情熱的な舞踏会
巨大な扇子の盾は、ルスランとテンゴの前に厳然と立ちはだかり、ゴリスラヴァの必殺の一撃を完璧に受け止めていた。
「これが俺のスキルだッ!」
テンゴが額に汗をにじませながら、ニッと不敵に笑う。
ずしりと重い鈍い衝撃が盾全体を揺らすが、白銀の扇面は激しく光を放ちながらも砕ける気配すらない。
「俺の盾は、そう簡単には打ち破れねぇよ!」
ゴリスラヴァが忌々しそうに舌打ちを鳴らした。
「チッ……妙なマネをしやがって、厄介な力だな……!」
テンゴは周囲の動向を鋭く警戒しながら、小声で隣のルスランにささやいた。
「ルスラン、うちらはどうする?」
ルスランは光る盾の陰から素早く広間全体を見回し、即座に優先順位を決める。
「まずは……ピローとネルソンを起こそう!」
「分かった! そっちを優先するッ!」
二人のひそひそ話を聞きつけ、ゴリスラヴァが苦虫を噛み潰したような顔で怒鳴った。
「おい、ナイーナ! あの鬱陶しい扇の盾、何とかできねぇのか!?」
ナイーナは襲撃の手を止め、人形たちの頭越しにうっとりとした眼差しで光の盾を見つめていた。
「あらまぁ……素敵ぃ♪ 何とか捕まえたいと思ってたけどぉ、厄介な力ってこれのことかしらぁ?」
「おいナイーナ! 聞いてんのかよッ!?」
「聞ぃいてるわよぉ~」
魔女との会話に隙が生まれた瞬間を、テンゴは見逃さなかった。
テンゴを中心として展開されている光の大盾は、彼の歩みに追従して滑らかに移動を開始する。テンゴはそのまま五、六歩ほど力強く踏み出すと、かざした扇子をすっと上方へ滑らせた。すると大盾の一部が誘導されるように上部へ展開し、仲間たちの元へ至る空間が一瞬だけ開かれる。
その先では、未だに木偶人形たちが眠り続ける仲間たちを抱え、狂った舞踏を続けていた。
「とりあえず、ピローとネルソンには起きてもらおうッ!」
空間が開いたその瞬間、ルスランが風のごとく横へ駆け抜けた。
ネルソンと踊っていた人形の一体へ踏み込み、迷いなく閃光のような一撃を叩き込む!
――ズバッ!
鋭い一閃。胸元から斜めに深く引き裂かれた人形は、カラカラと乾いた音を立てて床へ崩れ落ちた。
盾の向こうで、テンゴが「よし!」と口元をつり上げる。
だが次の瞬間、その表情が固まった。人形を切り離されたはずのネルソンが、なおも不気味で虚ろな足取りのまま、一人でクルクルと舞い続けていたからだ。
「おい、ネルソンッ!?」
テンゴが慌てて駆け寄り、迫ってきた別の立ち邪魔な人形を扇子で一閃、薙ぎ払った。人形はあっけなく吹き飛んで倒れ伏したが、それでもネルソンの足は止まらない。まるで見えない糸で頭上から吊るされているかのように、虚無の表情で躍り続けている。
そしてそのすぐ近くでは、ピローまでもが同じように虚ろな瞳のまま一人で舞い続けていた。
「ピロー! 起きろッ!」
テンゴはピローの華奢な肩を掴み、力任せに激しく揺さぶった。だが反応はない。二人とも深い悪夢に捕らわれたまま、ゆらゆらと宙を彷徨うように一人で踊り続けている。
「んー……」
「おー……」
苦しげなうわ言だけが、かすかにその唇から漏れ出るばかりだった。
さらにその先、広間のソファに身を預けたチヒロとモモもまた、ぐったりと目を閉じたままピクリとも動かない。
「チヒロ! モモ!」
テンゴが叫ぶ。しかし、今すぐそちらへ助けに向かうことはできなかった。
大盾は今もなお展開されており、ゴリスラヴァと魔女ナイーナを反対側へ押しとどめている。敵の凶刃を防ぐ絶対の壁であると同時に、仲間全員のもとへ駆けつける動線を自ら塞ぐ不自由な障害物でもあった。
「おい……ルッスラアアアン!?」
ゴリスラヴァが青筋を立てて怒気をあらわに叫ぶ。
「盾の裏に隠れてんじゃねぇ! 一騎打ちができなくなっちまったじゃねえか! これで満足かぁ!?」
ルスランは剣を構え直したまま、吐き捨てるように言い返した。
「お前は最初から、一騎打ちなどするつもりはなかっただろうッ!」
ゴリスラヴァは大剣を担ぎ直し、ふてぶてしい足取りで大盾の周囲を歩き回り始めた。
「はぁ……そうかい。あの時もそうだったよなぁ。ルスラン、お前は肝心な時に姫様を護れなかった……」
その口元が、勝ち誇ったように意地悪く歪む。
「今回もまったく同じなんだろ? 安心しろよ。前と同じように、俺が見つけて連れ帰ってやるぜ!」
「何を言っているんだ……!? 今回もお前が姫様を連れ去ったんだろッ!?」
「あぁぁ!?」
ゴリスラヴァは猛烈に眉をひそめ、本気で不快そうに怒鳴り返した。
「今回だぁ!? てめぇ、さっきから何の話をしてやがる! お前の方から勝手に俺の城へ首を突っ込んできたんだろうがッ!」
ゴリスラヴァの顔が怒りで真っ赤に染まっていく。
「あんたの城じゃないでしょぉ?あたしの魔法の城よぉ?」
魔女ナイーナは呆れ顔で言った。
「ほんっとイラつくなぁ!! ルゥスラアァンよおお!! せっかくお前のヘドが出るような結婚式をボイコットして、ここで一人優雅に踊り狂っていたってのに、てめぇらがゾロゾロと上がり込んできたんだろぉぉがよぉぉ!?」
「お前こそ、何を言っているんだ……!?」
巨大な扇子型の盾の周囲をいらだたしく歩き回りながら、ゴリスラヴァはなおも怒声を張り上げ続ける。
その支離滅裂だが真に迫った怒り様に、ルスランはハッと息をのんだ。
「……待て。まさかゴリスラヴァ、お前は本当に……今回のリュドミラ姫の再失踪のことを何も知らないのか……?」
「おい二人とも。起きないなら、お前ら二人で勝手に踊っててくれ!」
ルスランとゴリスラヴァが激しい口論を交わす一瞬の隙を突き、テンゴは素早くピローとネルソンの手を取った。
そのまま両手を無理やり繋ぎ合わせると、眠ったまま踊り続ける二人を向かい合わせにして、互いを踊り相手にしてしまう。
一人ずつ庇いながら戦うより、二人をまとめて一箇所で踊らせておく方が遥かに護りやすい――テンゴはそう瞬時に判断すると、向き合ってクルクルと踊り始めたネルソンとピローからパッと視線を外した。
「よし、次は……」
「そういえばぁ、旦那さぁん?」
魔女ナイーナが、ねっとりとからかうような声で呼びかけてくる。
「あなた、魔法から目覚めた瞬間から『チヒロ、チヒロ』って叫んでいたじゃなぁい? そこで寝てる女の子のこと、そんなぁに大好きなのぉ?」
ぞわりと、テンゴの背筋を冷たい嫌な予感が駆け上がった。
「……そ、それがどうした!?」
「あら、そう♪ それじゃぁ……」
次の瞬間、ナイーナはそれまでの態度を一変させ、ソファで眠るチヒロへ向かって弾丸のように突進した!
(やばいッ!!)
考えるより早く、テンゴは手に持った白銀の扇子を強く振り抜いた。チヒロに指一本触れさせるわけにはいかない。
展開中だった光の大盾から一枚が呼応するように切り離され、凄まじい速度で宙を奔る。
ナイーナの側面へと正確に回り込んだ光の盾は、次の瞬間、横殴りにその巨躯を豪快に打ち破砕した!
「いやぁぁぁッ!?」
ナイーナは金切り声を上げながら吹き飛ばされ、床を何度も転がっていく。
テンゴは間髪入れず、眠っていたはずのチヒロへ即座に視線を飛ばした。
「よし! チヒロ、起きろ――」
だが、ソファの上にはすでに誰もいなかった。
ついさっきまで深く眠っていたはずの少女の姿が、影も形もなく消え失せている。
直後、攻撃を終えた盾が元の位置へと引き戻され、テンゴの視界を再び重く塞いだ。
(どこへ行った……!? まさか――)
「テンゴーーーー!! 今起きたよッ!!」
不意に、無邪気でとびきり明るい声が響き渡った。
ソファのすぐ近くで、チヒロが満面の笑みを浮かべ、両手を大きく広げて立っていた。
「……っ! チヒロ! 大丈夫か!?」
テンゴは思わず胸をなでおろしかけた。一瞬消えたように見えたのは、盾の影に入ったただの見間違いだったのかもしれない。
チヒロとテンゴの間を塞いだ扇子の大盾をもう一度開けて確認する。
「うん、大丈夫だよぉ。ほらぁ、テンゴ、おいで!! ぎゅぅぅぅぅってしてあげるから」
返ってきたのは、今までのチヒロからは想像もつかないほど甘く、とろけるような声だった。
あんな可愛い少女にそんなふうに呼ばれれば、ひと息に距離を詰めてしまいたくなる者もいるだろう。
――だが、何かがおかしい。
「お前……チヒロか!?」
「そうだよ! チヒロだよ!」
返ってきたのは、やはりあの甘く絡みつくような声だった。
「私のこと、大好きなんでしょ?? ほらぁ!!」
無邪気に抱きつこうと両腕を広げるその仕草。
けれど、テンゴの胸に去来したのは安堵ではなく、冷ややかな疑惑だった。
テンゴの知るチヒロは、口が裂けてもこんな甘えた物言いはしない。そもそも二人の距離感は、こんな風に臆面もなく甘えてくるほど縮まってはいなかった。
「分かった。……二つ、聞きたいことがある」
テンゴは油断なく十全の間合いを保ち、三メートルほど手前でピタリと足を止めた。
「なぁに?? 何でも聞いてぇ?」
テンゴは全身を警戒で満たしたまま、鋭い問いを突きつける。
「一つ目、さっき俺と戦っていた魔女は、どこへ行った?」
チヒロはにこやかに答えた。
「ここにはいないよぉ! さっき私が魔法で追い払ったよ!」
その言葉の裏で、巨大な盾の内ではゴリスラヴァとルスランの睨み合いがなおも火花を散らしていた。ルスランもまた、一歩も退かない
「だからもう、大丈夫だよ!」
その返答で、テンゴは悟った。
もう間違いない。こいつはチヒロではない。
チヒロの武器は、先端に丸い玉を備えた白い杖だ。
その玉の中では宇宙の星々が瞬くように光が揺れ、見た目だけならスノードームを思わせる。
だが、あれはハンマーの外見をアバターで変えているだけで、本質はあくまでハンマーだ。
少なくとも、魔女のように魔法を操る存在ではない。
(……いや、半分だけは合ってるか。パラディンは魔法戦士だ、多少の補助魔法くらいは扱える。……だが、こんな出鱈目な答えを本物のチヒロが言うはずがない)
「ねーテンゴ! 信じてよぉ! チヒロ本人だってばぁ!」
盾の隙間から、偽者の甘ったるい声が追いすがるように響く。
「私、すごく頑張ったんだから! 寝てたけどぉ、夢の中でテンゴが私のことを大好きって言うから、胸がキュンとして飛び起きたの! そしたらテンゴと魔女が戦ってるじゃない?」
「だから、私の大好きなテンゴを傷つけるなー!って思って、魔法を使ってやっつけたのぉ!!」
まるで取り繕うように、チヒロは次々と言葉を並べ立てた。
どう聞いても、本人だと信じさせようと必死になっている。
「ねぇ……お願いだから信じてよ……」
今にも泣きそうな顔で、チヒロはすがるようにテンゴを見つめた。
「はぁ……分かった、分かったよ」
「分かってくれたんだ!? それじゃぁ、おいで!」
パッと輝くような笑顔を取り戻したチヒロは、再び両腕を広げ、抱きつくようにテンゴを誘う。
「それじゃあ、最後にもう一つだけ確認だ……」
「うん、なぁに? なんでも答えるよ!」
テンゴは微塵も表情を緩めず、低い声で宣告した。
「チヒロ」
「え?」
「お前自身の『本名』と、俺の『本名』を言ってみろ」
「えっ……!?」
そこで初めて、テンゴの口元が薄く歪んだ。
「正解できたら信じてやるよ。その腕の中にでも何でも、好きに飛び込んでやる」
「前からでも後ろからでも、抱きつき放題だ」
「……もっとも、次に俺を捕まえたら、二度と逃がさないつもりなんだろうけどな?」
テンゴは冷徹な視線で相手の狼狽を見破り、完全に主導権を握り返した。
さっきまで余裕ぶっていたチヒロが、今や完全に狼狽し、言葉を失っている。
「いや……ちょっと、それは……だって、だってテンゴはテンゴでしょ!? なんで本名なんて……!」
ゴリスラヴァから目を離さぬまま、ルスランが一瞬だけこちらを見た。
その目にも、どうやら異変は伝わったらしい。
テンゴの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
目にも笑みが宿る。
「さあ、答えてもらおうか!」
ハメようとしてきた敵が逆に追い詰められ、しどろもどろになっていく瞬間ほど愉快なものはない。
テンゴは腕を組み、狼狽するチヒロを余裕たっぷりに眺め回した。
「いや、だから……私は魔法使いだからチヒロでしょ……!? テンゴは……テンゴは……ッ!」
チヒロの声が激しくぶれ始める。
作られた甘さの膜がボロボロと剥がれ落ち、無理に作っていた可愛い声色が不快な雑音へと崩れていく。
「あぁ……もうッ! こうなったらぁぁぁッ!!」
キンキンと耳障りな叫びとともに、チヒロの姿が歪み、波打った。
次の瞬間、そこに立っていたのは――顔を激怒で引きつらせた魔女ナイーナその人だった。
「大人しくしなさぁぁぁい!!」
正体を暴かれたナイーナは半狂乱の叫びを上げ、三メートル先のテンゴへ向かって爪を立てた両腕を大きく広げ、一直線に突進してきた。
「甘いッ!」
テンゴは冷徹な眼差しで手に持った盾座と流れ星の扇子を鋭く振り抜いた。
宙を舞っていた光の大盾が一瞬で位置を変え、突進するナイーナの正面へと吸い込まれるように回帰する。
勢いのついたナイーナは制動をかけきれず、勢いそのままに光の壁へと正面衝突した。
――ドゴォォンッ!!
重く鈍い衝突音が広間に轟く。
弾き飛ばされたナイーナの体は、床を無様に滑りながら後方へと吹き飛ばされた。
激しい風圧とともに彼女が激突した先――そこは、ぐったりと静まり返るソファの前だった。
倒れた衝撃で生じた突風が周囲の空間を奇妙に波打たせ、ぐにゃりと景色が歪む。
まるで目に見えない透明な幕が破れ去るかのように揺らぎ、それまで隠されていた真実が白日のもとに晒された。
そこに横たわっていたのは――深く眠り続ける、本物のチヒロとモモの姿だった。
(……透明化の隠蔽魔法かッ!?)
二人を覆い隠していたのは、一見すると何の変哲もない一枚の毛布だった。
ナイーナが吹き飛ばされた拍子にその端がめくれ上がり、仕掛けられていた透過術式が破綻して布の輪郭がくっきりと浮かび上がる。
「んがあああああッ! なにやってんのよあたしはぁぁぁッ!!」
なりふり構っていられなくなったナイーナはすぐさま跳ね起きると、宙へ舞った毛布を爪で乱暴に引ったくった。
だが、あまりの焦りと怒りでパニックに陥っていたせいか、あろうことか毛布を【裏返し】のままモモとチヒロへかぶせてしまう。
術式が反転したことで隠蔽効果は完全に喪失し、二人の姿は隠れるどころか、むしろスポットライトを浴びたように鮮明に浮かび上がってしまった。
「もういいわッ! 遊びは終わりよぉぉぉッ!!」
頭から湯気を立てて激怒するナイーナが、天を仰いで禍々しい呪文を詠唱する。
「踊り狂いなさぁい! 『不協和音の舞踏会』ッ!!」
その叫びに応じるように、広間の天井の闇から、十数体もの操り人形が一斉に豪雨のごとく降り注いだ!
「くっ……上からもかッ!?」
だが、降り注ぐドール群はその【外側】だけでなく、盾のガードをすり抜けた【内側】の頭上にも容赦なく落とし込まれていた。
無数の不気味なドールたちは、ぎこちない関節の音をカタカタと響かせながら、剣を構えるルスラン、盾を維持するテンゴ、そして悪夢の中で無防備に踊り続けるネルソンとピローの四人へ向かって、一斉に襲いかかった!
「ルスラン! 内側は頼む!」
「ああ!」
テンゴは扇子を鋭く振り抜いた。
「銀 河 の 旋 回 音!」
突風のような旋風を巻き起こしながら放たれた衝撃波が、外側に群がっていたドールたちを容赦なく弾き飛ばす!
吹き飛ばされた無数の人形たちは宙へと舞い上がり、広間の壁や重厚な柱、そして高い天井へと激しい音を立てて叩きつけられていった。
「今度は何よぉッ!?」
ナイーナがキーキーと苛立ちをあらわに叫ぶ。
「チッ、これじゃ軽々と近づけねぇ……!」
ゴリスラヴァも忌々しそうに舌打ち混じりで吐き捨てた。
「こんなの……まだまだこれからよ!! ほぉらッ!」
ナイーナは苛立たしげに細い腕を振り払った。
眠ったままのチヒロとモモの前に陣取っている以上、図らずも自分が二人を守る壁として機能してしまっていることくらいは、魔女とて理解しているのだろう。
――その時だった。
壁へ激突したドールたちの衝撃が原因か、城内に絶え間なく流れていた耳障りな不協和音が、わずかに不気味な変調をきたした。
狂った旋律のピッチがほんの少し狂い、別の気体のようないびつな音色へとずれる。
(この不協和音……広間のどこかに隠された仕掛けから流れてやがったのか! 壁にドールがぶつかった衝撃で、機械か術式がイカれかけたんだ……!)
直後、バチバチッと激しいスパークの音とともに、広間の照明が一瞬途切れた。
散乱するドールとは明らかに無関係に、天井や壁を照らしていた無数の灯りが、ひとつ、またひとつと不安定に揺らぎ始める。
消えかけ、再び強く灯り、明滅を繰り返す――。
不規則に脈打つその怪しい光芒は、まるでこの広間そのものが深い眠りから不気味に覚醒しようとしているかのようだった。
「ん……? なんだ……!?」
テンゴが違和感を覚えて真上を仰いだ瞬間、異変は起きた。
頭上高くに吊り下げられていた巨大なシャンデリアのひとつが、天井の金具ごと引きちぎられ、まっすぐ直下へと落下してくるのが見えたのだ!
その真下にいるのは――手を取り合ったまま、虚ろな表情で踊り続けるピローとネルソンの二人!
(しまったッ……!! 二人を一箇所にまとめたせいで、頭上からの攻撃に対して格好の標的に……!)
「――なッ!?」
テンゴは思考より早く手に持った扇子を強く振り抜いた。
五つの扇子の大盾のうち、一枚を即座に上空へと走らせる。
ナイーナを吹き飛ばしたのとは別の盾が、落下する巨大シャンデリアの直下へ一閃の軌跡を描いて滑り込んだ。
――ガシャアァァンッ!!
腹に響く激しい打撃音とともにシャンデリアは弾き飛ばされ、床へと叩きつけられて眩いガラスの破片を四方八方へ飛び散らせた。
だが、その代償は決して小さくはなかった。
周囲を旋回していた防衛陣形から一枚が離脱したことで、全方位を守っていた防壁の円卓に一瞬の歪み――致命的な裂け目が生まれてしまったのだ。
「るっしゃああああああっ!!!!」
地鳴りのような咆哮を上げ、ゴリスラヴァがその隙を逃さず突進してきた。
防壁が破れる瞬間を初めから予見していたかのような、あまりにも鋭く恐ろしい踏み込み。
だが、ルスランは一歩も退かない。
力強く地を踏みしめ、前傾姿勢からゴリスラヴァの大剣を正面から真っ向迎撃した!
「今度こそ、お前と一騎打ちだ……ゴリスラヴァ!!」
激しい金属音と火花が散る中、ルスランが一瞬だけテンゴへと視線を滑らせる。
テンゴもまた、即座にその視線を受け止めた。
かつて迷いを見せていたルスランの瞳には、もう微塵の揺らぎも残っていなかった。
溢れんばかりの自信と不敵な笑みを口元に浮かべ、巨漢の圧倒的な威圧を強烈に押し返している。
「テンゴ! そっちは任せる!」
「ああ! 任せろ!」
交わした言葉はそれだけで十分だった。
あえて多くを語らずとも、二人の魂は確かに同じ思いを深く通わせ合っている。
――背中は任せた。
その瞬間、広間に歪んで流れていた耳障りな不協和音が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
刺々しいノイズの奥底から、優雅でいて情熱に満ちあふれた旋律が怒涛のようにせり上がってくる。
* * * *
ショスタコーヴィッチ作曲 セカンド・ワルツ
* * * *
劇的な音楽の変調とともに、この城の広間には明確な対峙の構図が並び立っていた。
覚悟を完了させた騎士ルスランと、剛腕の宿敵ゴリスラヴァ。
全てを見破ったテンゴと、激怒に身を震わせる魔女ナイーナ。
情熱的な音楽に切り替わった途端、恐ろしいほどのキレで舞を見せ始めたネルソンとピロー。
そして、魔法に捉われたままソファに伏せて眠るチヒロとモモ。
「お前はあの時! 大公様に泣きながら謝っていたじゃねぇかよ!!」
ゴリスラヴァは血走った目で獣のように吠え、ルスランへ憎悪の言葉を叩きつけた。
「『何の手がかりも見つけられませんでした……!!』ってなぁ!? この台詞はよぉ、今でもハッキリ覚えてるぜ……あぁ!? ルゥスラァンよぉぉ!!」
激しい金属音とともに剣を打ち合わせながら、ゴリスラヴァは狂気じみた声を張り上げる。
あの時、ルスランが大公へ涙ながらに報告する姿を、こいつは壁の影から見ていたのだ。もっとも、その直後に他の連中に見つかり、事情聴取のために連行されたのだが。
「その後だってそうだ!! 結局は、他の奴らがお前の無実を証明しただけじゃねぇかよ! お前はやっぱり、自分じゃ何一つ成しちゃいねぇんだよ!!」
痛烈な事実を叩きつけられても、ルスランの瞳は揺らがなかった。
剣と剣が激しくぶつかり合い火花が飛び散る中、その声だけは澄み渡り、真っ直ぐに突き抜ける。
「そうだ! 僕は何もしていない! それどころか、周りのみんなに助けられてばかりだ! 今回だってそうだ!!」
己の無力さを一切否定せず、あっさりと認める言葉にゴリスラヴァがわずかに目を見張る。
ルスランは眉一つ動かさず、真っ向から相手の眼光を見返した。
「それでも――役に立てなくても、何も見つけられなくても! 姫様の騎士であり、婚約者である限り……!」
渾身の力で剣を押し返す。
「僕は……姫様を護ると誓った! これが、僕の『騎士道魂』だ!!」
あまりにも愚直で、あまりにも本気の叫び。
「それこそが『ゾッコン魂』だろうがぁぁぁッ!!」
お互いの執念と叫びが重なり合う。
「うおおおおおおおおおおおッ!!」
「はしゃあああああああああッ!!」
二人は全身の力を剣に込め、再び激しい火花を散らした。
・・・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
テンゴは扇子を握り直し、背後へちらりと視線を向けた。
そこには、不協和音の魔法によって眠らされたままのチヒロとモモがソファで寝ている。
ここで大技を直撃されれば、巻き込まれて一網打尽にされてしまうのは目に見えていた。
(チヒロたちを庇いながら戦うしかねぇ……! けど、俺の技なんてこんな状況で大して役に立たねぇぞ。だったら――)
テンゴ自身、元々手数豊富なアタッカーというわけではない。守りに長けた盾職として、派手な攻撃スキルのレパートリーは限られていた。だからこそ、自分の本領である「鉄壁の守護」に全てを賭ける覚悟を決める。
「さぁ、チヒロに化けてくれた責任、バッチリ取ってもらうぜ!」
巨大な扇子の防壁越しにテンゴが叫ぶと、化けの皮を剥がされたナイーナは「チッ」と不機嫌そうに強く舌を鳴らした。
「ホントもう、何でこうもうまく行かないのかしらねぇ……ねぇ、テンゴ!?」
ナイーナが指を鳴らすと、周囲を囲むドールたちが一斉に不気味な関節音をカタカタと響かせて身構える。彼女の顔から、先ほどまでの「偽チヒロ」としてのしとやかさは完全に消え去っていた。
怒りに顔を歪めたナイーナの体が、地面から数十センチほどふわりと宙に浮き上がる。
「こうなったら無傷で捕まえるより、ボコボコにして連れて行く方がずっと楽だわ。――覚悟はいいかしら、テンゴ!?」
あざ笑うナイーナの指先から、不気味な魔力の糸が伸びる。
ドールたちがカチカチと不快な金属音を立て、盾の内にいるテンゴ目掛けて一斉に襲いかかってきた。
さらにドールたちの波に紛れ、ナイーナ自身も激しい魔力攻撃を畳みかけてくる。
「そおおおおおおおれええええええッ!!!!!」
ナイーナが両腕を大きく振りかざすと、カマイタチを孕んだ凄まじい突風が広間に吹き荒れた。
だが、テンゴの展開する巨大な扇の盾は微動だにしない。荒れ狂う暴風も、盾の内側に届く頃にはそよ風程度にまで殺されていた。
「はああああああああッ!!!!!!」
間髪入れず、今度は鋭利な無数のツララが弾丸のような速度で飛来する。
しかし、それらも光の盾に激突した瞬間、甲高い破砕音を立てて木っ端微塵に砕け散るだけだった。
「これでも食らいなさいッ!!!!!!」
なおも引き下がらないナイーナは、口を大きく開くと灼熱の炎を吹き出し、盾ごとテンゴを焼き尽くそうと猛烈な勢いで焙り立てる。
だが、扇面には焦げ痕ひとつ残らず、ダメージの数値が少ししか入らない。
ドールたちも腕からの射撃や火炎ブレスで畳みかけ、最後はヤケクソ気味に2体ずつ踊りながら身体ごと体当たりを敢行してきた。
――ドガァァンッ! ガキンッ、ガシャアンッ!!
だが、虚しい衝突音が響き渡るばかりだ。
テンゴの周囲を回転防御する巨大な扇子の盾にことごとく阻まれ、ドールたちの刃も弾丸も、すべての攻撃が無力化されていく。
「はぁ……はぁ……ッ! 楽しいわねぇ、テンゴ!? さっきまでの勢いはどこへ行ったのかしら!」
「まだまだよッ!」
ナイーナが痺れを切らしたように指をパチンと鳴らした。
直後、天井の暗がりから数体のドールが雨のように降ってくる――。
テンゴは周囲を回転浮遊する扇子の大盾の一枚を、手にした扇子でひょいと誘導し、真上へ展開して頭上からの襲撃を軽々と弾き返した。
「はっ!!」
頭上の防衛に盾が割かれた一瞬の隙を見逃さず、ナイーナが腕を大きく払う。手薄になった側面の隙間から、すかさず別のドールを突撃させようと畳みかけてきた。
「はいよ」
だが、テンゴは慌てる素振りすら見せない。頭上へ固定した一枚以外の浮遊盾を滑らかに旋回させ、完璧な連動でドールの進行ルートを塞ぎ切る。
――まさに千手観音のごとき鉄壁の防衛戦。
それを幾度となく繰り返しているうち、いつの間にかネルソンとピローの二人は盾の防壁ラインの外側へと押し出されてしまっていた。
だが、ドールたちのヘイト(敵意)は完全にタンクであるテンゴ一人へと固定されており、見向きもされない二人は城のただ中で相変わらずノリノリで踊り続けている。
「これを何度も何度も繰り返していれば、いつかはテンゴに攻撃が届くわ!!」
「っはっはっはっは!! さっきからそのちっこい棒切れを振っているだけで、自分からは何も攻撃できないのかしらね!?」
勝ち誇ったように叫ぶナイーナに対し、テンゴの表情には焦りの色ひとつない。それどころか、呆れたような冷めた視線をドールたちの群れに向けていた。
(あー。はいはい、棒切れ、ね……)
どうやら彼女には、テンゴが手にしている『扇子』がただの細い木切れにしか見えていないらしい。この世界には扇子という道具や文化が存在しないのだろう。
(……効くわけねぇだろ。こんなの『ラニアケア・オン・ライン』じゃ、見飽きたただの雑魚モブの波状攻撃だぞ)
(……さっき、ナイーナに背後から直接拘束された時はさすがに肝を冷やしたがな)
盾越しに伝わる軽い打撃音を聞きながら、テンゴは内心で冷ややかに独りごちる。
あの時の拘束は『LKO』のシステムには存在しない未知の技術だった。スキルを封じられた上に締め付けも強く、盾職の彼ですら冷や汗をかかされたが、正面からの純粋な攻撃であるならば負ける要素など万に一つもない。
「――攻め手がそれだけなら、そろそろ飽きてきたぜ?」
盾の向こう側で、テンゴは不敵な笑みを口元に浮かべた。
だが――真正面からの単調な物理攻撃となれば、話は完全に別だ。
(ガィィンッ! ガキンッ!!)
今もなお、ドールたちの掲げる鋭利な刃はテンゴの張り巡らせた強固な扇子の大盾に何度も激突し、そのたびに虚しく弾かれていく。それどころか、自らの攻撃の凄まじい勢いと反動に耐えきれず、ドールたちの腕や刃の方が次々と木っ端微塵に砕け散っていった。
「あぁああぁあ!! なんで通じないのよぉぉッ!!」
度重なる鉄壁のガードに苛立ちを爆発させ、ナイーナが叫びながら両腕を激しく振り上げる。
直後、天井の深い闇の奥から、新たな数体のドールがテンゴの真上めがけて雨のように降ってきた。
「甘い」
テンゴは即座に手にした扇子を軽く振るい、浮遊する盾の一枚をすかさず頭上へと呼び寄せる。
高速で落下してきたドールは光の盾へ真正面から激突し、乾いた打撃音を立てて粉々に砕け散った。
「くっ……こうなったらぁッ!!」
手詰まりとなったナイーナはそのまま宙へと高く浮かび上がり、甲高い声を張り上げて禍々しい呪文を紡ぎ始める。
「『壊 人 形 の 即 興 曲』」
「何……!?」
次の瞬間、テンゴの周囲に転がっていた人形の破片や、取り囲んでいたドールたちが一斉に不気味な赤黒い光を放ち始めた。
――爆発だッ!!
ドールたち自身を巨大な爆弾へと変え、広間全体を吹き飛ばす捨て身の連鎖爆破が、テンゴの至近距離で爆ぜ上がった――!
テンゴはとっさに、不協和音の魔法で眠り続けるチヒロとモモへ素早く視線を走らせた。
「はぁ……これでも効かないの……。心配しなくていいわ。あの二人のお嬢ちゃんにまで手を出す気はないわよ」
渾身の攻め手すらことごとく弾き返されたと悟ったのか、ナイーナの声からは先ほどまでの刺々しい勢いがわずかに削ぎ落とされていた。
「私はね……二十年前、とある白魔術師に召喚されたのよ」
「!?」
「そいつが私に惚れ込んじゃってね。捧げものだの戦利品だのを、飽きもせず持ってきては求婚気取りだったの」
なおも意思を失ったドールたちが惰性で襲いかかってくる。
だが、そのたびに鋭い刃はテンゴの展開する盾に弾かれ、乾いた音を立てて砕け、空しく散っていった。
「でもね、私はそんなおじさんと結婚したいわけじゃないのよ」
「それにね、何年経ってもこの美貌は少しも衰えなかったの。だから周りの仲間も、友達だった人たちも……だんだん私を怖がって近づいてこなくなったのよ」
テンゴは手にした扇子を一閃させ、押し寄せるドールと這い寄る紫の魔糸を力任せに弾き散らした。
彼女の身勝手な執着と孤独を真正面から受け止めながら、眉間には深いシワが刻まれる。
「誰かに必要とされたいわけでもないのか」
「だったら……なんでこんな不気味な城なんて作ったんだ」
「男よ」
ナイーナは迷いなく即座に言い切った。
「立派な城を作って、たくさんの男を誘惑して、その中から最高の男を選ぶため」
「でも来たのは、指で数えられるほどの旅人だけ。しかも、何がしたいのか分からない怪しい連中ばっかり……まともそうなのは、向こうで血みどろの決闘をしてる女装趣味のおっさんくらいよ」
テンゴの目がうっすらと細まる。
「……要するに、若い男が欲しいってことか」
「そうよ!」
「何十年経っても老けない魔法を作って、ずっと一緒に生きていける素敵な相手が欲しいの!」
一気に感情を捲し立てたナイーナに対し、テンゴはあきれたように小さく息を吐き出した。
「そうか……だから、俺を狙ったのか」
「そうよ。今まで話したことは全部本当……でも、あなたにはあそこのお嬢さんがいるって分かったの」
「だからあの子に化けて誘惑したけど……ダメだった」
ドールたちはなおも爪や刃を向けてくる。
けれど、その攻撃は何度迫ろうとも扇子の大盾に阻まれ、虚しく弾かれ、砕けて消えていく。
もう爆発を起こすような魔力すら残っていない。ナイーナの攻め手は、明らかに勢いを失い、鈍っていた。
テンゴは扇子を構えたまま、静かに、そして重みのある低い声で告げた。
「この世界には、まだお前が会ってないやつがいくらでもいる」
「街に出てみろ。きっと星みたいに眩しく輝く男にだって、そのうち会えるはずだ」
そして、まっすぐナイーナの瞳を見据える。
「……うざがられたり、気持ち悪がられたり、馬鹿にされたりしたら――」
テンゴは力強く、言葉を紡いだ。
「そのときは俺が、宇宙の彼方から駆けつけて……そいつらをまとめて振り払ってやるよ」
テンゴのその力強い言葉を聞いた瞬間、宙に漂っていたナイーナの足先が、すとんと床へ落ちた。
「……え?」
呆然と呟いたナイーナの顔に浮かんでいたのは、先ほどまでの苛立ちや悪意ではなく、隠しきれない深い疲労と困惑だった。
「……ふふっ、バカみたい。もう……魔力が残ってないわ。じきに、この城も消える……」
力なく吐き捨てると、彼女はそのまま糸が切れた人形のように膝から床へ崩れ落ちた。
思えば、先ほどからドールたちの攻撃に勢いがなくなっていたのも、すべては彼女の魔力が底を突きかけていたせいだったのだ。
ナイーナの告白に応じるように、広場を照らしていた怪しい灯りが一斉に明滅を始め、城の重厚な壁や天井が薄い幻影のようにぐにゃりと歪みだす――。
テンゴが張り巡らせていたスキル『五 音 の 防 星』を静かに消滅させた。
どうやら、向こうで行われていたルスランとゴリスラヴァの凄惨な一騎打ちにも、ついに決着がついたらしい。
広間の奥で大の字に倒れ込み、荒い息を吐き出しているのはゴリスラヴァだった。
「っはっ……へっへっ……はぁっ……!!」
静まり返った空間に、彼の荒々しい息遣いだけが響き渡る。
地べたに力なく横たわる彼の傍らには、手放された愛用の大剣が転がっていた。何度も激しく刃を交えた激闘を物語るように、その剣身は無数の刃こぼれが生じ、見る影もなく傷ついている。
やがて、熾烈な死闘を制したルスランが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
だが、彼の手にある一振りの剣もまた、限界を超えた打ち合いによって刀身が欠け落ち、満身創痍の様相を呈していた。
ボロボロの剣を手に、ルスランは横たわるゴリスラヴァのすぐ傍らで足を止めた。
静かに剣を鞘へと収めると、地べたから自分を見上げるライバルへ、どこまでも真っ直ぐで澄んだ視線を向ける。
「僕は、前に進まなければいけない。……今回の件、姫様との間には何もなかったこと、そして……お前の趣味に首を突っ込んでしまったことを謝罪する。本当にすまなかった」
一切の誤魔化しなく真っ直ぐに頭を下げる若き騎士の姿に、ゴリスラヴァは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
仰向けのまま、血と汗に汚れた顔を歪めて吐き捨てるように笑う。
「っへ……言うじゃぁねぇかよぉ。お前……これで勝ったつもりかぁ?」
力なく転がっていた手が、ゆっくりと、けれど固く拳に握り締められる。
「今度会ったら――お前を確実に殺す(倒す)」
「ああ。次も、今度も、明日も――勝つのは僕だ」
ルスランの返答に、一片の迷いもなかった。
勝利に奢ることも、敗者を蔑むこともなく、ただ一人の騎士として不屈の誓いを堂々と口にする。
武人同士のやり取りを黙って聞いていたナイーナが、不意にテンゴを見上げた――。
「ねぇ、テンゴ。最後にひとつだけ、聞かせてほしいの」
徐々に姿を消していく、星のごとく眩く輝く城の中で、彼女の甘い声だけがかすかな残響となって漂う。
テンゴは静かにそこへ目を向けた。
「ん? 何だ?」
「……あなたの、本当の名前を聞かせて……」
ちょうどその時、一騎打ちを終えたルスランが二、三歩後ろまで歩み寄り、静かに足を止めた。
テンゴはほんの僅かに間を置き、ゆっくりと口を開く。
「俺は……俺の本当の名前は、天富 奏護だ」
「すごくカッコよくて、素敵なお名前ね……ありがとう」
ナイーナは愛おしそうに瞳を細めると、そっと両手を広げてテンゴを招き寄せた。
敵の罠かもしれない――そんな警戒は、テンゴの頭からいつの間にか綺麗に消え去っていた。吸い寄せられるように一歩を踏み出し、彼女の広げられた胸の中へと静かに収まる。
「……あぁ。チヒロとモモに毛布をかけてくれて、あんがとな!」
「うん。君の好きな子、ガッカリさせないでね。約束よ」
「勿論だ! 俺もナイーナが困っていたら、宇宙の彼方からだって飛んで来るぜ! 約束だ!」
「ふふ……名前を呼んでくれて、ありがとう……バイバイ……」
ナイーナとゴリスラヴァの身体は、星のように弾けて砕け散っていく城の輝きとともに、静かに光の粒子となって夜風へ溶けていく。
やがて幻影の城館は屋根も壁もすべて綺麗に消え去り、ふと真上を見上げれば――そこには、視界いっぱいに広がる眩い満天の星空が広がっていた。
「……約束、か」
頭上に広がる無限の星空を見上げていると、どうしても思い出してしまう。
かつて同じように澄み渡る星空の下で、千宙と交わしたあの日の大切な約束を。
(……俺も、チヒロとの約束をちゃんと果たさないとな)
心の中で静かに誓いを新たにした、まさにその時だった。
「……テンゴ、終わったね」
「……あぁ……」
いつの間にか、ルスランが斜め後ろに佇んでいた。
激闘を終えて刃の欠けたボロボロの剣を抱え、夜空を見上げるテンゴの背中を、どこか圧倒されたような熱い眼差しで見つめている。
「……いや、君たちは……一体、何者なんだ?」
ナイーナの強大な魔法を真正面から打ち破り、自分たちの常識を遥かに超えた戦いを見せたテンゴたち。その凄まじさに、ルスランは改めて深い問いを投げかける。
テンゴは肩越しにちらりと振り返ると、ニッと不敵に口元を吊り上げた。
「それは――姫様を無事に助け出せたら、教えてやるよ」
……と、ひとまずナイーナたちを巡る不気味な城の一件が落ち着いたのは良かったのだが。
大問題なのは、こちらがまったく落ち着いていないことだった。
豪華な城が跡形もなく消え去ったというのに、その場には未だ「踊り続ける者たち」と「眠り続ける者たち」が取り残されている。
満天の星空の下、ピローとネルソンは相変わらず情熱的なステップを踏み、キレッキレのダンスを踊り続けていた。
そしてその横では、土台のソファが消えたせいで地べたに直接仰向けで転がっているチヒロとモモの姿がある。どうやら、ナイーナが親切にかけてくれていた毛布まで城と一緒に消滅してしまったらしい。
テンゴは呆れつつもそっと二人の間に入り込んで膝をつくと、頭を優しく抱え上げ、モモが抱えていたアザラシクッションを二人の後頭部へ滑り込ませて枕にしてやった。
「おーい、チヒロ、モモ、起きろー」
二人の顔を交互に覗き込みながら、ゆったりとした声で呼びかける。
チヒロだけ顔の頬っぺたをつまみ、ゆるく伸ばして遊んでみる。
「おーい、チヒロー」
一方、ルスランは情熱的なステップを踏んでなおも踊り続けるピローとネルソンへ、困惑気味に歩み寄っていた。
「ちょっちょと…二人とも……もう、ダンスの時間は過ぎたよ……」
「チヒロー。モモー」
「ん……ぅ……」
テンゴの呼びかけに、先にゆっくりと瞼を開いたのはチヒロだった。
まだ夢とうつつの境目にいるのか、瞳をぼんやりと揺らしながら、自分を覗き込むテンゴの顔を見つめる。
「おはよう、チヒロ」
「え……? ……奏……護……? ……何……?」
寝ぼけたままのチヒロの唇から、小さく漏れ出たのはゲームのアバター名ではなく、現実での彼の本名だった。
テンゴが用意したアザラシクッションに頭をのせたまま、チヒロがふと視線を上へと巡らせる。
そこには、視界を埋め尽くすほどの満天の星空が広がっていた。
そして周囲に目を向けて、テンゴたちは改めて息を呑む。
そこはただ、夜風が吹き抜ける静寂な広場だった。
城どころか――自分たちが足を踏み入れたはずの、あの活気のない怪しげな村すらも、跡形もなく消え去っていたのだ。
「ねー、何ここ……?」
身体を起こそうとはせず、その体勢のまま、チヒロが不思議そうに周囲を見渡した。
「ずっと寝ていたぞ、ここで」
上から覗き込むテンゴが、可笑しそうに事実を告げる。
「……そうらしいね。けどね、私……夢を見たの」
どこか愛おしそうに呟くと、チヒロは嬉しそうに笑みをこぼした。
「夢ってね、起きたらすぐに忘れちゃうことが多いけど……私が見た夢は、多分一生忘れないと思う」
「なんだよ、その夢って」
「えーー?? 知りたいの??」
テンゴの問いに、チヒロは思わせぶりに声を弾ませる。そして、少しだけ恥ずかしそうに視線を泳がせた。
「あのね……覚えているかどうか分からないんだけど。……輪島市のキャンプ場での、あの思い出を……」
「あー! 覚えているぜ。まぁ俺もさっき思い出したんだけどな。――チヒロと交わした『約束』をさ」
その言葉を聞いた瞬間、チヒロの表情がぱっと華やいだ。
「思い出したの!? 本当に思い出したの!?」
「あぁ」
「すごーい! 私も思い出したのがすごく嬉しい!!」
ウキウキと声を弾ませながら、チヒロは頭を少し滑らせ、視界を遮るテンゴの顔をずらすようにして頭上の夜空を仰いだ。
「あの時も……こんな星空の下だったよねー」
「……そうだな。あの時も、こんな夜空だったな」
ふたりが星空を見上げていると、かすかな吐息が漏れ聞こえた。
「っふぅーーーーーー」
モモだった。どうやら彼女も目を覚ましたようだが、開かない瞼のまま、深く、重いため息をつく。
「っはぁーーーー……」
夜風に溶けていくその吐息に混じり、閉ざされた目元から、一すじの涙がすっと頬を伝い落ちるのが見えた。
「……モモ。君はどうして、泣いているんだい?」
テンゴは声をひそめ、慈しむように優しく問いかける。
チヒロもまた顔を向け、心配そうにモモの様子を横目でのぞき込んだ。
「ん……ちょっと、嫌な事を思い出したの……」
「そう……。モモ……聞いて、いい……?」
チヒロは同じアザラシクッションの上で少し頭をすり寄せ、気遣うように静かに尋ねた。
しかし、モモはそれ以上語ろうとはせず、小さく首を横に振る。
「いや……起きよう」
そう言って、モモは真っ先に身体を起こした。
「そうだな……チヒロ、昔話はまた今度だ」
「うん、そうだね。私も起きる」
チヒロもどこか名残惜しそうにしながら、ゆっくりと身体を起こした。
「よしっと」
二人が起き上がったのを見届けると、テンゴもパンパンと膝を払って立ち上がる。
束の間の甘い時間は終わりだ。僕たちは先を急がなくてはならない。
そう――現実の問題は、まだ何ひとつ解決していないのだから。
「ねぇ……あの二人、あそこですごい格好のまま棒立ちだけど、何をしてたの……?」
身体を起こしたチヒロが、少し離れた場所に怪訝そうな視線を向ける。
その先では、いつの間にかダンスの魔法が解け、手を取り合って情熱的なポーズを決めたまま固まっているピローとネルソンの姿があった。
そしてその傍らでは、ルスランが未だに困惑顔で二人に声をかけ続けている。
「……二人とも、まだ起きないのかい……?」
真面目なルスランが何度も声をかけているが、二人は情熱的なダンスの決めポーズで固まったまま、微動だにしない。
「おーい、ネルソン! ピロー!」
しびれを切らしたテンゴが大きな声で呼びかけると、ビクッと身体を揺らした二人は、ようやく固く繋ぎ合っていたお互いの手をパッと離した。
「んー……」
「あー……」
そして、遂に……長かった夢から醒めるように、ゆっくりと目を開ける。
「ふー、なんか……すっごくよく寝ていたような感じがするなぁ」
ピローは満足そうに大きなあくびを噛み殺しながら、呑気に肩を回した。
一方、ネルソンはどこか猛烈な違和感を覚えたのか、首をひねる。
「……あれ? 拙者たちは、一体何をして……ん?」
自分の両手をまじまじと見つめていたネルソンが、驚いたように声を張り上げた。
「拙者の手が……温かいぞ!?」
「お、本当だ! 俺の手からも、なんだか熱を感じるぞ!?」
つられるようにピローも自分の手のひらを見つめ、じんじんと残る謎の熱気に目を丸くする。
「これは一体なんや……!? ま、まさか拙者ら、寝とる間に敵と激闘しとったっちゅうがか……!?」
「そうか! そうだったのか!!」
己の閃きに膝を打ったネルソンに、ピローもハッと表情を輝かせた。
「拙者ら、意識のない間も、ひそかに敵と戦うとったがか!? お主ら、裏で拙者らを助けてくれとったがやな!?」
二人は「自分たちの勇敢な活躍」を確信し、期待に満ちた目でテンゴたちを見つめる。
テンゴは間髪入れずに即答した。
「いや、違う」
「うちらの仕事、思い出したか?」
テンゴが呆れ混じりに尋ねると、北の方向をビシッと指差し、今にも駆け出しそうなポーズを取った。
「よし、先に行こう。姫様が待ってる」
「あぁ、行こう! 北だ!」
ルスランが力強く応じると、他の仲間たちも一斉に深く頷いた。
直後、テンゴが真っ先に疾走を開始し、その背中を追うように5人が一列になって続いていく。
風を切って駆け抜けながら、ネルソンがふと疑問を口にした。
「ところで拙者等は、一体どんな凄腕の敵と戦っていたんや?」
「それより、僕はライバル騎士と決闘したよ。手強かったさ……ほら、剣もボロボロだ」
ルスランが腰の傷ついた剣を示して苦笑すると、ピローが感心したようにうなる。
「ふーん、そんな厳しい敵だったのか。……しかし、寝ながら戦うなんて器用なこと、俺たちによく出来たもんだなぁ」
「ふむ……何かの魔法にかけられとったんやないがか?」
ネルソンの推測は実に正しかった。
ただ、その実態が「戦っていた」のではなく「ただ一方的にハメられていただけ」だという点を除けば、だが。
「あぁ、その通りだ。僕たちは魔法に掛けられたんだ」
隣を並走しながら、ルスランが頷く。
「まともに戦えたのは、僕とテンゴだけだったよ」
「なるほど……」
「チヒロとモモは何もできず、ずっと寝ていたけれどね」
ルスランがさらりと事実を口にすると、先頭のテンゴの後ろを走っていたチヒロが、一瞬で顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。さっきまでの甘い時間が脳裏をよぎったのだろう。一方のモモは、相変わらず無表情のまま黙々と脚を動かしている。
「とんでもない恐ろしい魔法だったんだな……」
神妙な顔で納得しかけたピローが、思い出したように尋ねた。
「で、俺とネルソンの相手はどんな奴だったんだ?」
ルスランは走りながら、二人のほうへちらりと生温かい視線を向けた。
「ピローとネルソンかい? ……君たちは二人で一緒に踊っていたよ。しっかりと手を繋いでね。……それだけさ」
一瞬6人が全員沈黙した。ルスランの事実を聞いて想像するだけで悍ましい魔法であるとネルソンとピローは悪寒が走った様だ。しかし、その沈黙も数秒でピローとネルソンが一緒に叫んだ。
「「いやあああああああああああああああああああああああ!!!!!!」」
この先にまだ予期せぬ出来事が待っているかもしれない。
◆◆◆
(ペンタトニック・シールド)
「五 音 の 防 星」
スキル概要 耐久性のある盾を5つ召喚し味方ないし自身を護る。
スキル説明
自身の装備している盾を5つ出現させ浮遊させる。
この出現した盾は術者の周りをゆっくり回転、浮遊する。
術者の指示で一つだけの盾を移動させることが可能。指示が終われば自動的に持ち場に戻る
浮遊時間があり経過すると消滅する。自身で出現時間を管理できる。
消滅した場合でも破壊されない限り瞬時に使用が可能。
一つ一つの盾に耐久性があり、出現させていない時間で回復が可能。
**連携スキル要確認**
**術者はこの盾の召喚中、召喚した五音の防星関連スキル以外のスキルは使用不可**
**全ての盾が破壊されると再使用待機時間は10分になる**




