お婆ちゃんとの別れと、伯父ベレルムの登場
それから、約一年の月日が流れた。
季節が巡り、再びミードガル郊外の街が柔らかな木漏れ日に包まれる頃――お婆ちゃんは、静かにその寿命を迎えた。
白いベッドの上で、眠るように息を引き取ったお婆ちゃん。その表情は驚くほど穏やかで、最期までミリーの手を優しく握りしめていた。ミリーの魔法のような力によって脳の不具合を完全に修理されていたお婆ちゃんは、認知症の苦しみを見せることなく、大好きな孫娘との最期の時間を、愛に満ちた正気のままで過ごし切ったのだ。
「お婆ちゃん……? お婆ちゃん、お目目開けて……?」
ベッドの脇で、十一歳になったミリーはお婆ちゃんの手をきゅっと握りしめていた。
どんなに呼びかけても、お婆ちゃんはもう答えてくれない。
「お婆ちゃん、元気になって……! お願い、痛いの痛いの飛んでけ……っ」
ミリーはボロボロと涙をこぼしながら、お婆ちゃんの手を、胸を、何度も何度も泣きながら優しく撫でた。
しかし、ミリーの体内から翡翠色の光が溢れ出すことはなかった。
どれだけ心から「直したい」と願っても、お婆ちゃんの体にはどこにも『不具合』などなかったからだ。病気でも、怪我でもない。人間という生命が天から与えられた時間をすべて使い果たした、ただそれだけの、大自然の絶対的なルール。
壊れたものは直せても、命の限界そのものを引き延ばすことはできない。
その残酷な真実を前にして、ミリーの無自覚なスキルは、ただ静かに沈黙するしかなかった。
「お婆ちゃん、お婆ちゃん……! いやだよぉ、一人にしないで……っ!」
天涯孤独になってしまった恐怖と悲しみに、ミリーはその場に崩れ落ち、声を上げて大泣きした。お婆ちゃんがいない世界なんて、どうしていいか分からなかった。
その時、静まり返った病室のドアが、カチリと静かな音を立てて開いた。
「――やあ、ミリー。ずいぶんと泣いたね。涙を流すことは、脳内のストレス物質を体外に排出する極めて合理的な生体防御反応だけれど……私の可愛い姪っ子の瞳が赤く腫れてしまうのは、あまり見ていて気分の良いものではないな」
涙で霞むミリーの視界に、一人の男の姿が映り込んだ。
仕立ての良い、けれどどこか着崩した長い白衣。少しぼさぼさの髪に、度の強い大きな眼鏡。その奥にある瞳は、お婆ちゃんや亡き父親によく似た、とても深い優しさを湛えていた。
超天才魔科学発明家であり、ミリーのたった一人の親族――伯父のベレルムだった。
「おじ……ちゃん……?」
小さな頃に一度だけ会った記憶のある伯父の姿に、ミリーは涙を拭いながら小さく呟いた。
ベレルムはお婆ちゃんのベッドの前に進むと、静かに目を閉じ、一瞬だけ亡き母へ哀悼の意を捧げた。それから、ゆっくりとミリーの前に屈み込み、目線を合わせる。
「お袋から、君の未来を託されてね。約束通り、迎えに来たよ。……お袋の『寿命』は、世界の物理的なバグやエラーではない。この宇宙の基本プログラムに組み込まれた、絶対的な減衰システムだ。だから、君のその優しい力でも、直すことはできない。……それは、君のせいでは決してないんだよ、ミリー」
専門用語を交えた少し風変わりな話し方。けれど、その声はミリーの傷ついた心に驚くほど優しく染み込んできた。ベレルムは長い腕を伸ばし、ミリーの小さな体をそっと、しかし壊れ物を扱うように大切に抱きしめた。
「もう大丈夫だ。君は一人じゃない。お袋が逝った今、この世界で君を最優先で保護し、観測し、そして誰よりも愛する義務が私にはある。これからは、私の研究所が君の新しいお家だ」
伯父の温かい胸の中で、ミリーは再び声を上げて泣いた。けれど、今度は寂しさだけではない、絶対的な安心感がそこにはあった。
数日後。お婆ちゃんの葬儀を静かに終えたミリーは、住み慣れた郊外の家を離れ、ベレルムの車に乗っていた。
都会的な街並みが少しずつ遠ざかり、車は鬱蒼とした、けれどどこか神秘的な大自然の緑の中へと進んでいく。窓の外を眺めていたミリーが、ふと何かに気づいて声を上げた。
「あ! おじちゃん、見て! あの時のねこちゃん!」
車の後方を並走するように、一匹のツヤツヤとした黒猫が、驚異的な身体能力で森の木々を飛び跳ねながらついてきていた。第一話でミリーが命を救った、あの猫だ。
バックミラーを覗き込んだベレルムは、眼鏡の奥の目を面白そうに細めた。
「ふむ、時速六十キロの魔科学車両に遅滞なく追従する野生の猫、か。通常の生物学の範疇を完全に逸脱しているね。君に施された完全細胞再構成のプロセスで、魔力伝導率が極限まで高まった結果だろう。面白い。どうやら、君の可愛いお友達も、新居へ同行するつもりのようだ」
「ふふ、ミャア、ついてきてくれたんだね!」
ミリーは窓を開けて、嬉しそうに手を振った。黒猫――ミャアは、短く「にゃあ」と鳴いて、嬉しそうに尻尾を振った。
悲しみの果てに、ミリーの新しい生活が始まろうとしていた。
超天才の伯父と、不思議な相棒の猫。大自然の奥深くにあるベレルムの研究所を目指して、魔科学車は緑のトンネルを滑るように進んでいく――。




