逃げられない場所から、一歩
初めての外出が登城だと気付いたのは、侍女にとびきり着飾られている最中だった。白とペールグリーンを基調にしたドレス。袖にも繊細なレースがあしらわれていて、要所にあるリボンが、嫌というほど子供らしさを強調する。さらにドレスとお揃いのヘッドドレスで可愛さを足されてしまった。髪は緩く巻いてふんわりさせ、ドレスの雰囲気を崩していない。
まだ慣れないネックレスは、家宝石のみが輝くシンプルなもの。ヘリオトロープはドレスと併せるとチグハグだけれど、謁見の際は必ず家宝石を身につけるのが習わしのため外せない。
あれこれと考えていれば、もう父が部屋へ迎えに来ていた。首元のさり気ないクラヴァットピンは、私のネックレスとお揃いだった。
エスコートされながら馬車に乗り込めば、ぬいぐるみが先に座っている。父の気遣いに頬が緩み、気づけば大きく息を吐いていた。思っていたより緊張していることが父にも伝わったのか、「大丈夫だよ」と笑顔を向けられる。つられて笑ったけれど、上手く笑えていただろうか。
王城までの道中も揺れが少なく、思いのほか居心地が良い。アンティークな内装に似つかわしくないピンクのクッション、窓際に吊るされたガラス細工。かすかに香る酔い止め用の香草は、前世でも嗅いだことがある。爽快感と清涼感を覚えるこれは、ペパーミント…だろうか。
馬車の至る所に愛情が垣間見え、少しだけ気恥ずかしくなった。
…これだけ愛されているのに、嫌だと伝えても、断ることの出来ない縁談。愛娘の幸せを考える親心も分かるつもりだ。けれど、私は転生者で、この婚約の行く末を知っている。
…だからこそ、幸せになる未来が思い描けない。両親の想いを、素直に受け取れない。
馬車の中は静かで、リズミカルな蹄音が耳に届く。父は窓の外を見ていても、私が少しでも動けば、すぐに顔が向く。会話はないけれど、目が合えば笑いかけてくれる。変に取り繕う必要がなくて安心しているのに、どこか落ち着かずにいた。
父に倣って街並みを眺める。城下町は設定資料集通りで、人々の活気が溢れた良い街に見える。聖地巡りと呼んでもおかしくないのに、心が弾まず、ただぼんやりと眺めてしまう。徐々に人通りが減り、お城に続く橋へと景色が変わっていく。湖にはこの世界特有の魔魚が泳いでいて、“動いてるな〜”なんて馬鹿みたいな感想しか出てこなかった。
………………王太子婚約者、かあ。
このままじゃ、一家が路頭に迷ってしまう。婚約回避が出来ないのならば、せめて将来の婚約破棄は、婚約解消に持っていけないだろうか。
ヒロインとの関係を維持しつつ、王太子にも嫌われないルート…そんな都合の良い道を、見つけられればいいのだけれど。
ゲームでの王太子は、ペルシカのことを好いていなかった。
“公爵令嬢”だから、“婚約者”だからと、そんな理由で努力もせず、わがままを通す悪役令嬢が好かれないのはわかる。だからせめて、公爵令嬢として、婚約者としての努力をすれば、まだ嫌われないかもしれない。仲良く出来なくていい。彼の隣は、未来のヒロインなのだから。
嫌われなければ、円満に解消出来るかもしれない。ギュッとぬいぐるみを抱く手に力が入る。覚悟を決めようと短く息を吐いたら、父の手が私の手と重なった。
「ほら、もう着いたよ」
やっぱり父は、微笑みを絶やさない。少しでも安心させようとしてくれる気持ちが嬉しくて、絶対に悲しませないぞと強く決意した。
エスコートをされて馬車を降りれば、とても大きなお城が待っていた。設定資料集と同じはずなのに、壮麗で厳格なお城に圧倒される。傍に控える騎士たちの微動だにしない姿にさえ、少し怖いと思ってしまう。
城内へ入れば、その情報量に思わず時間が止まったように感じた。調度品や柱の装飾、天井──どこを見ても煌びやかで、目を奪われてしまう逸品ばかり。きっと、淑女教育を受けなかったら、不躾にキョロキョロ見回していた気がする。それほど、芸術品のようなお城だった。
見て回りたい衝動を抑えながら、一歩一歩進んで行く。鼓動が早くなり、緊張がさらに大きくなる。何度も画面で見たはずの光景なのに、どこか知らない場所みたい。背が低く目線が低いことを抜きにしても、やっぱりここは、知らない場所だと感じてしまった。
私の手は、震えてないだろうか。
会うと決まってから、マナーの勉強を沢山した。もし間違えても、幼いからと見逃してもらおう。それでも無理なら、お父様に泣きついてやる。
大丈夫。
私が頑張れば、未来は変えられる。
大丈夫。
……私は、悪役なんかにはならない。
父の後ろについて、扉へと一歩踏み出した。




