンゴは息を呑みながらも足を止めず、6人で噴水を回り込んで屋敷のすぐ近くまで駆け寄った。
すると、二階のテラス付近から、弦を響かせたまま気取った声が聞こえてきた。
「ん~~♪ 私の奏でる音色は、素晴らしいメロディだと思わないかい?」
姿は見えないものの、あからさまに眼下のテンゴたちへ向けて投げかけられた問いかけだった。
テンゴは一瞬だけ黙り込んだ。演奏者としての素直な感銘と、目の前の事態に対する憤りが胸の中でせめぎ合う。
「……確かに、そう思う。だから――!」
次の瞬間、テンゴは腹の底から声を張り上げた。
「リュドミラ姫を返せ!!」
「…………」
一瞬、二階からのヴァイオリンの音がピタリと途切れ、不気味な静寂が降り立った。向こうも予期せぬ返答に拍子抜けしたらしい。
だが次の瞬間、何事もなかったかのように自己満足に浸りきった声が降ってきた。
「そうだろ? だったら一生、そこで指を咥えて聞いているといい」
完全にこちらの意図を無視した、噛み合わない答えが返ってくる。
そのトンチンカンな返答に、我慢の限界を迎えたルスランが一歩前に踏み出し、二階に向かって必死に叫んだ。
「話を聞いているのかッ!? 音楽が凄いのは分かった、今すぐにリュドミラ姫を返せと言っているんだ!」
ルスランに続いて、ネルソンも我慢の限界といった様子で二階へ声を荒らげた。
「リュドミラ姫に何をしたんや!?」
「そうよ! お姫様に何かしたら、ただじゃ済まさないんだからね!」
チヒロも負けじと語気を強め、二階のテラスを強く睨みつける。
すると、テラスの奥からツカツカと軽やかな足音が近づいてきた。
「そう怒り給うな。リュドミラ姫には眠りの魔法で、少しばかりお休みいただいているだけさ……」
どこまでも軽薄な声とともに、二階のベランダから一人の男がゆっくりと顔を覗かせた。
特徴的な顎髭を蓄えた、整った茶髪の男――ニコロだ。彼の手には、先ほどまで情熱的な旋律を紡いでいたバイオリンが握られており、ベランダの柵越しにその姿が垣間見えている。
ニコロは眼下に集まった6人を見下ろすと、薄笑いを浮かべた。
「そこの騎士――ルスランの顔は知っている。……だが、そこにいる君たちは一体何者だい?」
ニコロは思わせぶりに顎に手を当て、フッと目を細めた。
「もしや……噂に聞く『お告げ』の人たち、かな?」
『お告げ』――聞き覚えのない不気味な単語に、テンゴたちは顔を見合わせ、思わず頭の上にハテナマークを浮かべた。
そんな不穏な空気を破るように、今度はピローが一歩前に踏み出し、冷たい視線をニコロへと向けた。
「……お前の目的は何だ!?」
「私の目的、かい?」
ニコロは高い場所から見下ろす高圧的な視線と声で、不敵に言い放った。
「私の……いや、私たちの真の目的は――『ダークマター』の回収だ」
ニコロの口から放たれた言葉に、テンゴたち6人は息を呑んで驚愕した。
先ほどラトミール王子とファルラーフは「そんな秘宝はニコロの出鱈目だ」と結論づけていたはずだった。だが、目の前の男は堂々と「回収」と口にしている。やはり『ダークマター』は実在するのか――ならば、本当にリュドミラ姫が密かに大切にしている秘宝か何かなのだろうか。
(それは何だ?いや、考えても埒が明かない。姫様を助け出して直接確かめればいいだけの話だ……!)
テンゴは思考を切り替えると、二階のテラスを見上げて力強く問い詰めた。
「……その『ダークマター』ってのは、一体何なんだ!?」
「何だ? 知らないのかい? だったら見せてあげるとしよう」
ニコロはフッと不敵な笑みを深めると、右手に持っていた弓を左手のバイオリンと一緒に器用に持ち替え、空いた右手で上着のポケットを探った。
「――これが『ダークマター』だ」
そう言ってニコロが指先で摘んで見せびらかしたのは、一粒の小さな玉だった。
テンゴたちは目を凝らして二階のニコロの手元を注視する。
それはビー玉ほどの小さな玉だった。全体は吸い込まれそうなほど深い黒に包まれているが、その内部では、まるで深遠な宇宙のように神秘的な光が微かに揺らめいているようにも見えた。だが距離があるため、はっきりとした全貌までは伺い知ることができない。
「な……何だ、それは!?」
目の前で怪しく光る一粒の黒い玉を目にして、テンゴが驚愕の声を上げた。
「……あれが『ダークマター』だと言うのね」
チヒロも息を呑み、二階のテラスを警戒するように強く見上げる。
一瞬、全員の頭に「やはりリュドミラ姫の秘宝は実在したのか」という思いがよぎった。だが、新郎であるルスランがすぐさまそれを強く一蹴する。
「そんな物……リュドミラ姫は持っていないッ!」
そのきっぱりとした否定の言葉に、二階のニコロはクックッと肩を揺らして嘲笑った。
「くっくっく……そうだ、その通りだよ。リュドミラ姫はそんなものを持ってなどいないし、大切にすらしていない……。――何せ、私が作ったのだからな!」
「「「何だと……!?」」」
「ど、どういうことだ!?」
予期せぬ告白に、テンゴたちは騒然となった。ニコロは愉快でたまらないといった様子で、持っていた弓で優雅に宙を撫でながら言い放つ。
「姫様が大切にしている秘宝など、君たちをこの『魔法の庭園』へとおびき寄せるために、私が吐いた真っ赤な嘘さ!」
「騙したのね……! 彼らをッ!」
ニコロのあまりにも悪びれない言い草に、チヒロが怒りを露わにして叫んだ。
「だから、どうしたと言うのだね? 彼らは実に良い駒になってくれたよ」
チヒロの怒りなど意に介した様子もなく、ニコロは『ダークマター』を胸元へと収めると、バイオリンを抱えたまま二階のベランダから一階の庭園へと軽やかに飛び降りた。
「いよっと……」
しなやかに着地を決めたニコロは、服の埃を軽くなでると、思わせぶりにテンゴたちを見渡した。
「――まあ、そんな過ぎた話はいい。君たち、どうだろう……我々と一緒に仕事をしないかい?」
事も無げに吐き捨てられた言葉に、テンゴたちは警戒を一段と強めた。「我々」――この男一人の単独犯ではなく、背後に大きな組織が存在していることを暗に示す言い回しだ。ニコロは不敵な笑みを浮かべ、なおも勧誘を続ける。
「もちろん手当は保証しよう。もし不満があるなら、弾んで上乗せしてもいいぞ? なにせ、あのデカブツやラトミール、ファルラーフの連中を退けてここまで辿り着いたんだ。相応の実力があるのは間違いない」
悪びれる風もなく持ちかけてくるスカウト。その中で発せられた聞き捨てならない単語に、チヒロが眉をひそめて問い詰めた。
「……デカブツって、何のことよ?」
「あぁ、あれかい? 魔法で顔だけバカでかく仕立て上げた、哀れなデカブツのことさ。どうやら時間稼ぎの役にも立たなかったようだがね」
ニコロは鼻で笑うと、まるで使い捨ての道具の始末でも語るかのような冷酷なトーンで付け加えた。
「まあいい。この仕事が終わったら、後でキレイに処理しておくとしよう」
「さっきから聞いていれば……ッ!」
大頭を「処理する」と平然と言い放ったニコロの無神経さに、チヒロの怒りが頂点に達した。
「あんたには……人の心がないの!?」
「待て! チヒロ!!」
テンゴの制止も耳に入らない。猛然と突っ込んだチヒロは、両手で固く握りしめた杖を高く振りかざした。
「『超新星の聖歌』―――ッ!!!」
渾身の威力を込めて叩きつけられた杖の先から、猛烈な破壊のエネルギーが放たれる。
ドォォオンッ!!
爆音とともに激しい衝撃波が走り、ニコロのいた場所を中心に爆煙が巻き起こった。
息を呑みながら煙の向こうを凝視し、手応えを確かめようとしたその瞬間――。
煙の奥から、鋭利な槍のような物体が閃光のごとく突き出された。目にも留まらぬ速度で、チヒロの喉元へと一直線に迫る!
「なっ……!?」
あまりの速度にチヒロの反応が遅れ、直撃を覚悟した――その刹那。
視界を遮るように割り込んできた影が、バサリと鮮やかに扇子を広げた。
ギャリィィンッ!
甲高い金属音が響き渡り、チヒロの眼前で鋭い攻撃が完璧に弾き返される。
そこに立っていたのは、広げた扇子で一本の突きを難なく受け止めたテンゴだった。
チヒロの目の前でニコロの鋭い突きを扇子で受け止めたテンゴは、その衝撃を殺しきれずわずかに後ずさった。背後にいたチヒロの体に軽くぶつかり、ようやくその足が止まる。
「あ……ごめん……ありがとう……」
「……まったく、突撃するなよ。急に…」
不意の死線から救われたチヒロが小さく吐息を漏らすと、テンゴはハッと息を整えながら苦笑混じりに呟いた。
晴れ渡っていく白煙の中から、ゆっくりと姿を現すニコロ。その右手にあるバイオリンの弓は、先ほどまで細身で鋭利な突剣へとその形状を変貌させていた。そして左手に握られているのは、まるで宇宙の虚無を切り取ったかのような、禍々しくも艶やかな漆黒のバイオリンだ。
「「「テンゴ!!」」」
後方から仲間たちの心配する叫びが重なって届く。
「あぁ、問題ねぇ……ッ」
テンゴは片腕で制しながら、鋭い視線を相手の異形な所持品へと向けた。
「……おい。何なんだ、それは? バイオリンか……それとも剣なのか?」
「これが、私の武器だ」
ニコロは至極冷静な面持ちのまま、元のしなやかな弓の姿へと戻した武器と、黒く光るバイオリンをせせら笑うように見せつけてきた。テンゴは横のチヒロへ短く指示を飛ばす。
「チヒロ、下がるぞ」
「あ……うん……!」
チヒロは頷き、ニコロを睨みつけたまま戦闘姿勢を崩さず、ルスランの待つ後方へとじりじりと後ずさった。それを見届けたニコロは、気取った仕草のまま不気味な笑みを深める。
「話が途中だったな。君たちの勧誘を……いや、やめておこう。動けなくなるまで痛めつけてから部下にしてやる! もちろんタダ働きだ!!」
怒りと狂気を孕んだ声が庭園に響き渡る。だがテンゴの胸中には、目の前の男に対する強烈な違和感が渦巻いていた。
「……お前、それが本当に自分の使う武器なのか?」
「あぁ、そうだ。これが私の使う武器……いや、『物』だよ」
「魔法はどうした!?」
テンゴは問いを重ねる。異様な手応えの正体を掴むため、さらに言葉を研ぎ澄ませた。
「魔法か? 私は魔法を使って直接戦ったりはしないぞ? 多少の嗜み程度なら使うがね……」
さらにつじつまの合わない違和感が跳ね上がる。テンゴは確信を持って問い詰めた。
「だったら――あの荒野にいた人を巨大な『大頭』に変えたのは何なんだ!? あれは魔法じゃないっていうのか!?」
テンゴが投げかけた問いに、ニコロはせせら笑いながら堂々と答えた。
「あれは確かに魔法だ!」
「だが――私の魔法ではない!」
巡る思考が、恐ろしい一つの結論へと辿り着く。
(……待てよ、じゃぁ、一体誰があの人をあんな惨めな大頭に変えさせたんだ……!?)
「じゃあ、誰なんだ!? 魔法を使ったのは……!?」
テンゴは核心に迫る鋭い声を張り上げた。これだ。胸の中にくすぶり続けていた違和感の正体は、まさにそこにあったのだ。
テンゴたちはこれまで、大きな勘違いをしていた。式場を包んだ突然の暗闇、体を縛り付けた麻痺、空への浮遊、リュドミラ姫を襲った深い眠り、そして人を惨めな姿に変え果てさせた大頭の呪い――そのすべてを、このニコロという男が裏で繰り出していたのだとばかり思い込んでいた。だが、この男は剣士であり、直接的な魔法の使い手ではなかったのだ。
「知りたいか?」
ニコロは口元を大きく歪めると、眼下のテンゴたちを見下ろした。
「知りたいというのなら、教えるとしよう!!」
ニコロの声が高らかに響き渡り、狂気を帯びて庭園中に轟く。そして、空を突くようにその腕を豪快に掲げた。
「出でよ―――ッ!!! チェルノモーーーーーーーーーーーーーーール!!!!!!!!」
叩きつけられたその名こそが、これまでのすべての謎を解き明かす最後の答えだった。
「「「「何だって……!?!?」」」」
その直後、二階の隅にある部屋の扉がギギギと重々しい音を立てて開いた。
深く被った黒いフードから不気味な気配を漂わせ、手には禍々しい彫刻が施された杖を握りしめた、いかにも暗黒の魔法使いといった風貌の男がゆっくりと姿を現す。
「そ、そんな……馬鹿な!?」
「死んだはずだぞ……!?」
「あり得ない……!!」
大頭の話は、一体何だったのだ。
「チェルノモールはすでに死んだ」――あの荒野で、男は確かにそう語っていたはずだった。
だが、今まさに二階からテンゴたちを見下ろしているのは、どこからどう見ても死んだはずの張本人――チェルノモールその人だった。
そう――哀しき大頭をあの異形の姿へと変え、呪いをかけた元凶こそ、目の前に立つ実の弟、チェルノモールだったのだ。
「そんな……実の兄を、あんな姿に……!?」
死んだはずの弟が生きていたという恐怖。そして、大頭を襲ったあまりにも残酷な真相。二重の衝撃が突きつけられ、テンゴたち6人は完全に言葉を失った。
庭園を包み込むのは、息をすることすら忘れるほどの強烈な戦慄と驚愕だった。
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